第六十話:踊る弱者は覆面を被る
「第十七組は北北西方向に、第十八組は東北東方面、それぞれ三、四番車に乗って輸送を行え!」
光学、音響、二つの術具を使った結界の中で怒号が響く。何も考えずとも聞こえるであろう声をしかし、耳を研ぎ澄ませて聞く。万が一にでも指令を聞き漏らす訳にはいかない、指定時刻は既に五分も過ぎているのだ。
そこから焦れる事数分、その声が耳に届く。
「第十組は北西に六号車に乗って輸送を行なえ! 盗難には注意しろよ!」
近くで作業を行っていた、部下二人に一瞬目くばせをし指定された車へ早足で向かう。いよいよ事を起こすとなって、緊張が否が応でも高まるのを感じる。
しっかりしなければ……上官の私が浮足立てば部下二人にも悪影響を与えるのだから。
気を引き締め、腰に付けた魔力灯を右手に持ち、カーゴの幕を左手で開いて中を照らす。中には幾つもの木箱、そのどれにも中身を知らせる張り紙はない、間違いない今作戦用の物資だ。
「荷物確認完了。レオナルドは私と共にカーゴに念のため中身も確認しておく、ジャンは車輪の空気圧、燃料、連絡端末などを確認。組長が来たら即座に出発できる様にするぞ」
「「了解」」
支持を飛ばし、蓋を取って中を魔力灯で照らす、単純な動作を無言で繰り返す。テントや簡易ろ過装置などサバイバル用の道具は一応手に取って、ざっと確認を取る。
「問題なし……レオナルド、そっちは」
「こっちも問題ありません」
確認をとり、屈めた体を外の方へと向かわせる、と魔力灯特有の人工的な光が私を照らした。
「すいません副長、組長が来ました」
こんな時に何をもたもたしているのだ、と内心で憤りつつ返事をする。
「分かった、もうこちらも確認を終えた、いつでも出立できるぞ」
「それが副長、組長が全員に渡したいものがあるそうなので、降りてきていただけませんでしょうか?」
やや困惑した遠慮がちな声、気持ちはよく分かる。
「……了解した」
よく分かるからこそ、返事をする声に苛立ちが混じるのを堪え切れない。余裕が無いというのに、何でこんな土壇場で……!
「遅れてすまない、焦る気持ちも痛いほどわかるが。こいつを届く範囲で体の隅々まで塗ってほしい、カーゴに乗る二人には防具に塗っていてくれると助かる」
そう早口でいって渡してくる物は、黒ずんだ何か。よくよく目を凝らしてみると、夜に馴染む黒に包まれたそれには、"ドーラン【黒】"と書かれている。夜間迷彩の為だろう、だがしかし、今すぐに付けなくてはならないという物では無い。
「迷彩ですか? 何も今すぐ付けなくとも良いと思われるのですが」
「良いから塗るんだ、これは命令だ。何も言わずに従ってくれ、意味は後で知ることになる」
強い語気に口をつぐみ、早々にドーランを塗りたくって行く。
肌を舐めるそれに鳥肌が立つ、寒さもあるがこういうものに慣れて無い故の嫌悪感が一番の原因だ。
「塗り終わったら、各々元の持ち場に戻ってくれ。面倒を掛けて済まなかった」
こんな事をする理由を尋ねたかったが、こちらが行動を終える前にルフトが早々に助手席に着く。未だ心には燻るものがあるが、何かしら思惑があるのは間違いないようだ、ならばここで四の五の言うのは時間の無駄、信頼の欠如。ぶすぶすと音を立てる心中に水を被せ、私はカーゴの幕を開けた。
「なんで出る時にドーランを塗らせたかと言うとな」
車を走らせる事十数分、突然ルフトが口を開いた。薄いガラス越しのくぐもった声は砕けたもので、上官としてでは無く、ルフト個人としての言葉だという事を暗示していた。
「作戦を急遽変更する事にしたからだ、俺の独断でな」
「独断で……!? ばれたら審問は免れませんよ?」
さらりと越権行為を暴露するルフトと、珍しく慌てた口調で喋るジャン。レオナルドも驚いて固まるのが薄暗い中でも分かる、若いころから兵隊の規律を叩き込まれた者にとってはとんでもない事なのだろう。私は兵隊では無いという事もあるが、ギルドで働いてた時に、あいつが作戦紛いの何かを場に合わせてころころ変えるのが分かって要るので、さして動揺は無い。気になるのは二点、何が悪くて、どう変えるのか、だ。
「ああ、分かってる。だがな、俺みたいな下っ端から言わせて貰えばお上の考えた作戦なんて……糞喰らえだ」
低く、唸る様にルフトが言う。滲み出る怒気からは、憎しみすら感じる。
「一週間で四つ楔を打ち込む? そりゃ、理論的には確かに四日で回る事も不可能じゃないさ、だが一々見つからないように迂回なんてしてたら、四日どころかすら四か月すら優に過ぎる、と言うか不可能だ。姿形で判断したのか知らないが魔族の警備を馬鹿にし過ぎだ。確かに見た目は獣に近いものが多く、知能が高いと思えないっていうのも分からないでもないが、実際は種族事の特殊能力がある分、下手したら人間側より警備に関しては少数でカバーできる、つまりは一人一人警備能力は高いと言える」
うんざりと言った様子で吐き散らすルフト、ジャンの様子は伺えないが近くに居るレオナルドが明らかに緊張を高めたのが分かる。私自身もそれは同じではあったが、驚きや恐怖より「だから、ドーランを塗ったのか」と納得する気持ちの方が大きい。誰よりも死に怯え、魔界へ来る事を、故郷へ帰る事を待ち望んだ男が逃げずここに居るのだ、故郷から逃げ出した私は此処で逃げる事は許されない。
しかし、と同時に思う。だったらなんでその事をルフトは伝えなかったのか、ホルンさんなら理解してくれそうなものだが……。
「ル、ルフトさん言ってたじゃないですか、森周辺は中立地帯なんでしょう、なんでそんながっちりと警備が……」
「中立地帯なんてもんは上から渡された古文書をそのまま読み上げただけだよ、あの時の爺共の顔今も思い出すさ、何が「心配するな」だ、ふざけるな! 俺達は生き物だ、盤上の駒じゃない、ましてや動かぬ壁なんかじゃあ無い!」
ジャンやレオナルドを怯えるのも構わず、ルフトが怒気をまき散らす。その背後にはちらちらと、上層部では無い何かへの恨みが見える。今の怒りはそれを隠す為にも思えるほどにそれは恐怖に酷似していた、痛々しくて見て居られない程に。
「ルフト、落ち着け」
部下二人の為にも、本人の為にもルフトを窘める。私の一言にチッ、と一つ舌を打ちルフトが深く息を吸う。
「ふぅー……悪かった、少しカッとなったな。……書類に載ってた"中立地帯"、これは何十年も前の話だ。今は、少なくとも四年前までは、長時間滞空できる風妖精の集団に武器の代わりに魔力灯を持たせる事で、人界で言う移動式のお手軽照空灯、森内は土妖精が土魔術による振動感知、その上木妖精が至る所で擬態してる、森の一割は奴らだと考えても良い」
「しかし、それでは妖精側の戦力が国境を支配する事になってしまいます」
「風妖精には吸血鬼、ノームには鬼や小鬼、木妖精には茂隠鬼、監視と護衛を兼ねての二種族混合編成。これでその問題は解決だ」
「「「…………」」」
余りにも余りな事に一同が呆然となる。ルフトが迂回は不可能と言ってたのにも今なら頷ける。
ぽつり、以前心を麻痺させたままジャンが当然の疑問を投げかける。
「なんでそんな事知ってるんですか? 組長」
「……実は、俺の父さんは教会に隠れて魔界関連の様々な事を研究するシュリム秘密研究機関"ブランク=ロウ"に居てな」
何処でそんな事を知ったのか、ルフトは完全にその事を失念していたらしく、言いよどみつつ適当な事を言ってのける。秘密研究機関? 三文小説も良い所だ。幸い、その前に行ったことが衝撃的過ぎて疑うようすは無かったが。
「父さんは……なんでこんな作戦を承認してんでしょう?」
諦観した声で再びジャンが疑問を呟くと、途端場が凍り付き皮肉にもその事で麻痺した心が動き出す。暗闇にうっすらと浮かぶレオナルドの顔は酷く青白い。私はそれをどこか他人事に眺める。
「なんで、ってそりゃ俺達死んだって大した損失じゃないからな」
あっけからんと言ってのけるルフトに、レオナルドがごくりと唾を飲み喉を鳴らす。
「そう……ですよね」
こちらからでも見える、背中には失望や悲哀などと言った負の感情が伝わる。当然だ、自分が死んでもいいと父親から宣告されたのに等しいのだから。だが、私にはホルンのあの親馬鹿具合がどうしたって嘘に思えないし、ルフトから諦めとか死への恐怖とかは全く感じない。怒気はただ、上層部、というより人間側の無知さに呆れかえったもので、この世の不条理とかそんなものに対してではない。そして私も生への見切りなど付けるつもりは無い、怒りは同じく上の馬鹿共に感じるが、それさえも何時か鬱憤をぶつける時を考えさえすれば眼中にない。
それを証明するかのように、ルフトは明るく気負う事なく何時ものようにうそぶき始めた。
「だけどな、ジャン。俺はお前に対する親父様の愛情とかそんなものは、結構並外れた物だと思うんだ」
「え……」
「派遣ギルド員昇進させるわ、自分の息子をそこに付けるわ、えこひいきしてるのが、我が子可愛さに動いてるのが丸わかりだ。そんな人間が、こんな所にその我が子を向かわせてるんだ、死なそうと思ってる筈が無い。だとしたらなんでこんな所に? 話しは簡単……」
饒舌に下を動かすのは自己陶酔半分、勢い三割、照れ二割だろう。長にこんな所で酔って貰っては困る、自信に満ちた言動結構な事だが茶々を入れさせて貰うぞ、と。
「私達を信頼してるから……そうだろ? ルフト」
「かー! 邪魔しないで欲しいな、イレーナ副長!」
「上官の意を察せられると褒められてるしかるべきでは?」
「だったら、減らず口を減らして欲しいと意を察して欲しい物だな」
「及ばずながら組長、その発言は矛盾しているかと」
「だからそれを……!」
「く、くくく……!」「は、はは、ははは……!」
適当な言葉の応酬、それだけで先程までの空気が一変、明るく力強い物となる。戦場という事の場にはふさわしくない、不謹慎と言われるかもしれない。だが、死に怯えて塞ぎこむよりは圧倒的にまし、そもそも誰が死ぬなどと決めた? 任務終え戻って、馬鹿共に苦労された分の鬱憤をぶつけ、精々報償をむしり取ってやれば良い……!
「く、部下にまで!」
歯を剥いて悔しがるルフト。そして暗かった車内の雰囲気は、完全に払拭されていた。ならば、そろそろ本筋へと現実へと戻ろう。
「組長、そろそろ」
「了解……では、ざっと作戦を伝える。まず、出発の際に渡したドーランは完全な夜間迷彩用じゃない、若干青みがかってるからな。これを塗った事で、昼はともかく夜間なら吸血鬼に見えない事も無いだろう。つまり、魔族に偽装して侵入する。言っておくが"ブランク=ロウ"で俺は魔族言語もこんな事が出来るものを抜粋して習得してる、会話は基本全部俺任せにしておけ。ただ俺が合図を送ったら、『Ja』って言ってくれ」
もう既に魔界に居るもあってかこいつ、言い訳の仕方が雑すぎる。便利すぎるだろう"ブランク=ロウ"。
「そして、ここが大事、と言うかこれは心構え見たいなもんなんだが……」
一転、声が沈み、淀む。……経験上、大体言いたい事は察することが出来る。ので、ルフトの代わりにその事を口に出した。
「ジャン、レオナルド、見敵必殺だ。相手が油断してる内に殺せ、動かぬうちに動けぬようにしろ、知られる前に殺せ。内部から殺していき、混乱を生じさせ敵兵を疑心暗鬼に落とし込み、それに乗じて行動する。死体の偽装は私とルフトが担当するから、その時は見張りを頼む」
押し殺した声で命令する。
「「……了解」」
魔操車の駆動機が騒音を響かせ、大地を進む。森が近いのだろう、枯れた木の葉が風に乗ってちらほらと地面を転がって行く。
次からやっとこさ待ち望んだ戦闘(暗殺)?パート。長かった……