第四十八話:キャンバス
ぎ、ぎりぎり……!
「はい、これで大丈夫。だけど、次からは気を付けてね、さっきも言ったけど何時だって私が居る訳じゃ無いんだから」
「申し訳ない……」「す、すいません!」
あれから急いで医務室へ向かった私達を出迎えてくれたのは週一回しか来ないと言う治癒術士メディサ=ブリティスタだった。
メディサは慌てて駆け込んできた私達を一瞥すると、落ち着いた様子でベットに横になる様に指示し、手早く折れたレオナルドの腕を治した。
「レオナルド君はともかく、イレーナさんは副長なんだから、部下を動けなくする様な怪我はさせちゃ駄目よ、例え実戦じゃなくても、ね」
メディサの言葉に、何も言えないまま俯く。魔族の襲撃は何時になるともしれないのだ、そう考えると私のしたことは褒められるべきではないし、叱責されるべきだ、と言うかされるだろう確実に。
「ブリティスタ先生、お言葉ですが副長を責めるのは筋違いです、しっかりと防げなかった自分が……」
「良い、レオナルド。ブリティスタさんの言う分は正しい」
怪我をしたのは確かにレオナルドが防げなかったからかも知れない、幾ら訓練したとはいえ新兵なのだ、その未熟さをカバーするのは上に立つ者として当然だ。
「あら、殊勝ね。意外だわー」
意外? ここに来て、今回のような失態を侵したことは無い筈だが……
「"ラチュリアの鬼……」
「メディサさん、何処でそれを?」
なるべく取り乱さない様に素早く口を挟む。ラチュリアの鬼百合……また、恥ずかしい過去、恥ずかしい二つ名を……! そもそも二つ名自体付けられたらむず痒いと言うのに! 確かに、確かに! 昔は学内での魔術禁止を良い事に、木剣で叩きのめしたりしたが、何でこんな所でそんな事も思い出さないといけないんだ!
「いや、私もあそこが母校だから、貴方の噂を聞いてたのよラチュ「イレーナです」……イレーナさん事はね」
「それにしたって、行き成りその事を言わずともいいでしょう……!」
「まぁそれはそうなんだけど、同郷の、それもちょっとした有名人らしき人を見たら、確認したくなるのは当然でしょう?」
「他に方法はあるじゃないですか」
「あ、あの~」
「ほら、レオナルド君が困惑してるでしょ。それに、まだ勤務時間なんだからサボってないで早く行きなさい」
誰の所為でだ、と思わず口から出そうになるが、勤務時間と言われると反論もし辛い。
「……治療ありがとうございました。失礼します。レオナルド、行くぞ」
「りょ、了解! 失礼します」
「はい、御大事に」
くすくすと笑われながら、医務室を後にする。せめてもの嫌がらせに、扉を僅かに閉めないでおいた。
「「…………」」
医務室を出た途端、沈黙が私とレオナルドの周囲を包む、断っておくが私の所為では無い。レオナルドの落ち込んでますオーラ、いや反省中オーラが凄まじいのだ、表情は沈痛の二文字がふさわしく、歩みは鈍牛の如し、声が掛けづらい事この上なし。
しかし、何も言葉を交わさぬまま歩くと言うのも決まりが悪い、それに持ちかけたい提案もあるので、意を決して声を掛けてみる。
「レオナルドの何処の流派の剣術を習ったんだ?」
「お恥ずかしい話なんですが……自分の実家は貧乏だったので、道場に通った事はありません。訓練校の教科書が師範みたいなものでしたから、言ってしまえば教科書流です」
「自分一人で教科書を見て会得した、と?」
「い、いえ! 剣術は授業でもやりましたので、自分一人と言う訳では……」
「しかし、授業自体は週一でしか無かったのだろう?」
「は、はい……部活も費用が掛かるので、放課後に教科書を見ながら自主練をしていました」
正直、信じがたい。私がなんで流派を聞いたのか、それは余りにもレオナルドの剣筋に癖が無かったからだ。だからこそ、この無味無臭ともいえる剣術がどんな流派か気になったのだが、教科書を丸々模した動きだと言うなら納得がいく。しかし、想像してみて欲しい、"言われたことを完璧に真似する"その難しさを、その不可能さを。隣に立つ青年はさも当然と言う様にそれを成したと言う、それもほぼ他の人の手を借りずにだ。
要はこの青年は何にも染まってない真っ白なキャンパスだ、何色にでも染めれる、何でも描ける。実際に絵を描くのと違い、染めれば染める程良いと考えれば、その価値は計り知れない。だが逆に真っ白なままでは、価値は全くのゼロ、いとも容易く破り捨てられる、早めに色を付けねばならない、もうこのキャンバスは訓練生から出て正規兵に出ているのだ、何時価値無しと破られるか分らない。
「あ、あの……」
。キャンバスへの最初の一筆の責任は酷く重い、この一筆でこのキャンバスの今後を左右する恐れもある。言うまでも無く、私は指導者としては未熟とすらいえない、まだ実もなって無い新芽の様なものだ、そんな人間に筆が託されてしまった。私は決断しなければならなかった、このキャンバスをどうするのかを――などと、重く考えては見たが、良く考えるまでも無く横に居る青年はキャンパスでは無い、人間だ。キャンバスとは違い意志があり、自分で動く力がある、何を偉そうに手の中に筆があるなど考えていたのか、筆はキャンバス自身に握られていると言うのに、なら、うだうだと迷わずとも良かったじゃないか、迷うだけ時間の無駄だった。
「レオナルド、私の指導を受けてみる気はないか?」
私とレオナルドが戻ってくると、すでに模擬戦は始まっていた。ジャンの衣服が乱れて息を荒げているのに対し、ルフトは汗一つかかずに立っている、戦況がどうなのかは一目瞭然だった。
「はぁ!」
ジャンが穂先をやや下し、駆ける。ルフトはそれを冷ややかに見つめ、足を僅かに開く。
突撃と言ってもジャンの持っている獲物は槍、三歩目で既にルフトは攻撃範囲に収められている。あとはジャンがどのタイミングで仕掛けるかだ。
一歩二歩三歩、見る見る間に距離が詰め、すでに槍の理想的な攻撃位置を超えている。ルフトも怪訝な顔で身構え、勢いを利用した突撃を警戒し、左足を僅かに後ろに下げる。
ルフトが足を下げた瞬間、ジャンは地面を"滑走"した。衝撃を受け止める為に開いた両足、その開いた隙間にジャンが滑り込む、槍がすんなりとつっかえ棒の様にルフトの足を取り転倒を促す。
ルフトの転倒を手ごたえで確認したのか、ジャンは槍をすぐさま地面に突き刺し、尚も前に進もうとする体を強引に停止、つんのめる勢いを利用して立ち上がり、わき目もふらず体を反転、遅れてついてくる槍を地面に叩き込む。
「ッ!」
「レオナルドに劣らず、アクロバットな事するのだな。ジャン君」
そう言うルフトは倒立し、槍を足で受け止めていた、どっちもどっちと言う言葉を送らせて貰いたい。また、この四人組の中で曲芸が出来ないのは私だけと言う事実が此処に確立した、私も何か考えた方が良いのだろうか。
「よっ!」
「ぶぐぅ!」
槍から足を放し、ジャンの顔面を蹴り飛ばす、腰が入ってい為、ジャンは吹き飛ばされず持ちこたえるが怯みは免れない。
その隙を逃さすルフトは両足で頭を挟みこみ弾くように上半身を持ち上げる。ルフトはその勢いを殺さぬまま背中を蹴り、ジャンが顔から地面に打ち付けられ、自身は空中で一回転して着地する。
「部下に出来る事は上司が出来ておかないとな」
「組長は鎧を付けていない様に見えるのですが」
「……そうだったな」
思わず零れた私の言葉に罰が悪そうな表情を浮かべ、ルフトが言う。
「さて、ジャン君。どうする、降参か?」
多少の嘲りを含めた発言、プライドが高そうだったからさぞかし憤りながら立ち上がる、と思った瞬間。
「ええ、降参です」
なにも無かったかのように服を叩きながら、そう、あっけなく負けを認めた。