第七十一話:天国の悪魔は力へと誘わない
『ッあ――』
意識が覚醒した途端ひどい頭痛が僕を苛む。感じる寒さからして今は夜、あれから三時間ぐらいかななどと適当に予測をつける。
頭痛が呼び起こしたのか脳内に残る人生最期の断末魔――となるはずだった雑音が再生される。感想は今までと一緒、聞くに堪えない、だ。
口内がひどくサビ臭い、のでざっと"舌"で乾いた血を剥ぎ取り適当に飲み込む。
嗚呼、神よ! 僕をどうかあなたのもとへ、この時ばかりは真剣に祈りを込めて瞼を開く。
残念ながら今回も目に映る光景は棺桶の蓋でも、土の中でも、焼却炉の中でもなく温かい我が家だ。くそったれ。
『あー……くそ』
生き返り直後は心が荒む、まぁ誰も聞いていないのだから多少は口汚いのは構わないだろう。
『誰があの後処理してくれたのかな……』
幸か不幸か、高校に入ってからはあの三人のお陰で自殺までは行かなかったからなぁ。
『となると』
恐らく、彼女だろう。教師の面々も知識として聞いちゃいただろうが僕が自殺した後の処理に関して、彼女以上に詳しい人は居ない。
『本人にとっては迷惑な事この上ないだろうけど』
今はまだ『明日謝らないとな』こんなふうに軽く思える、あと少し経てばまたうじうじと苦しみ続けるのだろう。
『全くだな』
『……居たんですか、レウスさん』
『ご挨拶だな』
『おはよう御座います、レウスさん』
『……挨拶だな』
肩を竦めて向かいにあったソファーにレウスさんが座る。寝ながら喋るわけにもいかないので体を起こす。
『迷惑を掛けた事は謝ります。ですけど、身勝手は承知で頼みますが今日はもう眠らせていただきたいのですが……』
『駄目だ』
キッパリと告げられる。高圧的な口調、悪いのは自分だと分かっていても苛立ちを抑えることが出来ない。
『命令される筋合いは無いと思うんですけど』
『確かに、でも私も君の世話を焼く必要も無かったとは思わないかい?』
何が面白いのか、こちらの睨むような視線を真っ向から受け止めレウスさんが笑う。
芝居がかった口調のお陰でこちらの苛立ちは募るばかりだというのに。
『つまり?』
『持ちつ持たれつ、だよテオドール。君は私の時間を奪った、だから私に君の時間をくれ』
どうにも今日のレウスさんは様子がおかしい。自分がろくな精神状態じゃないことを置いてて言うのもなんだが。
『頼んだ覚えはないんですけど』
『サービス過剰だったかい? でも受けた以上はお支払いをお客様』
軽口が過ぎる、とでも言えばいいのだろうか? こんなレウスさんを見たのは初めて……じゃない気がする。どこかで、僕はこんなレウスさんを見たことがある気がする。
……何にせよ、これ以上歯向かうのはナンセンスだな。
『随分強引なホテル・ボーイだ。分かりました、降参です。どうぞ御説教を、神父』
『神父か……むしろ、私は悪魔かな? 誘惑はしないがね』
悪魔? どういう意味だ? 引っかかる物言いに眉間に皺が寄る、尋ねたい所だが今しがた聞く体勢に入ったばかり発言するにはちょっと具合が悪い。
『さて、本題に入るとしよう。なんて言いたい所だが、あいにくそれじゃあ私が困る』
『"私が"困る? どういうことですか?』
『おっと、少し口が滑ったかな? ともかく、本題に入る前に何故今にも寝たいであろう君に無理をさせてま……』
『手短にお願いしますよ、レウスさん』
『っと失礼、それではひとまずこの新聞を見てもらおう』
言葉とともに差し出された新聞を手に取る。
日付は今日、思えば今朝は新聞を読んだ覚えがない。
『隠してました?』
『失くしてたんだよ、悪いね。それよりもその記事を見てごらん』
ふてぶてしい笑みを浮かべるレウスさんをジト目で睨みつつ、さっと新聞の一面に目を通す。
『"月攫い"またも出没……場所は鬼人族の都"ユングフラウ"、この町ですね』
『鬼族の国各地に出没する連続誘拐犯が、同居人が夜な夜な徘徊を繰り返すようになった途端に訪れる。
ここで同居人が犯人というのは、三流の推理小説ですら躊躇う配役だろうが現実では九割五分同居人が犯人だろう』
『自供ですか? でしたら、ここじゃなくて詰所の方でお願いします』
あくまでもこちらの神経を逆なでしたいのかくどい台詞が鼓膜を叩く、席を立たないことに尽力しつつ僕は投げやりにお役所仕事に励む。
『だからだよ、ここで自身の潔白を証明しておきたい。
まさか君だって、本気で私が金策に走ってるとは思っていなかっただろう?』
当たり前だと内心で毒づくだけに止め、首を一つ縦に傾けてこちらの意思を伝える。
『返事は? などと言えば、いよいよフラレてしまいそうだから、今日は許してあげよう。
さて、何故私が深夜徘徊を繰り返したかと言えばだ、理由はひとつ人に会うためさ』
『人に会う? 記憶喪失も嘘だったんですか?』
冷笑を浮かべてレウスさんをなじる。
『気を悪くしないで貰いたい、私だって好きで嘘をついたわけじゃない。
それに記憶喪失は嘘ではない、私が毎夜蜜月を過ごした相手は君もよく知る人物だよ。
君が引きあわせてくれたんじゃないか』
『僕が? ……っもしかして!』
『残念外れだ』
『はっ?』
『大方ライエンハルト婦人か、その娘とでも勘違いしたんだろう。
だが、私が会っていた人物はライエンハルト卿その人だよ。蜜月というのは冗句だよ、テオドール』
『くっ!』
軽くあしらわれていることを実感する。同時にふつふつと溜まった苛立ちが限界を超えたことも。
『一体――』
僕は大きく、大きく息をすった。
『なんなんですか?! レウスさん! 言いたいことがあるならハッキリ、ハッキリと言ってください!』
激情に任せて机を叩いて怒鳴る。
それでいてもレウスさんは一切動じること無く、冷やかな目でこちらを見つめてくる。
『では、率直に言おう』
水を打ったような静けさの中、平坦な声が場に響く。
『私はライエンハルト卿……君の言う小父さんに、その"手"――否、君の"異能"に関しての相談を受けていた』
『なっ……!』
思いも寄らぬ一言に二の句を告げることが出来ない。脳内で何度も言われた言葉を反復し、なんとか内容を理解しようとする。
いや、理解はしているのだ。だから言われる前まで煽り返すように合わせていた視線が下を向いている、頭を下げてる。
『君は何故、私から武術を学ぼうと思った?』
毎日に"変化"を与えてくれた声は今や喉元につきつけられた刃の如く感じる。
動揺を見透かされぬよう、懸命に声を震わせぬようにして返事をする。
『来年には、出兵ですからそれまでに強くと……』
『ふむ、なるほど。ではさらに聞こう、強くなるとはどういうことだ?』
『すいません、少し意味が……?』
『失礼、では聞き方を変えよう。君は"何が"欲しくて、武術を学ぼうと思った?』
『それは、技術や心構え……有り体に言えば力が、力が欲しかったからです』
次に何故かと問われれば、僕は答えることが出来なかった。
だが不幸にもレウスさんの次の言葉は、尋ねるものでも、責めるものでも、宣言通り誘惑するものでもなかったが――
『そう、力だ。魔力、武力、精神力……確かに君には他の人にあるべき力が無い。
だが、だ。しかし、だ。けれど、だ。確かに君には他の人にない力がある――異能、生命力とでも言うべき力が』
――紛れもなく、悪魔の妄言であった。
『何を、何を言うかと思えば……!』
怯えた分、寄せては帰る波のように怒りは大きくなって僕の元へと帰って来た。
『この両手を解放しろと? 馬鹿か貴方は!』
『何故?』
『っ~! さっきから聞いていれば、何故、何故、何故、だ! ああ! 答えてあげますよどうせ知っているんでしょうけどねぇ!
この法具――"黒き獣の首輪"は、
左を外せば相手を厭わぬ過剰な正義感が、
右を外せば己を省みぬ異常な正義感に僕は囚われる!』
今日苛められていた他人を見捨てれなかったように、今までポイ捨てにすら殺意を抱かずには居られなかったように。
『あらゆる罪が許せなくなり、裁くのであれば自分の手が汚れることも気にならない!
今はまだ良い、けど最終的には! 人が生きているだけで、殺したくなってくる……!』
一切の罪を背負わない生物など居ないのだから、他の生き物を殺して人は生きていくものだから。
『はぁはぁ……』
激昂に任せて叫んだお陰で息切れを起こす、血走った目で正面を見ればレウスさんは瞼を閉じ腕を組んでいた。
『これで満足ですか? なんで僕が異能を使えないか、存分に説明したはずですが?』
『ん? 君は何を言ってるんだ?』
『はぁ?』
何を言ってるんだ、この男は。
『それは君が異能を"使わない"理由じゃないか?』
『あ、貴方は……!』
『じゃあ最後に一つ聞こう、君はその持って与えられた力なくしてどうやって戦場で生きるつもりだったんだ?』
『……やるだけやって、死ぬつもりでしたよ。そうする方がよっぽどこの世のためだ』
『で、まだ見ぬどこかの子にその異能を押し付けるのかね? テオドール』
『それは……』
そうとしか言えない。
異能者が死ねばその異能はどこかの赤子に受け継がれる、そうなれば間違い無くその子を授かった家は不幸のどん底に落ちる。
『答えろ、テオドール。』
『それは……!』
『答えろぉ! "死刑囚"テオドール=ズィンダー=ユスティィ!!』
初めて聞くレウスさんのあらん限りの怒声。此処に来てようやく謎の既視感の正体に行き当たる。
相手の態度に動じず軽口を執拗に叩く様は初めてあった時のもの、あの時は言葉の裏に底冷えた怒りがちらついていた。
それはつまりレウスさんは何よりも"怒っていた"という事だ。
叩き付けられるようにして告げられた異能名は僕の肩に重く伸し掛かるもの。
――母の腹を裂いて生まれた者に与えられる肩書きだ、何よりも殺したい者の名だ。
『人を殺したくないから死んで人に押し付けると、お前はそう言うのか? 力の統制る術を探そうともしないのか?』
『五月蝿い……』
口から自然と声は漏れた。
『五月蝿いんだよ! 僕だってこの異能を抑えようと努力はしてきたさ! でも無理なんだよ!
見て見ぬ振りしようと体が動く、手を切り落としても再生する、じゃあどうしろって言うんだよ……!』
言い終えると同時全身から力が抜けていく、膝を床に落としテーブルに突っ伏す。
熱い雫が次々と瞳が溢れ出てテーブルに水の玉を作る。
沈黙が部屋を包む、誰も答えを教えてくれなかった、いつもなら、今までなら。
『ふん、最初からそう聞いていれば良かったものを』
何の気なしにつまならそうな声が沈黙を押しのけた、吹き飛ばした。
『え……?』
泣き濡れた瞳で声の方向を見る、と言っても表を上げるだけだったけれども。
『まったく何の策もなく、私がこんな無責任な事を言うわけがないだろう』
崩れた視界でも憮然とした表情をしているのが分かる声色。肩を竦めてさも心外だと首を振る様は紛れもなく不遜。
『教えて上げようじゃないか、その異能の統制り方を!』