第三十七話:捕われ、蝕まれる者と解き放ち、疲弊に倒れる者達
診療所の扉を勢いよく開けた俺の眼に映った光景は、半ば予想していたものとはいえ、信じがたいもだった。
ディーガンの身体には幾つもの管が繋がれ、地肌が殆ど見えない程に包帯が巻かれていた、その姿はまさに蜘蛛の巣に掛かった哀れな獲物と言うべきものだった。
「来たか……」
顔に疲労の色を濃く残し、ゆっくりとヴァッサーが此方を向く。
「ディーガ「あの馬鹿は……どういう状態なんですか?」……シュヴェルトさん」
「単刀直入で言えば、棺桶に片足どころか半身入ってる状態だ。怪我自体も悪いのは確かだが、それよりも生命力の消耗が激しいのが問題だ。傷口から細菌が入っても、免疫機能が殆ど働かない所為で、此奴の身体は頭の先から足の先までどっぷり細菌に感染してやがる。よって、本人の生きる力によりますとしか言えん、その生きる力が殆ど無いという事をも合わせれば……これ以上は言わなくても分かるだろ」
ヴァッサーさんの憎々しい程に分かり易い容態の説明で、その場の空気がより一層暗く重いものへと変わるが、俺にはどうしても聞かねばならない事があった。
「イレーナはどうなったんですか?」
「う、ううん……」
俺の声に応える様に挙げられた呻き声の方向を見てみると、普段は開けられて居る筈の二つのベッドを仕切るカーテンが閉められていた、ディーガンの様態を聞いた俺はそんな事にすら気づいていなかった。
声の主を確認するべく、椅子から立ち上がりカーテンを開ける。
「イレーナ……!」
その声は予想通りの赤髪を持っていた、その右手には御馴染みの安っぽい指輪、敗退していない何よりの証拠であった。
「ル、ルフトか? ならここは何処だ? もしや、もう大会が終わって……!」
「安心しろ、倒れてたお前を俺が此処まで運んだんだ。と言うか、自分の指を取り敢えず確認するんだな」
言葉通りに手を這わせ、指輪を確認すると胸をなでおろすように息を付く。
「ありがとう、ヴァッサーさん」
「礼なんていらん、後で治療費請求するからな」
「ははは……所で、ディーガンはどうなった?」
「それに関してなんだが……」
「そうか、そんな事が……」
「まさか、ヴェルデンがこんな事をするとは……!」
ベッドの前でイレーナが唇を噛み締める、その表情から様々な感情が伝わる、それもそのはず、その表情は今までに何度も見せられてきたからだ。俺はイレーナに声を掛けることが出来なかった、掛けない方が良いと思った。
「先生、俺達に出来る事は本当にないのか?」
「あんた達に今出来る事はここから出ていく、それだけだ」
「どういう事だ?」
「俺に出来る最善を尽くす。悪いが、それ以上は言う事は出来ない。言える位なら、出て行けなど言ったりしない。それよりもこんな問答してる間にも、あんたの息子はどんどん冷たくなるんだが?」
「ヴァッサーさん! そんな言い方は……」
咎めるこちらの声にも動じず、やれやれとでも言わんばかりに首を振りかぶり、ヴァッサーさんが淡々と話を続ける。
「あんたの言い分は分る。だがな、間違いなく、このまままじゃディーガンは死ぬ、元軍医から言わせてもらうが、戦場だつたらとっくに施しよう無しと判断され、まともな治療は受けれないレベルだ。そんな状態からもしかしたら救ってやれるかも知れない、そう考えたら、此奴を放置するなんて俺にはできない。例え、あんたが拒もうとな」
「そんな勝手な言い分がっあ……!?」
木の床が蹴破られる音が耳を、視界に映っていた筈の姿が消えたのを目が、駆け抜ける風を肌が感じた時にはもう、ヴァッサーの拳がシュヴェルトさんに突き刺さっていた。
「ふぅ……弱ってて助かったな」
「何をしてるんだ!?」
「話してる時間は無いって言っただろ、ここでごねて死んじゃいましたじゃ、話にならん」
「しかしっ!」
「イレーナ、文句なら後で聞いてやるから、今はさっさとここから出ろ、居住区画の方に行け、カッツェもな」
有無を言わせぬ表情で二人に対し命令する。言いながらも、腕を僅かに上げ、少しでも口答えをしようものならシュヴェルトさんと同じ末路を辿るのは想像に容易い。
「は、はい」「くっ……」
カッツェは体を縮こませながら、イレーナはまだ言いたい事がありそうな顔をしながら、二人でシュヴェルトさんを抱えて、居住区画の扉の向こうへ消える。
「俺は良いんですか?」
「お前にはやってもらう事がある。生命力はあとどれ位残ってる?」
「二、三割って所です」
「上等だ、よし、やるぞ」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
その手術は、いや、あれを手術と言っていいのだろうか? まぁともかく、仮にあれを手術とするならば、手術自体はものの数分で終わった、問題はそこに至るまでの準備だ、限りなく精神を消耗したし、生命力自体こっちが倒れるんじゃないかと言う程に消耗した、要するにくたくただ。
朦朧としつつある意識の中、何時もの三割弱になって居た視界に行き成りイレーナとカッツェが現れる。
「どうなったんだ」「どうなったんですか!?」
「手術は成功だ」
「本当ですか!?」「本当なのか?」
片方は瞳を潤ませながら、もう片方は額にしわ寄せながら俺に確認してくる。どっちがどっちかは大体分かるだろう。
「ああ、大丈夫だ。素人目にも分かるぐらい良くなってるから、見に行ってみたらどうだ?」
「そうしてきます!」「分った、そうしてくる」
「……俺って信用無いんだな」
二人が後ろの扉を閉める音が聞こえた後、ヴァッサーさんがぼそりと呟く。
「当然でしょ、強引にも程がありますよ」
「……取り敢えず、寝るぞ。特にお前は生命力の回復した方が良いだろ、あの方法であろうと意識を失う訳には行かないだろ」
「そりゃそうですけど、大丈夫ですかね? 大丈夫だろ、ここは中央区でもあんまり目立つ場所じゃないしな」
「そういえばそうでしたね」
「おい、ってもう、ダメだ、もう無理。寝る、俺は寝るぞ」
そう言うと、ドサリと言う音立て、床で寝始める。医者の不養生と言う言葉はあるが、これは不養生の内に入るのだろうか? くだらない事を再び考え始めるが、そうでもしないと同じように倒れてしまいそうなのだ。寝る前に俺にはやることがあった、最後の戦闘の主役になるであろう、相棒に告げなければいけない言葉が。
カチャリと背後で扉を開く音が鳴る、近づいて来る足音は一つ、金属がこすれる音からして、待ち人が来たようだ。
「安心したか、イレーナ」
「っ!」
「まーた自分の事責めてるのな、お前」
「……」
沈黙ですか、はぁこりゃまた重傷だなー、俺もう、相談所にでも勤めようかなー。一年間の間に、どれだけ献身的に此奴のメンタルチェックやったことやらだ。
「正直、俺はあそこまでディーガンを痛めつけた奴には腹が立ってる。だけどな、俺の生命力は一割も無い、ちょっと気を抜けば何時ぞやと同じく、意識が吹っ飛びそうだ。そして、お前にはもう魔力が無い、どう考えても勝てる気しませーん」
最後はおどけたように言う、少しでも場を明るくしようと言う、俺の粋な計らいだ。正直、失敗したのは自覚してる。
「……ああ、すまない」
予想通りの返答、そこはカバーなりフォローなり入れて欲しかったな、俺は。酷くいたたまれない空気が俺を包む、いや、俺の一方的な感覚なのだが。
「まっと言っても、これはお互いに別々に戦った時の話だ。一緒に戦えば話は別だ、良く言うだろ、一足す一が十にも百にもなるって」
「お前が十で、お前が百だがな……」
っ! この女ぁ……! 内心イライラが募るが、そこは大人の余裕で繕い、めげない俺をプロデュースだ。
「確かに、普段ならそうかもしれない、俺が十で俺が百、お前は一にすらなって無い。だが、何度でも言うぞ、それは別々で戦った場合だ、俺達が一緒に戦えば、それは逆転する。それどころか、お前は千にも万にもなる」
「そんな方法がある訳が……」
「ある! 本当に頼むぞ、相棒! 心の底から正直に言うがなぁ! お前のウジウジするの何回見せられてると思ってんだよ! もううんざりだよあたしゃ! もうあれだ、お前に拒否権など与えん! 結構危険な方法だから、下手に出てみたけど、もうめんどい! ヴァッサーさんよろしく、強制的に執行だ! 俺は今から寝るから、その内に遺書でもなんでも書いとけ! それじゃあな!」
一方的にまくしたて後、飛び込むようにベッドに倒れる。後ろから聞こえてくる声もなんのその、睡魔は俺の意識を容易く掻っ攫って行った。
◇◆◇◆◇◆◇side ヴェルデン◆◇◆◇◆◇
一層強くなっていた雨に僕は感謝していた。念願の達成が目前に迫っている事で高揚する自分を少しでも覚ましてくれる気がしたからだ。
放送局を介して姉さんが対戦場所を指定して来たのは二時間ほど前だった。即ち、今ここ、午後九時半町郊外豪邸の焼け跡が残る草原だった。
そして、視界は徐々に近づいて来る濡れた赤髪を捕える。
「相棒の方は……居ないみたいね」
「すでに敗退してたか、何処かにこそこそ隠れているのか……どっちにしろ、姉さんを一人にさせてる時点で屑だ」
「……」
責めるような目線が此方に向けられているのが分かる、分ってる落ち着け、落ち着け、落ち着くんだ。
「雨が酷いな、二人とも」
「ええ、そうね、イレーナ……何か尋ねたいことがあるんでしょう? 言ってくれないかしら?」
何か尋ねたいときに、天候の話をするのが姉さんの昔からの癖だった。そういう変わらない所を見て安心してしまう自分が居るのは否めない。
「ヴェルデン、ディーガンに対してあそこまでしたのはなんでだ?」
聞かれるとは思った、生命力がなくなりかけたあの男を僕が滅多打ちにしたのは間違いない。記憶もある、恐らく今も昏睡状態だろう、もしかしたら……死んでるかもしれない。
「……言えない、言いたくない。ただ一つ言えとしたら、それはあの男が弱かった、それだけだ」
だけど、言う訳にはいかなかった。例え、軽蔑され様とも、例え一生口をきいて貰えなくとも、少しでも自分の勝率を下げる様な言動は出来なかった、負けは即ち、魔界に行ってしまう事――死んでしまうに他ならないのだから。
「そうか……」
「それだけかい?」
「ヴェルデン、安心しろディーガンは無事だ」
「それが……どうかしましたか」
「強がらなくていい、嘘を吐く時とかそうやって強がるとき、お前は喉が動くんだよ」
「イレーナ、良い加減始めないかしら」
「まぁ待ってくれよ、チューリ。お前達に対して、親愛なる我が相棒からメッセージだ」
「なんですか?」
メッセージ……大体何を書いてるのかは分かる、自分の副将をあそこまでにされたことに対する恨みつらみだろう。
「「こっから始まるのは、イレーナ先輩の無双ショーだ。精々、弱い弱い言ってた奴に負けるってどんな気持ちか考えとけよ、糞野郎ども」だとさ」
「随分と……強気なんですね」
言葉を選ぶようにチューリが言う。
「そう思うか、それはそうだろうな。まぁこの言葉を思い知るのはこれからさ……」
[天女は魅せた、至高の舞を]
この詠唱は……まさかっ!
「ルートナイ家のっ!」
[姫は似せた、天女の舞を]
「出来る筈が、出来る筈が無い!」
その魔術は、僕と姉さんが夢見た術、叶えられなかった夢の筈。
[王は告げた、偽の舞と]
「ヴェルデンくん、止めて!」
その声でまたも冷静さを欠いてるのが分かる、そうだ、虚勢であろうとなんだろうと詠唱は止めるのが定石!
「"傾け"!」
指揮官の様に指を指し、僕は重力を僅かに"傾ける"。異能"異征者"の力、異なる物を征する力による遠距離攻撃、通称"傾国の美女([スピオル・グラヴィオーレ)"、あの男の時は異能に弾かれたが、姉さんが防げる術はない
[騎士は捧げた、美麗な剣を]
――筈だった。こちらの攻撃など意にも介さず、姉さんの詠唱は続いていた。一瞬、外れたのかと思ったが、草の先端が切り付けられたように無くなっているを見て、自分が間違いなく真っ直ぐに放った事を確認する。だったら、だったらなぜ!?
「私がやる! [[風の民よ,刃を持ちて狂乱せよ!]」
[女王は捲いた、戦の種を。姫は舞った、剣の舞を]
["風乱刃"]
幾つもの風の刃が姉さんに向けた飛んでいく、刃が姉さんに当たる瞬間、信じられない事が起こった。
一本の妙な形の短剣を取出し、刃をひとつ残らず、掻き消したのだ。詠唱中――それも目を瞑りながら!
幾ら姉さんの集中力は他の人に比べ群を抜いていたとはいえ、その動きは余りに異常だった。
「何が起こってるんだ……!?」
[創成――"剣姫の羽衣"!]
紡がれた詠唱から生まれたのは、ただ圧倒的な熱、そして光だった。見た事も無い濃厚な魔力から生まれた炎が姉さんの身を包む。周囲の雨が、瞬く間に蒸発し、その蒸気により、その姿はベールに隠された姫の様に影しか映らない。
やがて炎はまるで「勘弁してやる」とでも言わんばかりにこちらを見下しながらその身を縮め、蒸気のベールが徐々に薄れていく。
そこには――愉快そうに目を細める絶世の美女がいた。その身を包む衣は、荒々しく猛々しく、雄々しいと言うのに、その気品はこの世に存在するどんな貴婦人を集めようとも叶わぬ、そして美女は、姉さんはは高揚する気持ちを抑え込んだ声で
「どうだ、度肝を抜いたか?」
そう、楽しげに言った。
お、お久しぶりです。生意気ナポレオンです、今回、かなーりノリで書きました、もう片方と違って、こっちはうんうん唸りながら書くことが多いのですが、もう……って長くなりそうですね、活動報告に書いときます(汗)