絶対音感
その音楽教室は、夏休みのあいだだけ、無料で子どもを預かってくれた。
共働きの私には、ありがたい話だった。娘を通わせはじめて、すぐに評判の良さがわかった。先生は決して子どもを叱らない。音を外しても、リズムを乱しても、穏やかに微笑んで、「大丈夫よ」と言うだけだった。
発表会の見学に行った日、私はその「大丈夫」の意味を知った。
子どもたちが順に、鍵盤を弾いていく。先生は目を閉じて聴いている。ほとんどの子は合格で、先生は嬉しそうにうなずいた。私の娘も合格した。だが、ときどき、ほんのわずかに音を外す子がいた。私の耳には、違いなどわからないほどの、ずれ。
そういう子を、先生は叱らなかった。ただ、いっそう優しく微笑んで、その子の手を取り、廊下の奥の「別室」へと連れて行った。
「あの子たちは、特別なお勉強をするの」
別室から、その子たちが戻ってくることはなかった。迎えの時間になると、人数が合わなかった。けれど親たちは、誰も騒がなかった。むしろ、自分の子が合格したことを、静かに誇っていた。私も、そのひとりだった。
先生も、かつてこの教室の生徒だったのだと聞いた。完璧な音だけを残し、濁った音を間引いていく。それが、この土地で何十年も続いてきた「教育」だった。
帰り道、車の中で、娘が鼻歌を歌った。ほんの少し、音を外していた。
私は反射的に、娘の口を手でふさいでいた。




