第八十一話:死刑囚
今回、もしかすると同性愛者の方々に不愉快な文章があるかもしれませんが、自分にそういった方々を嫌悪したり非難したりする気持ちは一切ありません。
また、もしそういった方々で読んでおられる方が居られましたら、どうか広い心でお読み頂くか、そっとブラウザバックをお願いします。
「**、******?」
「********************」
起きる切っ掛けとなったのは、頭上で聞こえる聞き覚えのない声と言葉だった。
しかしまぁ、全く人がやる気になったというのにこれだ、よっぽど神様は囚人が嫌いらしい。
結構、いや実に結構。こっちは死ねば死ぬほど自由の身だ、今ならあんたにも言えるよ。
この糞ったれのイカレ野郎、性根ねじ繰り返ってるんだよ、あんた。
唾でも吐くような勢いで内心で罵ると、ピシリと猛った馬を打つように高ぶった感情が無理やり鎮められていく。
どうにも煮え切らないが、ひとまずこの場はこれでオーケー、寝起きの惚けた頭は怒りで叩き起こされたし、その怒りもいまは鎮まり、現状僕は至って冷静だ。
であれば、いまの状況を確認するとしよう。
薄目で見たところ辺りのぱっと見の印象は地下室、敵の数は視界に入るだけで二人。
声も二人分しかせず、上階の足音なども聞こえない。とりあえず敵は二人と見ておこう。
そしてこれが大事なのだが――拘束具を一切付けられていない。
分かってる、普通ならば自分の幸運を神とやらに感謝でもするか、敵の迂闊さに呆れ、ほくそ笑む場面だろう。
だが、死刑囚の場合は意味が異なる。いや、拘束具を付けられている方が強いなんて事はない、むしろ逆だ僕は他の人以上に弱くなる……いや、ある意味ではあるべき姿に戻るというべきか。
とにかく、問題は敵がそれを知っているということ――僕を真に殺す方法を知っているということが問題なのだ。
僕の異能――死刑囚は拘束された状態では"その一切の能力が封じられる"。
一切の、だ。異能が封じられ死は紛う事なき死として僕の人生の幕を閉じ、身体能力すらも著しく制限され絶対に己の拘束を解く事が出来ない。
要するに、拘束された時点で死刑囚はほぼ積み。完全に蘇ってないと思われている、いまが正真正銘のラストチャンスだと言える。
言えるのだが……
『ひゃひゃだはうほはなひ(体が動かない)……!』
「**************!」
ろれつの回らぬ僕を見て先程から僕の髪を掴んでいる男が嗤う。
僕の蘇生はいつの間にかバレていたらしい、無意識に手でも動かしていたのかもしれないがどうにも感覚がない所為でよくわからない。
くそ、麻酔でも打たれていたか……! 死刑囚の体なら感覚を取り戻すのはそこらの人より早いだろうが、それでも今しばらくは無理だ。
そして、その"今しばらく"さえあれば僕の手に錠を掛けるのなど容易い。
背後に男の一人がまわり、カチャカチャと軽い金属がこすれる音がした後に続いてカチャリと錠が落ちる。
途端、全身を倦怠感が襲い、眠気が堰を切ったように押し寄せて来る。
打撃にも等しいそれに抵抗する間もなくく昏倒し――。
目覚めた時には手術台の様な場所に寝かされていた。ただし、身ぐるみをあらかた剥がされ、手首足首を拘束された状態で。
無理な体勢で寝ていたせいで体はこわばり、寝起きもあまりよろしくない。
『気分ハどウダ? ヒーロー』
片言の魔界語で話しかけてくる髭面の男、その顔には粘ついた厭らしい笑み。
何故かその笑みが吐き気をもよおすほど不快で、悍ましく感じる。――その上、歪み、痛々しかったあの顔はダレのモノだっただろうか?
『最高の寝心地でしたよ、人間』
吐き気を堪えて不敵な笑みを繕い、殺意に等しい敵意を込めて睨みつける。
表情を作るのにすら疲労を感じる様な体であっても諦めるにはまだ早い。
なにしろ恐らくここは"月攫い"の本拠地、ならば彼女がいる可能性は高い。
むしろ、状況は一気に好転したと言っていい、こうしてわざわざ向こうから目的地まで招待してくれたのだ。
『おまけにこの手厚い持て成し、まさに居たせりつくせりだ』
ガチャガチャと錠を軽く鳴らして、鼻で笑う。
『それは結構、なにせお前は家のトップの客人だ。機嫌を損なわれちゃ困る』
髭面と比べいやに流暢な魔界語、僕と比べても遜色ないほどだ。
顔を声のした方に向けてみると壁に寄りかかった長身の男が、冷笑を浮かべていた。
魔界での暮らしが長いのか……? もしかしたら、どこかの町に潜伏してたのかもしれないな。
出来れば諜報専門で戦闘はちょっと……なんて輩であることが望ましいが、牢屋を任されてる時点で諜報以外のものが専門の可能性が高いだろうな。
と半ば諦観に似た心境の中、警戒のランクを一つあげる。
『家のトップ? 失礼ですが、どなたで? お恥ずかしい話、交友関係が広くないもので』
『そイツは秘密さ、ヒミツ。へへ、げへへへへ』
髭面の男は相も変わらず気持ち悪い笑みを浮かべながら答え、舐めるような視線をこちらに向けてくる。
『おい、アルバーノ。分かってると思うが、そいつには手を出すなよ』
嘆息混じりに長身の男がアルバーノのいう名らしい髭面に声をかける。
「*******? ***********!」
すると、髭面の表情は一変、ギョロついた目で殺気の篭った視線を長身に向け、また人界の言葉で唾をまき散らしながら怒鳴り始める。
「***********」
長身の男も髭面に合わせて人界語を喋り始めたせいで何が何やら分からない。
しばらくの間言葉の応酬が続きやがて観念したのか、髭面が僕の耳元でぼそぼそと人界語で語りかけ、どこかと去っていき長身の男もそれに続いた。
それからの僕はといえば、ただただ考えにふけっていた。
どうやってこの拘束から抜けるかなど、幾百と考えたし、ロザリエの無事など幾千は案じただろう。
結局、何か偶然に頼る他拘束を解く方法はなく、ロザリエの無事は拘束を逃れこの目で見なければ分からない
そんな、考えずとも分かる結論に悲観する間もなく、カツーン、カツーン……と階上から足音に体に緊張が走り、心臓の鼓動が早くなる。
ヌラリ、と人が部屋に入ってくる気配に唾を飲む、姿を見ようにも丁度頭側から来ている所為で見ることができない。
『オマタセ』
『ヒっ……!』
だから、急に視界に入ってきたニヤけ面にみっともなく悲鳴を漏らしてしまう。
『ソンナ怖がるなよ、へ、へへへへへ』
まただ、この何とも言い難い悪意を感じる声色――僕は身に覚えがある、当事者として。
『ドウダい? 何かご不満な点は?』
ぐへへと肩を揺らしながら男が尋ねて来る。
『そうだね、ちょっと寒いな。コートを掛けてくれたのはありがたいけど、ちょっと持ってきて貰えないかな?』
先ほどの怯えを誤魔化すように軽口を吹かすと、
『そいつハ失礼、すぐに暖かくしてやろう』
ニンマリと今まで一番醜悪な笑みを見せつけ、人界語で何事かを呟き、いや、"唱え"始めた。
[****************"********"]
瞬間、男の手に煌々と燃える火球が出現し、火はスッーと僕の寝る台の下へと吸い込まれて行く。
チリチリと炭か何かが燃える音が耳を叩き、寝台は火にあぶられその温度を上げ、温かく、より温かく――肌を焦がすほどに。
『ぐぁ……ぁあぁァァァ!』
じゅうじゅうじゅう、肉か骨か汗か涙か、ともかく何かが焼ける音が遠くで聞こえる。
痛みが体を駆け巡り、一周二周三周四周五周六週七週……いつまでたっても歩みを止めない。
痛い痛い痛い、止めろ糞野郎、止めてくれ頼むから、止めて下さい……*****。僕は*****じゃありません、どうか目を覚まして。
ああ、だからそう泣かないで僕は貴方を恨んでなんて居ません。恨んでませぬが、どうかもう止めてください。
貴方のその泣きそうな顔で謝られる度に僕は一層死にたくなる。死ぬのは心地良いけれど、蘇るのは嫌なのです。
ああ、僕が殺せし母よどうかあの人を許し給え、解放し給え、救い給え。
もう一度、僕の知らぬ笑みを、僕の知らぬ声を、僕の知らぬ愛をあの人に。
もう懺悔したと思った過去、振り返ったと思った過去を僕は今一度直視しなければならない。
そこに真実があり、異能があり――背負うべき罪がある。
熱と痛みにより濁濁とした意識の中に男の汚泥のような笑い声が響く。
『うぇへへへ、しぶといなぁ嬉しいなぁ~。安心してくれぇ殺しはしないさ、何も喋らナクていい。
もウコんな酷いことはしねぇさ、おりゃ人を傷つけるのが大好きだが、程度ってもんは知ってる。
だから後はもう――そうさただ、俺に体を委ねてくれれば良い』
そう言って、男は覆いかぶさってきた。
◆◇◆◇◆◇
テオドールは未だ朦朧とした意識の中、その歪んだ笑みを見せつけられ、あの日の真実を想い出す。
ああ、あの人は弱かったのだと彼は改めて想い出す。
妻を殺した子供を愛せるほど強くなく、また妻が望んだ子を憎むことすら出来ないほどに。
愛せず憎めず、ならば彼の父の感情はどこに向かったのか? 言うまでもなく、死んだ妻へである。
彼は愛した妻を想い、何時までも悲しみ、また自分を呪った。その負の感情は常に彼を苛み、やがて彼自身を壊していった。
最初はほんの一瞬だった、机で黙々と食事する我が子の姿にふと妻の面影が過った。
それから段々と妻と我が子が重なって行き、ある日ついに思った、思ってしまった。
――妻は死んでいない、と。
そうなったら後はなし崩し的に歪んだ理論が展開されていく、子は流産した、そのショックで妻の精神は幼児退行してしまった、だから言葉遣いが拙いのだ、僕のことが分からぬのだ、何をしていのだ彼女を支えねば、彼女を愛さねば。
もはや彼の目に息子の姿など微塵もなく、視界に映るは亡き妻の幻だけ。
時折、息子の悲痛な叫びに目をさますこともあったが、その度に現実に耐え切れず暴力をふるい、その罪に涙を流し、そして自分を責めて責めて、また亡き妻に縋り付く。
そして、あの日。彼はとうとう、まこと妻を愛そうとした。
逃げる妻を追い、力に任せ衣服を剥ぎ取り、やがて――というところで、幼き侵入者の瞳にその姿を捕らえられた。
その瞳に誰よりも強く、そして早く反応したのは死んだ目をしていた彼の息子だった。
実のところ、度重なる暴力を受け、今も嫌で拒絶はしているものの息子には父に対する敵意や憎悪は一切浮かばなかった。
父だからか? いや違う、彼が死刑囚だからある。
そもそもにして、おかしいのである。死刑囚が殺意を持って父を殺すなどありえない、彼にそれが出来る筈がないのだ。
彼の者は死刑囚、故にあらゆる責め苦は罪に対する罰であり、救いである。
故に彼が自分を傷つける相手に悪意を持たない、無論いま覆いかぶさろうとしてい男にも、である。
だから彼が本当に殺意を持った相手は自分、実の父に犯されようとしている自分を恥、それを恋患った相手に見られる恥辱に耐え切れず彼はある句を唱え――かの惨状は起きた。
断片とかしてる記憶に見るは鏡に映る血だらけの自分、彼女の喉に手を掛けている自分、そして身を焦がす灼熱の炎。
そうして、彼は思い出す。自分の罪を、死刑囚――枷から解き放たれたその真の姿を。
「うえへへへへへへ」
そんなテオドール内心をこの男は知らぬまま、自分の欲望のままにあっさりとその拘束を解き始めた。
と言うのも、元々この男はこうして拘束を解き、自分好みの体勢を取らせるためにこうしてテオドールを弱らせたのだ《本人の言うとおり、趣味の部分も多々あったが》。
この男は他のものと違い自分の趣味嗜好の為にこの任務についていた。先ほどの長身の男との口論もそれら任務に対するスタンスのズレからである。
この髭面の男――アルバーノは嗜虐趣味者であり、極めて歪んだ男性愛好者であった。
いままでこの場に運ばれてきた男の吸血鬼にテオドールにしたものと同じ事をし、時には死体とすら姦することがあったほどだ。
いや、死体こそある意味至上のものと言えた、スリルや刺激はないが決して反抗しない、出来ないのだから。
そういう男である。ただでさえ相手するのは半死人、今までは上手く行った、だから今回もと言うのは当然の考え、むしろここまで来てなお警戒するほうが異常である。
ちょっとやそっと回復するぐらいがなんだ、ちょっと体勢を変えさせるだけ、数秒と掛からない――男はそう思う。
確かに数秒ならば問題はあるまい、ちょっとやそっとの回復速度ならば。
ここに男が気を払わず、テオドールが気付いていなかった事がある。
テオドールは麻酔に掛けられ眠らされている内に、上半身に付けていたものを全て剥がされている。
そう、全てである。その中には彼が着けていた、黒の獣が装飾された手袋も含まれ、ましてや左手だけ脱がしているなどあろうはずがない。
つまり、彼はいま外しているのだ――死刑囚最後の枷を、自分の手で、自分の意思で。
それが何を意味するかなど、知らぬままに。
「げぇへへへ――へっ?」
それが遺言だった。
◆◇◆◇◆◇
喉が乾く、酷く。酷く酷く酷く酷く飢え乾く。
見に覚えのない記憶が次々と思い出され、その度に爆発的な力の奔流が流れこんでくる。
幾度も意識が砕かれ、蘇り、また砕かれる。
パンパンに膨れ上がった器になおも注がれる力と記憶。
どれほどだっただろうか、おそらく刹那も経たぬ間を経た後、記憶と力の奔流がパタリと止み、代わりに首からたらりと血が垂れだす。
何がなんだか分からず混乱の極地にある頭にあの無機質な声が響く。
<断頭台の記憶発動終了>
ああ、それは、その古代語は知っている。数少ない今に受け継がれている古代語だ。
死を想え、だからそうなのか。
注がれた記憶はこうも血にまみれているのか。
――血? 何か頭に引っかかる。
かすかな違和感に顔を歪めたのもつかの間。ぴちょんと何かが頬を打つ。
ん? なんだこの雫は? どうやら天井から垂れているらしい、頬を流れるその雫はうっとりするほど甘い香りに思わず指ですくい取り口に含む。
『――ああ、旨い』
甘美、実に甘美。温もりが、命が、魂が篭ったこの液体はどうしてこうも狂おしくなるほど美味なのだろうか。
まぁ良い、いまはこの液体がなんで、どこから零れたのか知りたい。
そんな陶酔した頭と瞳で天井を仰ぎ見る。
そこにはなにかモジャモジャとしたものに加え、べチャリと思わずこちらの頬が緩むほどの血がこびり付いていた。
もしやと思い、なおも滴る血をだらしなく口蓋を開けて待ち構え、一滴毎にその甘美さに悶える。
そうかそうだった! これこそが罪、生き物命を啜り愉しむこの身は何よりも罪深い!
――吸血鬼。それこそが我が正体。魔を啜る他の紛い物とは違う、真性のそれ、生まれながらにしての畜生。
しかしああ! なんと罪深き身だろうか、他の物の魂を啜り愉しむこの身は。
いくら嘆いても、いくら悔いても、いくらも喰う気が収まらない。
ならば私は最後でいい、この罪を背負い続ける辛さなど誰が皆に味あわせたいものか!
何かを奪い続けなければならない生の辛さからあらゆるものを救おう。
永劫に等しい時が掛かろうとも、人間も魔族も、動物も草木も殺ってあげよう。
そのためにこの異能があり、この不死があるのだ。
だけどまずは一度この身を罰しよう、この誓いを違えぬよう、甘美な誘惑を振り払えるようこの身に罰を。
『魔の域を越えし女らが幼子の揺りかごで微笑み、聖を冠せし女は獅子と化し、その聖なる鬣を汚していく。
衆愚の喧騒に等しい審判の声。真救えぬものらが、救おうとしたものたちを拒絶する。
この世は汚らわしく愛おしい、救えぬものも救おうとしたものものも等しく醜く美しい。
救えなかったものらよ悔いるな、あとは我が身に任されるがよろしい。
救えぬものらよ案ずるな、彼女らの罰と罪をこの身に背負い今より私が救いに行こう』
詠う句はかつて父を救った時と同じにして、故人に囚われるもまた罪なれば。
やはり私は救い手にして罪深き囚人、なに思うこと無く我が身を裁くことが出来る。
『聖魔厭わず焼く者らよ、いまこそ聖魔分てぬ汝らを裁こう――"火刑"執行』
そうして、右の手で十字を切る。
<音声認証:生命刑ディレクトリ内、火刑発動>
聖歌の如き詠唱から生まれる、悪魔のような青白い炎。
吸血鬼たる我が弱点の一つ火、その苦しみたるや絶大だ。
お陰で再生が間に合わず幾度も死に、その度に蘇る。
自己満足にすぎない罰に浸る間に体はドンドン燃え尽きていき、やがてはただの消し炭。
だが、蘇る。炭の一つ一つが色を取り戻していき、集まり一つの形を為す。
ただし、一点燃え尽きる前とは違う点がある。見えはしないが分かる。
背中に灼熱が残り今も体を苛む、死にはしないものの苦痛は止まず、この身は刑に囚われる。
『さて、思ったより時間を取られてしまった。早々に生けるものらを殺いに行くとしよう』
「***********……!」「*************!」「***************ー!」
私が剥がされた服を身に付け階段を上ると、同じ黒のコートを来た男たちが狼狽えた様子で声を上げ、数人が僕の行く手を防ぎ、一人がその後ろの階段を慌てて駆け上っていった。
『まぁ、彼は後で良いかなっと!』
まずは、この者らを。
忌まわしき黒き獣の首輪無きいま、私は自分の持つ力を余すとこなく使うことができる。
身体能力はもちろんのこと、死刑囚の持つありとあらゆる能力が頭のなかでリストアップされていく。
これが目録型か……読む時間がないのがおしいな、そうすればより早く救うことが出来るというのに。
『とりあえず一人っと』
他が武器を構えるより早く、後ろで孥の弓を引いた男の胸を手刀で貫く。
抜いた勢いそのままに振り返り、同じく手刀で首を両断。
左から襲ってきた男の剣に右腕を手の平から肘までを断たせ、すぐに手の部分だけ再生して喉を握り潰す。
『ふむ、意識したらずいぶんと早く治るな』
[*********! "****"]
少し驚きながら呟く僕を石のつぶてが襲う。慌てて回避したのは良いのだが、勢い余って壁に激突し、そのまま二部屋ほど移動してしまう。
『痛てて……まぁ、ここにも人は居るみたいだし、問題はないか』
寝ていたのか、防具も付けず逃げ出す男たちを擦り抜け際片っ端から壁にたたきつけ頭蓋を砕いて救う。
『っと、そうだ、武器を作っていこう』
もっとも、普通の武器も防具も死刑囚の僕には身に付けられないのだが。
例外の木製木槌はコートに入ったままだったからよかったが、あいにくもう一つの例外は携帯していなかったからなぁ。
まぁ右手が封じられてたら使えないから、当たり前なのだが。
などと思いながら、尖ったつめ先を揃え適当な男の腕を二本切り取る。出来れば骨を引っこ抜きたい所だが、それこそコツを知らないから今は止めておこう。
『それじゃ、試してみますか……"魔女狩りの火"執行』
<音声認証:生命刑ディレクトリ内、魔女狩りの火発動>
無機質な声とともに、背中に感じる灼熱が薄れていき、代わりに左腕が徐々に黒ズミ、炭化していく。
本来ならば付いてるのすら奇跡のその腕はあろうことか、痛みを厭わなければ宿る熱量を自在に操ることが出来る。
その左手を使い二本の腕を溶接していく、そう手間もなく腕はくっつき目的のものは完成した。
と、その時タイミングを計ったように武具に身を包んだ男たちが次々と部屋から飛び出してくる。
私の手にあるものを見てか、それとも足元の惨状を見てかしらないが、男たち内の数人が口元に手を当てる。
そうでないものも吐き気をこらえているのか、顔を真っ青にしてこちらを怯えた瞳で見ている。
だから、私は痛みに耐え笑顔を作り口を開いた。
『心配しないで欲しい、私と違って君等の苦しみは一瞬だ――"聖女の十字架"執行』
<音声認証:生命刑ディレクトリ内、聖女の十字架発動>
今しがた作った、死者の腕による十字架を右手で掴む。
瞬間、死者の腕だったものは、杭のように先が研ぎ澄まされた大きな十字架となる。
十字架を掴んだ右手からは血煙が上がり、十字架が神聖を帯びたことを証明する。
『よっこい――』
私はそれを思い切り振りかぶり
『せっと!』
投擲した。投げつけた十字架は唖然としていた男たちの何人を串刺しにし、廊下の先に突き刺さる。
『はぁっ……しょっと』
わっ、と声を上げようと男たちが口を大きく開ける中、思ったより遠くに行ったことに億劫になりながらも十字架を引き戻す。
引き際、また何人かの首を撥ね飛ばしながら十字架が戻ってくる。
さすがに右腕で軽く引くだけじゃあ、途中で勢いが無くなり、途中で地面をバウンドするも何とか右手に収まる。
しかし我ながら本当に出来るとは思わなかった、目録型じゃなかったら絶対気付かないぞ。
『これは使いこなすまで時間がかかりそうだな』
血まみれの十字架を舐めながらぼやき、辺りをざっと見回す。
震える手で剣を携えたのが六人、腰を抜かしてるのが二人、気絶してるのが一人。
剣を盛ったのは前に二人で後ろに四人、そこまで広くない通路だから同時にかかれるのは前後合わせて四人だろう。
何にせよ、あんまり怯えさせるのは趣味じゃない、さっさと後ろのから救うとしよう。
十字架を軽く手首のスナップだけで背後に投げつけ、後ろを見ずに感覚だけで同じく手首の動きで引き戻す。
不可視の糸を通じて伝わる鈍い感触に心を痛めつつ、同時に彼らが救われたことに安堵を覚える。
「ひ、ひぃぃぃ!」
悲鳴を上げながら二人の男は背中を見せて逃げていく、十字架をその場に置き、男たちの背をそっと追いかけゴロリと二つの球が地面に落ちる。
吹き出す血を浴びながら、口周りについたものだけを舐め取り、また二人を爪で斬殺する。
しかし乾く、当たり前だが血をいくら浴びても乾きは癒えない。と言って、死体から吹き出るそれなど飲んだところでその場しのぎだ。
やはり、飲むのは生き血が良い……。
目下、気絶した男が血まみれの通路で眠っている。僕はその首元にそっと自分の牙を突き刺し、ゴクゴクと喉を鳴るのも構わず無我夢中で飲み、飲み続け、そして飲み干す。
乾きが癒えると同時、少し疲労感があった体が再び力が沸き上がってくる。
奇妙なこともあるものだと、少し首をひねるも思い返し見れば当り前のことだった。
左手を火に、右手を十字架に焼かれ続けている以上、常に再生は行わている。蘇生ほど生命力は減らないが、それでもキツイのはキツイ。
それが回復したということは……
『血を飲めば生命力を補充出来るのか』
死刑囚としての異能はともかく、まだまだ吸血鬼について知るべきことは多い、これからは慎重に行った方がいいだろう。
自戒しつつ、甘い匂いに満ちたその場を後にした。
警告音が響き渡る中、臭いを当てに通路を駆ける。
いくつか角を曲がると、大きな両開きの扉が目に入った。
扉の隙間からは濃厚な汗や武器の油の臭いが漂って来るため、相手が扉の向こうで待ち伏せしていることが用意に察せられる。
『我ながら芸がないが……』
十字架を指で抉って無理やり掴み、ギリリと弓を引くイメージで力を溜め――。
『うん? 何だ』
投擲、というところで地響きに邪魔をされ、止む無く構えを解いて耳を澄ます。
鎧の擦れる音、人の話し声、空気の震え、反響音――と、その時だった。
ズリュッ……と滑らかにまるで粘土のように両側の壁におびただしい数の槍が生え、その事に気付いた時には既に、
『アガ、カッハァ……!』
竜の顎門と化した通路が僕を喰らっていた。
ギリギリで頭をガードできたのは幸いだった、ここを潰されては今でも一時間は意識が飛ぶし、なにより串刺しのままでは再生もままならない。
頭以外はほぼ全身串刺しのため、意識は常にぶつ切り状態、お陰で音も視界もまたしかりだ。
弱ったお陰か死刑囚による呪縛も弱まり、どうにか自分を取り戻す。
現実感のない記憶を意識が落ちる度に垣間見る、その度に自己嫌悪に襲われながら正しいことをしたと思う自分がいることに反吐が出る。
コマ落としのように近づいてくる黒コートの集団、その中から一人の人物がこちらへと歩み出る。
『これまた、俺の予想通り、串刺しでは再生もままならないようだな、テオドール』
赤黒い視界に映るその姿は不明瞭、ノイズ混じりの聴覚で捉える声は男か女かも分からない。
だというのに――分かる、目の前の人物が誰なのか。
ここに来てようやく僕は確信する、月攫いその首謀者を。
『藍色のドーラン、、紅潮した頬に、真っ赤に染まった両手……生粋の鬼人であるアンタの血がなんで、ゴフッ』
口元から溢れてくる血の色は赤、死刑囚の赤、そして――
『なんでっ! 赤いんだよ、ゼルフ=トーレ……!』
『せーかい。しかしあれだ、あんまり鬱憤をため過ぎるな、下のほうでは随分と荒れていたようだからな』
人間の赤。忘れていた考えても居なかった。月攫いは人間の仕業である。この事実を暴いたのは自分だというのにッ!
この男が犯人というのなら、レウスさんの行動も頷ける。
今思えば、昨日の夜、あの人はレウスさんに対して何と言った?
『お前は、あの時の……!』、まるで直接会った様な言い方じゃないか……!
だが何故だ? 何故、この男は生きている……? いや、今はそんな事よりも!
『ロザリエを、どうする気だ……!?』
『物忘れが激しいな、言っただろうちょっと我が国の実験に協力してもらうだけさ』
『嘘をつけ!』
『ひどいなぁ、こうみえて冗談は好きだが、先生嘘が嫌いなんだ。本当に協力してもらうだけさ。
なに安心し給え、今までにも信頼と実績ある実験だ。ちょっと魔液を抜かせてもらったり、内蔵を見たり、異種交配を呼んで貰うだけさ。
なんだったら後で見てみるかい? つい最近やっと一期生が生まれたところなんだ、可愛いぞぉ。
まぁ――片親という境遇は些か可哀想ではあるがね』
その歪んだ笑みに薄汚れた瞳、プツン、と頭の中で何かが切れた。目の前の邪悪に血が沸き立ち、怒りが痛みを掻き消していく。
『こっの、ひとでなしがァァァ!』
血を吐きながら吠える僕に対し、奴は一転冷めた表情で嗤う。
『――そいつは嬉しいね、これでまた俺はあれに近づけた』
じゃあな、と投げやりに手を振り、遠ざかっていく背中、代わりにと黒コートの集団が一斉に手をこちらにかざし呪文を唱え始める。
死ねない、まだ死ぬ訳にはいかない。
だから殺す、殺してやる。括り殺すえぐり殺す斬り殺す刺し殺す轢き殺す殴り殺す燃やし殺す――ぶっ殺すッ!
沸いた脳内に展開されて行く自らの能力の目録に目を通していく。
チェックチェックチェックチェック、ソートアンドソート。この場に、この怒りに相応しいを僕に。
敵から見ればひどく身勝手、仲間をあれだけ殺しておいて、人殺しが何を言うと罵られるだろう。
僕の意志じゃないんだ! はっそんな言い訳通用するか、そもそも僕は奴らを殺すことにいまも躊躇いはない。
屑共が、お前らの命と彼女の命など比べるまでもないんだよ――!
命が平等などとほざく輩など知るか、命は天秤にかけるものだ。
罪悪感などこの糞食らえな異能さえなければ感じるものか、お前ら外道の命など僕の知ったこっちゃあ無い。
僕の前を防ぐ奴などみな死んでしまえ。
これが僕の一切の偽りなしの意思、死刑囚の本性だ。
『ウガガガ、ガガガァァァァ!』
左腕に宿る魔女狩りの火が猛る。燻り黒ずんだ火は、今や通路一体を照らす白炎へと変貌し、刺さっていた石槍などとうの昔に溶かし尽くした。
再生も最低限に疾走を開始。
前から襲い来るは風の刃に火の矢、石の礫に水の槍、雷の剣を携えた剣士。
そのどれもが今では脅威に思えない、いまの僕ならどいつこいつもみな処刑できる自信がある。
風の刃を寸でで躱し、火の矢を左手で受け止め、石の礫を十字架で防ぎ、水の槍を左の炎で蒸発させる。
雷の剣と十字架にて立会い、一合二合三合目で十字架を囮に懐へ滑り込み、左の手刀で鎧ごと胴体を真っ二つ。
剣士の死体を乗り越え前へと進めば、一人の手には小型の竜巻が、もう一人の手には同じ白色の炎が構えられ、全く同時に放たれる。
通路を蹂躙する火炎嵐、巻き込まれればただでは済むまい。まぁいいさ、ここを通れるというなら何だってくれてやる。
そうだな、お前らの命をここに置いていこう。
『シャラァッ!』
右の十字を投じる、狙いは竜巻の中央、俗に台風の目と呼ばれる無風の一点。
十字は溶け、端々に傷を追いながらもなんとか火炎嵐を通りぬけ、扉を砕き向かいの壁へと突き刺さる。
無論、僕はただ突っ立てそれを見ていたわけではない。僕自身も跳躍し、台風の目にて一端はやり過ごす。
が、当たり前のことだがこの世にはあらゆるものに作用する、重力というものがある。
僕もその例に漏れず、地面へと、炎刃渦巻く嵐へと落ちて行く。
瞬間、僕は不可視の糸を縮めた。
引き戻す時の逆、僕に十字架を持ってくるのではなく、僕を十字架へと持っていく。
体は空にて不可解な跳躍を見せ、円錐状の無風地帯を傷だらけになりながらも翔けていく。
通り過ぎ様、体を回転させて左の手刀を見舞う。
さながらそれは炎嵐の意趣返し、血をまき散らしながら空に螺旋の溝を描く。
無事四人を斬り殺し、乗り込んだ広間にはまだ大勢の黒コート、鎧武者。
いまここに宣誓しよう、心折れぬように。今こそ我が家に伝わりし役割を継ごう。
例え皆に罵られ、誰にも認められなくとも。
『このテオドール=ズィンダー=ユスティ、我れ罪人の身なれど、司法の名において貴様らを裁く。――全員、死ね』
虐殺の法廷、その幕が開く。
次回更新はテストのため遅れる予定です……申し訳ない。