第六十五話:別れ
ポツリ。
重みにしなる葉っぱから夜露が一つ零れ落ちた。
目元に当たった雫は涙の様に流れ落ちやがては地面の染みとなる。
突然の出会い、あっという間に過ぎていく日々、そして別れ。
生涯で今のこの時を思い出すのだろうか? それと他の思い出に塗りつぶされしまうのだろうか? だとしたら……それは酷く悲しい事だと思う。
「何を感傷的なって居るんだ私は……」
思い浮かんだうすら寒いポエムに苦笑いが浮かぶ。
囲いを抜け出してからというものの、敵の数は対処できるほどにしか出てこなかった。
森内だから大人数で攻めることが出来ないのもからか? それとも兵を一気にやられて再編成に戸惑っているのか、はたまた森から抜けた後に襲い掛かって来るつもりか……。
「ん? どうした?」
なんにしても、少し気を緩め過ぎたな。
そう思い、ルフトに返事ついでに質問をほうる。
「いや、ただの独り言だ。それより、あとどれ位だ?」
「あとはもう三十分もせずに出発だ」
予想よりも到着時刻は短い。油断はするべきじゃないが、<開門>に間に合わないなんて自体には陥らずに済みそうだ。
「そうか、しかし……本当に結界は張られたのか?」
「ああ、間違いない。お前も感じたんだろう? "重複する森"を」
言われて数時間ほど前に感じた肌のざわめきを思い出し、あの時の違和感に眉間に皺を寄せる。
禁忌に触れた様な、法則に抗った様な違和感。
<なるべくして>では<ならぬはずなのに>なった、そんな感覚。
「…………」
そうやって悶々としているとルフトが口をゆっくり開いた。
「気持ちは分かるが、今は詳しく原理を説明してる時間は……」
と、ルフトが突然黙り込み、眉を潜める。
「この匂い……いや、まさか……!」
数瞬後、ルフトがカッと目を見開き突如として走り出す。
「おい、ルフト!」
制止の言葉を投げかけるがルフトは何の反応もせず、木々の間をすり抜ける様にして駆けて行く。
「くそっ!」
徐々に小さくなっていく背中。追いかけない訳にもいかず、疲労した体に鞭を打つ。
「一体何が……!」
――人知れぬ戦の終わりが近づく、人ならぬ者との別れが近づく。だがその前に人は――
「……!」
もう米粒ほどまでに小さくなって居た背中が見る見る間に大きくなっていく。立ち止まったようだ。
痛む肺に一気に空気を詰め込み、怒りを込めて大地を踏む足に力を込める。
追いついた。
「ルフ……!」
怒りの声をぶつけようと、心配させるなと怒鳴ろうと開いた口が固まる。
ルフトの背中は僅かに震えていた。
辺りには粘ついた粘液、その傍に寄りそうように転がる珠。
粉々になって居る物や、半分に両断された物、大きな風穴が空いている物。
様々な形がある中、どれも共通して居るのは"壊れている"事。
僅かに湿った大地には二対の靴跡がおぼろげながら残っていた――靴跡は真っ直ぐに"車の方向"へと向かっていた。
ルフトの背中が僅かに震えていた。
それが怒りからなのか、哀しみからなのかはわからない。
ただ一つ、言える事は。
ルフトは――哭いていた。
「うぅぅぅぅぅ……!」
「ル、ルフト……」
「あぁぁぁぁぁ……!」
「ルフト、しっかりし」
「あがぁぁぁぁぁぁ……!!!」
聞いている此方の胸が張り裂けそうな慟哭。
それに応じる様にルフトの体が膨張していく。
黒の外套は体に飲み込まれ、緑色の巨躯が姿を現す。
その巨躯も直ぐに甲殻に包まれ、両腕が歪み変形していく。
左腕は鯨をも喰らう伝承の狼に。本体の慟哭に応じ、狼が啼く。
右腕はあらゆる生物を叩き潰し混ぜた様な肉塊に。本体の憤怒に応じ、肉塊が脈打つ。
上半身の重みにバランスを崩し変幻の化身が前のめりに倒れる。
地響きが周囲の木々を揺らす。しかし、鳥の羽ばたきも獣の足音も聞こえない――とうに逃げ出したからだ。
下半身が上半身に釣り合う様に変化していく。
見覚えのある形――蜘蛛。だがしかし、見た時と違い八つ脚がそれぞれがおぞましい何かに変わって行く、変わり果てていく。
目の前の光景を呆然と、間抜けに相棒を気取っていた女が見ている、私が見ている。
「あっ……かっ……」
恐怖に息が詰まる。足腰が言う事を聞かない、視界がにじむ。
やがて、鉛の様に重苦しい声が響く。
「イレーナ、今すぐ何処かに行け」
「ル、ルルフフフ……」
口が上手く動かず酔っ払いの様に囀る。
「早く! あいつらを乗せて早く! あの糞野郎共の面を俺に見せるなァ!」
「わわ、分かった!」
震える口で答え、わき目もふらずその場から逃げ出す。
何度も木に躓き土に塗れる。
痛みなんて気にならなかった、恥など湧き上がりもしなかった。
ただただ、怖かった。
「副長! ご無事……」
「レオナルド! 急いで出発だ! 装置なんか放っておけ! 今すぐ、今すぐにこの森から逃げるぞ!」
「ちょ、ちょっと落ち着いてください! 組長は!?」
「っ……! 五月蠅い言うとおりにしろ! 早く、早く!」
醜く喚き散らすと部下二人が目を白黒させたまま、車へと乗り込んでいく。
自分自身も一刻も早くと荷台へと飛び乗る。
車が森の中の細道を駆っていく、障害となる全てをはね飛ばし轢き殺し、血染めの車が森を往く。
抜けた。
――が、車は徐々に速度を落としていき、やがて止まった。
「どうした!」
「待ち伏せです……!」
絞り出すような声に慌てて外に出る。
瞬間、狙ったように眩い光が私を照らす――照空灯だ。
光に鳴らす様に目を瞬かせ、ゆっくりと目を開いて行く。
「はっはは……」
乾いた笑いがこぼれ出る。
辺り一面を覆う魔力灯。その数たるや優に百を超え、勝算など考えるまでも無い。
三に対しての百以上、その余りの滑稽に、あっけない人生の終わりに、笑わずにはいられない。
冷酷な光を和らげるように視界がにじむ。
もうどうでもいい……。
心の底からの諦めの声に体が従い膝から地面に崩れ落ちる。
茫然自失としたままぼんやりと空を見上げる――と異形の影が視界を横切った。
はっとする間もなく地響きが鳴り、程無くしてあちこちで響く魔族の悲鳴。
再びせり上がって来る恐怖を必死で抑え込み、影が飛んで行った方向へ目を向ける。
地獄絵図がそこにはあった。
鬼が肉塊に潰され、人獣は触手に中から引裂かれ、飛び回る風妖精、吸血鬼は羽虫の様に地面に叩き落とされて――死んでいった。
だが彼らはそれでもまだましだった。
鬼の金棒は異形の肉塊を少しずつではあるが砕き、人獣の爪がその数を減らしながらも異形の体に傷を刻み、飛び回る魔族は魔術で徐々に触手の数を減らしていった――生きた証が残った。
だが、小型の魔族は――小鬼や茂鬼などは一矢報いるどころか相手にもされず、かといって生き残れる訳も無く。
ある者は蠢く脚に轢かれ、ある者は振るった肉塊に巻き込まれて、無造作に無作為に無駄に――死んでいった。
何もかもが、誰もかれもが、只々死んでいった。
焦点を合さないままにその光景を呆然としたまま眺めていると不意に異形がこちらに体を向けた。
無数の眼がぎょろぎょろと不気味に動き、やがてその中の二つが――顔と思わしき部位に付いた両眼が私を、私の背後の車を見た。
「二人共体を伏せろ!」
恐怖よりも先に部下を守ると言う義務感が働く。が、二人は微動だにしない。
「くそっ! 声が聞こえていないのか!?」
悪態を付き運転席へと駆け寄る。
「おい、開けろ! おい!」
窓を割る勢いで何度もたたき、ようやくドアが開く。
「ふ、副長……」
放心状態の二人を奥に押しやり、無理矢理ハンドルを奪う。
ひびが入った正面ガラスに膨れ上がって行く左腕を掲げた異形の姿が映る。
ズキズキとした痛みと共に自らが喰らった衝撃を伴う声を思い出す。
崩哮と呼ばれる人獣にしか使えない秘術。
ルフトに教えられたそれを今異形が放とうとしている。
蹴とばす様にアクセルを踏み込み、ハンドルを左に一気に傾ける。
再動した車輪が土を弾くのとほぼ同時、倍以上の大きさになった左腕がこちらを捕え――破壊の轟音を放った。
魔族が生死に関係なくぼろきれの様に吹き飛ばされる。
衝撃の余波で車体が激しく揺れ、必死の思いでハンドルにしがみ付きアクセルを踏み込む。
ぶれる視界で前を睨むと反動で左腕どころか、左半身がズタズタになった異形が遠い地面に倒れていた。
徐々に近づいて来るその体のすぐ傍を私は――走り抜けた。
◆◇◆◇◆◇
追憶が終わり、時間が現在に戻る。
焚火の火が弱まり、辺りの闇が濃くなる。
気配がゆっくりと近づいて来るのを感じ、振り返ろうとする――
「振り向くな」
と、冷徹な声がすぐ背後で鳴り、凄まじい殺気が全身を焼く。
「頼むから、こっちを見ないでくれ……」
だが、それもすぐ崩れ、懇願するような声がか細く響く。
背後の気配がゆっくりと腰を下ろす。
背中に僅かな重みがかかった。
「薄々気づいてたんだろう? 俺が何族なのか。まぁ、この前の山賊の時なんかあからさまだったしなぁ……」
「…………」
必死で何時もの様に、否、今までの様な振舞いを取り繕いルフトが語りかけてくる。
「かかか、思えば一年前から何にも成長しちゃいねぇ。爺の心配してた通り、すぐに感情的になっちまう。スライムの、同族の死体を見ただけであの通りだ」
耳を覆いたくてたまらない、滔々とした語り口から紡がれる言葉の一つ一つが鋭利な刃となって心に突き刺さる。
「察しの通り、俺はスライムさ。俺は、スライム族は人から淘汰され、魔族からは迫害される。人からも魔族からも疎外された種族――いわば、"人魔のはみ出し者"」
語り口は変わらずとも、言葉は軽くとも滲み出る深く重い憎悪と怒り。
「もっとも、俺はそこからも最早外れてる、もう被害者顔出来るとは思っちゃいないさ。だけど今ばかりはスライム族を勝手に代表して言わせて貰う。死んじまえお前らも、あいつ等も……! 大体、俺達を殺して何の得があるって言うんだ? 核を斬られりゃ体は溶けて気味の悪い液体、核自体も何にも再利用できない得体のしれねぇただのゴミ。毒や薬どころか家畜のえさにもなりゃしねぇ。なのに、なのになんで……!」
怒鳴らない様に必死に抑え込んだ怨嗟の声は決して大きくは無い。だが、何度も私の頭を反響する。
「すまない……」
それに耐えかねて話を遮るように謝罪の言葉を挟む。
自分でも驚く程のがらがらの弱々しい声は、今の姿勢で無ければ届かなかっただろう。
「謝るな」
「…………」
「謝らないでくれ、イレーナ。頼むから……」
「……?」
「お前は何度も俺に「いつも助けられてばかりだ」と、お前は強いなとそう言ってくれたよな。だけどそりゃ間違ってる、そもそも、俺があの時――お前と初めて会った時、相棒になんてならなければこんな事にはならなかったんだから」
先程と打って変わって絞り出すような声。
「師匠にも言われたとおり、一人でなるべく他人と関わらず、ひっそりと時間を掛けてでも魔界に来るべきだった。一生のうちのたった何年か、そんな少しの間も一人でいる事が出来なかった、弱い俺が何よりこんな事になった原因だ……! それを認めたく無くて、こうやって俺は……お前の罪悪感に付け込んで、優しさに甘えて、八つ当たりしてる……!」
「ルフト、それは……!」
「これは報いさ、俺に対してのな。お前に取っては災難だっただろうが……これでよかったと思おう、お互いに後腐れなくきっぱりと決別できるってな」
言葉の終わりと共に背中の重みが無くなる。
「ルフトッ……!」
慌てて振り返ったその視線の先にはただただ虚ろな闇だけが広がっていた。
お待たせしました、と言うのが恒例になってますね……(遠い目)
ひとまず、次でやっとこさ第三章終了ですので、なるべく早いうちにお届けるよう頑張ります(汗)