第七十六話:罪人は罪を認めながらも話し続ける
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『『えっ?』』
全く同じタイミング、同じ動作、同じ間抜けた声で二人が僕の方を向いた。
表情も同じ、と言いたい所だがあいにく月とスッポン、美女と野獣。
そして僕の胸中も同じだ、何言ってんだ僕? 全く、どう考えてもメリット無しどころかデメリットばかり、師匠に似なくて良かったのやら悪かったのやら。
でも、体は軽かった。
『い、いやほら』
とりあえず意味のない言葉でほんの少しの時間を稼ぎ昼の自分を思い出す。
どんな素振りかどんな口調か……思い返してみれば人と話した記憶が殆ど無い、となれば当然普段の話し方など存在しない強いていうなら話さないのが何時もどおり。
それが出来たら苦労しないのでひとまず不本意ながらアドルフを庇ってみる。
『そ、そうだ! ティアナ嬢は誤解してますよ、実はこれ僕から頼んだことなんです、ね!?』
口早にまくし立て風を切る速度でアドルフの顔に強張った笑みを向ける。
『お、おう! そうだったな』
慣れない表情がよほど気味が悪かったのか先ほどの怒りをよそに二、三後ろへ退かれる。地味に傷つく。
『誤解させて申し訳ないです。緊迫感が出るかななんて思って、つい』
心にもなく、根にも葉にもない言葉がつらつらと出てくる。
嘘吐きは罪悪だがこの時ばかりはしょうが無い、衝動がこみ上げてくるがわかるが幸いにも昨夜で随分と左手は収まっていた。
しかしここで思い出す、僕は目の前の人物を言葉を重ねないほうが良いタイプだと感じては居なかっただろうかと。
『脅されているようには見えませんが……あなたが良くても規則違反は見逃せません。それにこの事が周りに悪影響を及ぼす可能性も否定出来ませんから。真剣と訓練用の剣の区別がわからなくなっては困ります』
どうやら僕の目は節穴ではなかったようだ、頭はぼんくらであったようだが。
どうにも彼女は告げ口を止める気はないらしい。それじゃあ友達出来難いんじゃあ、とお節介かつ自分棚上げな心配をしつつ遠ざかろうとする背中にもう一度追いつく。
『どうしても先生に言っちゃいますか?』
『脅されようが殴られようが』
眼光はキリリと鋭く声には芯が通っている、でもその体はほんの少しだけ震えていた。
やはり昨夜の件は随分と堪えたらしい、今まで何度も行われてきた戦闘訓練でこうも怯えているとは。
しかしどうしても考えを変えないあれば方法は一つしかない、それに涙をこらえ抱きついてきた彼女を僕は覚えている。
『まぁ、昨日の今日で忘れてたら問題だよねぇ』
『え?』
首を傾げるティアナ嬢から目線を離して背後を盗み見る。
さすがにあの男も自分が下手に関わるよりは、被害者である僕に話させたほうが良いとは理解しているようですごすごとすこし間を空けて付いて来ている。
『それよりも……』
何か尋ねているらしい声はさておき、自分の足がむく先をなめるように見る。ふむ、まだだなもう少し粘る必要がある。
『聞いてるんですか?』
無視し続けたお陰で横目で睨まれてしまった、唇を尖らせた様はそこはかとなく自然にあざとい。矛盾したことを言ってるな。
『聞こえてはいましたよ』
目を嬢の反対側に逸らしてわざとらしくとぼける。いまは少しでも横の女性の意識を逸らし、後ろの男には説得しているように見せかけたい。
『聴いてはいなかったんですね』
不まじめな態度が気に入らないのか眼に鋭さが増し角度は斜め三十度、三角定規の中でも最も尖った角である。
『き、訊いてもいいですか? 何を言ってたのか』
ぶるりと大袈裟に怯え、たどたどしく尋ねてみる。
『いや、もういいです。と言うか、あなた達がいくら私に着いてこようとも結果は変わりませんよ?』
くるりとこちらに顔を向けるティアナ嬢、むろん面と向い合って話すための動作ではなくしつこくストーキングして来る男共を突き放すための動きだ。
『な、人が下手に出てれば!』
何時頃から下手に出てのか是非とも伺いたい所だが、それは我慢して一先ず手で後ろのを立ち止まらせる、『あ゛ぁ?!』と気に食わないという気持ちを存分に込めた鳴き声を聞き流して、『参ったなぁ』とポリポリポリ頭を掻きながら嬢にすこし近づく。
ザッと靴がこすれる音が耳に届く、目線を落とせば嬢の足元に短い線が一本後ろの方へと伸びていた。
怯えさせていることに罪悪感を覚えると同時にここまでかと冷静に考え、
『フゥッ!』
一息で間合いを詰める。右の掌を肩を入れて突き出し、左手で予めチェックしていた腰元にある"調整鍵"を抜き取る。
嬢はバランスを崩してよろめき一歩二歩とその体は前へ運ばれていく目指す所はもう少し。そうして不意のことに目を点にしている彼女に怯えさせたお詫びにと僕は一つ余計な口を叩いた。
『大至急でお願いします』
『な――』
つっかえ気味の声は最初の一音だけを残して途切れる、結界の境界線を超えた彼女はもうこの閉じた世界に居ない。
『鍵もないので踏み込まれる恐れもなし、と』
『なっ……てめぇ! 最初からそのつもりで』
さもしてやられたと猛るアドルフ。まぁこの流れでそう誤解するのも無理もないので、一応は訂正しておく。
『いやいや僕も最初は君と同じで何とか勘弁して貰う方向で行きたかったですよ? 面倒もないし』
『だったら何でかばってんだ!』
『はー……どう考えてもこれ以上しようがないでしょう、精々大人しく待って温情をき――』
『うるっせぇぇぇ!』
不条理な怒鳴り声に耳に良くない鞘走りの音が重なる。光を弾く刃が知らせる軌道は腰から脇を通る浅い逆袈裟。
柄を握る手は片方なれど相手は随分とガタイが良い、僕の場合は防具もないので横断とはいかずとも半断ぐらいは達成できそうだ。
後方へ逃れてもいいが結界の外へ出るのは避けたい、ならば避けるほか手出しはなし。
右足を動かさぬまま左足を敵の右足へ擦り寄らせる、必然膝が曲り腰落ちて重心が下る。
斬撃の終端下へ滑り込む様なすり足。粗い斬撃が髪を掠め、敵の刀身は未だ清きを保つ。
体格差が幸いしたかと、散った髪を偲んで思う。切った張ったは未だに心地よいものではない。
『んなっ!』
動揺を隠せぬ声で少しだけ意気を取り戻しお返しだと同じく剣を抜き放つように手刀を繰り出す。
顎を揺らすつもりで放った打撃はすんでの所で顎を引かれ、青ひげがうっすら残る表皮を裂くに留まる。
敵は空振った剣の余勢を背に回し、脳天で左の手を使って受け止める。逆袈裟から上段の構えへの移行、続き放たれるは縦一文字の身体縦断。
まだまだ半身は捨てがたいので後ろにある右足を地面を擦りつつ左足の直線上に持ってくる。
そうして半身となった僕の目の前を閃く白が通り過ぎる、濃厚な殺意の気配に身の毛がよだつが我慢。
振り上げられる前に剣を右足で抑え、刃の上を滑って靴底を削りつつ右の掌底を顔面に叩きこむ。
『わぶ!』
剣が固定されていることもあり相手は柄から手を離して数歩後退、怯んでいる内に柄頭を踵で結界外まで蹴りだす。
本来なら奪ってやりたい所だが、生憎武具の所持が"死刑囚"に許可されているはずもない。
大股で数歩ほど距離をとり一層の殺意を漲らせてくる敵。こんな事をする敵が次に何をするかなど決まっている――魔術だ。
『"土人形の腕"!』
床板を割り土気色(当たり前だ)の腕が手を精一杯広げ獣のようにこちらを威嚇する。
生々しい無機物と言うものは相も変わらず気味が悪い、いまも床板を豪快に砕きながら突っ込んでくる様からは生理的な嫌悪と恐怖を感じずに入られない。
だが、わずかなれど場数を踏んだお陰か威を放つ腕の突進を見ても尻込みはしない。
かの突進は虚勢、真は魔術操作の未熟を隠すためのものだ。突進しているのではなく突進しか出来ない、この意味の違いは大きい。
魔術操作に自信がない、そんな弱点を突かない訳にはいかない。
迫る手に対し取る行動は無謀な疾走、壁のような手に自らぶつかりに行く愚行。だが、こうすることで手は動きを止める。
『くっそ……!』
殺意漲れど、相手が僕といえど所詮は学生、いざ殺せるとなればそれも力加減が効かないとなれば躊躇うのも当然。
『に、握りつぶせ!』
殺すのなら叩き潰した方が速い。冷静な判断が出来なくなっているのかそれとも叩き潰した後が怖いのか、どちらにせよこちらにとっては好都合。
駆ける足に一層力を込めスパート。相手の握るべきタイミングをずらし、急造ゆえ凹凸が激しい土の手を一気に駆け上がり、無事その先の地面に着地する。
タイミングを逃し握った拳が捕らえるのは形なき空、土同士が擦れる音だけがでは寂しいので彩りを添えようと一つ軽口を叩いてみる。
『握手はも少し優しく頼む、それに今は手汗が酷い濡れ土にさせるのは忍びないな』
『なら、乾かしてんやんよぉ! "火牛の突進"!』
火炎の雄牛は周囲に火の気はないにも関わらず青筋を浮かべた術者と同じぐらいに猛り突撃してくる。
そういえば戦闘場は平等を期すため、基本属性の概念を術具で地下に封じ込めているとか何とかだった気が……。
入学当時の説明がさらっと頭を過る、これが走馬灯ではないことを祈りつつ突撃に対する対処を考察する。
当たり前だが相手に向かって走った以上距離は先程より詰まっている、また術の性質に加え先の床板のような障害がないため速度は圧倒的に先のものより上。結論、あの火牛が到達するまでの時間は先程よりもずっと早く、逃げる時間はとてつもなく短い。
立ち位置は敵からやや左にずれた場所、右手には腕が作った穴(と言うよりは地割れ)がありこの場からの跳躍だけで飛び越えるのはやや至難、左手は何の障害もないが故にそちらへ逃げるのは読まれている可能性が高い。結果、飛び避けるのはリスク高め。
手の一つとして地割れに飛び込んでみると言う選択肢もない事もないが、深さがよく分からないし仮に問題ない深さだったとしてもレーンの上を走る人生は御免被る、ましてや終点がろくでもない男なら尚更。
じゃあ、どうするのかと問われたならば、
『お言葉に甘えさせて貰いますか』
左膝を落として右足を後ろに、両手を前に突き出して衝撃を待つ――来てた。
『あっ……がぁぁぁ!』
限度を超えた熱と痛み、突き出した両手を容易く弾き全身を砕く衝撃。意識も体も呆気無く吹き飛び、抱きとめた地面から返る衝撃と痛みに容赦なく引きずり起こされる。
一番に焼かれた両手には痛みも感触も既に無く、中途半端に焼けた胸が狂ったように激痛を訴えてくる。
『うぅあぁぎぃぁ、あぁ』
意味を成さない声が勝手に喉から絞り出る、どこか怯えたような勝鬨が傷に響き悪戯に痛みを触れ起こす。
やがて徐々に痛みが引いていくの感じ冷静さを取り戻していく、キツく閉じたまぶたをうっすらと開けていく。
『へへ、お前が調子に乗るからわりぃんだぜぇ?』
濡れた視界に映る余裕たっぷりに一歩一歩近づいてくる足。それで恐怖を煽ってるつもりか? 充分効果的だよ、ちくしょう。
体の蘇生にはまだ時間がかかる、実体験で言えば少しでも動かせるようになるには一分は欲しい。
親切にも脳内時計は何度も分針をグルグルグルグル回してくれる、現実は秒針が動いたかどうかも怪しい。
焦る自分を冷笑しつつ"黒き獣の首輪"を外せば少しは蘇生も早まるのだろうけどな、そんな出来もしないことをつい考えてしまう。
『久しぶりだなぁ、こうやって遊んでやるのもよぉ』
髪を雑草の如く雑に掴まれ無理やり面を上げさせられる、確かに懐かしくて惨めな思いが心の底から沸き上がってくる。
『いい面してるぜぇ、今ならどんな女もお前に寄ってくるだろうよぉ』
あの頃から僕は変わっていないのだろうか、なんて目の前のバカ面とどっこいどっこいな馬鹿な疑問がもたげる。
馬鹿だなんて思えたのは彼のお陰なのだろう。
『あり、がとう。君の、顔を見たら、自信が湧いてきたよ』
こうして痛みを堪えて嘲嗤えるのも。心の底から同情して、裏表のない哀れみを浮かべて嗤う。
有頂天だったバカ面を恥と怒りでじわじわと赤く染めていく。
『て、てめぇ……!』
『プッ』
そのあまりの変色ぶりについ笑い声が漏れ、アドルフの顔が顔が一層赤くなる。
もう口もうまく回っておらず『てて、めめめ』とどもりにまくる姿が尚更滑稽で笑い声が止まらなくなる
『あ゛ぁぁ!』
濁った雄叫びと共に天高く振り上げられる拳、逆光で影となるそれの向こうにそびえ立つ人影――
『アドルフてめぇ何やってんだ……!』
アドルの背後全身から怒気を噴出させる教師を見て、僕は満足感に浸りつつ意識を手放した。
◆◇◆◇◆◇
『全く、ひどい目にあった』
ピシャリと保険室の扉を閉めて呟く。意識を取り戻した途端にああも説教されるとは、予想していたとはいえ起き抜けにはさすがに辛い。
『あれだけ酷い怪我でそれだけなんですか?』
『まぁ慣れてるからってっ!』
独り言に返事をされ思わずビクッとしてしまう、慌てて声の主を見れば僕の中で今最も熱い女性がそこには居た。
『な、何ですかティアナ嬢。怪我のこともあるので出来れば早く帰りたいのですが』
動揺もあり思いつくままに相手をけん制する、先の台詞は無かった事にしていただきたい。
『自分でその台詞は今更だとは思わない?』
無かったことにしていただきたい。と内心で重ねてもしょうが無いので、ここは適当に誤魔化してみる。
『何方にもお優しいと評判なバッハシュタイン家のお嬢様なので、あわよくば見逃して貰えないかと』
駄目だ、朱に交われば赤くなるというか師が悪ければ弟子も悪いというか、どうにも話す言葉の一つ一つが軽薄になってしょうが無い。
『見逃す事は優しいとは言えないでしょう』
こんな戯言に乗ってくるのがすでにお優しい、そんな歯の浮くような台詞をぐっとこらえて口を開く。
『どちらかと言えば失態ですよね』
『そういう意味で言ったんじゃないのだけれど』
『ではどういう意味で仰ったのか家で調べてきますね、じゃあ』
煙に巻いて爽やかに立ち去ろうとするが、残念ながら回りこまれてしまう。
『はい、さようなら。なんて言うと思う?』
『言って欲しいと願ってはいます』
叶わないとは思いつつ。
『結構、特別な用がないのなら少し話を聞かせて貰えないかしら?』
ここまで戯れてもこちらを慮るとはここで適当な用事をでっち上げれればいいのだろうが、嘘は罪だと左手が訴える。
『なんでしょう?』
なるべく早く開放してくれと視線で語りつつ振り返る。
『立ち話もキツイでしょう、ひとまず教室に行きましょう』
今日の僕は目よりも口のほうが雄弁らしい、口が今の災いを呼び、今も目は何も伝えてくれなかった。
『申し訳ないですが……それに、貴女にとっても良い事じゃないはずだ』
『……そうね』
目にありありと浮かぶ哀れみ。人はそんな目を優しいというのかも知れないが、僕にとっては不快でしか無かった。
『じゃあ、怪我のこともあるのだし貴方の家で話しましょうか』
輝かしい笑顔で最初の台詞を引き出し彼女は我が本拠地へと乗り込んでくる気まんまんだ。
訂正しよう、人はそんな態度を図々しいとか賢しいと言うのかもしれないが、僕にとっては愉快でしかなかった。
『噂通り、実にお優しい』
『あら、お世辞が上手い事、危うく本気にしてしまいそう』
『本気も何も、本当のことを言ったまでですよ』
そんなわざとらしい笑顔で心にもない言葉の応酬は玄関前へとたどり着くまで行われ。
『ただいま』『お邪魔いたします』
挨拶をしつつさして大きくないドアを開くとかすかに揶揄するような響きの声が二階から掛けられる。
『おかえりテオドール、そしてようこそお嬢さん』
顔を上げてみれば青みがかった黒のシャツに灰色のズボンというカジュアルな装いでレウスさんが丁寧なお辞儀をしていた。
何時もの黒コートで現れたらどうしようかと思ったが、幸い窓から僕の後ろに人がいた事に気づいてくれたようだ。
『急な訪問申し訳ありません。ミスタ……』
見知らぬ人物に面食らった様子もなく、ごく自然に嬢がレウスさんに名を尋ねる。
『レウス、レウス=フリートです、どうぞお見知りおきを。ところで、貴女様はティアナ=バッハシュタインとお見受けしますが……?』
『これはまた失礼なことを……ティアナ=バッハシュタインです。こちらの不勉強も合わせ重ね重ね申し訳ありません、ミスタ・フリート』
『どうか頭を下げないでいただきたい、こちらこそ家の者が気が利かず』
『いいえ、こちらからお願いした事ですから』
言いつつも注がれる視線はどこか棘がある、こちらも視線ですいませんと適当に返しながらもとりあえず話を進める。
『何の話かはわかりませんが、ひとまずそこのソファーにでも座ってゆっくりしてください。僕はちょっと飲み物を用意しますから、あっとティアナ嬢はコーヒーと紅茶、どちらがお好みでしょう?』
『では、紅茶をお願いしてもよろしいかしら』
『私はコーヒーを――』
『どうぞどうぞ。しかし助かった、こう言ってはなんですが洗い物が増えずにすみました』
図々しく客人に便乗しようとする輩を無視して笑う。上から険悪な視線を感じるがやがて舌を一つ打ち、立ち去る気配がした。
『じゃあコーヒーにしようかしら』
『残念ながらオーダーストップがついさっきでしたので』
イタズラ気微笑むティアナ嬢に対し僕は眉尻を下げて肩身狭げに慇懃に礼をする。
『代わりにとは言いませんがどうかごゆるりと、何かお茶菓子の用意もしますので』
告げてくるりと踵を返しダイニングにある食器棚に近づく。
観音開きの扉を左側だけ開けて、ティーカップを二つ手に取りひとまず机に置く。
二つのケトルに片方だけ少なめにして水を注ぎ、どちらもコンロにくべる。火力は五中のニ、ピピピと鳴る警告音にそろそろ魔力液を補充しないといけないと頭のメモに書き留める。
戸棚からコーヒーと紅茶それぞれの道具を取り出し、準備は万端。お湯が湧くまでの間も手は止めず、警告音を聞いたついでに冷蔵庫に残る魔力液を確認してみる、ゲージは半分以上まだまだ買い足す必要は無さそうだ。
水少なめのケトルがお湯が湧いたぞと声を上げる、素早く持ち手を握りカップとポットに湯を注ぐ。
お次は茶菓子、さっきとは別の戸棚をゴソゴソとあさり何時か小父さんから貰った高級そうなクッキー缶を取り出す。
賞味期限に問題はなし、ただし開封した気配あり。このままでは残り物だとバレてしまう、若干の罪悪感と衝動を湧きあがらせつつ誤魔化すために一番見目が綺麗な器に移す。
そんなことをしていれば、後ろでもう片方のお湯が湧き上がり蒸気がコトコトと蓋を持ち上げる。
ポットとカップに入れておいたお湯を捨て、紅茶の葉をティースプーン中盛二杯投入。
まだかまだかと唸るケトルを手に取り、ポットの中へと注ぐ。本来ならニ分ぐらいは葉を蒸らしたい所だが、客人を待たせる訳にも行かない。
少し口惜しく思いつつスプーンででポットの中を軽くひと混ぜ、なるべく濃さに違いが出ないよう丁寧に回し注ぐ。
最後の一滴を客人用のティーカップに落とし、波紋と共に上がる香りを楽しみトレーにものを載せていく。
自分用のティーカップはそのまま、客人用のはソーサーに乗せてから、最後にクッキーを盛った皿を僕はゆっくりとソファーの方へと運ぶ。
『お待たせしました、と』
トレーから一つずつ器をソファー前のテーブルへと移す。
ほわりと漂うまろやかな湯気にクッキーの甘い香りが上手に合わさり口の中は完全に甘いモノを受け入れる体勢を整えている。
普段であればこうして四の五の考えずに手が伸びるところなんだけどな、と物欲しげになっていそうな瞳を下を向いて隠す。
『ありがとうございます』
礼の言葉に『いえいえ』と軽く首を振って応え、無礼にならないようゆっくりとソファーに腰を下ろす。
柔らかいクッションがまだ強張った感じのする体を優しく受け止め、何気に長い間立ちっぱなしだった脚が解放の充足に浸る。
『……大仰だな』
内心とはいえ少し恥ずかしい、喉の渇きはもちろん赤くなりそうな顔を誤魔化すためにもカップに口をつける。
『ふぅ……美味しい』
『そう言ってもらえたら何よりです』
とは言うものの実家が実家、十中八九お世辞なのだろうがそれでも美味しいといって貰えると嬉しい。
今までどんなに拘ってみても自己満足にしかならなかったものなぁ。小父さん所に行ったら小母さんが僕のより数段美味しいのを淹れてくれるし、同じ葉を使ってる筈なのにどうやったらあの味になるのやら。
『それで、話とは何でしょうか?』
一息ついた所で思い切ってこちらから尋ねてみる、当ては二つほどあるがさてどちらか。
『なんで、あの時私を?』
『主語だけじゃ問いの意味が分かり兼ねます』
問いが曖昧なのを良い事に牽制として少しとぼけてみる。
『述語がどれか分からないから聞いてるのですけれど』
『でしたら質問は僕じゃなく国語のファレン教師にでも、尋ねづらいなら僕も一緒に行ってあげますよ』
重ね重ね今日の舌には脂が乗ってる、どうにもブレーキが効きそうにない。
『まぁ嬉しい。けれどご遠慮するわ、貴方が行ったら教えてくれることも教えてくれないでしょうから』
『これはお手厳しい』
ここまでストレートだと何も傷つかない、どころか好感を覚えるぐらいだそろそろ被虐趣味者と言われても反論できなくなりそうだ。
『こうも焦らされたらさすがに、ね。そろそろ茶化さずには話していただけないかしら』
つい今日見た百点の作り笑顔。二度目となると勘違いしてしまいそう、駄目だ駄目だと太ももをつねろうとして痛そうだからと思いとどまる。
『そんな怖い顔しないでくださいよ。ほら、この通り声まで震えてきた』
『随分と失礼な事を言いますのね、それに心配しなくとも何時もどおりハキハキと受け答えされていますわよ』
『何時もどおり? しっかり喋ったことはこれが初めてだと思いますけど』
つい刺々しくなってしまった僕の言葉にティアナ嬢の顔が曇る。
……悪いことをした、けれど謝るわけにはいかない。出来るだけ印象を悪くして、左手目隠しの男と僕のイメージを引き離す必要がある。
『冗談ですよ。それより話というのは戦闘訓練の件で?』
『……はい。同じ事を尋ねますが、何故あの時私を……』
『庇ったのか?』
『そう、ですね。私にはそのように思えました、自意識過剰なのかもしれませんが』
『自意識過剰というより過大評価です。僕はそんな立派な人間じゃない、大体僕が下手に手を出さないほうがこんなに自体は大きくならずに済んだでしょう。貴女にもこうして迷惑を掛けることは無かった』
『それは違います』
『謙遜なさずとも結構です。いつも名前が成績上位者表に載ってるあるじゃないですか、武術と魔術どちらの実技も高得点だったと記憶していますが』
と、紅茶をゆっくりと啜る。ちなみに表は筆記と実技、それらを合わせた総合成績と全部で三つの種類がある。そのどれもに彼女の名前が書かれてあり、僕はといえば精々筆記で表の下端にしがみつくのが限界だ。
『確かに僕も貴女を庇おうとする気持ちが無かったとは言いません。
傷つきながらも美人を庇うヒーローなんて男の子はいくつになっても憧れますから』
『ヒ、ヒロインって……そ、それで?』
ほんのりと顔を赤くするティアナ嬢にこちらもなんだか恥ずかしくなるがそんな内心はおくびにも出さず促されるままに続きを話す。
『けど現実、僕の行動を起こした理由は保身ですよ保身。真剣の使用に関しては間違いなく僕は被害者です。
ですが……身分が身分なもので見た目無事なら問題無しとされるでしょうし、逆にお咎めを食らう可能性すらある』
精一杯重々しくならないよう軽い口調で話す、こうしたほうが彼女相手には印象が良くないだろうし無駄な気負いさせずに済む。
『なんでですか! 貴方はただ……!』
激高してくれる事に不謹慎ながらも嬉しさを覚える。そんな内心とは裏腹に鬱陶しげな表情を作りつつ
『僕に迫られても困る。ただまぁ、随分と昔とはいえ過去にそんな例もあったようですからね。
ともかくこれ以上面倒な事に巻き込まれるは御免だったので、貴女を守った振りをして少しでも責められにくい状況を作りたかった』
そうして再びカップを傾け、苦々しくなりそうだった口内を紅茶で誤魔化す。
『これで、納得していただけましたか』
『……御免なさい』
『どうも僕と貴女とじゃあ"御免なさい"の意味が違うようだ。今度ファレン教師に尋ねてみます、どんな罵倒の意味が込められるのか楽しみだ』
からかい気味に笑ってみれど場は未だ沈黙を保ち、彼女はまだ頭を下げたままだ。
何ともいえない気まずさと恥ずかしさに頭を掻きフーっと一つ長い鼻息が漏れる。
『同情は止めていただけますか、ハッキリ言って不愉快だ。』
まただ、と思う。また何か余計な口を叩こうとしてると、目先の事にとらわれて自分の喉を絞めていると。
でもまぁ、これも性分……じゃなくて異能の所為だからしようがない。必要なのは精々上でニヤニヤしているであろう師の揶揄に耐える覚悟だけだ。
『罵倒しろなんて被虐趣味的な事は言いませんけど、同情されるぐらいならハッキリ思った事を言ってもらったほうが楽です。
そんな態度を見せつけられたら何処に怒りをぶつければいいのか分からない。あーあ、せっかくああ言えばこういうを体現した口が減らないお嬢様だ思っていたのに。どうやら、本性は随分とお優しい嬢様だったらしい。
あれ? こっちのほうが良いなぁ……何時までもそのままの美しさと優しさで居ててくださいお嬢様』
『……お言葉だけれど、美しさは時とともに、優しさは時によって、衰えるし損なわれるわ』
『まるで嫁き遅れた貴婦人みたいなことをおっしゃる』
『貴方に逝き遅れはなさそうね、新鮮な姿のまま送り出される未来が見えるよう』
『ハハハ』『フフフ』
互いに目を弓にして微笑う。作ったものか本心からかは分からない、でも本心から出会って欲しいと思う。
『ハハハ……はぁ、なんだか付き物が落ちた気分だ』
今と戦闘訓練時、目の前の女性を助けたのは間違いなく自分の判断で。
異能にやらされたものでは無くて、打算的なものでも無くて、やりたいと思ってやって出来た。
死刑囚でも自分の意志で誰かを助ける事が出来る、そう信じることが出来る気がした。
『付き物?』
『いや、ただの独り言です』
コテンと可愛く首を傾げるティアナ嬢に軽く首を振って答える。
僕はといえば全身が活力で満たされ、そろそろ向き合えると何の根拠もなく思い拳を握っていた。
――そして、扉は開かれる。審判者によって、目撃者によって、被害者によって。
『女性と楽しく話すとは、いいご身分』
彼女――ロザリエ・ライエンハイトがその冷淡な瞳でほんの一瞬家内をサッと見渡し、軽蔑と憤怒を込めて僕を見つめる。
僕はその瞳から目を逸らすこと無く口を開く。
『そんなの今更さ、この手が繋がれない時点でね』
と、二度両の手首を打ち合わせる。今までと違う僕の態度に彼女は戸惑いを隠せないようだった。
『ロザリエ……?』
『こんばんは、ティアナ。事情は大体分かってるけれど……ごめん、今日は帰ってくれない』
『僕からもお願いします、ティアナ嬢』
二の句を継いで話したのが気に食わなかったのかロザリエの目付きがキツくなる。
『分ったわ、お茶ご馳走様でした』
ただならぬ雰囲気を察してくれたのか何も聞かず嬢が席を立ち扉へと歩いて行く。
『それと、もうこれ以上あの男に近付かない方がいい。あれと関わったら不幸になる』
すれ違いざま彼女が嬢へと語りかける、嬢はほんの少しの間目を瞬かせた後何も言わずキッと彼女を睨んで立ち去っていく。
『……ティアナに何をしたの?』
嬢が出て行くのを確認して彼女が口を開く。
瞳の色は攻撃色、青々しい瞳に赤色が見える。
ティアナ嬢に睨まれたのが存外キツかったらしい、思えば昔から彼女は八つ当たりが何気に激しかった気がする、もはや古ぼけたセピア色の記憶のためあてにはならないが。
『何も』
『何が貴方にあったの?』
『……何も』
ついつい声が詰まる。もちろん彼女が僕のそんな様子を見逃すはずがない。
『間があった』
じとっとした視線が僕を苛む。懐かしい、昔はよく僕がこの視線を浴びたものだ、実際に実に十年振りぐらいだろうか。
『だからどうした、隠し事しちゃ駄目なのか? 今日び恋人同士でも一つや二つあるだろう?』
すっかり冷えた紅茶を飲み干して笑う。
『恋び……気持ち悪い』
心底不愉快そうな声色にもひるまず僕は言い返す。
『先に不快にさせたのは君だ』
『私をこんなのにしたのは貴方とあの男』
ハッキリとした言葉の棘、むしろ刃だろうか? どちらにせよ僕は澱から這い上がってくる何かを蹴落として言葉を紡いでいく。
『その通りだ、だがそれは免罪符じゃあない。罪は罪だ、僕は何時までも君に引け目を感じるがその点は譲れないし、譲るつもりもない』
『随分と饒舌になったもの』
表向き平然に見える表情で彼女が憤然と言葉を吐き捨てていき最後には今にも飛び掛ってきそうな声になり僕の名を告げる。
『この、罪人が……!』
テオドール=ズィンダー=――。普段なら誉れとされるべきミドルネームの欄に刻まれた疎まれし罪人を表す言の葉。
『嘘つきは泥棒の始まりと言うだろう? 罪人だからこそペラペラと口が動くんだよ』
『くっ……ついこの間までは絶対ボクと目を合わす事も出来なかったくせに』
ゴフッ! と自分が吐血するイメージが一瞬だけ映る。どうにも彼女はさらりと致命傷を抉って来る。
『……ふぅ、で? 小父さんと小母さんが呼んでるのか?』
ともかくこのままでは互いに傷つけあうだけ、そんな虚しい事をする趣味はないので話を先に進める。
正直、こうして敵意に晒され続けるのが精神的にキツイと言うところもある、彼女が相手であれば尚更、だ・
『うん、今日の事で話があるって』
『うわぁ……行きたくないな、そうだ一人称は一緒なんだ僕の代理に行ってくれないか』
『分かったすぐ準備していく』だと言うのに口が余計に動く、どうにも僕はいま機嫌が最高潮らしい。
『フン……確かにボクが行った所でパパもママも気付かないだろうけどね』
顔に影を落としてロザリエが自虐気味に呟く。見かけが全然違うじゃないかと言うのは簡単だが、そう言う問題じゃないのは分かっている。
『そういう所が僕と違って素直じゃないから丸わかりだと思うけどね』
だから茶化す、徹底的に茶化す。かつての日々を夢想しながら、戻れぬと知りながらも。
『御免、誰が素直と言った?』
『さてと、小父さん達を待たせる訳にも行かない。――』
詰まるな、吐き出せ、口にしろ、言え! それが過去を振り向くための一歩なのだから――!
『――ロザリエ、小父さんは僕一人で来るようとか言ってたかい?』
『気安く名前を呼ばないで』
噛み付かれるのは予想通りだ、落ち着け顔に浮かぶ汗を気取られるな。
『ハイハイ、でどうなんだ?』
『……むしろ、もう一人の人も来るようにって言ってた。凄く、怒ってた』
『最後の一言は実に余計だったよ、行く気が失せるから勘弁してほしいね』
『ボクは貴方に来て欲しくないから』
『だったら、私は良いのかな?』
やや被せ気味に声が鳴る。肩越しに振り向いてみれば、階段近くに何時の間にか降りてきていた師匠が居た。
『貴方が、もう一人の人?』
『はい、お初にお目にかかりますレウス=フリートと言うものです』
あいも変わらず初対面の時(だけ)は丁寧な物腰だ。
『そう、私は貴方にも来て欲しくない。貴方にかぎらずこれの近くの人には』
"これ"の部分で僕を指ささないで欲しい、この人とは言わずとも指差すのだけは止めて欲しい、切実に。
『でしたら、これをどうにかすれば良いのでしょうか?』
百歩譲ってロザリエには許すとしても貴方を許す道理は無いと思うのだけれど、どうでしょうか? と内心を要約したメッセージ視線で届けてみるがあいにく受信拒否の気構えらしく届いた気配がない。
『もう無駄、貴方はこれの臭いが染み付いてる』
染み付くって、染み作って……そろそろ心が折れそうなので話に口を挟む。
『さっきからこれこれこれこれ言うの止めて貰えませんか、あとレウスさん手に持ってる服ください』
指にかけられたいくつかのハンガーにかかっている服は間違いなく僕のものだ、何時の間にか降りてきていた事といいなんだかんだ言いつつも色々と考えてくれていると、ほんの少しだけありがたく思う。あれだけこれこれ言われてたらさすがに、ほんのすこしにもなる。
『ほれ』
『ありがとうございます。ほら、ロザリエも帰れ』
投げられた服を両手で受け止め、手首を使ってシッシッと追い払う動作をする。
『なんで?』
本当に意味がわからないといった様子で首を傾げる。その素振りになんともこそばゆい感情を抱きながらも邪険を装う。
『なんでって、お前が居たら着替えれないだろう』
『だったら帰らない、そしたら貴方を家に入れないで済む』
ロザリエは紛う事なき本気で言っている。男からしたらたまったものじゃないな、と戦々恐々としつつも呆れた声を出す。
『本末転倒じゃないかそれ、ったく……じゃあ部屋で着替えてくるよ』
面倒くさいと思いつつ二階に上がる階段に足を向ける。
『おいおい、折角持ってきたのにそれはないだろう』
『厚意を無下にするのは良くない』
そんな僕の目の前にニヤリと心底愉快そうな笑みを浮かべる悪魔とそれに便乗する能面な彼女が立ちはだかる。
『……あとちょっと』
どうにかして突破しようと画策する僕の耳にぼそりと声が届く。一瞬首を傾げかけるも、思い当たるふしに肝を冷やし慌てて時計を見る。
普段と同じならば会食は午後七時四十五分。現在時刻は――七時四十分!
『くそっ!』
予想の的中に思わず口汚く罵り、慌てて服を脱ぎ捨てていく。
こうして僕は久しぶりに向き合った幼馴染の前で惜しげも無く半裸を見せる羽目となり、この家からコーヒーマグが消えることが決定された。
あと、二十分早くかけていたら……!