第四十話:回想――激怒
第三章始まり?
――寝付けない。うだるような暑さも、凍える様な寒さも無いと言うのに一向に睡魔は訪れない、それこそ睡魔が寝てしまってるのではないかと疑う程に。
やはり睡魔は空気が読めない、体に疲労は山ほど溜まっているのに。ここでは休めるときに休むのが鉄則だ、破っても罰則は無いが、自ら残りの人生を捧げなければならないことがままある。
やれやれ、仕方がない。のそのそと寝袋が這いだし、夜露に濡れるテントを出る。夜の肌寒い空気に僅かに体を震わせ、煌々と燃えている焚火へ近寄る。
「見張り、交代してくれないか?」
「寝れる時に寝てた方が良いですよ、イレーナさん」
「それはそうなんだが……ちょっと寝付けなくてな」
「まぁ明日は向こうに帰る日ですからね、気持ちは分かります。……それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます」
「ありがとう」
「いえいえ」
焚火の前に腰を下ろし、天を仰いでみれば、そこには変わらずの星空。周囲にはミミズクの鳴き声と薪が燃える音だけが響く。
ゆらゆらと揺れる火を見ていると、不思議と心が落ち着き、この三か月の事が思い起こされる。
◆◇◆◇◆◇
退屈で儀礼的な表彰式を終え、私とルフトは馴染みの喫茶店でささやかな贅沢を楽しんでいた。
「一杯千リズのコーヒー……金持ちになった気分になれるな」
「その考え方が貧乏人だけどな」
「そうか? 小さい幸せでここまで喜べるんだから、金持ちだろ」
「また屁理屈を……。それにしても、此処のコーヒーはいい意味で値段に見合わないコーヒーを出すな、もっと取っても客は減らないと思うんだが」
「おいおい、余計な事を言うな。本当に高くなったらどうするんだ、只でさえ最近冷え込んできたって言うのに、懐まで寒くなったらたまらない」
「お前の懐は年がら年中寒いだろ」
「……イレーナ言っていい事実と悪い事実があるって知ってたか?」
「知ってるさ、だから私に借金している事は言わなかっただろう」
ギルドの仕事は名が通ったギルド員ならともかく、私達の様な一般のギルド員はきつさや危険の割に報酬が少ない。だからと言ってそれなりに仕事をしていれば此奴の様に人様に借金することは無い、一重にこいつの浪費癖の所為だ(本人曰くお金を持ってると落ち着かないそうだ)。
「人聞きの悪い事を、借りたって言ったてたった千リズだろ?」
「されど借金だろ、大体千リズはそんなにはした金じゃない」
「あー……降参、降参だ。ったく正論ばかり言いやがって」
手をひらひらと振りながら降参の意を示す、こいつは負けと分かったら直ぐに認めるタイプだ。
「それじゃあ、降参ついてでに教えてくれ、その……"心残者"はどうなったんだ?」
表彰式中、街長の長話をしてる時に聞いた、全員正規ギルドの中堅以上と言われる"心残者"、そんな奴を相手にした後に魔臓に変化するなどという離れ業をしたと知った時には驚いて声が出そうになった。
「そっちも同じ。証拠になりそうなものは軒並み燃やされてたそうだ、それでもなんとかいちゃもんを付けれそうなもの位は見つけたそうだが、その程度の証拠じゃな」
「歯がゆいな」
「しょうがねぇだろ。相手は一部とは言え国、相手にするには大きすぎる」
「そうだな……」
「お客様、ご注文のエスプレッソに御座います」
キリのいいタイミングで、注文していたコーヒーが来る。お盆から丁寧に机へとそれは置かれ、カチャカチャと音を立てることは無い、わざわざ顔を寄せるまでも無く芳醇な香りが立ち上り鼻孔をくすぐり、その香りだけでコーヒーを飲んだかのような余韻に浸れる。
「相席よろしいでしょうか?」
人が近寄ってきたせいで風が起き、香りが何処かへ流されてしまう。だが、そんな事はどうでもよかった、それよりもこの声は――
「チューリ!?」「ああ、良いぞ」
「ありがとう」
「おいルフト!」
「どうしたイレーナ、昨日振りのご親友だ、積もる話があるんじゃないのか」
「いや、無い事は無いが……!」
余裕綽々なその態度に腹が立つ。大体、昨日散々ボコボコにしておいて今更どんな顔して話せばいいと言うのか。
「ほら、ヴェルデンくんも」
「…………」
「ってヴェルデンもいるのか!?」
いやいや、それは不味い、非常に不味い。なんせ彼奴はディーガンを殺しかけてる、助かったとはいえまだルフトの怒りが収まってるとは到底考えられない。
「それはそうよ、私達ラディーアに帰るついでに此処に寄ったんですもの」
「落ち着けよ、イレーナ」
「ルフト、私の立場は知ってるだろ……! 大体、どうしてここが分かったんだ!? チューリ」
「貴方のギルドでここが仕事帰りのお二人のデートスポットと聞いたのよ」
「今時珍しく健全なデートスポットだろ?」
「そうね、爛れた関係じゃなくてほっとしたわ。貴方も悪い人には見えないし」
「お、お前等は何を言ってるんだ!」
「顔が赤くなってるわよ、イレーナ」「どうした、何時も通り軽く受け流せよ。ああーあれか、そろそろ新しい返し方の構築か?」
こ・い・つ等はぁ……! いかん、落ち着け。そうだ、ルフトの言うとおりここは軽く受け流すんだ。大体もう二十一歳だぞ? 今更、ちょっとからかわれて赤くなったりするなんて、十五の初心な少女じゃないんだから。
「そ、そう言う事だな。だがまぁ、良く考えたらそんな歳でもないからな、ははは……」
「声が上ずってるわよ」
「いや、年甲斐の無い事をすると恥ずかしくてな」
「……そう」
訝しげな表情されたが何とか誤魔化せたか、やれやれ、誤解じゃないだけに厄介だな。
「で? 何の用事だ、あー……チューリさん」
「あっそう言えば、まだ自己紹介がまだでしたね。私の名前はご存知でしょうが、チューリ=フェミーネ。イレーナとは小さいころからの付き合いです」
「ルフト=ゼーレ。イレーナとは一年の付き合いだ。で? 何のご用事で? うちのイレーナとゆっくり話したいって言うなら、俺は席を外すが?」
「いえ、イレーナと話したいと言うのもあるのですけど、貴方にも……」
チューリが本件に入ろうしようとした途端、ヴェルデンが堪えかねた様に机を強く叩く。
「姉さんを返せ」
「おい、ヴェルデ……」「ヴェルデんく……」
私とチューリが止めようとするも、ルフトに手で制される。
「おいおい、返すも何も俺は一回も引き止めた事は無いんだぞ?」
「五月蠅い、姉さん一人に戦わせて、隠れてるような奴に姉さんは渡さない……!」
およそ今までに見た事のない、狂気すら感じるほどの表情、おかしい、どう考えても普通では無い。
「まぁまぁ落ち着いて座れよ」
そんな表情を見せられて尚、余裕綽々といった態度。普段はイラつかされることが多いが、今は酷く頼りがいのあるものとなる。
「表に出ろ、お前を叩きのめしてやる……!」
「ふー……」
話にならないと言った様子でルフト首を振った、その瞬間――
「調子に乗るなよ、餓鬼が……!」
「ぐぅ!?」
ルフトは身を乗り出し、短刀でヴェルデンの手を貫いていた。短刀は柄が手の甲に当たるほどに深く突き刺さり、ヴェルデンの手どころか机も貫通、刃に付いた血が床に滴り落ちる。
余りの出来事に口がパクパクと開くだけで、何も言葉が出てこない私とチューリを余所にルフトだけが言葉を紡ぐ。
「ディーガンをあそこまでやられて、ぶちのめしたいのはこっちなんだよ」
「くぅ……!」
「ディーガンの傷がどれほどだったか教えてやる。鼻の骨折、肋骨も一二本折れてた上に、数々の打撲及び裂傷、それから来る感染症、お前との戦闘で生命力を使い果たして所為で免疫機能不全、傷口からくる感染症で死に体だ。俺もお前を同じ目に合せてやりたいよ……!」
必死で怒りを抑え込みながら話しているのが分かる、少しでもそのたがが外れようものならヴェルデンがどうなるかは想像に容易い。
「そのうえ、ディーガンが弱いからだなんだか言ったそうだな? はっ! ちょっと手に刃物が貫通した位で動けなくなってるお前が言うなよ」
「"傾……"」
「やらせるかよ」
「かぁぁぁ……!」
異能を使おうとしたヴェルデンの喉を素早く掴み、声を搾り取る様に段々と力を強めていく。
「大体見苦しんだよ、あれだけこっ酷く見下してた姉に負けてまだ諦めてねぇのか、あぁ!?」
「かっかぁぁぁえほっえほっ!」
目から涙を、口から涎をこぼしながら、無我夢中でヴェルデンがもがく。それでもルフトは力を緩める様子は無い。
「ルフト、もう止めてくれ」
「お、お願いします。ヴェルデンくんを放して、私に出来る事ならなんでもしますから」
「…………」
「ゲホッゴホッ! はーはー……!」
表情を一切変える事無く、首からゆっくり手を放す。慌てて息を吸うディーガン見るその表情に非難や嫌悪の様子は無く、ごみを見る様に無感情に見下していた。
「おい、分かるか? 餓鬼。今の状況が、実の姉に見っとも無く庇われ、相棒に「なんでもしますから」なんて言わせてる現状が」
声は先ほどの怒りを堪えたものでは無く、怒りを只管に研ぎ澄ませた心をずたずたに切り裂く刃だった。
「お前は今、紛れもない敗者で、どうしようもない餓鬼だ。それも散々人に噛みついて大人に庇われる最悪の部類のな」
「くうっ!」
「最後に一つ言っておく。俺は今後お前に会うことは無い、一生その敗北感を忘れられずに死ね」
言う事は言ったと言わんばかりに短刀を引き抜き、血を服で拭って鞘に戻す。
「さて、チューリさん。なんでもするって言ったよな」
「ルフト……!」
「怖い顔するなよ、変な事は要求しない。只、一つ聞きたい事があるって言うのと、そこのお子ちゃまに、自分の所為で余計な借りを作り、会話のイニシアチブを取られてるという事実を克明に突き付けたくてな」
落ち着いた声で言うが、明らかにまだ怒っている、だがまぁ……無理は無いか、自分の弟とは言えあのような事をしては庇うことは出来ない。
「なんでしょうか……」
明らかにチューリは脅えていた、気持ちは分かる一年相棒をしていた私でもあそこまで怒ったのを見るのは二回目だからな。
「あー……参ったな……じゃあ、スリーサイズを゛!」
「馬鹿かお前は!」
「いや、ほら! 場を和ませるのは下ネタって決まってるからさ!」
「何処の決まりだ、何処の! 切り替えが早すぎるんだよ! ほら見ろ! チューリも呆気にとられてるじゃないか!」
あれほど脅えていたチューリだが、今はポカーンと言った擬音が似合いそうな表情でこちらを見ている。
「わ、分かった! ちゃんと話すから!」
「まったく……」
「さ、さてとんだ邪魔が入ったが、聞きたいって言うのは、あのおこちゃまの異能の詳細だ。俺も色々考えてみたんだが、これっぽっちも検討が付かなくてな」
「は、はい、分りました。ヴェルデンくんの異能はイレーナから聞いているでしょうけど"為政者"、そしてもう一つの異能が異なるものを征服すると書いて"異征者"です」
「あーなるほど、だから情緒不安定な訳だな?」
「どういう事だ?」
「異能には絶対なにかしらの制約が掛かる。"異征者"能力はまんま"異なるもの"を"征服"できる代わりに自分と異ならないもの、つまりは人間を征服することは出来ない、これが制約だろう。人間の中には当然自分も入る、つまり……"自征"ならぬ"自制"が効かない。だからこそ、子供の様にお前に執着してるんだろ」
「「……よく其処まで考え付くな(きますね)」」
「さらに言えば、どちらの"肩書"であろうとも制約は掛かって居る筈なのに、ある程度は冷静でいられるかは"為政者"の方の制約のお陰だろうな」
最早何も言えず、ルフトの説明を只々頷き聞くばかりだ。
「"為政者"の理想形は自分を完璧に殺し、民衆を一番に考える事、"自分を殺す"これが為政者の制約だろ。一切我を通すことの出来ない制約と、一切我を出し続けないといけない制約、相反する制約がある事でギリギリでバランスが取れてるんだろう、だからちょっとバランスが崩れるだけでさっきみたいになるって訳だ」
「あの、もう私が説明する事が無くなったのですが……」
「おっという事は俺の仮説があってる訳ね、良かった良かった。んじゃあ、これで貸し借りゼロだ」
「なんだか嬉しそうだな、ルフト」
「そりゃそうだ、問題に正解すると言うのは気持ちが良いからな。それに自分が分かった事をベラベラと人にひけらかすのは楽しいからな」
ひけらかすって……楽しいけど、それを口出したらダメなんじゃないか? まぁいいか。
「だってよチューリ、聞きたい事があるんなら聞いといた方がいいんじゃないか?」
「いや、だけど……」
「良いぞ、今なら何でも答えるぞ。まっ……大体何を聞きたいか分かる、イレーナの魔力に関してだろ?」
お前は覚の魔物か。
「え、ええ……」
チューリが答えながらも、もはや気味が悪いと言ったように腰を引いている。
「だけど悪いな、企業機密だ、企業じゃないけど。まぁどっちにしたってチューリさん達には無理だ、俺の異能を使ったものだからな」
「そうですか……分りました」
「あーさすがに喉が渇いたな」
そう言って一息に冷めてしまったコーヒーを飲み干す、はぁ……全くこいつは……
「それ、千リズだぞ」
「…………」
何も言わずカップをソーサーに置き、落ち込む姿は言っちゃ悪いが笑える。
「おい、落ち込んでないで行くぞ。ディーガンの見舞いに行くんだろ」
「…………」
幽鬼族の様にふらふらと立ち上がり、財布を取り出すルフト、借金の代わりにここの代金は奴が払うのだ。
「悪いな、チューリあんまり話せなくて」
「謝らなくていいわ、私も今は楽しく話せる気がしないし」
「あー……あれだもしよかったら、祝勝祝いみたいな事をするからギルドに来てくれ」
「行きたい所だけど、ヴェルデンくんがこうだから」
放心し机に伏しているヴェルデンを見る、声を掛けたいがそれは逆効果だろう。
「……魔界から戻ってきたら、直ぐに帰るから、それまでは弟を頼む」
「言われなくても。恋人を支えるのは当然だから」
そう言って一年振りの親友と別れ、一年の付き合いになる相棒の後を追う。