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茫然とその場にへたり込んでいる私と、その脇で硬直していたイリュージアに夫が駆け寄ってきた。
殴り倒された男たちは、白地に、黒い模様の付いた服を着た、テュポーンの警備兵と思われる面々に連行されていく。
「どうしてこんなところにいる?」
「さっき別の人に殺されそうになって、ここまで逃げてきたの」
私は正直にありのままを語った。
「それはそうと、いったいここで何が起こったの」
「クーデターが起きた」
間髪いれずにもたらされた答えに二の句が告げずそのまま沈黙する。
「ペチュニアは強制廃位、現在の帝はフェデリシアだ」
「フェデリシアって」
「ペチュニアの異母妹にあたる。彼女がこの国の最後の帝になると、先ほど宣言した」
彼の話によれば、事故で、五年間国を離れ、大陸で暮らしていたことがあり、そのときの経験を踏まえて、もはや逼迫した国の情勢を立て直すには連邦に加盟し援助を求めるほかないと、新女帝は宣言し、前女帝である姉とその側近を一気に排斥したのだとか。
帰国してから、二十年間水面下で同志を集め本日めでたく決起した。
それらの情報を少しずつ組み立てていくうち、ゆっくりと、形になってきたものがある。
「彼女はどこ」
立ち上がり、歩こうとする、アンクレットの足枷で身体のバランスを崩した。
「イリュージア、謁見の間まで案内して」
「手当てしないでいいんですか?」
白い布を通して肩から出血しているが、そんなものはあとでいい。
「心配しないでいいわ、この服なら弁償するから」
「私が言っているのはそういうことじゃなくて」
私達はとにかく、王宮の入り口まで辿りついた。
「二人とも無事でしたか」
背の高いほっそりとした女が、そこに立っていた。
「ラドウさん、イーシア内親王、いえ陛下は」
「あちらに」
ラドウは先頭に立って歩き始めた。その時、初めて見る顔の女性が私達の元に駆け寄ってきた。
「ラドウ様、前女帝が陛下に襲撃をかけました」
その場で崩れ落ち、泣き出しそうな顔で、そう告げる。
「どういうことよ」
「おそらく、陛下の宣言を取り消させようとしているのでしょう」
ラドウが踵を返して走り出す。私はイリュージアと手を繋いであとについて走り出した。
広い吹き抜けになった場所で、ラドウはその方向を指差した。
三階ほどの高さの手すりに、追い詰められた白い後姿が見えた。
「そのようなことをしても無駄です。ペチュニア前陛下。その方を殺すことは出来ない。その方がお隠れになったとき、この国の王室は解体され、共和制に移行いたします。貴女方はすべての権限を失うだけです」
ラドウが力強く断言する。その声に振り返ったのは、フェデリシア新女帝だった。
手すりから身を乗り出して、こちらを覗き込む。そして満面の笑みを浮かべた。
そして身軽く手すりの上に座り ゆっくりと白い髪をかきあげたように見えた。そして、唐突に、白い衣装が赤く染まった。身体がゆっくりとかしぎ手すりの外側に倒れていく。
重力で人の身体の潰れる嫌な音がした。
あふれる血で判別の付かなくなった人であったものに私はゆっくりと近づいた。
「母さん」
口の中で呟く。残骸に向かって。そして気づく。赤と白の中碧いものがある。
彼女が隠して着けていた唯一つの装身具。碧いロケット。
中には男性の細密画、それはイリュージアの部屋においてあった小さな肖像画のネガとポジ。あちらは白い髪に黒い肌の男。こちらは黒い髪に白い肌。父を殺した誰かが気づかないように。そんな細工をしたのだろう。
海難事故で漂流していた母を、見つけたのは、観測船乗組員だった父だったという。
郷里に帰りたいかと尋ねればかたくなに首を振った。そのまま父のところにいついてしまった。母。
「イリュージアは母さんの子供ね、だからあの部屋に父さんの肖像画があった」
ラドウは無言で頷いた。
「あの人達は、どうなるの」
「これから、自分で働くか、さもなければ、最低限の食事だけを保障する貧民施設があります。そこに行くことになるでしょう」
「鍵のない檻に、死ぬまで閉じ込められるってことか、最高の復讐ね」
ロケットを母の首の辺りに返す。
「この結末に驚いてないのね」
「あの方は、生き延びたことを呪っておられました。ずっと死ねる日を待ち焦がれていたのです。今日、行方の知れなかったフェリシア様の無事を確認し、イリュージア様を託された。そして、復讐も果たされた。もうあの方が生きている理由がないのですから」
上のほうで、警備兵に、前女帝が拘束されている。おそらくこのまま王宮から叩き出されるのだろう。
「馬鹿よね、あのままほうっておいてくれたらよかったのに、そうすれば、母さんは一生ここに帰ってなんかこなかったのに」
イリュージアはその場に座り込んで茫然と遺骸を見ている。そしてしゃくりあげ泣き崩れた。
「あの方たちも縛られていたのですよ、愚帝フェデルの伝説に、どうあっても殺すか監視下に置かなければ自分たちが滅ぼされると。この国のためだと本心から信じなければこの仕組みは成り立たないのです」
ラドウははっきりと言い切った。
「心から信じればこそ、良心の呵責に縛られずにすむではありませんか」




