第百話:流転の七月
七月初旬。遠くに剣戟の音を聞きながら、僕とローザは教室の椅子に座りただただボーっとしていた。
ゼーレが言っていた通り、あれから学級闘争は変わった。公然と手を組むようになり、戦火の数は少なくなり、しかし雰囲気は前にも増してギスギスし始めた――緊張感がある、と言い換えてもいいだろう。
理由は単純、裏切りが横行したからだ。当たりまえのことだろう、あくまでこれはバトルロワイヤル、全員が敵という前提がある。問題はいつ敵対するのか、ということだ。
時間や残っている人数などで、事前に取り決めをしておけば何の問題もない筈なのだが、勝敗に関わることだそうスムーズに行く訳がなかった。代表的なのは手を抜いた抜いてないの水掛け論だ。大方は素直に負けを認められないだけなのだろうが、実際に力を温存している輩も居るに違いない。ここら辺、体面を気にする鬼人族であれば尚更だ。そして、それをあの男は見込んでいたに違いない。
ともあれ、そのお陰でいまのランキング(学生が自主的に制作したものだ)はグチャグチャだ。今までずっと早々に死んでいたものが生き残ったり、その逆も然りだ。……ティアナ嬢は今でも安定してトップに居るが、それこそ例外中の例外だ。
もっとも、僕とローザには関係ないけど。欠伸を噛み殺しながら、熱いのに窓の閉めきられた廊下を見る。もうしばらくこの廊下をクラスメイトが走っている姿を見たことがない。――明らかに僕とローザは避けられていた。
それもあれだけやれば当たり前か。しかし、何もかもゼーレの目論見通り、か……面白くない。
ギスギスと言うのも言い換えれば、緊張がずっと続いてると言うことだ。前に聞いた僕の異能の宣伝と、クラスの意識改善、この学級闘争であの男が考えていたであろう二つの事柄は無事達成と言う訳だ。
『くぁぁ……』
別に良いけどさ、と今日何度目かの大あくび。目尻に涙を浮かべて振り返ると、僕の欠伸が移ったかのようにローザも欠伸をしていた。もっとも、そこは貴族のお嬢さま、上品に口元に手を添えたその仕草は絵になっている。
潤んだ瞳、整えられた艶やかな爪、義母さん譲りのスラリとした手、透き通るような白磁の肌。そんな彼女が薄っすらと陽光が差し込む教室で一人佇むその姿は、幻想的で思わず見惚れてしまう。
と、そこで僕が見ていることに気付いたローザが、口を少し尖らせて半眼で睨みつけてくる。おお、怖い怖い、と僕は大げさに仰け反るも、視線はそらさない。
そして、ポツリとつい今日もその言葉から口から吐いてでる。
『ゴメン』
『もう、別に良いって、ボクは何回言えばいいのかな?』
咎めるような言葉とは裏腹に、その声は穏やかで優しい。ただ、少し困っている様子だった。それもそうだろう、もうこう言い続けて一週間以上になる。迷惑がられるだけならまだまし、本来ならその鬱陶しさに怒られてもおかしくない。そもそも僕自身、謝罪はあまり数を重ねても価値を落とすだけと思っている。
普段ならお互いそのまま何も言えずに、またそれぞれが背中合わせに見張りごっこをするだけなのだが、今日は違った。
『……全部許すって言ったの忘れたの?』
イタズラ気な笑み、と呼ぶにはローザの表情はぎこちなく、ひいき目に言って口角が痙攣したようにしか見えなかった。それでいて目はかすか細められ涼やかなものだから、ちぐはぐなことこの上ない。
でも、気持ちは伝わった。なにか言おうと口を開こうとするが、思うように言葉が出ない。わやわやと動くだけで声を伴わない。
ここで軽口の一つや二つも言えないようでどうする! 心中で自分を罵り、せめてと笑みを作る。それさえもローザの事を言えないぎこちないものだ。
さぞからかわれるだろうと身構えるが、ローザは何も言わずただ笑う。少し冷静になりローザの様子を伺えば、その笑みが悲しげな、それでいて自嘲するようなものに変わっていることに気付く。
そのことにローザもまた気付いたのか、僕がなにか言う前に口を開いた。
『……本当に許し――』
――が、しかし、その口からどんな言葉が放たれたのか、僕は聞き届けることはできない。
ガラガラガラ! と勢い良く引き戸を開く音が教室中に響いたからだ。カツカツとこれみよがしに音を鳴らし扉も閉めずに入って来たのは男。
その態度は不遜。くすんだ茶髪はボサボサで寝ぐせすら見受けられる。口元にヘラっとした、けれどゼーレとは違い好戦的な笑み。ローザ、僕の順に値踏みするような視線を浴びせ、左手に持った黒塗りのダガーをクルクルと手元で遊ばせながら、口を開いた。
『へいへい、ご両人。ここは一応、戦場だぜ? イチャイチャも、メソメソも、お呼びじゃねぇ。舐めるのは大概にしとけよ』
ダガーの切っ先を突きつけて笑う侵入者の男に対し、
『君も出歯亀とはいい趣味してるね。偵察兵志願なのか? だったら、わざわざ敵兵の前に顔を出すのはどうかと思うよ。ましてや、僕みたいな強兵にはね』
僕もまた拳を鳴らしながら立ち上がる。隣ではローザもまた同じように立ち上がり、小さな呟きとともに三本の血鎖を床に垂らす。
『さすが、女におんぶに抱っこの奴は言うことが違う!』
馬鹿にしたように大げさに驚く男。しかし、その目は全く笑っていない、こちらを見下すような意志を感じない。油断なさ気にこちらと、その周囲に目を配っている。ダガーを握る手にも緩みはない。
『へぇ……?』
『おいおい、怒ったのか?』
『まさか』
なおも挑発を仕掛けてくる男。ダガーの遊びはより顕著になり、ジャグリングのように宙へと放ってはキャッチしている。
開いた扉から冷たい風がスゥと吹き込む。服がかすかに揺れ、チラと男の右腰にバックソードがかいま見える。それさえもほんの一部分で、その殆どはうまく体の陰や服の色に合わせ隠されている。しかし、既に鞘口からは抜き放たれていたお陰で、その刀身のギラつきだけが見えたのだ。そして、それはダガーが囮で本命がこのバックソードであることを意味する。
鬼人族には右利きが多い。だから普通、剣を差すのは左腰だ。仮に珍しい左利きだったとしてもダガーで遊んでいるいま、その手で引き抜いてもローザが動くほうが早い。
しかし――右腰の剣を右手で抜く剣技もある。昔に読み漁った戦闘教本の中にそんな技が載っていた覚えがある。
剣を持てないためすぐにとばしたが、もし剣を持つことができ、覚えていた所で貴族らしくないと切って捨てられただけだっただろうな。買ったのはたしか下町のバザールだったし、いわば平民の剣技、ゴロツキの剣技なのだろう、きっと。
つまり、男はそういう手を使うことを厭わない性格。いや、下手すれば好んでいる気配すらある。ならば、そんな男が使う手は――――。
『へへ、嘘つくなよ~っとと!』
慌てたような声。男がダガーを掴み損ねたのだ。その声、その仕草にぎこちなさはない。あのバックソードさえ見えなければ、まず見抜けなかったに違いない。
下に落とした、と言うことは目線を下に落としたいということ、つまり襲撃はその逆。視界から外れる上。
しかし、男の動きは素早く、分かってはいたにも関わらずガタンと机を蹴飛ばす音だけを残し、男の姿が消える。
――――いや、分かっていたからこそ、と言うべきかな。
視界に入らないのは至極当然の話。なぜならくるり――僕は男に背を向け、何もない宙空へと掌底を放ったからだ。
『うっくぅ……!!』
しかし、手応えはあった。グニャリと風景が歪み、小柄な少女が痛みに呻きながら飛び退く。
最初から違和感はあった。たしかにここ最近、まったく蹴撃されない所為で気が緩んでいたとは言え、氣炎鎮静を切らすことはない。
加えて、あれから攻撃されないせいで時間だけはあったため、ひたすら気配の探り分け、範囲の操作の練習に励んでいた。
そんな僕が捉えた気配は二つ。確信できる程の精度はないが、疑問をうやむやにできる程の精度でもない。
そうなると細かいところが気になってくる。扉を閉めなかったこと、無駄に大きく鳴らした靴音、挑発の繰り返し、そもそも二人相手に一人で挑んで来たのもおかしい。
けど、何より怪しかったのはチラと見せたバックソード、そして下に落としたダガーだ。そも廊下から吹き込んできた風ごときで、服がはためくだろうか? 廊下の窓は開いていないのに?
落ちたダガー。下に向かせるのはなぜだ、上から襲いかかるから? 自由に身動きの取れない空中になぜ自分から行く。僕はともかく血鎖使いのローザが居る以上、蜘蛛の巣に飛び込むような真似をするか? ここまで手のこんだことをする男が。
だから、動いた。姿も、臭いも、音もないが、ほんの僅かに感じる気配を頼りに掌底を打ち込んだ。やはりまだズレはあるようで、肩口にかするような当たりだったけど、相手が小柄だったのが功を奏した。
『チッ、大丈夫か? イル』
『だ、大丈夫。もう行けるよ、アレク……!』
敵二人の会話を他所に、再び消えられても大丈夫なよう、前に注意を向けつつ後ろに目をやる。案の定、アレクと呼ばれた男は元の位置から動いていない。
ローザの手から伸びた血鎖が所在なさげに僕の背中付近で揺れていた。
『分かってたの?』
『正直、かなり賭けだったけどね』
ブスッとしながら訪ねてくるローザに苦笑を浮かべて応え、互いに前の敵に目を向ける。
男は不敵な笑みこそ変わらないものの、右手、剣先を下にバックソードを、左手、柄尻に結んだ鉄血のワイヤーを垂らしダガーをダラリと地面に寝かせている。
少女は男とは打って変わって真剣な表情でこちらを見て――怯えていた。少女がその小さな体を震わせる度、短めの茶髪が揺れる。小動物を思わせる瞳は若干潤んでいるものの、威嚇するように決然と僕を睨みつけ、腰に括られた鞘から男のそれと同じ黒塗りのダガーを抜き、逆手に構える。
……やりにくい。顔には出さず口をへの字に曲げる。実際は僕が加害者な訳じゃない……どころかどちらかと言えば被害者なのだが、相手がこうだと悪いことをしている気分になる。
そうなると、死刑囚が厄介になるな。内心でごちなら拳を握る。案の定、ギィと筋肉が引き絞られた弦のように張り詰めている。痛みこそないものの、動かす度に変な抵抗を感じる。
『いやしかし、女性だったと驚きました。どうです? お互い男女のカップル、ダブルデートと行きますか?』
……なんておくびにも出す訳にはいかない。それに少しでもこの少女から怯えを取り払えば、死刑囚も大人しくなるかもしれないし。ゼーレを見習い軽薄な笑みを浮かべ、男の顔を見る。カップルと言う言葉にかローザが動揺する。あのね、いまそう言う場面じゃないでしょ。
『お、堅物と思いきやなかなか良い提案するじゃないの。でもなぁ、俺達って互いにほとんど初対面な訳じゃん? ここは男同士、女同士で親睦を深めてからにしないか?』
分断……ま、そう来るか。けど、一対一であればこの提案を呑むのも悪くはない。相手が一人なら、そう時間もかかるまい。
……それに、もう半吸血鬼化を隠さずとも良い。今までは全部回避をしてきたけど、いまなら岩を砕こうと刃を折ろうと問題にならない。緋色に変わった瞳を隠す必要もない。
あのイルって子を相手にしなければ、死刑囚も黙ってくれるだろう。
『悪くない提案だけど、あいにく僕の彼女は口下手でね』
だけど、却下だ。この男の提案を呑むのは危険だ。根拠はない、強いて言うなら勘だ。切迫した状況ならともかく、今はまだ余裕がある。わざわざ相手の望み通りに動く必要はない。
『んー言われてみれば、俺のも人見知りだったわ』
『氣炎万丈!』
男が言い終えるか否かのところで僕は魂に火を付ける。目の前に居た少女を探すために。
光魔術の展開は一瞬だった。アレクの言葉にちょっと意識を割いた瞬間、忽然とその姿は消えていた。
化外となった体でスンと鼻を鳴らす。嗅覚に一気に押し寄せる情報に軽く酔いかけるが、すぐに立ち直り判別する。
柑橘系の香りが、ある一点に纏わりつくようにして動いている。向きはローザが居る方とは逆、走る際の風が香りを巻き込んだのだろう。
あくまで分断が目的か……! 悔しいけど、ここで追わないとまた見失う!
そうして、漂う香りだけを頼りに駆け寄る。
『――――――え?』
と、水面を抜けるような感触が全身を駆け走った。かと思えば、周囲にはあの少女どころか男も、ローザの姿もない。
数秒ほど呆然として、自分が重層結界から抜け出たのだと理解する。しかし、なぜそうなったのかが理解できない。
教室での出来事を振り返り、原因を探る。すると、違和感がある情景を思い出す。あの少女と向かい合っていた時のことだ。
――鞘からダガーを抜いた? 抜いていたのではなく?
ほんのすこしに見えるが、その差は決定的だ。相手が拳法の達人か何かならともかく、あの少女はとてもそうは見えない。なんで素手で襲いかかってきたんだ?
ぞっとし慌てて調整鍵を入れたはずのウエストポーチを探る――までもなく、ただ触っただけで気付いた。
――しっかりと閉めたはずの口がポッカリと開いていた。
『盗られたのか……どんな早業だよ』
狙いは分断じゃなくて、調整鍵の範囲外に出すことか。だからローザから離したがったと。更に言うならあの少女が本当にあの香りの近くにいたらギリギリ、少女の持つ調整鍵の範囲内に居たはず、あれはきっと風の魔術で飛ばしたただの香りでしかないのだろう。
本人は動かず、ただじっとしていたに違いない。となれば、当然……
『――――――え?』
聞き覚えのある台詞が僕とちょうど反対側、教室の出口の方から聞こえる。ため息とともに振り返れば、ローザがぱちくりと目を瞬かせて鎖を振り上げていた。
そんなローザに一言声を掛けると、慌てた様子でこちらを振り返りハッと目を見開き、ゴソゴソと自分の体を探り、やがて不機嫌な様子で近くの机に腰掛ける。
『……ズルい』
『はは、たしかにね』
『なんか、あんまり悔しそうじゃないね』
僕の態度に不満があるようで、ローザが拗ねたように横目でこちらを見る。可愛い。
『ここで顔を真っ赤にしてもしょうがいだろ? それに……』
『それに?』
思い当たるフシがないのか、ローザが訝しみながらオウム返しに相槌を打つ。
『リベンジって良い響きだと思わない?』
僕の言葉に、ローザがきょとんとする。そして、
『良い響きだけど、一度聞けば充分かな』
妙に絵になる好戦的な笑みでそう言った。
◆◇◆◇◆◇
学級闘争二戦目は、始まる前に僕達が負けたこと分かりどよめきが起こったものの、教官の前ということもあり特に大きな騒動になることもなく、いつも通りに進められた。
僕達のスタート場所は一回目と同じ。けれど、少し違うことがあった。
『ローザ、今日は蚊が多くないか?』
『そうだね、ボクもちょっと気になってたんだ』
僕の唐突な問いかけに、ローザは淀みなく返答する。ただし、端から見れば多少の緊張を隠せていないのは間違いないだろう。
いまの問いかけは合図だ。近くに多数の気配ありという合図。この合図は一定の範囲に敵の気配を感じ際に使うもので、厳密に言えば蚊はこちらに気付いている敵を、羽虫がこちらに気づいていない敵、蜂が近づいて来ている敵を指す。
格好つけたようで言い難いが――こうなることは予想出来ていた。自分以外の全員が敵になるというケースは。爪弾きにされて長い者として、出来ないほうがおかしい。
むしろ、遅いぐらいだ。予想以上に目の前で見せる生の"再生"のインパクトは大きかったのだろう。それでも、こうして人数が即座に集まるだけ計画だけはしていたのかもしれない。つまり、今日の僕達の敗けを見て踏ん切りが付いた、と。
『ハッ、ずいぶん慎重だな……』
ボソリと口から吐いてでる言葉は我ながら嫌味ったらしい。気炎鎮静はいつの間にか解けていた。
それどころか、これだけイライラする辺り、魂に火が付きかかってるまである。……まだまだ、修行不足だな、僕も。
と、その時二つの気配が近づいてくるのを感じる……までもなく、階段を駆け上る足音が静寂の廊下に響いてくる。
やがて、その人物は教室の扉に手を掛け、曇りガラスに影を写す。ガラガラガラ、一回戦目と音を同じくして、同じ人物が姿を現す。
『氣炎万丈』
瞬間、床を蹴る。足元が陥没する感触を感じ、足元の床が階下の教室に落ちる音を聞き、ヒビが広がるよりも疾く駆ける。
放つは何の捻りもない貫手。ただ疾く、ただ鋭く、全力を持って須らく穿てと唸り放つ。
強化された視神経が、急加速された世界の中にあって男の表情を正しく捉える。見開いた瞳はかつて僕が居た場所に置かれたままで、にも関わらずその口元には相も変わらず不敵な笑み。
手応えは硬質。肉の弾力も、ぬるい血もない。岩か、氷か、魔術による防御だろう。こちらの動きを読んでいたか。
でも、それを踏みにじるのこの異能だ。努力を、機転を、予想を、知恵を、工夫を、相性を、弱点を、策略を――何もかも踏みにじって穿て。
命令は依然として同じ――――須らく穿てよ我が貫手。
『なっ――!』
破砕は一瞬にも満たず起き、肉の弾力が、ぬるい血が僕を歓迎する。臓物のヌメヌメした手触り、骨のカキリという手応え、背の皮を突き破る爽快感!
『クッハァ……!』
かろうじて声は抑えるものの、口元に笑みが浮かぶのまでは止められない。呆然としていた男が徐々に毒が回っていくように顔を苦痛に歪める。
遅れて聞こえる悲鳴、景色が歪み露わになる小柄な少女。その姿は脆く繊細で……壊した時はさぞかし胸が痛み、罪悪感で気が狂いそうになり――イキってしまいそうなほど快感だろう。
『だけど、そういう訳にはいかない――気炎鎮静』
笑みを消すとともに魂の火を消す。ギラギラとした欲望は異能の鎖によって感情とともに抑えつけられる。
『あ、ヒッ、ア、アレクッ――!』
『止まれ、そして黙れ』
男に駆け寄ろうとする少女の足を威嚇することで止める。無闇に怯えさせたくないけど、いま下手に動かされたたら傷口が広がりかねない。
『早く来いよ、教官。このままだと死ぬぞ』
『もう居るよッと』
声が聞こえたと思った瞬間、ぞっとするような冷気が走りぬけ、肘から先が両断される。
テカテカした赤い血が断面から尾を引き、それが途切れるのと同時に蝕むような熱と、稲妻のような苦痛が僕を襲う。
『あ、ギィィ……!』
再生しろ! 痛みに荒ぶる脳内で何とか命令を下し、エネルギーロスを承知で腕を生やす。
腕が元に戻った後も、痛みは順番を待っていたかのように次々に神経に叩きこまれ、脂汗で全身がびっちょりと濡れる。痛みに浸された所為か頭痛までする。
痛みを誤魔化すため自分の頭を砕けそうなほど掴み、腕を切り取った奴を睨む。
『下手に引きぬかれたら傷口が広がる』
灰色の軍服を身にまとった男は、なんの感情を込めることもなくそう言い捨て、ベルトから何らか薬品らしきものが込められた注射器を二つ抜き出し、一つを本来の使い方通りに注射し、一つを口に突っ込み無理やり飲用させる。
そうして、ブツブツと何事かを唱えたかと思えば、無造作にも見える動きで僕の右腕を抜く。
『待て! それじゃあ……!』
思わず怒りも忘れて口にするが、予想されていた出血はない。ただでさえ怒りやら何やらがないまぜになっている頭が更に混乱する。
軍服の男はこちらことなど端から眼中にないのだろう。何の反応をすることもなく、また何事かを呟き傷口に手を当てる。
そうして、しばらくの時間が立ち処置が終わったのか、おもむろに軍服の男が僕の方に顔を向ける。
『この訓練中での戦闘行為は問題にならない。が、中には例外も居る。それが自分だということを忘れるな、死刑囚』
そう言い放ったかと思えば、軍服の男は窓から外へと身を投げ、僕が慌てて駆け寄った時にはもうその姿は消えていた。
あれが多分、バルチェ教官の友人……という体で送り込まれた、僕の監視官か。黒き獣の首輪の件が僕に通告されたから、堂々と出てくるようになったと。
……期待してるのはお偉い方々だけみたいだな。再生したてで動きのぎこちない右腕を見て思う。
実際問題、僕みたいな爆弾を抱え込むのは実害のでる現場の軍人からしたら反対だろうからな……。多少無理矢理に感情移入して怒りを誤魔化し、男の近くに腰を付けた少女を見る。
『ッ……!』
僕の視線に気づいたのか、少女は怯えた様子で、しかし果敢に男を守るように抱えて僕を睨む。
この子に睨まれたのは今日で二度目か、ったく嫌になってくるな。などとガシガシと頭を掻きたい衝動を抑えて、努めて冷酷に言葉を吐く――吐こうとした。
『むぐ、むぐぐぐ……!』
『ホント、いい加減にしてくれないかな、君は』
後ろから巻きつけられた鉄血の糸が轡になり、くぐもった声がなるだけで言葉を作れない。
糸の元、背後から近づいてくる人物は苛立ちを露わにしながら、ぐい、と僕の肩を掴み容赦なく冷ややかな視線を浴びせてくる……かと思えば、僕の肩に手をおいたまま少女に声を投げかけた。
『イルムヒルトさん……だよね?』
ローザの言葉にビクリと反応しつつ、小柄な少女改めイルムヒルトさんは警戒を強めつつもコクリと頷く。
それを見て、少し安心したようにローザも軽く頷き、言葉を続ける。
『単刀直入に言うけど、降参しない? そこの彼はもう戦えないだろうし、貴方も戦闘が得意には見えない』
心情を慮ってかその声色は優しい。下手をすれば初めて聞いたぐらいに。しかし、相手の少女は小さく首を横にふる。勝ちを信じているようには見えない、あくまで抗おうという姿勢はただの意地だろう。
ゼーレあたりが見れば、馬鹿だ馬鹿だと嘲笑うだろうが、その意地が僕には何だか尊いものに見えた。
だからこそ、その意を組み拳を作ろうとしたのだが……先と同じく、ローザに遮られる。今度は言葉でもって。
『そう……じゃあ、テオ下がるよ』
そう言って何をするでもなく、ローザが少女に背を向ける。それを見て当惑するのは一瞬、すぐに何をする気か思い当たる。
なんというか……妙な所で子供っぽいんだよな、ローザは。まぁ、少し楽しんでる僕も人のこと言えないけど。
一歩、二歩、三歩に四歩、そして五歩目。キュッと踵を鳴らして振り返れば、そこにあるのは乾いた血だまりだけ。
『目には目を、歯に歯を、スリにはスリをってね』
ふふん、とローザが得意げな笑みを浮かべ、手に持った二つの調整鍵の内一本を投げ渡してくる。
『うわ、血で汚れてる。まったく、しかしいつの間に?』
『あの子の注意がテオだったり、さっきの軍人の人立ったりに行ってる隙に。君の後を顧みない猪突猛進的行動があったおかげで簡単だったよ』
『いや、後を考えたからああしたのであって……』
『自分が死刑囚だってこと本当に理解してるの?』
先までの得意満面どこへやら、急転直下で最悪の機嫌だ。どこぞの万変流じゃないが、柳に風と左から右に受け流す。
――そうするぐらいの余裕がいまの僕達にはできていた。僕がローザ曰く猪突猛進的行動をとった理由はただひとつ、単純にして新鮮味のない理由だ。
見せしめ、である。手を出した奴がどうなるのか、彼彼女らは特等席で見ていたはずだ。そして、それが分かってるからこそ、彼女は僕の態度に憤慨しつつも、最後に一つ尋てきた。
『虫はどう?』
『蜘蛛の子散らすようって感じだよ。ちょっと刺激が強すぎたみたいだ――でも、何事にも例外はある』
廊下の果て、暗がりの階段から音一つ立てず、その男は姿を表した。
その男――レームブルックは、その切れ長の瞳を閉じ、無造作に手を払う。
『剣血願望』
呪言とともに血の剣が成る。目測にして刃渡りは九十五セインの長剣、角ばった丸みのないフォルムは無骨だが、刃に施された意匠は精緻で繊細。また、赤紫というその色、血というその根源もあり、妖しい美しさと気品をまとっている。
変な言い方になるけど……殺されるのなら、このような剣でそう思えるぐらいに。ま、殺されるつもりは毛頭ないけど!
『氣炎万丈』
……貴族の名に連ねているのは伊達じゃないってことか。緊張で乾いた唇を、チロリと舌先で舐める。
『……出るよ』
そうローザに告げると、呆れたような素振りをしながらも血鎖を僕の腕に巻き付ける。
手先を揃え、呼吸を整え、鬼気を漲らせ――行く。先手必勝、放つはまたも突進からの貫手。
対して、レームブルックは剣の柄を両手で握り、剣先をこちらの目と目の間に突きつけたような構えを取る。
助走距離は必要十分、その速度は先のものの二倍に近い。強化された視覚野をしても、景色が高速で流れ始めるほどだ。
レームブルックの動きはあくまで僕と対照的。彼の者は動かず、ただこちらを待つのみ――カウンターだ。
間合いを一方的に詰めていく。狙いを研ぎ澄まし、息吹とともに貫手を――――いや、違う!
不意に危険を感じて、強引に体を右に傾ける。と、疾風とともに血色の剣先がつい先までの僕の心臓の位置を貫く。
左肩に感じる、鋭い痛みと熱。ヌルリとした感触が腕を伝い、手からこぼれ落ちていく。
カウンターにしてカウンターに非ず、だな……! 何が起きたのかを、体に教えこむように脳内で反芻する。
『レームブルック流剣法:"留鳥"。少しは驚いてくれたか?』
動いていたんだ、レームブルックは。剣先だけを相手に見させるあの構えで、刃渡りと距離を誤魔化し、同時に自分は動きの少ない歩法を使い、こちらが違和感を覚えないぐらいのわずかの距離を前進。加えて、最後の最後で曲げた肘を伸ばし、さらに距離を詰めた。
相手は自身に高速で向かってきてる、そこに剣先を置いとけば刺さるは当たり前だ。
陳腐な言い回しだけど、あと一瞬遅かったら……クク、思ったより悔しいな、魔術じゃなく剣術、技術に負けるっていうのは。
レームブルックのすぐ左脇を、すり抜けるような形で動く僕に対し、レームブルックは右足を軸に、左足で後ろに弧を描く。
当然、体が左に回る、突き出た剣も同じく左に、手首を返して刃は横に。左に半円を描くような斬撃。
まずは跳ぶ。足下を斬風が吹き抜ける。レームブルックは先の斬撃のため放していた右手を再び柄に合流させ、跳躍した僕を切り上げで追撃する。
そして、響く。ジャララ! 床と擦れて起きる血鎖の唸りが。グン、と林檎が地面に引かれ落ちるように、僕の体が後方に引っ張られる。
その勢いたるや、凄まじいもので両肩からじんわりと痛みが湧き上がるほど。言葉を濁さず言えば、両肩が抜けた、痛い、かなり痛い。
また、あいにく風船じゃないので何時までも宙に受けるはずもなく、地面に後頭部を床にブツケ、そのまま市中ならぬ校内引き回しの刑が執行される。
背の皮がもう少しでズル剥け、というところで何とか鎖の動きが止まる。
『大丈夫?』
『斬られてたほうがマシだった気がするよ……』
『こんな時まで冗談はよして』
いや、割と本気で……などと抗弁した所で意味はなさそうなので、大丈夫だと頷きで返す。
『フン、エセ貴族同士で傷の舐め合いか』
『そのエセ貴族にやられたのはどこのションベン臭い貴族の坊っちゃんでしたっけ?』
『……確かにそうだな、認めよう。慢心していた……と言っても、それもまた言い訳でしかないが』
僕の挑発に乗って来ること無く、それどころかどこか余裕のある表情で頭を振り、だが、とレームブルックは言葉を続ける。
『それでもあえて言おう、慢心していたと。そして、そうでなければあの時負けはなかったとな……!』
声に気迫を漲らせ、レームブルックがゆっくりとこちらに近づいてくる。一歩毎にその戦気と剣を研ぎ澄ませながら。
『ブリュンヒルト流血法:"嫉妬の風歌"』
無論、そんなのをわざわざ寄せ付ける道理はない。ローザの手繰る六つの血鎖が、両壁に床に屋根、廊下四面を跳ね回り時に互いに絡み、軌道を変えながらレームブルックへと襲いかかる。
『レームブルック流血法:"徒花"』
微塵の動揺も恐れも見せずレームブルックが跳ね走る。その走りによく似たものを僕は知っている。見た者からしらコマ落としの様にすら見える、連続跳躍疾走――"重蹄脚"とあの男が称した技によく似ていた。
動きが近しければ、その原理もほぼ同じ。鉄血の杭を足裏から射出、その反動で幅跳びを連続したかのような疾走を行っている。
その速度はかの技より幾分か劣る、また、その足元に鉄血の残骸、赤紫の花弁が残るゆえに行き先は読みやすい――が、それでも脅威には変わりない。
『こっの……!』
懸命に鎖を手繰るも、ローザが反応するよりもその動きは早く、鎖は常に残像を切り裂くのみで実像を捉えることが出来ない。
しかし――それこそ彼女の作戦であった。その証拠にもはやレームブルックの姿も目前となったその時、口元にかすかな笑みを浮かべる。
『ブリュンヒルト流血法:"若燕の籠"』
空を切った六つの鎖の先端が結合、今度は網目状の鎖となりレームブルックの退路を塞ぐ。同時に、指元から同じく網目状に鎖を射出、技名の通り、鳥籠の壁を作りレームブルックを閉じ込める。
あえて言うまでもないが、そのために必要な魔力――血量は少なくない。心臓一つ分とまではいかないだろうが、急激な消耗な消耗を強いられたせいでその顔色は悪く、足元も若干とはいえふらついている。
だが、決してその籠に不備はない。元が血とはいえ、いまは魔力の通った鉄血、その硬度は折り紙つきと言っていい。
『レームブルック流血法:"勇鳥"』
――それ故にレームブルックが放つは突き。名前に反し飛ぶ鳥すらも落とせるような刺突。
鉄血の剣は瞬く間に形を変え、成るはまさしくこの貴族の名がつく男に相応しい細剣。
勇む鳥は籠の隙間を難なく通りぬけ、籠を折る女――ローザへと突貫する。ローザは籠を保ったまま退こうとするも、先述の通り魔力の急激な消耗により跳躍するような力はない。
たたらを踏むように後方に逃げるも、隙間に肩まで入れたその突きの射程圏内から逃れることは叶わない。
そんなローザの肩に手を掛け、僕はぐいと自分の体を押し出しつつ、後ろへ突き飛ばす。
バシャッと鎖の全てが夢から覚めたように元の血に戻り、白地の廊下を赤紫に染める――籠の中の鳥が解き放たれる。
そのタイミングを事前に知っていたかのように、突き出た腕を素早く引き戻し、その動きに合わせてレームブルックは一転して距離を開く。
細剣を元の形に戻し、無言で構えるは剣先を下げ、急所たる頭を無防備に晒した、およそ魔界全ての剣術書に載るだろう、長剣基本四ツの型が一つ"愚者"の構え。
名の由来は最重要たる頭をがら空きにした構えは一見"愚者"、しかしそれを機と飛び込んできた者が自分の死を持って己こそが"愚者"であったことを知ったとされる逸話から。その由来通り、この構えの狙いはカウンターだ。
『どうした、弱気だな』
『死刑囚、お前と弁論する余地などない。さっさと掛かって来い』
『来いと言われて行く奴が――いるかァッ!』
居る。僕はそう内心で苦い顔をしながら認め、レームブルックはそれを確信しているように見えた。
だからこそ、飛び込んだ。罠だと知りつつも飛び込む他なかった。――時間切れが近い。
でありながら、僕の動きは先の一撃に比べて緩やかなもの。すでに僕は勢いだけでこの相手を倒すことを放棄していた。
籠が溶けた瞬間の動きに、突きに転じた早さ――そしてなにより、レームブルックは僕の最初の攻撃に対応していた。何らかの魔術により―恐らくは神経系の――身体強化を施していることは間違いない。
鬼人族にとっての血が、魔液だとは再三言ってきたが、それは同時に良くも悪くも魔力の影響を受け易いことを意味する。
悪くは毒や催眠と言った魔術の影響を受けやすく、良くは身体強化や治療魔術の通りが良い。それは鬼人族における始祖魔術を見てみれば明らかだ。
鳥翼証明は鉄血により自身の肉体に翼という部位を付け足し、風の魔力により羽ばたく魔術。
娼姫憧憬は――ある特定の家の始祖魔術ゆえ、詳しくは文献にも載っていなかったものの――血を媒介にした超強力な催眠、精神崩壊の魔術だと書かれている。
片や魔液を肉体とする魔術――良点を活かした魔術。片や魔液にして精神を侵す魔術――悪点を突く魔術。
そして、魔術の仕様上、鬼人族には魔術を行使する際に大小問わず傷を負う。それを発動後、即時に治療するためにもこの鬼人族の特性は無くてはならないものだといえる。
――全くもって上手く出来ている。いや、上手く出来なかった者達は自然と淘汰されたのだろう。
『だけど……不自然にはどうかな!』
『なにを言ってる! レームブルック流血法:"嘴残"』
顔面にストレート放つ僕に、レームブルックは引き下がりながら喉元を突く。首と上体を横に傾けてそれを回避、突き出た腕を取ろうとするものの下に逃げられ、逆に胸を浅く斬られる。
そして、またわずかにレームブルックが退き、構えはまたも"愚者"。まるで時間が巻き戻ったようだ。
『どうした? まだ私にはかすり傷ひとつないぞ』
『あいにく不器用でね、致命傷しか与えられないのさ!』
愚直にまたも顔面へストレートを打ち込む……ように見せかけて、踏み込む足で下がった剣を抑えに掛かる。
『フン、見え透いた手を!』
そんな言葉の通り、アッサリと足を躱される。どころか、返す刀で足首を斬り落とし掛かって来る。
普通の剣ならともかく、あの剣ならあくびが出るほど簡単に僕の足と脚はさよならするだろう。
「そこにあれば、だけど!」
「なにッ!?」
足は剣を抑えるためではない、かと言って踏み込むためでも無い。
地面についた足をすぐさま振り上げ、それに合わせて上体を反らす――宙返る。
空に軌跡を描くのは踏み込んだ足、敵目前の足。そして、相手は足元を斬りつけるためにわずかながら前に体重が寄っている。となれば必然――
「ガアッウ!」
足の甲が敵の顎に炸裂する――レウス流格闘術:"向車"。そして、この技は決め技じゃない、連続技の始動技!
顎を蹴られたレームブルックがたたらを踏む間に、着地の反動で一気に間合いを詰める。
そして、そのまま腹を貫くッ――!
連続技とは言ったものの、吸血鬼の膂力を持ってすれば、それが例え半分の力であっても、一撃で鬼人を殺傷たらしめるのは容易い。
――もちろん、当たれば、の話だ。
『フゥゥ……』
渾身の貫手をレームブルックは半身になり、間一髪の所で避ける。ここで連続技と言うことが活きてくる、一撃外れようと二撃目、三撃目と繋ぐことが出来る!
『チェスッ!』
『ゴッ……』
伸ばした腕を折り曲げ、牽制の肘打ちを腹部に、レームブルックが体をくの字に曲げる。
そして、そのまま流れるように貫手の構えをかすかに緩めつつ、腕を立てれば自然と手の顎の近くに位置する。
あとは体を横にねじり、指を顎先に引っ掛け――。
『っと!』
またも寸での所で、レームブルックが首を目一杯後ろに曲げて指を躱す。
でも、体をねじった勢いを利用すれば!
そうして、ダメ押すように放つ胴回し回転蹴りも、曲芸じみたブリッジのように体を反らされ躱される。
『まだだ、まだまだァ!』
回転の勢いを利用して、位置取りを調整、前向いに。反った結果として無謀にさらされる胴体に踵落とし。
レームブルックはそれを当然のように倒立後転で避ける。ここまで来ると、そのことにも疑問を抱かず、無心のまま間合いを詰め、あらん限りの技を叩き込もうする。
拳撃に蹴撃、投げ技に極め技、上下左右に前後、フェイントに拍子ずらし。
『フッーフッー、どうしたもう終わりか!』
――そこまでしても躱される。言葉でこそ強がっていてもレームブルックの目は虚ろだ、未だに"向車"の影響が残ってるに違いない。
だったら、なんでこうも躱せる……! 戦慄する。そして、どこか内心で悟る。――当たらない、と。
理由は自分でもわからない。分からないが、そう思ってしまった以上、恐らくこれからの拳や蹴りに意味は無い。
『ハッ、本気の俺に一撃でも当てたのは褒めてやる。だが、勝つのは……俺だァッ!』
上っ面をかなぐり捨てて、レームブルックが獣のように剣を手に突撃してくる。
構えはその様に相応しい、剣を背中に担いだ"憤怒"の構え。
それを見て、僕は大きく後ろに飛び退く――ギィィとレームブルックが勝ちを確信した笑みを浮かべる。
『レームブルック流血法:"月輪"!』
投擲。レームブルックは長剣を投擲する。ただし、その剣は形を一回転の内に変え、中心に柄を添え両側に刀身を伸ばす双刃剣となり、手が添えられるべき中央の柄からは鉄血の糸。
まるで玩具のヨーヨーのようにして、円を描く殺刃が空を駆ける。僕のすぐそばを抜けて血鎖が飛びかかるが、アッサリと両断され血しぶきとなって床を跳ねる。
殺刃は僕の目の前に迫り、僕は着地の反動で動けない。そして――――
『ぶわっ、ペッペッ!』
血飛沫が僕の全身を汚す。レームブルックの姿は廊下から消えていた。
血だまりがあちこちにできた廊下に両断された調整鍵。
『ハァ~死んだかと思った』
『のは、ボクだよ!』
ゴチン! と、僕の頭に鉄血ならぬ鉄拳が落とされる。無論、落としたのはローザだ。
『痛ッ~……!』
『ボクが気付いたから良かったものの、そうじゃなかったらどうする気だったの!?』
『いや、最悪腕の一本や二本ぐ痛ッ!』
二度目の鉄拳。今度は目の前に火花がチルほどの威力。
『で、なんで盗ってたの?』
『痛てて……人を殴っておいてよくもまぁ、そんなに淀みなく訊けるね。盗るの自体は簡単さ、布を裂いて零れたのを取ればいい』
『ハァ……質問が悪かったみたいだね。調整鍵の場所はなんで分かったの?』
ローザが頭痛でもあるかのように頭を手で押さえる。こちらを見る目つきはちょっと洒落にならない。
さすがにこれ以上殴られたら馬鹿になりそうなので、真面目に答える。
『ちょっと力押しでね』
『回りくどいよ、テオ』
やれやれローザはせっかちだなぁ、などといつもの調子で言いたくなるのを我慢して、口を滑らかに動かす。
『吸血鬼の眼と耳が良いのはローザも知ってるだろう? だから、戦いながら調整鍵が入りそうな場所に検討をつけて、あとは派手に動かしてそれらしい金属音がなるのを待っただけさ。先に言っておくけど、だからといって攻撃に手を抜いてた訳じゃないからね』
口を開きかけたローザに牽制すると、上ずった声で『手を抜いてたなんて思ってないよ!』と怒られる。絶対思ってたでしょ。
しかし、疲れたな……。いじけたようにして壁に体を預けるローザからも疲労の色は隠せない。
氣炎鎮静……うわ、団体様ご一行が来てる。もう、氣炎万丈する気力もないぞ。
『羽虫の大群だ。弱った獣にたかるつもりらしい』
『……何処に逃げる?』
唇を噛み締めてローザが尋いてくる。悔しいのもあるんだろうけど、それ以上に怒ってるんだろうな。僕としてはやり口には何も思わない。と言うかもはや感心するよ、あれだけ卑怯だのなんだの言っておいて恥ずかしくないんだろうか。
けど、このままヤラれるのも歯痒いか。……よし、勝負に勝てないまでも、顔は負かしてやる!
『ローザ、調整鍵を僕にくれ』
問いかけを無視して頼む僕に、首を傾げつつも、ローザが従ってくれる。
廊下の両端から、教室と廊下の窓から、憎きクラスメイトたちが現れ、僕に勝ち誇った顔を見せる。
それを見て、僕はローザの問いに答える。演技過剰に、ケタケタと嘲笑いつつ。
『何処に逃げるかって? 決まってるだろ、あの世にさ!』
調整鍵を外に向かって放り投げる。クラスメイトとローザ、双方の唖然とした顔を最後に、強烈な痺れと共に視界が暗転し、意識が吹き飛んだ。