第九十九話:開拓の六月
完全に投稿ペースが一ヶ月になってますね……お待たせしました、本当に。
日が落ちるのとともに学級闘争が終わる。指示に従い教室に戻り、教官達から全体を通しての総評を聞く。
三回ほど行われた今日の学級闘争で、僕は一度たりとも死ぬことはなかった。
たった一人、隣に誰かいるだけでこうとは我ながら分かりやすい……などという冗談はともかく、事実としてローザ一人と手を組んで上手く行ったのは、ひとえに相性が良かっただろう。
ローザが得意とする血盟願望は鉄血魔術の中でも汎用性が高いが、防御はともかく攻撃に使うとなると決定力に欠く。だからこそ、彼女は奇襲や罠を使って戦っていた。
そして、僕は攻撃も防御も(少なくとも、このクラス内では)十二分に通用する自負がある。が、五分という制限付きだ。攻撃は一撃で決めれば一瞬だが、防御は否が応でも時間を食う。
後は簡単だ。彼女が守り、僕が攻める。それだけで事足りた。元々ローザは学年でも十の指に入る実力者だ。相手の攻撃に専念すれば彼女がまず防ぎ損なうことはなかったし、僕にしてみれば今までと比べればレッドカーペットを歩いてるようなものだ。負けるはずがなかった。
……それでも、ティアナ嬢にはやられかかったけど。しかも、命からがら逃げ出した形でだ。
まぁ、それはともかく、今日も学校が終わった。これからは各自帰宅するだけ……なんだが、今日は少し違った。
常なら教官が総評を終え出て行くのと同時、クラスメイト達は口々に学級闘争のことで愚痴や憎まれ口を叩き合ったりするのだが、今日ばかりは誰も口を開かない。
陰湿で不快な空気が教室内に立ち込めていた。席を立った学生の内、出口に近いものが廊下の様子を窺い、僕やローザの机に近いものが行く手を塞ぐように囲む。
こういう時だけ統制が取れてるのか……ハッ、ちょっとだけゼーレに同情するな、これは。
やがて、廊下を覗いていた学生がコクリと頷くと、明るい茶髪をした男が苛立ちを露わにして僕の前に立つ。
『立て、ズィンダー』
『なんだ? こんなに人を集めて。誕生日会でもやってくれるのかい?』
ヘラっと笑うと鈍い衝撃が脳を揺らした。椅子ごと横に張り倒され、壁となっていた学生の足元に倒れこむ。
いくらなんでも沸点低すぎやしないか? あーもう、口の中も切れてるし……自分の血は普通に美味しくないんだよな。
『立たせてくれ』
男が言うと近くにいた男子学生二人が、それぞれ一本ずつ僕の腕を取り、磔のような形にして僕を無理やり立ち上がらせる。
こういう扱いには慣れてるから、正直なところどうってことない、怒りすら沸かない。いくら自分が罵倒や暴力を受けようとも、善人であろうとする死刑囚の縛めが効果を発揮していれば、至って冷静に受け止められる。
問題は……と、こちらに近づいてくる男から少し目を逸らし、人壁の隙間からそっとローザの様子を伺う。
うわ、怖いなー……。顔に出さず、心のなかだけで苦笑する。ぱっと見は特に変わった様子はないのだが、その濃く明るい常磐緑色の瞳はかなり冷えきったモノになっていた。
囲まれてるけど、あの様子だと静止を振り切って来そうだ。気持ちは凄く嬉しいけど……ここは僕に任せて欲しいな。
そんな内心を唯一動かせる目だけで訴えてみる。一応、通じはしたのかひとまずはすぐに行動を起こす気配は無い。
ほっと一息つく暇がある筈もなく、先と体勢こそ違うものの同じぐらいの距離で男が立ち止まる。
『舞踏会の間違いだったか? でも、そんなに怒らなア゛ッカァッ……!』
『お前の下らない冗談なぞ聞きたく無いんだよ。俺が聞きたいのは"もうしません"その一言だけだ。おっと、何のことなどとほざくなよ』
『クッ痛つつ……そんなことは"申しません"。これでいいかな?』
今度は左の頬が殴られた。前歯が折れ、血反吐共に吹き飛び髪を逆立てたに男子学生にあたって跳ね返る。汚いんだよ、と鳩尾に綺麗なミドルキックが入る。昼に食べたサンドイッチの残骸と胃液が口からこぼれて床を汚す。
『ハァ、ハァ……ハ、ハハ、クリーニング代は勘弁してくれよ。最近は金欠気味でね』
あくまで軽口を絶やさない僕に、話が進まないと見てチッと舌を打って男が僕の髪の毛を掴みあげて目を合わせてくる。
『お前、今日の学級闘争でライエンハイトと二人がかりで戦ってたよな。これ以降、あんな卑怯な真似はしないと誓え、そうすれば許してやるよ』
"寛大な俺"に酔ってるのか、小鼻を広げて男が言う。鼻で笑いたい気持ちを押し殺し、氣炎万丈――魂の火勢をわずかに強める。
さっき、縛めが発揮されていれば冷静でいられる言ったが、それはつまり呪いが発揮されていなければ冷静で居られないということだ。
生まれてから今日まで十八年。小学校、中学校、軍人学校に入ってからもおよそクラスメイトからは侮蔑や暴力こそあれ、友情や親交を得たことはない。
こうなったのは死刑囚の所為ではあるが、今日まで自殺を選ばなかったのはそれらを苦痛と思えない死刑囚のお陰でもある。だから、この異能に対しての怒りはさほどない。
クラスメイトたちに対しての怒りも、それなりに幸せな今となっては時折思い出した時は腹立たしくなるが、その程度のものだ。被害が僕だけだったならそれこそ寛大に許してやろうと思える。
だけど、そうじゃない。僕を家に迎え入れたことで、義父さんが左遷され、義母さんもまたそのことで苦労したこと、その娘であるローザもまたイジメを受けたことを僕は知ってる。イジメ自体は学年が上がるにつれて段々と無くなっていったようだが、そのこともあって今でも彼女が本当に友達と思えるのはティアナ嬢だけと聞いている。
長い間、ずっと自分を責めて来た。今でも自分の所為だと思ってる。だけど……なんで、実際に義父さん達を罵倒した奴ら、ローザをイジメた奴らは平気な顔してるんだ。お前らこそ反省するべきだ、恥じるべきだ、許されなくとも頭を擦り付けて謝るべきだろうが。
極論――――死んで詫びろとすら思う。そういう気持ちが僕にはある。
『卑怯、ズルイは敗者の戯言、負け犬の遠吠え、死体のげっぷ。誰が誓うか。あと、お前の息、臭いんだよ口を開くな。死人に口なしって言葉知らないのか? 大体、教官が何も言わない時点で、僕がお前らになにか言われる筋合無いんだよ。すっこんでろ』
途中で止められないよう、早口で一気にまくし立てる。あまりの勢いに男が怒りを通り越して呆然とするが、それもつかの間、顔を真っ赤にして体を震わせ始める。
一人に八つ当りするようで悪い気もするが、よく考えれば代表面なのだから気に病む必要もないか。
一度寛大な素振りをした手前、あとに引けなくなったのか男は拳を固くに握りしめ、額に青筋を浮かべつつも、冷静を装って(できてないが)強張った笑みを作る。
『暗黙の了解ってものがあるだろう?』
『ハッ! 散々人を居ないものとして扱っといて、よく言うよ』
僕の言葉に何人かが罰が悪そうに目を背ける。が、ほんの何人かだけだ、ほとんどのものはそれがどうかしたかと、罪人の癖に何をといった目つきで僕を睨みつける。
さして何を思うこともない。強いて言うなら一人でも悪いと思った人が居たのが驚きだ。
ま、思ってた所で実行してなければ意味が無い。それで他のやつよりはマシと思ってる分、性質が悪さで言えば上だ。
『それにどうせここにいる半分以上は裏で手を組んでるんだろう?』
今度はバツの悪そうにしていた何人かは首を傾げる、あるいは侮辱ととって眉間にしわを寄せ、逆にそれ以外の大勢がそっと目をあさっての方向へ逸らす。
僕の目の前に居る男もまた同じで、しかし僕の手前動揺するわけにはいかなと、いかにも不愉快げに言葉を吐く。
『なにを証拠に』
『証拠なんて無いさ。ただ、もし居なかったとしたらこのクラスには馬鹿しか居ないってことになる。もちろん、僕を除いてね』
我ながら痛々しい発言だが、予想以上にこの言葉は男を含めた学生のプライドを傷つけたらしい。それでも、男はここで怒ったら思う壺だと周囲からの視線を振り切り、小さな子供に言い聞かせるように話しだす。
『スゥ……俺だってそれぐらいは思いついたさ、でも……』
『あーうるさい。鳴くのは朝だけにしてくれよ、チキン野郎。白い目で見られるのが怖いのは分かったからさ!』
『こっの……! クソ! さっき、から! 調子に! 乗るな!』
個人を馬鹿にされたことでアッサリと男が手を出す。鼻が折れてドロリと奥から血が垂れる。なにもなくなった胃がこれで勘弁と血混じりの胃液を吐き出す。視界は片方で真っ赤で、片方真っ黒。口の中はズタズタで、肋骨にヒビでも入ったのか息をする度、激痛が走る。
『はぁ、はぁ……!』
『カックッハァ……正直に言ったらどうだ? 手を組んでました、二人がかり三人がかりじゃないと生き残ることができないのになにしてくれてんだ、この野郎ってさ』
息を荒らげる男を嘲笑うように、再生に魂を注ぎ、見る見る間に傷を癒やす。時が巻き戻るようにでも見えたのだろう、不気味なその光景に人壁が一歩退く。青ざめた顔でこちらを見るものも居れば、恐怖を抱いた自分が許せないのか顔を真っ赤にした者も居る。
一方的に僕を責めるだけだったはずの空気がかすかに変化を始める。磔にされた化外が歪んだ笑みとともに言葉に包まれた毒を吐く。
『ちなみに僕はそうだよ。僕はライエンハイトが居なかったら、落ちこぼれもいいとこだ。彼女は僕が居なくても優等生だけどね』
『お前には貴族としてのプライドってものがないのか!』
『罪人、そういったのは君じゃないか』
『なんなんだ……なんなんだよ、お前はァァァ!』
吠え、拳を振るう男はハッキリ言って惨めだった。薄々、自分がなにを言っても、なにをやっても無駄だと理解してるだろうに、周囲の空気がそれを許さない。
拳は瞬く間に僕の血で真っ赤に染まり、あまりに強く殴りすぎたせいで折れた歯が突き刺さっていた。制服の袖口からも血が滴り、床はに小さな血だまりができる。
滝のように汗を流し、男が息を上げる。その隙を縫ってまた再生し、生え揃った歯を見せてせせら笑うと、いよいよ、男はがくりと肩を落とす。
目はすでに僕を見ておらず、完全に意気を無くしていた。傍から見てもそれは明らかだったようで、人壁の中に居た女子学生が代わってと男の肩に手をおき、僕の前に佇む。
『あんたさ、罪悪感とか無いわけ? クルトはアンタのせいで、この学校を辞めるかもしれないのよ……!』
『クルト……?』
『惚けないでよ! 今日一回目の学級闘争、あんたが教官に止められてるの見たんだから!』
言われて、すぐに思い出す。あぁ、たしかにそんなこともあった、と。しかし、なんて好都合だ。今日ばかりはクソッタレな神に感謝してやってもいいかもしれない。
『あんた、本気で殺そうとしたでしょう。その所為でクルトは……従姉の私にすら怯える……!』
その光景を思い出したのか女子学生の瞳には涙が浮かんでいた。どうやら、そのクルトとは随分と親しかったみたいだなと他人事ながら思う。悪いことをしたと思う気持ちはない、少なくとも自分には。死刑囚はどうだか知らないが。
『そりゃ、僕が原因ではあるんでしょうけど……この訓練ってそういうものでしょう?』
そんなだから口から出てくる言葉に誠意など無く、浮かぶ表情に謝意など無い。コケにするようなとぼけた顔で、子供に言い聞かせるような丁寧な口調で、思うままに答える。
『ッ――!』
当然、女子学生は怒りと憎悪に染まった瞳から、悲しみの涙を落とし、殺気に満ちた手を振り上げる。
『――現に僕なんか、都合十数回は殺されてるんですけど。あれ? 他の方は違うんですか?』
が、その手が振り下ろされることはなかった。僕の言葉に誰もが黙った。だから、僕が口を開いた。
『答えろよ。…………答えろォ!!』
胸底にこびり付いた怒りを吹き飛ばすように吠える。その声量は自分でも信じられないほど大きく、辺り一帯を震わす感覚は何時ぞやゼーレにやられたあの大轟声に少しだけ似ていた。
腕を捕らえていた学生がその場で腰を抜かし、周囲に居たものも青ざめた顔をして後ずさる。
見下ろせば僕の前に立っていた女子学生が、あの時一瞬だけ見えた例のクルトとやらそっくりの表情をしていた。自分の両肩を抱き、冬山にでも放り出されたように震えている。
あぁ、胸がスッとする。こんなの今までの恨みつらみに比べたらまだまだだが、それでもいまこの場で大声で笑い出したいほど晴れやかな気分だった。
醜いと死刑囚が咎めるのを、僕は内心鼻で笑い飛ばす。清廉潔白など糞食らえ、やられてやり返すのの何が悪い。恨みの連鎖? 知るか、勝手に僕以外の誰かがが断ち切れよ。
『さ、ローザ、帰ろう。どうやらもう僕に言いたいことはないようだから』
『……うん、ちょっと待って、荷物まとめるから』
『急がなくていいよ、僕もまだまとめてないんだ』
そうして、僕とローザが教室からでるまで、彼らはその場から身動き一つ取らなかった。
◆◇◆◇◆◇
その後、今日もまた何事も無くローザを屋敷へと送り届け、丘上の我が家にたどり着く。
ズボンのポケットから鍵を取り出し、すっかり砂汚れが板についた扉の鍵穴に差し込み、左に回す。が、手応えが無ければ、錠が解ける音もない。試しにドアノブを下げ、静かに押す。
……開いた、か。さて、どうするかな。なぜかそこまで動揺はなく、少しの逡巡の後、家の中へと踏み入る。
そろそろお店に洗濯を頼もうか、と考えている安物の絨毯。値段相応の厚さのため、いつもなら足音がコツコツ響くのだが、今日は寡黙を貫いていた。
当然、絨毯が気を利かせてくれたなどと言うことはあり得ない。ということは、僕が足音を消した……のだろう。半ば無意識のためあまり実感はない。
修行も伊達じゃないってことか……。呑気だなと自分で自分に呆れつつも成長を実感する。そのままスタスタと歩を進め、リビングに入った所で少しはあった警戒心もすぐに霧散する。
『なんで、教官が先に帰ってるんですか……』
『んー、あぁ悪かったな』
ため息混じりの僕の言葉に、ゼーレが適当な返事をする。まともに聞いていないのが丸わかりだった。
ゼーレはリビングのソファーに靴を脱いで寝転がり、体を横に向け本を読んでいた。本のタイトルは遠くてよく見えないが、装丁や厚さから察するに戦記ものの小説か、軍事関連の知識の書籍のようだった。
あまりに適当だったので、苛立ちながら何度か声を掛けるが、その都度適当な返事が返ってくる。
耐えかねて本を取り上げると、『返せ』とドスの利いた声で睨みつけられた。
とんでもなく凄みが効いてたため、すいませんと上ずった声で謝りながら本を返すが、よくよく考えればなんで僕が謝らないといけないんだと沸々と憤りがわいてくる。
それからしばらくして、僕が荷物を自分の部屋に置き、軽く湯を浴びた所で、ゼーレは本を読み終えたようで体を起こし、関節を鳴らしながら大きく延びをする。
『そんなに面白かったんですか』
時間も経ちある程度は苛立ちも収まっていたが、それでも自分の声に険が篭っていることを自覚する。
『まぁな。色々とためにはなった』
珍しく興奮した様子で答えるゼーレは、こちらの苛立ちにチリ一つ分も気づいた様子はない。
なんだか怒るのも馬鹿馬鹿しくなり、呆れ半分で尋ねる。
『前から聞きたかったんですが、僕に見せてくれたあの手帳。他のクラスメイト全員分あるんですか?』
『んー? あ、いやいや、さすがにお前一人分だけさ。他のはほれ、こんな感じで四冊の手帳に十人ずつ纏めてある。まだ、埋まってないページもあるけどな』
ゼーレが右と左、コート裏の二つのポケットから二冊ずつ手帳を取り出し、パラパラとめくってみせる。詳しい内容は読めなかったが、確かにチラホラと聞いたことのある名前が書き記されていた。
たしかに本人の言うとおり、余白があるページはあったものの、真っ白なページは一つもなく。その内容がメモ程度の簡素なものではないことは明らかだった。
『……何時寝てるんですか?』
『心配はいらない、俺には一日が四十八時間あるからな』
『心配はしてませんよ。しかし、また下らない嘘を……』
『嘘じゃないさ。俺はあの滅びたとされる龍にも会ったことがあるんだぞ』
『はいはい、すごいですね』
ソファーに寝たまま、頭の後ろで手を組み自慢気に言うゼーレを適当にあしらい、冷蔵庫から朝飲み忘れた牛乳を取り出す。
フタをこじ開け、瓶に口をつける。クッと一気にあおれば、よく冷えた牛乳の自然な甘みが舌に触れ、淀みなく喉を伝っていく。湯上がりのほてった体を爽やかな風が撫でたような気がした。
そうして、ほどよく頭も冷えたところで自分の行動を思い返す。もちろん、教室でのことだ。
あー……やっちゃったな。どう考えてもあの行動はナンセンスだ。僕に来るぶんはどうでもいいが、あれじゃローザにまで迷惑がかかる。最初はローザから目を逸らさせる意味もあって挑発したけど、途中からは完全に鬱憤を晴らすことに躍起になってた。
しばらくは大丈夫だと思うけど……チッ、とにかく、今までに輪をかけてローザの様子を気にかけないと。
自己嫌悪に浸りながら瓶をケースに入れた所で、呼び鈴が家に木霊する。と、ゼーレがソファーから体を起こし、玄関へと駆け寄る。
ガチャリという音ともに扉が開き、いらっしゃいとゼーレが軽薄な声で迎え、お邪魔しますと艷やかながらも上品な声が鳴る。
ティアナ嬢か、たぶんゼーレが呼んだんだろうけど、どうしたんだろう。少しだけ驚きつつ、僕もまた玄関へと近づく。
『突然ごめんなさいね、テオドール君』
『謝らないでいいですよ、どうせこの男が呼んだんでしょうから』
『いいえ、確かにゼーレさんも関係しているけれど、今日は私の方からあなたに伝えないといけないことがあって、ここに来たの。学校から帰る前に言うつもりだったのだけれど……』
チッ、しまったな……。気まずげに目を伏せる嬢を見て思う。正義感が強い嬢のことだ、もしかしたらあの状況を見て、自分を責めているのかもしれない。かと言って、僕が気にしないでくださいなんて言っても意味ないだろうしな。
改めて、自分に嫌気がさすが、とりあえず客人をずっと立たせておくわけにも、黙り続ける訳にもいかない。
『あー……ま、どっちみちあまりに気にしないでください。どうぞ、紅茶でも出しますから、そこのソファーにでも腰掛けてください』
『おいおい、俺への謝罪はなしかね、ユスティくん』
『はいはい、コーヒー淹れますから許して下さいよ』
おどけた様子で咎めるゼーレに、内心でほんの少し感謝しつつおざなりに応え、再びダイニングへ。
ポットに水を入れてコンロにくべ、お湯が沸くまでの間に適当な茶菓子を皿に盛る。リビングではゼーレと嬢が何やら話を交わしているようだが、内容までは聞き取れない。あとで聞けばいいだろう、そう思った所でお湯が沸く。
慣れた手つきでそれぞれ専用の道具を使って紅茶とコーヒーをコップに淹れる。しかし、すっかりコーヒーを淹れるのにも慣れたな。苦笑がこぼれ、レウスさんのことを思い出して寂寥感が胸をそよぐ。
注ぎ終えた茶具を机に置き、冷蔵庫から氷を取り出し、湯気の立つコップ一杯に入れる。食器棚の奥にあった茶盆を取り出し、それぞれアイスコーヒー、アイスティーの入ったコップを乗せ、リビングへと歩を進める。
『お待たせしました、と』
『ありがとう、テオドール君』『ほい、ありがとよ、ユスティ』
それぞれの前にコップを置き、僕もまたアイスティーの入ったコップを前に置く。椅子の関係上、僕が一人、ゼーレと嬢が二人並んで座る形で机を挟んで向かい合う。
『早速、本題に入らせてもらうけれど……』
それで? と僕が尋ねようとする前にズバリと嬢が切り出してくる。見れば隣に居たゼーレもまた、何かいらない茶々を挟もうとしていたらしく、きまり悪そうに口をパクパクとさせていた。
『――貴方の異能の限定解禁が公式に上で認められたわ』
『…………………は?』
数秒の時を経て言葉の意味を理解するものも、やっとのことで出た言葉は間の抜けた疑問形。理解はできても信じられない。
呆然とする僕を他所に、嬢が旅行かばんに荷物でも詰め込むかのように、僕の脳に情報を押し込めてくる。
上の意向で僕を密かに監視していたこと、そうすることで僕が制御可能な死刑囚だと証明でき、今回の限定解禁に至ったこと。そしてそれが、ルフト=ゼーレによるアイデアだということ。
そこまで聞いた所で――正確には最後の部分を聞いたことで――ようやく、立ち直る。
『相も変わらずあんたは人に断りもなく……』
『もう慣れただろ?』
不本意ながらね! そう吐き捨てたいのは山々だけど、この男に構っていたら日が暮れる。無視だ、無視。
『ま、まぁそう怒らないで、いつもはどうか知らないけれど、今回に限ったはしょうがない事情もあったのだから』
よほど憤然としているように見えたのか、少し怯えた様子でティアナ嬢に宥められる。そうだそうだ、とゼーレが便乗するが、キッと嬢に睨まれすぐに目をそらす。ハッ、いい様だ。
『はぁ……だけど、ホント、ゼーレさん。あなたは何者なの? 学級闘争……学校の敷地内という限定的な範囲、万が一の際の人的被害も軍人学校とはいえただの学生、審判として監視者を紛れ込ませても不審に思われない。……死刑囚の実地試験としてまず最適と言っていい訓練方法だわ。問題は……それ自体は監視が決まる前から行われていたということよ。ハッキリ言って気味が悪いわ。そして、何より恐ろしいのは……物足りないってことよ』
その警戒心を隠すことなく、嬢が真剣な表情で隣で薄っすらと笑うゼーレを見て、そのまま言葉を続ける。
『封印が施されたままで見せた身体能力は確かに凄いものだけれど、あの程度であれば他の種族でも可能。その上相手は所詮学生、いくら能力は高くともその全てを出し切るのは不可能。何より、あのスタミナの無さは戦争では致命的、かと言って出し惜しみすれば死ぬ。今のままでは使いものにならない、だけど、死刑囚という駒の有用性、可能性は嫌というほど感じられる――そう言う見せ方。商人でもしてらしたの、ゼーレさん』
『まっさか、偶然、偶然の産物ですよ。ああなるとは全く予想してませんでした』
嘯くゼーレにティアナ嬢は深ーいため息を吐き、再びキリッとした表情を作って告げた。
「……テオドールの限定解禁と同時に上からの指示を伝えます、ルフト=ゼーレ』
『はいはい、なんでございましょうかお嬢さま』
ギィィと笑みを深めてゼーレが応える。
『――黒き獣の首輪の一部解放を限定状況下のみ認めます。具体的にはこの丘に作られた重層結界の中です』
ガツンと頭を強く叩かれたような気分だった。やっと立ち直ったと思ったらこれだ、どうなってるんだ今日は!
困惑する僕を他所にピューと口笛を吹くゼーレ。そのしたり顔といったら、思わず手が出そうになった。
『結果次第では最終的には封印の全開放も?』
『……可能性はある、とだけは言っておきます。指示に従いますね、軍曹』
『Jawohlです、ティアナ=バッハシュタイン嬢』
僕と同じ思いなのか、ティアナ嬢が苦虫でも噛み潰したような顔で、よろしい、と一言告げて、場の空気を変えるように大きくため息をつく。
『そうだ、嬢さん。例の反対派はどんな様子なんだ?』
『…………完全には納得していないみたいだったけど、最後には頷いたわ。……結局、あの時の一回だけだったわね。多分、死刑囚の擁護反対派なんかじゃなくて、私の家を敵視している根っからの貴族連中の仕業だったんでしょう』
『そうか……ま、俺の読み違いか。良いことなんだが、面白くはないねぇ』
ゼーレが肩を竦めて苦笑する。……確かにこの男にしては珍しい。この男でも間違う時(今回に関しては僕もだが)はあるのかと、当然のことに少し驚く。と、同時に自分がこの男をこうして驚くぐらいには高く評価していることに気付いて、何とも複雑な気落ちだ。
それはともかく……ふむ、明日からはロザリエと帰る必要もなくなるわけか……いやいや、ほら、いまはクラスメイトが危ないから(僕のせいだけど)、やっぱり僕も一緒に居とく必要があるな、うん。
『なに慌ててんだよ、理由は想像が容易くつくけどよ』
『ほんと、ロザリエのことに関してはすぐ顔に出るわよね、貴方』
『……ほっといてくださいよ』
二人の呆れた目に、僕はふて腐れて呟いた。