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人魔のはみ出し者  作者: 生意気ナポレオン
第四章:所変わって覚醒編
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第七十九話:夢の終わり、現の始まり

 遠い坂の下ポツポツとしか無い外灯の明かりを頼りに小粒ほどの大きさの人影を見つける。

 念のため目を凝らしてよく見てみると見慣れた黒いコートが目に入った。

『よし……』

 とりあえずは問題なし、もっともこの時点で見失っていたら笑い話にもならないけれど。

 なるべく外灯を避け一歩一歩に気を払いながら坂を下っていく、距離はだいぶあるもののここらは如何せん人が少ない、と言うか居ない。

 ただまっすぐに下るだけの坂ゆえ、遮蔽物も少ない。道の両隣には鬱蒼とした林があるのだが、入ればガサガサと音が鳴るし、見失う可能性も高くなる。

 だからこそ、振り返せないように足音を忍び、万が一振り返られても見つからないように夜闇に潜むことに全神経を注ぐ。

『ふぅー……はぁー……』

 深い呼吸だ。普段は意識する筈もないその音がいまはひどく耳に障る、呼吸をしてるということが嫌でもわかるそれでいて息苦しさを感じるというのはどうにも理不尽だ。

『っ――!』

 あまりの息苦しさに首元のボタンを一つ外そうとすると、人影が坂の終わりにある丁字路に差し掛かっていることに気付く。

 いまは視界の端にも映りたくない、慌てて僕は林の中に身を隠し人影がどちらに曲がるのかを確かめる。

 人影はほんの僅かの間立ち止まったあと左の方へと歩いて行った。

 人影が曲がり角に消えた瞬間、僕は立ち上がり向かいの林へと素早く駆け込む。

 なるべく音を立てないようにしつつ、木々をかき分けながら斜めに下っていく。

 幼い日、こうして近道をしてロザリエをびっくりさせようとしていたことが思い出され、懐かしい匂いが鼻元を漂った。

 あの日樹海のようにすら思えたこの場所も今では数分で抜けられるただの林としか思えない。

 ましてやいまはそんな感慨に浸る暇でもない、溢れてくる懐古に蓋をして、現実の問題に目を向ける。

 あそこを左に曲がって、次の分岐路まで五分もない、急がないとすぐに見失ってしまう。


 もうすぐだ、もうすぐこの雑木林を抜ける。抜けたところでバッタリご対面! なんて出来の悪いコントを演じる訳にはいかないので今までにも増して神経をとがらせる。

 やがて、木々の隙間から分岐前の通りが覗き、カツンカツンと静謐な夜に波紋を投じる足音が響く。

 木陰で息を潜め足音の方へと注意を向けると、ここらでは数少ない外灯の下に、黒コートの人影が現れた。

 そこに毎日突き合わせる顔があることにひとまずは息をつく。が、すぐに気を引き締めその様子を伺う。

 ……なんであんな顔をしてるんだ?

 レウスさんは眉間にシワを寄せ、額にうっすらと汗をにじませていた。ここからではよく見えないが、何かを耐えるように唇を強く噛んで居るようにも見える。

 足取りも心もとなくまるで熱病にうなされているよう、だがしかし眼光は変わらずに鋭く、強い意志を秘めていた。

 止めよう……レウスさんのただならない様子も気になるが、いまは見つからず|尾行(付いて行く)ことに気を払わないと。

 と、こちらが意識を逸らした途端、けろりといつもの様子を取り戻しカツカツと分岐路を真っ直ぐに進んでいった。

 ふと、僕の前を過ぎ去るときに見えたレウスさんの顔にはいつか見たギラギラとした笑みが浮かんでいた。


 その後も特に当てがある風もなく、レウスさんは歩き続けた。

 ただ、その道のりはどれも見慣れたもの――ほぼ毎朝歩いているのだから当然だ。

 ほどなくして家の前ほどではないものの、大きな坂道に辿り着く。

 果てが見えない下り坂、大通りから側根のように突き出る小道、遮るもの無いいまは星を吊った大空。

 夏に容赦なく照らしてくる太陽を恨み、朝に小道から人が集って団体を作り、帰りの上り坂をうんざりしながら上って行く。

 坂に残る足跡の多くは"学生"によるもの――この大通りは通学路だった。

 ――一年ぐらいまえからこの国では毎月失踪者が出ているんです、決まって年が僕と同じくらいの"学生"が。

 何ヶ月も前、まだ顔にこの面が張り付いて無かった頃の僕の言葉が思い出される。

 馬鹿な、と動揺を押し殺すように唱える。もう何度も言ったはずだ、彼は月攫いの犯行を止めたんだ! 

 が、もしも、もしもその接触時点では本当に月攫いでは無かったとしたら?

 ――レウス=フリートは記憶喪失である。

 他ならぬ本人から言われた言葉だろう?

 それはおかしい、レウスさんが嘘を吐いて外出していた時期はあの夜の前にもあったじゃないか!

『――やめろ、今は考えるな、今は……』

 動く時だ。百考は一行にしかず、考える暇があれば動け! 声ならぬ声で己を叱咤し、余計な思考を頭から追い出す。

 小道を結ぶようにジグザクに動き、真ん中を悠々と歩いて行くレウスさんを追う。

 そうして幾らかもしない内、レウスさんの歩みがはたと止まる。

 その様子を見て別の小道に移動しようと壁に掛けた手を慌てて引っ込める。

 ――見つかったのか、一瞬胸中に不安がよぎる。

 が、杞憂だったようでレウスさんは何か思案するように何度か頭を軽く叩き、大した間もなく手近な小道へとゆっくりと歩いて行った。

 ……付いて行くのは容易い。けれど、細い小道に隠れる場所はないし、外灯に近い僕のほうが見つかる可能性は高い。

 となれば、あの小道に合流する他の道から行くしか無い。そう長くない時間とはいえ、目を離すのには抵抗があるが見つかっては身も蓋もない。

 坂を少しだけ戻りわずかに星明りだけが照らす小道へと身を滑らせる。

 音を抑えることを意識しながら道を急ぐ。つまれた酒瓶のケースの脇を抜け、すえた臭いただようゴミ箱に顔をしかめ、そこに集まる野良猫を踏まぬようにして奥へと進んでいく。

 暗闇に目が慣れ始めた頃、ようやく左手に曲がる道が現れる。

 まずは半分だけ顔を出して、ようく目を凝らしてみるが人影は見えず、気配も感じられない。

 レウスさんなら気配を消す事もできそうだけどな……それ以前に僕の気配を感じる能力も信頼出来ないか。

 第六感が頼りならないとなれば、残る五感に頼る他無い。耳を研ぎ澄ませ、目を凝らし、風の流れを読む。

 自分を信じて暗闇を進むこと数分、うっすらと外灯の灯りが闇を照らし始めた。

 その先、先ほどまでの僕のように建物の角にレウスさんが潜んでいた。

 時折、大通りを覗いてることからして誰かを待ち伏せしているのだろうか?

 しかし、じっと止まっていられるのは具合が悪い。今いるこの道は一本道、僕が今いる場所は暗闇に包まれているものの振り返られでもしたら見つかってしまうかもしれない。

 幸い、外灯に照らされてレウスさんの姿は割としっかり見える、もう少し後退しても問題無いだろう。


 付けてきた腕時計もよく見えないためハッキリとは分からないが、もう随分と時間が経ったように思える。

 その間レウスさんは時折大通りを見る以外はピクリとも動かず、ただ固く目蓋を閉じていた。

『――――!』

 突如レウスさんの目が見開かれる。何事かと一層身を低くして、警戒する。

 と、坂下から二人分の足音がかすかに聞こえてくる。時が立つに連れ足音は大きくなり、やがては反響した話し声も聞こえて来る。

 内容はわからない上に、誰が話しているかもわからない、ただ話しているとうことだけは分かる。

 レウスさんはもう角から顔を出すこともなく、僕と同じく懐から取り出した仮面を身に付け彼らあるいは彼女らが来る時を待っていた。


 ゆらり、とおもむろにレウスさんが壁に預けていた身を起こし、大通りへと出て行く。

 カツン、と大きく足音を響かせ、くるりと坂下の方に体を向ける。

 そして、建物の陰にいるらしい誰かに向かってゆっくりと話し始めた。

『どうもこんばんは、ご両人。いや、今宵の星は格別綺麗、逢引したくなる気持ちもよく分かる。

 だが――生徒と教師という組み合わせは些かスキャンダラスだ。互いを大事に思うのであれば、時が立つまで自重しておくのをお勧めするよ』

 茶化すように笑う姿はふざけてはいても、気を抜いては居ない。

 むしろ、言葉の一つ一つに殺気が込められ、迂闊なことをすれば命はないと言外に脅していた。

『お前はこの間の――!』

 息を呑むその声にはよく聞き覚えがあった――いや、まだ僕が学生である以上聞き覚えがあるのは当然なのだが。

 しかし、その中でも格別聞き覚えが、最近ようやく変な反抗心を抱くことも無くなった声が耳に届く。

 それ以前に、生徒と教師という言葉を聞いてから嫌な予感は抱いていた、ただそうであってくれるなと僕は懸命に願っていた。 

『――先生、知ってるんですか』

 だが、死刑囚の願いなど誰も聞き届けてくれるはずがない。

 凛とした声はわずかに動揺を浮かべてはいても、涼やかな印象を崩していない。

 レウスさんが対面しているのはゼルフ=トーレと――ロザリエ=ライエンハイトッ――!

『あ、ああ、この前バッハシュタインが襲われた時があっただろ、あの時に彼女を助けてくれた左手目隠し(レヒツ・ブラインド)――』

『のは左手目隠しの男(リンクス)、私は右手(レヒツ)。見分けにくいだろうが、間違えてあげないで欲しいね』

 ゼルフ教師の声を遮り不愉快そうな声でレウスさんが続ける。

『それはすまなかった。それで、その右手目隠しの男(レヒツ・ブラインドマン)が俺に何用だ?』

 動揺が薄れてきたのか、大して(こた)えた様子なくいつもの調子に戻りゼルフ教師が尋ねる。

『レヒツと略してくれて構わないよ、ゼルフ=トーレ』

『何で先生の名前を……!』

 未だ不愉快さを隠さず棘々しい声で答えるレウスさんにこれまた敵意を隠さずロザリエが噛み付く。

『おやおやぁ? これは可愛らしいお嬢さんだ。ぜひお知り合いになりたいものだが、生憎いま私は先生と話をしてるのでね――』

 一転、愉快げな声でレヒツが笑い、

『ご静粛に頼もうかッ――!』

 僕の視界から消えた。

 消えた、じゃない――! 何をぼさっとしているんだ僕は! レウスさんは消えたんじゃない、襲いかかった(・・・・・・)んだ!

 心構えは静から動へ、尾行ではなく制止へと切り替える。

 心臓(エンジン)をフルスロットル、全身のギアを一気にトップまで上げ、大通りに転がり出る。

 急に開ける視界の中では、レウスさんが今にもロザリエの鳩尾へとその拳を突き立てようとしていた。

 その傍らではまだ上手く事態が飲み込めていないのか、ゼルフ教師が呆然としている。

 何をしてるんだ! ゼルフも、レウスさんも!

 一気に沸騰しかける頭を何とかなだめて口を開く。

『待て、レヒツ! そこまでだ!』

『――ッ!』

 予期していなかった制止の声に振り返ったレウスさんが驚きで目を見張っていた。

 その隙を逃さず、ゼルフ教師に声をかける。

『そこの先生! 生徒を連れてさっさと逃げろ!』

『え、ああッ! 行くぞ! ロザリエ』

 自失から立ち直り、ゼルフ教師が僕の指示通りにロザリエを手を掴み、坂を駆け下りていく。

『くっ、待て!』

『そうはさせるか!』

 慌てて追いかけようとしたレウスさんにわずかな高低差を利用して飛び掛かる。

『ちぃっ!』

 が、身を翻したレウスさんにすんでのところで躱される。そのままレウスさんは数歩後ろへ飛び退くと、面を外しながら話しだす。

『ふぅやはり面を付けたままでは空気がまずい。ところで、今日は休日じゃなかったのかヒーロー』

 こちらを射抜く眼差しはどこか疲れているようにも見える。

『レウスさんこそ、お仕事は恋人の営みじゃまをすることですか』

『情けないがその通りだ、君のおじさんに何とか別れさせてくれと頼まれてね』

 この人はこの期に及んで……! ギリリと奥歯を噛み締める、悔しさか怒りか他の何かかとにかくそれら全てを噛み砕きすり下ろし――

『……嘘を』

『ん?』

『嘘を付くなァ! レウス=フリートォ!!!』

 ――咆哮(こえ)に乗せる。涙ぐみそうになるのを必死で抑え、飛びかかりそうになるのを抑えて吠える。 

『何時からかね?』

 レウスさんが諦めたように頭を振ってため息とともに言う。

義父(おじさん)から聞いたんですよ、レウスさんが義父(おじさん)の家に来たのはこの前で二回目だとね』

『で、私を尾行してきたと、もしやここ最近目に隈が出来ていたのもそういう理由かな』

『……ええ、そうですよ』

『それはそれは、すまなかったなテオドール。言ってくれれば……まぁ無理か』

 そう言ってクククとレウスさんが笑い始める。

『何がおかしいんですか』

『なに、自分が傍から見ればどれだけ怪しいか改めて思い返してみると笑えてきてね。しかしまぁ、よくもまぁ本気で信じてくれたものだ』

 目端に涙を浮かべて笑うレウスさんに、今の状況も忘れ『ふん、笑いたければ笑うといい』と無すりと言う。

『ククク、もう遠慮なく笑っているよ。だがまぁ、弁解させてもらうがあの時の私は嘘は付いているつもりはなかった。結果として嘘になってしまったがね』 

『いつ頃記憶を――』

 取り戻したんですか? と尋ねる前にレウスさんが口を開く。

『いや、そう言う意味で言ったんじゃない。

 まぁ私について細かいことを話してもあまりに意味は無い、いまは今後どうするかを話そうじゃないか』

『では聞きますけど、なんで二人を襲ったんですが』

『黙秘する。その理由は話したくないし、話せない――君には絶対にね』

『どういう事ですか?』

『言えないといっただろう、同じ事を繰り返させるな』

『だったら、ふんじばった貴方から聞かせて貰うまでです』

『そういうと思った。まぁどうせ今から追いかけても間に合うまい、逃げてもいいところだが……どうせあの家に戻ることももうあるまい――どれ、今日は特別に少し本気で組手をしてやることにしよう』

 ――来い、とでも言うようにクイクイとレウスさんが手を動かす。

 レウスさんにとっては組手でも僕にとっては実戦、いま油断しているこの隙に一気に決着をつけるしか勝ち目はない。

 だから、()く。


 レウスさんの挑発に何も答えず地を蹴り、地を這うように身を低くして駆ける。

 肉薄する寸前、脱いでおいた黒い獣の首輪(グレイプニル)を放る。

 レウスさんの眼の焦点がほんの一瞬だけそちらに向く。

 それで充分、まずは足縄刑で足を取りに行く――!

『おっと、こんな所に大きな魚が』

『ガッ……』

 とぼけた声が聞こえるのと同時、鋭い衝撃が顎裏から脳天にかけて響き渡る。

 僕に動きを見越し合わせられる|釣り針(つま先)、結果は見事一本釣り、無理矢理体が引き上げられる。

『一息に行く、しっかり防ぎたまえ』

 つま先が離れ、後ろへよろめく僕にそんな嗤い声が届く。

『一つ、初風(はつかぜ)

 名の通り風の様に疾い拳が鋭い弧を描いて僕の顔面に迫り来る。

『――ッ!』

 その一撃をなんとか肘打ちで上へと逸らす。

『シェアァ……!」 

 風は逸らされたのを意にも介さず、その鋭利な刃を光らせる。

 敵が風ならこちらは風車だ。先を上に立てた肘を中心に円の動きで風を外側へと受け流す!

(かげ)が一、夕下風(ゆふしたかぜ)

 上体に気が逸れたと見たか、こちらの腹に向けて手刀による打突。

 すかさず、空いている左手を回し、甲で受け止める。

『一の崩しが、小旋(こつむじ)

 逸らされた右腕を肘中心に三日月を描くように回して手刀を見舞ってくる。

 その流麗かつ自然な動きに咄嗟に反応することが出来ず、結果左の脇腹に鈍痛が走る。

 所詮、肘から先だけの一撃だ威力はたかが知れている。ただ条件反射的な防御とその後の痛みにほんの一刹那、受け止めた手から気が逸れる。

一陰(いちえい)が崩し、昇風(しょうふう)

 再び、顎から脳天へと突き抜ける衝撃。レウスさんの掌底が顎を打ったのだ。

 今度の一撃は腕力だけとは思えない威力に視界がぶれ、たたらを踏む。

『一つレクチャーだ、テオドール。酔いつぶれようが殴られようが、夜の営みの後だろうが戦闘中は焦点は常に敵に合わせろ――二つ、帆風(ほかぜ)

 ひるんだ僕の追い打つ素早い拳打。顔面への一打に目を閉じかけるが、たった今言われた一言になんとか反射を押し殺して目を開く。

『――良い子だ、ご褒美をやろう』

 強引にこじ開けた視界の端に何かの残像が映る。

 その何かを判別する前に体は動き、何かの行く手を阻もうと立ちふさがる。

『遠慮するなよ』

 が、その手はレウスさんが引き戻した先程の拳にほんのわずかに逸らされ、阻む壁となり得ない。

 となれば当然、

『グッ……!』

 幸い、その一撃は軽い、疾さを追求した一撃だ。だがその割には痛い、"打ちどころ"が悪いのだ。

 奥歯を噛み締める僕にまたもよ同じ質の拳打が放たれる。

 さすがに三度目、疾さにも痛みにも慣れて来た。疾いとはいえ冷静に対処すれば避けれずとも受けることは可能!

『ふん……』

 その慢心をレウスさんが鼻で笑い、

『アァッ!』

 僕は一回り痛みの増した一撃をくらう。

 二度目と同じく防御に回した手が外され、その小さな隙間に見舞われる手刀による突き。

 四度、五度、六度……いくら回数を重ねても、この拳による駆け引きを制するのはレウスさんであった。

 無論、回数を重ね何も学ばなかったわけではない、ただ無意味だった。

 いくら何でもレウスさんがこの"帆風(ほかぜ)"と呼んだ技が防御を退け、攻撃を入れるという単純な技だとは気づいている。

 だが単純ゆえ、打ち破り難い。

 強引に攻撃に転じようとすれば、後退しながらの巧みな連撃(ラッシュ)を叩きこまれ、むしろ状況が悪くなり、

 防御に徹すれば、防御に徹したその腕を狙われる。すると、徐々に腕にダメージがたまることとなり、やはり状況が悪くなる。

 加えてどうすればそんなこと出来るのか、レウスさんはもっとも頑丈(かたい)部分でもっとも(やわ)い部分を打ってくる。

 ついには腕を含めた全身は気付かぬ内に打ち身と疲労、そして緊張の連続でずっしりと重くなる。

『どうしたヒーローもうギブアップか? 情けない、サンドバックにでも転職したらどうだ!』

 ここに来てまだ疾さが――! 

 怒涛の乱打。こちらを軽んじるような言葉とは裏腹に、油断や慢心を感じさせないむしろ精緻さがましたような乱打。

 今までは防御を退けるだけだった拳打も、もはや攻撃と呼んで良い威力を持って放たれる。

 ……実はここまで来てやれる手を一つ残している。

 やることは何のことはない、ただ全力で間を開く、それだけだ。普通に考えれば、何のことは無い仕切り直しの一手。

 現在の状況を顧みれば至極妥当な一手。そう、妥当な筈だ。

 だが、それをなんでこうも躊躇しているッ……!

 もはや嵐といっても良い拳打の中、受け止めれず躱せずただ痛みを耐え凌いで自問する。

 理由はない、根拠もない、だが退くべきではないそんな論理性の欠片もない本能の訴えをここまでは甘んじて聞いてきた。

『フゥゥゥ――!』

『グ、ブッ、ギ、アガ』

 その結果がこれ。レウスさんの言うとおりまさにサンドバック、ならばここは本能を押し殺す……!

 今までの鬱憤を晴らすように地を蹴りつける。

『三つ、通風(とおりかぜ)――敵の言葉に動揺するなよ、ヒーロー』

 嘲笑が聞こえガッ、と何かが僕の足首を捕らえ、浮いた体を地面に引き釣り落とす。

 バランスを崩し、呆然と背中から地面に落ちる僕にレウスさんの無表情な顔と無慈悲な拳が――。


 頭の後ろ側がじくじくと痛む、全身は凍えるかと思うほど寒いのに、そこだけが生暖かい。

 視界がグラグラと揺れ、コツコツと遠ざかって行く音があちこちから聞こえ、おまけにグワングワンと響く。

 意識が混濁していれば、記憶は混沌だ。私は誰、ここは何処? なんて冗談みたいなワンフレーズが今は笑えない。

 まだコツコツとした音はわずかに聞こえる、何故だかわからないがこの音を逃してはいけない気がする。

 軋む体を無理やり動かして立ち上がる、何時の間にか頭痛は消えていた。全身は温もりを取り戻し、やがては重みが消えていく。意識も記憶も良好、力がみなぎり、寝不足も消え何時のもの健康体その物。

 "()首と体(ふたり)(わか)つまで"――"死刑囚"の異能が囚人の体を癒したのだ。

 ギュッと目を瞑ってから凝してみればまだレウスさんの背中が見える。

 自分でも驚くほどの回復力、間違いなくついさっきまで僕は死んでいた。左手だけでも手袋(グレイプニル)を外していたのが幸いしたのか。

 ともかく、いま僕は思いもかけない千載一遇の好機(チャンス)が与えられている。

 とは言え、ただの奇襲ではレウスさんには通用しない。

 アドバンテージとなり得るとしたら、やはりそれはこの異能(ちから)しかない。自分でも知らぬ内に握った木製小槌(ガベル)を見て思う。

 いくら音を消そうとしたところで気付かれるのならば、ならば下る勢いを最大限に活かして走るだけ――!

『スゥ……ハァッ!』

 動作の立ち上がりは自分でも驚くほどスムーズ、身に纏わりついてくる風を振り払い、重力を従え坂を駆け下りていく。

 ピタリと遠ざかろうとしていた背中が動きを止め、おもむろにこちらを振り返ろうとしている。

 ――ここだ。

『"禁錮刑"執行』

<音声認証:自由刑(アーマード)ディレクトリ内、禁錮刑(フルアーマー)発動準備>

 叩くのは僕自身、何時ぞやの時と同じくせり上がってきた土壁を足場に大跳躍を成す。

 こちらのやることもやはり単純(シンプル)、すなわち落下同然の飛び蹴り。

 無論避けられるだろう、しかし咄嗟の回避では少なからず体勢が崩れる。

 回避されるのは前提、ならば注目すべきは何処にどう回避するか。

 あらゆる感覚を研ぎ澄まし、相手(レウスさん)の一挙一動に気を払う。時間が引き伸ばされ、墜落感が何時までも終わらない。

 緩慢に時が過ぎていく、だというのに倒すべき相手(レウスさん)は一向に動かない。

 もはや回避不可能となったその時、そいつ(・・・)はようやく動いた。


 ――『柳風(りゅうふう)――山嵐(やまあらし)


 突き出した足が触れるその刹那、不思議とその声は染み入るように僕の耳に届いた。

 闇夜の中、わずかに垣間見えた瞳が(くら)い眼光を(またた)かせる。昏くとも決して闇に溶け込まない眼光は殺戮者のソレ。

 完璧に叩きこまれた筈の飛び蹴りは空を切ったかのように手応えがなく。

 代わりにと後頭部にガツンと鈍器で殴られたような衝撃が走る。

 グシャリ、と遠い何処かでスイカでも潰したような音がした。


 

◆◇◆◇◆◇



『はぁ……はぁ……』 

 外灯の明かりが届く否か、その瀬戸際の所で男は苦しげに息を吐いていた。

 つい、と男の足元から一筋の雫が石畳の溝を辿り、分岐に分岐を重ね朱色の文様を刻みながら坂を下っていく。

 よろめき額に手を当てながら男が雫の元に目を向ける。

 つい先程まで男を信じ、慕っていた青年がそこには居た――否、青年だったものがあった、というべきだろう。

 なにしろ、青年には意識がない、意思がない、記憶が無い、頭がない、命がない。

 これで生者のように扱ったら生者に対する冒涜だ。かといって、死者として扱うのも早計だ。

 無いもの尽くしであり、今もなお失い続けている彼だが、唯一その身に残っており、残り続けるものがある。

 ――魂だ。本来ならば命とともに、頭とともに、記憶とともに、意思とともに、意識とともに、失せて亡くなり、無くなってしまうものが残る。

 (いびつ)と言われればあまりに歪、お湯から水となってもまだ熱を持っているような違和感。

 とは言え、普通のものならばそんな事には気が付かず、早々に死体判定、土葬か火葬か水葬かとにかく葬られて居ることだろう。

 だが男は違う、男はまだ魂が残っていることに気がついている。

 これは男が青年を知っていた、という訳ではない例え青年が赤の他人であろうとも男は魂の所在に気が付いたはずだ。

 もうそれほどまでに男は変容していた、というのは男の主観で実際には戻っていたというのが適当だ。

 泡沫(うたかた)の夢だったのだ所詮、男にとっても青年にとっても。

 互いに(・・・)その夢から覚めただけ、男が青年を殺したのも、青年が男に殺されたのも、結局はそういう事である。

『くそったれ……!』

 夢から覚めてなお、男は覚醒(めざ)めてたまるものかと足掻く。

 何処からか取り出した業物らしき短剣を事もあろうに鉛筆代わりにして近くの壁に文字を書き記しはじめる。

 それは母親の声に子供が布団を頭からかぶるほどに幼稚で、無意味で、必死な足掻き。

『さようならだ、テオドール』

 書き終えた男はぼそりと、けれども慈しむような眼差しで青年へと別れの言葉を告げ、夜闇の中へと溶けていった。

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