第七十二話:欲求を満たせ
昨日の曇天は何処へやら、カーテンを横に開けば手で遮ってなおを余りある陽光が全身へ降り注ぐ。活力が湧く。
『ん……!』
陽を求めるように伸びをする。固まった筋肉がほぐれる感覚が気持ちいい。
明かりに慣れてきた瞳で外を眺めれば葉に乗る水滴が光を受けて輝いていた。
踵を返し衣装棚へと足を向ける、両開きの扉を開くとパリっと乾いた、とはお世辞にも言えない湿り気のある服が並ぶ。
『ま、部屋干しだったから仕方ないか』
苦笑しつつなるべくましな服を選ぶ、どれもどれという有様ではあったけれど。
ともあれ藍色基調の半袖に落ち着き、寝間着を脱ぎつつ物思いに耽る。
昨日のことは余り思い出したくはないんだけどな、心中で目を伏せて首を振る僕が居た。
そういうわけにも行かないでしょと応える僕、脳内擬似的対話――人それを自問自答と言う。
まぁそれはともかく、と現実逃避的な対話を切り捨てて思考を進める。
昨夜赤裸々に告白したように僕は今まで自分の異能に振り回されていた。それこそ、死が救いと感じるほどに。
そんな思考に落ち着く程までに苦悩し続けていた者が突然に解決の言葉を投げかけられたらどう反応するかなどしれたもの。
例に漏れず僕も縋り付くようにしてレウスさんに教えを請うた……が、わざとらしく眉尻を下げた申し訳無さそうな顔で
『これで説教は終わりです。頭が痛いのでしょう? お引き留めしてすいませんでした、どうぞお眠りください迷える子羊よ』
と嫌味たっぷりに言われ、謝る暇もなく自室へと押しやられてしまった。改めて言葉にしてみると情けなくて涙が出そうになる。
しかし、一夜明け少しは冷静になった頭で考えてみれば、心身共に一杯一杯だった昨夜は聞いた所で理解は出来なかったと思う。それを見越していたのもあったのだろう、一割程度は。
それにしてもキッツイ一言だったなぁ……そうまでされないと立ち直れなかった自分が悪いのだけれど。
『何にせよ、小父さんの人選は確かだったな』
妙な関心で話を締めて、とっくに着替え終わった自分の体を動かす。
向かう先は廊下への扉、絨毯を一歩また一歩と踏みしめていくほどに対象は近づき、不安と憂鬱さが増す。
『かと言って引き返すわけにも、篭るわけにもいかない』
自分を促すようにつぶやき、手をドアノブへと掛ける。回す。開く。
『テオドール、そろそろ起き……』
閉めた。
『まったく、人の、顔を見て、すぐバタン、とはねっ』
『しょうが、無いでしょ』
途切れ途切れの言葉をぶつけ合い、並んで坂道を駆けてゆく。
『昨日のことを、考えたらっ!』
急な坂の果て地平線上に青空が見えた瞬間、言葉を吐き出し地面を力強く蹴る。
重力に負けるまでの一瞬の疾走感。心地よいと感じた時には、すでに全身に重みが戻っている。
再びあの疾走感を、その一心で肺に空気を詰め込み、雨露に光る斜面を登る。
疲労はある、それでも貪欲に速さを求める、今日の僕にはその必要があった。
脳内の時計が秒針を刻む。一秒、二秒、三秒……そして、五秒目。
背後で赤銅色の悍馬が静かに『行くぞ』と嘶いた。
焦りによる緊張が全身の筋肉を強ばらせる、錆びついたようにすら感じる。
その錆を息吹によって取り払い、強ばった体を運動によって溶かしていく。
背後から聞こえる足音は徐々に速度を上げて近づいてくる。
音を振り払うように面を上げ、丘の上に焦点を合わせる。
あとは無我夢中だ、ただひたすらより速く、より迅くと足を動かす。
そして、
『っはぁ! はぁ、はぁ……!』
あの丘の上へと着く。
よたよたと歩きながら息を整えて、酸素不足で散乱となった脳内を一呼吸毎に整えていく。
『ほら、これで汗を拭け』
肩で息をする僕に差し出されるタオル、赤銅色のコートがちらりと袖だけ視界に入る。
頭を少し傾けひとまずの礼として、止めどなく溢れてくる汗を拭きとっていく。ふわふわとした感触が疲れた体に気持ちいい。
『ありがとうございます、レウスさん。しかし、速いですね』
『ああ、自分でも驚いているよ、どうやら私は随分と優秀な兵士だったらしい』
『兵士? レウスさん、記憶が?』
『おっと、言ってなかったか。まぁ、その話をするにしてもこのままでは体が冷えるひとまず家に入ろう』
と、郵便受けから新聞を抜き取りレウスさんが家へと歩を進めていく。
僕は取り逃しが無いかと(レウスさんは新聞以外取らない)一応郵便受けを覗き、チラシのたぐいがないことを確認。
それに少し遅れて家へと足先を向ける、レウスさんが支えているのか扉はまだ開いたまま。
待たせるわけにもいかないので、小走りで扉へと近づき扉の取っ手に手をかけ――バタン!
閉じられた。
『さっき君が指摘したとおり、私に記憶が戻った……少しだけだがな』
ニ、三度瞬きを繰り返した後、恐る恐る玄関の扉を開くとそんな声が耳に届いた。
『一ヶ月掛かった割に戻ったのは極一部、それもひどく曖昧となると割に合わないと言わざるを得ないがね』
多少言いたいことはあるものの、腰を折って聞けなくなると困るため黙って近くの対面のソファーに座る。
『戻ってきたのは自分の職業、好きな酒、嫌いな酒、そして……異能だ』
『異能……!』
『そう、君についてライエンハルト卿と相談している内、ふっと記憶が蘇ってね。
あの時の酒が良かったのか、異能という単語が頭に引っ掛ったのかは分からないがね』
思わず身を乗り出し僕に対し、少し落ち着けと冗談を交えてレウスさんが笑う。
『さっき言った通り、私は兵士だった……らしい。
隣に他種族の兵士が居た覚えがあるから、最前線にいたか、傭兵のたぐいだったかのどっちかだろう』
『隣と言うことは、やっぱり……戦場の記憶ですか?』
あんまり思い出したくない記憶だよな、と言い出すか若干躊躇いつつ、意を決してレウスさんに尋ねる。
『いいや、ぼやっと覚えているのは薄汚れた酒場の記憶だ。
兵士か傭兵か、それともどちらもか、ともかく性別も種族も関係なく、共通点と言えば武装しているところだけ。
そんな所で呑んでいた。最初に言っただろ、好きな酒、嫌いな酒とな。
昔の私は嫌いな酒は赤ワイン、好きな酒はそれ以外だったみたいだな。今の私はまったく逆……いや、白ワインは好きだな』
そう言うレウスさんの瞳は光の加減からか黒く、郷愁に浸ると言うよりは、過去の自分との現在の自分を比べるのを楽しんでいるようにも思える。
その妙な光景に思わず首を傾げると、レウスさんが『どうしたんだ?』と尋ねてくる。
『いや、過去の自分と現在の自分が違うって気持ち悪くないんですか? 僕が同じ立場だったら、煩悶してるような気がして……』
それこそ、過去と現在を摺り合わせようとしてもがくような気がする。
傍から見たら滑稽なのかもしれないが、少なくとも自分が同じ立場ならそうするように思えた。
『……確かにな、だがそれは過去の"自分"と考えるからじゃないか?』
『どういうことですか?』
『意思、記憶、思想、理念、理想……そういった曖昧なものが全部過去と異なれば、私にとってそれはもう"他人"だ。となれば、違いがあって当然。何せ、"他人"なんだから。
極論、昨日まで昏睡状態だった者が、目覚めた途端まるで別人としか良い様が無い性格になっていたら……君はどう思う?』
『それは確かに……別人と、少なくとも同じ態度を取り続けるのは無理でしょうね』
仮に目の前のレウスさんや小父さんが豹変し、無差別に暴力を振るうような人になったら異能無しに僕は止めようとするだろう、恐怖や葛藤で逃げてしまうかもしれない。
『私にとってそれが今の状態というわけだよ。寝たきりだったその者――過去の自分は死に、現在の自分が生まれた、とね
……いよいよ、倫理道徳の説教みたいなってしまったな。本気で神父で一旗揚げてみようか?』
想像以上に真面目になってしまったのが嫌だったのか、誤魔化すようにレウスさんが鼻で笑う。
『一旗揚げる、なんて言う人には神父様になって欲しくないですね……現状を見る限り、向いては居るでしょうけど』
『ふん、人魔大戦以後、神様ならぬ王様の元に集った強者は数知れず。
そこら中で諍いだらけ、そんな魔界を即刻収め、気づいたら魔界最大勢力――"魔王軍"。
明言はしてないが、実質あれは宗教みたいなものだな。それもこれも』
と目でこちらに続きを促して来る。小学生ですら習う知識、突然の振りにも淀みなく続きが口から出る。
『異能"魔王"の統率力がなせる技、ですか。
確かに六大種族内ですら小競り合いがあったような魔界を、一年足らず今のようにしたとは到底信じられません』
最も、僕の世代はその小競り合いがあった時代を見たことが無い。
それでもたった六十年近く前のこと、未だ鬼族と妖精族は仲は険悪だし、鬼人族と他の鬼族という小さな括りですら余り良好な関係とは言い難い。
今がそれなら魔王が現れる前はどうだったのかなど知れたようなものだ。
『正確には、魔王と人間のお陰、といえるのかもしれないがな』
『……そうですね』
大きな外敵にやむなく結束して立ち向かう。人魔大戦(この戦争)に限らず、昔から行われてきたことだ。
傲慢な言い方だな、知ったふうに思う自分に少し嫌悪感を抱く。
『にしても、随分と話がまた逸れましたね』
元々はレウスさんの戻った記憶の話だったはず、思えば遠くまで来たものだ。
『まったくだ、唯でさえ話は長くなるんだからコンパクトに纏めないとな。だが、その前にだ』
話を広げたのはコンパクトと言ってる本人な気がするのだが、そこにはひとまず目を瞑り、話の続きを尋ねる。
『何ですか?』
『朝食だよ! 料理長。トーストに目玉焼き、ベーコンに剥いたリンゴ。おっとベーコンエッグじゃないぞ、ベーコン単品だ』
この人も随分と砕けたなぁ、傍から見れば何様だって感じだな、などと昔を懐かしむやら今をぼやくやら。
ともかく、指示された内容を脳内に書き留める。ベーコンと別々に焼くのは手間なのだけれど、そういう訳にも行かない。
何せ、今日の僕は負けたのだから。
『君との競走に勝った分、君には労働で報いて貰わないといけない』
わずかにしたり顔をのぞかせるレウスさん。
『持ちつ持たれつ《ギブ・アンド・テイク》とは違うような気が……まぁそれでしたら僕も上乗せしても良いですか?』
力なく頭を振りつつ、レウスさんに尋ねる。
『構わないよ、ベーコンを上乗せしないのならね。あ、いやコーヒーを一際濃いものにしてもらおう』
『それでしたら何時でも言われればやってあげるんですけど。じゃあ、聞きますけどさっき扉をわざわざ僕の前で閉めたんです?』
どれだけベーコン単品にこだわりがあるんだと半眼で思いつつ返答。
『やられたらやり返せ《ギブ・アンド・テイク》だよ、テオドール。さて、濃厚なコーヒーを頼んだよ』
悪戯気な笑みをニヤリと浮かべレウスさんが新聞へと手を伸ばす、僕は肩を竦めてすごすごと台所へと向かう。
新聞が擦れる音が妙に歯がゆく感じる朝食前だった。
『さて、とだ。早速で嬉しいだろうが、昨日の話の続きをしよう』
と、サクリと歯切れのいい音がなる。トーストだ、溶けたマーガリンと程よい焦げ目が実に食欲をそそる。
『昨日は散々怒られたからな、今日は手短に話すとしよう』
皮肉たっぷりな言葉が耳に痛い。痛みを堪えるため、僕はティーカップを手に取り、その甘味に浸る。
『……すいませんでした』
前に謝罪の言葉が口から吐いてでた、好きな紅茶は何者にも邪魔されずに飲みたいという欲求のほうが勝ったようだ。
『あ? ああ、そう言う訳じゃない。昨日のことに関しては自分自身に発見があって面白かったぐらいだ』
意外に、と言えば失礼かもしれないが皮肉のつもりはなかったらしい。
それはそれで問題がある気がするが今気にかける物でもない。
普段から本人が気を付けるべきものだとは思うけれど言葉には出さない。ただし疑問は出る。
『発見? どういう発見ですか?』
『どうやら、私は怒ると口がいつもより回るらしい、いや、そちらが素といった方が良いのかな? 今もこうやって話してる様に』
『そうですね、けど怒った時はもう少し煽るような話し方ですよ』
昨日を懐かしげに思い出しつつ、遠い昔だと自分に言い聞かせつつ指摘する。
それを言えば、僕自身昨日といい今日といい、今までと違い不思議と口が軽い。
昨日のことを思えば口は災いの元と思うべきなのかもしれないが。
『ふむ、挑発癖と言う奴か。何にせよ、自重した方が良さそうだ。
ところでテオドール、初対面の相手が苦手なものには二つのパターンがあるということを知っているか?』
『え? いや、知りませんって、話が早速逸れてますよ。こう言えば宜しいので?』
『嫌味かね?』
と、口角を上げるレウスさんに続く。
『です。大体、こうやってるから、話が助長になるんだと思いますけど? 人によっては挑発だと受け取るかも』
『失礼、本当に自重しよう』
そう言って、ズズズと何時もより黒々しく見える液体を啜ると、気持ちを切り替えたのか碧い眼差しが鋭くなる。
『まずは昨夜と同じく君に聞きたい。その法具、"黒の獣の首輪"の効果は何なんだ?』
当初の宣言通り、直接的な切り込み。それに応ずるように僕も知っている事を洗いざらいぶちまけていく。
『この手袋は"死刑囚"の異能を抑えるために百年以上前に"法律家"と取引をし、
鬼族の国ではなく、鬼人族が独自に受け取ったものです』
『ちょっと待ってくれ、異能者の寿命は二百前後の筈。わざわざ種族全体として取引してまで、そんな物を手に入れる必要は?』
『寿命は確かにそうなのですが、死刑囚はその性質上、早くに殺されたり、自殺したりしています。
早い話普通の人よりも生きれる期間は短いです、歳と共に"死刑囚"は力を増しますので。
そういう訳ですから、手袋は是が非でも欲しかったものでしょう、使いこなせればこれ以上無い戦力にもなりますしね』
『"成長型"、か。悪いが加えて質問だ。
さっきから聞いていれば、死刑囚はこの国にしか産まれなかったように聞こえるんだが?』
ぼそりと聞こえた"グロウ・タイプ"という単語が気にかかるものの、ひとまずは質問に答える。
『その通りです、何故かこの国、と言うより鬼人にしか死刑囚の異能者は産まれません。
理由は今持って不明、もちろん全ては偶然、僕が死ねば次は別の種族にと言う可能性も否定出来ませんが、その可能性は薄いでしょう』
自身の、そして概ねの研究者の見解を述べつつ答える。
『なるほど、話の腰を折って悪かった、先を頼む』
さほど納得したのか、それとも重要でないととったのか、ともかく先を続ける。
『はい――ですが、もちろん"死刑囚"専用という訳ではなく、効果は異能者に関わるあらゆる力の減少。
要するに、異能と縛り(デメリット)の部分的解放。一般人に近くなるための法具と言い換えてもいいでしょう』
言葉尻を抑え、これで終わりだと言うことを伝える。レウスさんは何も言わず、目を伏せ考え事に耽る。
『テオドール、何から話せばいいだろうか?』
と、黙々と考え込んでいたレウスさんが突然尋ねて来た。
『な、何から、ってどういう事でしょう?』
待ちかねてベーコンを口に入れていた僕は、慌てて切れ端を飛ばしつつ疑問の意味を聞く。
『汚いな、別に逃げやしないから落ち着け。問いの意味はそのままだよ、異能に関してどこから話せば良いのか、だよ。
いきなり君の異能に関してからでいいのか、ある程度の専門用語を話してからがいいのか、それが分からないことに話しづらい』
『それは、早速……』
僕の異能に関して話してください。と言いかけて、ついさっき聞き覚えのない単語が出たことを思い出し、気が逸っている自分に気づいて苦笑する。
『いや、用語の方からお願いします。その、"成長型"でしたっけ?』
『了解だ。君に長い説明をさせて分、僕も長く説明するとしよう』
『ギブ・アンド・テイクは結構ですから、僕の小さい頭に収められるよう短くお願いします』
『遠慮をするな、謙遜するな卿(小父さん)から君は成績は随分と優秀だと聞いているぞ? それとも小顔というアピールだったのかね?』
『それを言えば、僕は実戦科目はほぼ全滅なので頭でっかちですよ』
『頭が優秀なのは認めると?』
『言葉の綾ですよ、もう今の時点で間延びしてるんだから早く話をしてください』
『はぁ、申し訳ないね。何せ、あんまり思い出したい記憶じゃないのでね』
『? 酒場と言うことは、楽しい思い出のはずじゃ?』
『生憎、異能についての記憶は酒場じゃなくて研究施設でね。
アルコール臭いのにはかわりないがグラスに浮かぶものに大きな違いがある』
皮肉げに笑い、苛立たしげに髪をガシガシと掻く。
感情を直接表に出すことが少ないレウスさんだけに、思わず目を見はってしまう。
『しかも、だ。君も気づいてるだろうが、先ほど私は自分を兵士か何かだと言った。
だと言うのにそんな光景が頭に思い浮かぶ。過去の自分は他人は言ったもののここまで混濁すると気持ちが悪くてしょうがない、とすっかり愚痴になってしまったな』
こちらの顔を見て、レウスさんが気まずげに苦笑する。
居た堪れない思いに包まれるものの、思い出して貰わねばこの両手から解放されることもない。
自分勝手だと分かってはいても、もういいですとは言えない。
それに、そう言われてもレウスさんはお互い様だよと笑うだろう。
だから、謝りたくなる気持ちをぐっと抑えて黙っていた。
『さて、専門用語からだったな。まぁ私自身職業不確か、記憶不確か、話半分に聞いて欲しいところだ。
もし間違ってても苦情を申さないように、こっそり私に恥を欠かせない様こっそり教えてくれると助かる』
口調軽めに予防線を引いてレウスさんが話しを始める。
『それじゃあ"型"についての話からだ。と言っても、君にはタイプと言っても意味がわからないだろう。
何せ最近呼ばれ始めたものだし、何より古代言語の一種だからな。そもそも、異能者関連の単語は古代語由来の物が多い』
『何でですか?』
思い浮かんだ疑問をそのまま口に出す。
『異能には目覚めた瞬間に無数の単語が羅列される種類がある、この時浮かぶ単語が古代言語で表示されている……らしい。
なにせ本人しかわからないからはっきりしたことは言えない、口にするときには普段の言語に修正されるようだしな』
『修正?』
先程から疑問符ばかりだな、まぁ聞いてる身だから当たり前か。
『異能者には絶対ある"縛り"、その中でも全ての異能者に課せられるものらしい。
何せ私は異能者じゃない。しかし、異能者が比較的ハッキリ残っていた古代の文字を見てあっさり解読している礼もあるからな、概ね言っていることは本当だと私は思っている』
『"私は"と言うことは、全体の見解ではないと。まぁそれもそうですよね』
どうしても一般人と異能者とでは隔たりがある、それ無くしても研究者を名乗るものが曖昧なものを盲目的に信じる訳にはいかないだろう。その上ものは法具、慎重を期するに越したことはない。
『まぁ、私としてはひとまずの仮定としたら悪くはないんでは、と言いたい所だがね。
ともかく、そういうわけで古代言語由来な異能関連の単語"タイプ"は異能者の種類の分別に使われるものだ。
大きく"成長型"と"固定型"に、そして、その中でも"目録型"、"突発型"、"作成型"に別れる。
まぁ非成長型と呼ばれることもあるが蔑称とも取られるから謹んだほうがいい』
『す、すいません。それぞれの意味についてお願いします』
『あ、いや悪かったな。それぞれグロウが成長、フィクスが固定、リストが目録、アドリブが閃きだ。
今のところはこれからくくりからはみ出る異能者は出ていない。今確認できている異能者は皆、この中のどれかだ。
と言っても、確認できている数なんてほんの僅かなんだがな』
レウスさんが鼻で笑う、たしかにわざわざ自分がどんな異能者かなどと確かめる異能者は微々たるものだろう。
むしろ、三つのタイプが判明したのすら迷惑に感じている人のほうが多そうだ。
『まぁ、そんなことはでどうでも良い。大事なのはこの大きく二つ、小さく二つ、纏めて四つのタイプの中身だ』
まずひとつ、とレウスさんが指を一つ立てる。
『"成長型"。これは年月とともに徐々にその力を増していく異能が分類される』
ふたつ、と二つ目の指が立つ。
『"固定型"。読んで字のごとく、最初から固定されたまま変化が起きない異能が分類される』
そして三つ目が……とはいかず、レウスさんが二つの指もう片方の手で握る。
『これが大きな二つ、聞いていて分っただろうが君は"成長型"に分類される。君としては厄介極まりないだろう』
まったく、と内心で答えて話の続きを促す。これ以上下手に話がそれたら昼ごはんを挟みそうだ。
『ややこしいことに植物の如く、その中でまたそれぞれ二つに種類が分けられる』
と、立てていた指を折り、親指を立てる。
『"目録型"。これがさっき少し出た"いきなり単語が羅列される"タイプだ。
このタイプは自分の出来る事が簡単に分かるから、いきなり自分の新たな異能に気づいたものでも即戦力になることが多い』
次に、と人差し指が立つ。
『"突発型"。これは思いもよらず能力の発動条件が揃った瞬間、頭にその条件が刻まれるまさに突発的なタイプだ。
何のヒントもないためこのタイプは即戦力にはなり難い、そのまま何も能力も出せず死ぬことすらある』
最後に、と大方の予想通り中指が立った三本目の指となる。
『"作成型"。出来る事は概ねわかるものの、どう動かすかは本人が決めるという、道具は渡したあとは勝手にと言う、放任主義的なタイプ。
これは異能者の発想力や機転が試される最も実力が出やすいタイプだ』
そして、そのまま立てた三本の指をコーヒーマグの取っ手に滑りこませ、コーヒーを美味しそうに啜る。
トン、まだ中身は入っているのか重量のある音を立てて、レウスさんがこちらに目を向ける。
『出来得る限り、短く説明を抑えてみたが……どうだった?』
『わかり易かったです、ひとまず零れ落ちることは無さそうですね』
『それは良かった』
『さてと、だ。これようやく本題である君の異能"死刑囚"の統制り方に関しての話といける。
正確にはもう一つの肩書の、だがな』
『もう一つの? ネーム?』
早速僕が首を傾げてしまうとレウスさんの顔が一気に曇った。
『まさか、知らないのか?』
『え、ええ。異能者関係の本は数が少なくて、すいません』
『いや、それなら仕方が無い……しかし、』
右手を目に当て、ふるふるとレウスさんが頭を振る。
『異能者は基本的に一つの名で二つ以上の意味を持つ。その事を二重意味、三重意味にかこつけて、音が似ている"肩書"を意味する古代言語"ネーム"と合わせて二重名、三重名という』
『なるほど……』
『さて、そろそろ本題に入ろう。冷えた朝食はもう冷えた昼食になりつつある』
肩身が狭い、話が終わったら昼食の要望も聞くとしようなどと考えつつ話の続きに耳を傾ける。
『きっとそうだと思うのだが、君は本当に自分の異能を操ることが出来るのかと不安を覚えていないか?』
『それは、そうですけど』
話の妙な切り出し方に返答も淀む、手短という単語はとうの昔に頭の物置でほこりをかぶっている。
『そう首を傾げないで貰いたい、また説明せねばなら無いかと不安になる。
私が本題から入らないのは一先ず君のその不安を軽くしたいからだ、不安に駆られたままでは冷静に話を聞けない可能性もある』
『理由は承知しましたけど、どうやって僕の不安を軽くするんですか?』
『不安には自信だよ、テオドール。自信あふれる医者の言葉は患者の不安を吹き飛ばすだろう?』
『自信過剰なら、もっと不安を覚えると思いますけど』
『そこは信頼で補ってくれ。何せ私自信、昨日は格好をつけて言っては見たものの、実際通じるかは不安だった』
『いきなり、不安がこみ上げてきたんですけど……』
『だった、と過去形で言っただろう? 今の私は九割九分九厘成功する自信がある』
『その正体不明の自信は何処から?』
『正体は君だよ。今日の君にはあって、昨日の君には無いものが私に自信をくれる』
『軽口と挑発、加えて言葉遊び。そろそろ辟易してきたんですけど』
『いや、悪い何せ私は臆病でねなるべく自信を補充しておきたいんだ』
『はいはい、そうですか。で? その正体とは?』
まともに答えると
『その冷静さだよ、テオドール』
『……どういう事ですか?』
『思うに、だ』
質問を無視し、有無を言わせぬキッパリとした口調でレウスさんが話を続ける。
『君は自分を抑制し過ぎだと思う。悪を裁こうする左手を抑え、悪を殺そうとする右手を抑え、弱音を吐きたい自分を抑える』
それじゃあ爆発して当然だ、と話を一旦止め、なんとも言えない間が出来る。
必要な溜めだと思う、何か大きなものを聞く為の心構えをする時間だと。
レウスさんがマグから手を話し、静かにこちらを見据えた。
『――結論から言おう、"裁きたくなるなら裁けばいい"それが私が教える異能の統制り方だ』
拍子抜け、とも言える結論。ここまで来るまで時間がかかった分、ぐっと怒りがこみ上げてくるが、ひとまずそれを押さえつけて問いを繰り返す。
『もう一度言わせて頂きますけど……どういう事ですか?』
『想像以上に冷静だな、テオドール。正直、私は怒鳴られるのを覚悟していたよ』
『怒鳴りたい気持ちは無いわけじゃないですけど、それじゃ話が進まないでしょう』
抑制しすぎ、と言われた時点でそういう可能性も半ば以上考慮に入れていたこともあるけれど。
『ふむ、今日の君は何時も通り冷静だ。
だが、昨日の君は何時もより感情的だったとは思わないか?』
言われてみれば、確かに今日は昨日に比べれば冷静に対処できていると思う。
何度も挟まれる軽口にも、真っ向からの挑発にも、からかうような言葉遊びにも。
……何が違う? 昨日と今日とで? 必然的にそう言う思考に行き着いた所でレウスさんが声を掛けてくる。
『……全ては推論だが、恐らく君の異能"死刑囚"は良くも悪くも異能者自身に"自制"を促す。
君が思う"善人"になるよう強く、みだりに感情的にならず、悪を憎み自分を憎み、罪人としての自分を卑下する形で』
『それは僕の僕としての"意思"が異能の影響を受けていると』
自己のアイデンティティに何か別のものが絡んでいる、その発想には末恐ろしいものを感じた。
『考えすぎるな、と言っておく』
ほぼ肯定とも言える返答。
出来れば否定して欲しかった、などと思うのはあまりに勝手過ぎる。
レウスさんは最初から遠回しに表現しておいてくれたのだ、ショックを受けたのは自分の責任だ。
『さっきも言ったとおり、昨日よりも君は冷静だ。
だがそれは私の推論からすれば、昨日よりも今日のほうが……分かるな?
では、昨日と今日の君の違いは他には無いだろうか?
――もしあれば、それは異能の影響に深く関わっている可能性が極めて高いと言えるないだろうか? テオドール』
『僕が自殺しているか否か……自分を死刑に掛け、"裁いている"か、"殺している"か否か。そういう事ですか……!』
即ち、欲求が満たされているか否か。
異能という外部的な要因が酷く身近に感じられ、纏わり付いていた恐怖が薄らいでいく、
『私からすれば"自殺"は罰に似たただの自己満足だがね。だが何にせよ、ここに仮定が一つ生まれた。
罪人を裁く事、罪人を殺す事、どちらが起因かは分からない、どちらも起因かもしれない。
どちらにせよ、欲求を満たすことにより"死刑囚"の呪縛は緩む! それはほぼ間違いない仮定だ』
これこそ本当に珍しく興奮した様子でグッ! とレウスさんが拳を握る。
熱っぽい雰囲気に当てられたのか、恐怖を一気に振り払うためか、僕自身鼻息を荒げて何も考えずに思ったことを口から出す、出してしまった。
『つまり、何度も自殺していれば良い! そういう事ですね! って……』
『『あ…………』』
一言で間が凍りつき、気温は一気に夏から冬へ。
お互いに不味った、という顔で沈黙する。気まずい、実に気まずい沈黙が間を支配する。
何が怖ろしいかといえば、今は猛烈にこの間が怖ろしい。
どれくらいそうしていただろうか、多分それほどまでに長くは無かったのだろうが、場の当人たちからしたら悠久の時が過ぎた後、ぽつりとレウスさんが再び話を再開する。
『それで、だ。最初に結論に戻る、"裁けばいい"とな。
裁く欲求は無限に湧き上がるものではないとすれば、あとは適度に晴らしていくだけだ』
『え、だけどそれじゃあ』
本当はここで感嘆符(!)がつくのだろうが、一度冷えに冷え込んだ空気ではそれも憚られる。
『慌てるなテオドール。君は"死刑囚"と言う異能、その名に囚われすぎてはいないか?』
そこまで慌ててはないのだが、台詞だけでもそういう風にしたいのだろうか? わざわざ何か言うことでも無いが。
『と、と言うと?』
『察しが悪いな。裁くとは、刑とは何も"死刑"だけじゃない、むしろそれ以外のほうが圧倒的に多いぐらいだ』
『あ……』
間の抜けた声、比較的どうでもいい教科の教科書を忘れ時のような声。
内心では凄く驚きまさに青天の霹靂といった様子なのだが、面には出てこない。
せめて戦闘服を忘れた時ぐらいには驚いた声を出したかった、と的はずれな事を思う。
『身体刑、自由刑、追放刑、財産刑に名誉刑……死刑に類する生命刑を除いても、おおまかな区分だけで五つもある』
『つまり、罪にあった裁きをすれば良い、と』
淡々と相槌を打つ。
『その通り。だけど、水を差すようだがこれは左手だけの話。右手の殺人衝動、いや、処刑衝動と言うべきか?
ともかく右手は抑えっぱなしだ、こっちは現段階じゃ精々それこそ重犯罪者や敵兵でも殺すしか考えつかない』
水を差すなど今更何を、とは本人も思ってそうな顔だったので言えなかった。
それにそんなことはどうもでいい程に、嬉しくて、ありがたかった。
『今までの負担が半減するかもしれないと言うだけで十分です、凄く助かります』
椅子に座っているため上体だけでの簡単な礼、こんなもので僕がどれほど感謝しているか伝えて切れない気もするが、レウスさんは格好にこだわらずも思いを汲んでくれる人だと思い直す。
『そう言ってもらうと助かる。では早速、訓練の準備といこうか?』
食器を纏めてレウスさんが立ち上がる。
『訓練となればもちろんいきますけど、準備とは?』
続いて僕も立ち上がり、流しに食器を纏めて置く。
『家庭科と美術』
とぼけた顔でレウスさんが答える。
『は?』
予想外の返答に再び間抜けた声が出る。
『私が布と仮面を買って来る、だから君は針と絵筆を準備していてくれ、おっともちろん温かな昼食もね』
僕がそうやって呆けてる間にもマイペースに外出の支度を整え、すでに玄関へと行こうとしている。
『針と絵筆? ちょ、ちょっと待って下さい! 僕に何をさせる気です?』
体を半分家から出した背中に半ば叫ぶように尋ねる。
『君にこの町の隠れた英雄になってもらうのさ』
それじゃあ行ってくる、と扉はゆっくり閉じられる。その早さは僕が言われた言葉を理解するよりも早かった。