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お望みどおり死んであげたのだから、どうか私を嫌ってください。

作者: あまNatu
掲載日:2026/02/16

「そうよ。あくじょになりましょう」


 そんな天啓てんけいが如き思いつきで、幼子のディアーナはその後の人生を悪女として過ごすことに決めた。

 なぜそうなったのか。

 それは彼女の壮絶な過去が関係していた。

 過去と言っても齢五歳のディアーナのものではない。

 二十五歳まで生きた世界線の話だ。

 意味がわからないだろう。

 ディアーナ自身もよくわかってはいない。

 しかし一旦前世と言っておこう。

 そこでディアーナは壮絶な人生を送ったのだ。


「ロンド王国の正当なる王家の血筋は、もはやエルメール公爵家にしか存在していない」


 他国からの侵略や内乱など、あらゆる原因があり現王室は正当なる王族の血を継承していない。

 王族の血筋は公爵家であるエルメールのみが継いでおり、王室はその血を求めた。

 王太子ケイネス・ロンドと公爵令嬢、ディアーナ・エルメールの婚姻を持ってその血を王族のものとしようとしたのだ。

 国王の命を受け結婚し、王太子妃となった前世のディアーナ。


 ――地獄そのものだった。


 ケイネスはディアーナを愛することはなく、ただ子を成すための腹とした。

 欲しいのは王族の血のみで、ディアーナに人権というものは存在していない。

 ディアーナはただ王太子妃としての仮面を被り、子を成すその日を待つだけだった。

 しかし残念ながら、ディアーナが子を産むことはなかった。

 するとケイネスは待っていたと言わんばかりに、昔から目をかけていた女性と関係を持つようになったのだ。

 しかもその女性を心から愛しているとまで伝えてきた。

 子を成せない苦しみ。

 愛のない夫への憎しみ。

 自分が欲しいと願い続けるケイネスとの子を、愛人が産むという屈辱。

 それらにディアーナは耐えられなかったのだ。

 だってそうだろう?

 自分が子を成すことができなかった理由が、まさか王妃のせいだったなんて知った時の絶望は、これ以上の地獄などないと思えるほどだったのだから。


「エルメールの血が途絶えれば、我々が正当なる王族となるのよ」


 王妃はまるで、今日の天気でも話すかのように告げた。

 ディアーナが懐妊するためにと笑顔で渡されていた薬は、むしろその逆のものだったのだ。

 それに気づいた時には、この体はもう毒に蝕まれていた。

 子も成せない。

 余命も幾許いくばくもない。

 それなのにどうして。

 ケイネスや王妃、そして妊娠することすらできなかったディアーナをあざけった愛人が、しあわせにしている姿を見ていられるのだろうか?

 そんなの許せるわけがない。

 だからディアーナは決めたのだ。

 ケイネスの息子の三歳の誕生パーティーで、ディアーナはパーティー会場へと向かった。

 そこで王妃の所業。

 ケイネスの薄情さ。

 愛人の卑しさを全て暴露した。

 三歳の子どもを盾にして。

 もちろんこの子どもを傷つけるつもりはない。

 ただ時間が欲しかったのだ。

 だから最後にはディアーナから手放した。

 母に駆け寄る子ども。

 それを抱きしめる母親。


(ああ……。私もああなれるはずだったのに)


 ディアーナは薄くなった髪をまとめていた髪飾りを引き抜き、鋭利な先端を首元に持っていく。

 これでやっと終われるのだと思えば、不思議と死ぬことに恐怖心はなかった。


「ディアーナっ!?」


 ケイネスの焦った声がした。


「どうか神様。来世ではこの人たちと関わるがありませんように――!」


 首を貫く熱い痛み。

 膝から力が抜け、体が地面へと落ちていく。

 最後の最後。

 ディアーナが見たのは、焦った表情で駆け寄るケイネスの姿だった――。



 


「――はっ! …………え?」


 そうして目が覚めたディアーナは、昔の公爵家で目を覚ました。

 己の手が小さく、鏡に映った幼少期の姿に全てを悟る。

 せっかく人生を終わらせたと思ったのに、戻ってきてしまったのだ。

 どうして、なんでと嘆き悲しんだディアーナだったが、すぐに気がついた。

 戻ることができたということは、あの悲惨な事件を回避できるということだ。

 ならディアーナがやるべきことは一つ。


「そうよ。あくじょになりましょう」


 王太子妃にならないようにすること。

 残念ながらこの時にはもう、王太子の婚約者になってしまっている。

 ならば悪女として名を上げ、好き勝手に生きる。

 世界は自分のものであるかのように振る舞えば、そんな女を王太子妃にしようなんて愚かな考えは持たないだろう。

 それからディアーナはそれはそれはもう、横柄おうへい高飛車たかびしゃ傲慢ごうまんと呼ばれるよう努力した。

 なまじ血統がよすぎるからか、ディアーナがそんな態度をとったところで誰一人疑う人はいない。

 なのでありがたく正当なる王族の血を引くのは私と、ディアーナは鼻を高くした。

 早々に可愛らしく言い返してこなさそうな令嬢を見つけ、取り巻きたちと集中的にいじめてやった。


「あーら。フレンチェ伯爵家では、そんなドレスしか買えないのかしら? 安物で我が家のパーティーに参加しようなんて恥ずかしくないの? それともなあに? 我が家にはその程度がお似合いだと?」


「も、申し訳――」


「聞こえなーい。声が小さすぎるわ。ほら、もっと大きな声で言ってちょうだい」


「――っ」


 カタカタと震える少女。

 それを見ていた取り巻きたちはくすくすとバカにしたように笑う。

 これこそまさに悪女たる姿だ。

 満足したディアーナは、最後にフレンチェ伯爵令嬢のドレスに真っ赤なワインをこぼす。


「このワイン、そのドレスよりも高いのよ。よかったわねぇ? これでこのパーティーにもお似合いになったわ」


 おーほっほ!

 と理想的な悪役令嬢の笑い方までマスターしたディアーナは、取り巻きたちとその場を後にする。

 今にも泣きそうなフレンチェ伯爵令嬢を一人残して。

 主催のディアーナはやることが多いのだ。

 あれやこれやとたくさんの人と話をして、なんだかんだと取り巻きたちとも別れて。

 そして人気のない裏庭までやってきた。


「――あ、ディアーナ様」


「ほんっっっっっとうに申し訳ございません……っ!」


 そして流れるように、その場にいたフレンチェ伯爵令嬢こと、メリルに深々と頭を下げた。

 それに慌てたのは謝られたメリルだ。


「ええ!? だ、大丈夫ですよ! こういう約束ですし……」


「でも! でもぉ……!」


 いじめるのは胸が痛むのだと、しくしく泣きつつもディアーナは自身のハンカチで、メリルのドレスについたワインを拭いていく。

 それにメリルは笑いかけてくれた。


「そもそもこのドレスを用意してくださったのは、ディアーナ様ではないですか。……私の家は貧乏すぎて、本当ならこんな素敵なパーティーに参加なんてできないのに。……ディアーナ様が招待してくださったからですよ?」


 ありがとうございますと頭を下げるメリルの健気さに感動して、ディアーナはその頭を優しく撫でる。

 そう、実はディアーナはメリルに依頼をしていたのだ。

 私のいじめられ役になってくれ、と。

 その報酬として彼女には社交界の場と服やアクセサリー一式をプレゼントしているのだ。

 だって無理なのである。

 そうでもしないと、なにも知らない人をいじめて傷つけるなんて、ディアーナの良心が許さなかったのだ。


「その見返りにいじめられ役をやるよう強要しているのですから、お礼を言われるようなことではありません」


「別に叩かれたりしているわけではないですし。お金ないのも事実ですから」


 それに、とメリルはその場でぐるりと回る。

 ワインで染まってしまったピンクのドレスのスカートが、ふわりと浮いた。


「こんなに可愛いドレス着れたので、私は大満足です!」


「なんでいい子なの! あとで同じドレスをご自宅にお送りいたします」


「わあ! 本当ですか! とっても嬉しいです!」


 メリルの家は爵位はあれど、貧乏な家らしい。

 社交界に出ようにも、それにふさわしいドレスすら買えないと彼女の両親が嘆いていたのだ。

 それを聞いたディアーナは、瞬時にこの作戦を思いついた。

 メリルに協力してもらい、自らを悪女に仕立て上げるために。


「それにしてもなぜこんなことを……? 王太子妃ってみなさんなりたいものなんじゃないんですか?」


「メリルはなりたいの?」


「私は無理です! もっと普通の結婚がしたいです!」


 年ごろの娘が社交界に出れないとなると、行き遅れる可能性が高くなる。

 それを危惧するくらいには、メリルには結婚願望があるようだ。


「安心してちょうだい。あなたにふさわしい相手は私が必ず見つけてみせますから」


「あ、ありがとうございます」


 手伝ってくれている彼女のためにも、必ずや相手を見つけてあげなくては。

 そう一人で決意を固めているディアーナに、メリルは改めて問いかけた。


「ディアーナ様は幼きころより王太子妃になられることが決まっていたと聞きます。……ですが、本当は嫌だったのですか?」


「ええ。とても」


 メリルの問いに、ディアーナはキッパリと答えた。


「私は絶対に王太子妃にならないわ。自由を謳歌すると決めているの。他の人と結婚するのも……まあ、ありね。けれどね、王太子殿下とだけは絶対に、本気で、間違いなく、結婚しないと決めているのよ!」


 あんな未来になんて絶対にしない。

 そう心に決めているディアーナが、力強く拳を掲げた時だ。

 ガサリッ、と草を踏む音が鳴った。

 その音に慌てて振り返ったディアーナは、まるで石像のように固まる。


「――…………………………お、王太子殿下……?」


「……やあ」


 そこにいたのはまさにディアーナが今、絶対に結婚はしないと宣言した婚約者、王太子ケイネスであった。

 彼は少し驚いたように目を見開いた後、すぐに人のよい笑みを浮かべる。


「ど……どうしてここに? パーティーにはご招待してなかったかと……思いますが……」


 だから油断していたのだ。

 彼がここにいることは絶対にないと。


「婚約者が開くパーティーだからね。実は君のご両親から招待状を受け取っていたんだけれど……知らなかったようだね」


 なんてこった。

 ディアーナは天を仰いだ。

 きっと両親はよかれと思ってやったのだろうが、とんでもない状況を作り出してくれた。

 まさか今の話を聞かれたのでは……とディアーナは己の顔色が悪くなったことに気がついた。


「…………まさか、今の会話……」


「うん。聞いてたよ」


 なんてこった。

 またしてもディアーナは天を仰いだ。

 もうこれは誤魔化すことなんてできないだろう。

 ならどうするべきか。

 答えは一つだ。


「ならば王太子殿下。――婚約破棄してください!」


 潔く願い出るよりほかにない。

 全てを聞かれたのなら、ディアーナの気持ちも理解してくれているのだろう。

 彼はこの数年後、本当に愛する人が現れる。

 元よりディアーナのことは愛していなかったのだから、きっとこの提案も清く受け入れてくれるはず。

 そう思って頭を下げたディアーナ。

 それに対してケイネスは軽く首を傾げた。


「え、嫌だよ?」


「……………………え?」


「婚約破棄なんて絶対にしないよ」


 想像と違う返事が来て、ディアーナは驚きのあまり固まった。

 予想ではそういうことならしかたないと、頷いてくれると思ったのだ。

 なぜなら彼は王族の血を継承するため、無理やりディアーナと結婚させられるのである。

 愛も恋もないそれを望むはずがないと思っていたのに、いったいどういうことだろうか?


「…………な、なぜ?」


「なぜって……むしろなぜ婚約破棄してもらえると思ったの?」


「だって……」


 あなたは未来に真に愛する人ができるから、なんて言えない。

 言えないけどどうにかしなければ。

 ディアーナとしては、彼と結婚するなんて考えられないのだから。

 その時ふと、当初の作戦を思い出したので実行することにした。

 ディアーナは慌てて扇子を広げると、顔の半分を隠す。


「あら、皇太子殿下。未来の皇太子妃がこーんなに性格の悪い女でいいのかしら! 私、この少女をいじめていましたのよ」


「え? あ、はい! いじめられてました!」


 ディアーナの演技にメリルがこくこくと頷いてくれる。


「ほら! いじめられている方がこう言ってるんです!」


 どれだけ己の性格が悪いか熱弁しようとしたが、それより早くケイネスが口を開いた。


「うん。でも演技なんでしょう?」


「――」


 そうだった。

 彼はそこまで話を聞いていたんだ。

 ディアーナがメリルにお願いして、悪女を演じていたことがバレてしまったのだ。

 混乱のあまり忘れていた。

 なんて恥ずかしいことをしてしまったのだろうか。

 ディアーナは羞恥心で真っ赤になった扇で顔全体を隠した。


「――ち、違います! 私は本当に彼女のことを……!」


「手に持ってるハンカチ、ワイン拭いてあげてたんだよね?」


 ディアーナが慌ててハンカチを隠そうとしたが、それよりも早くケイネスがその手を掴んだ。


「優しいんだね、僕の未来の花嫁様は」


 ディアーナの指先に優しく口付けをするケイネス。

 それを呆然と見ていたディアーナは、慌てて手を引き抜く。


「な、ななな、なにをしていらっしゃるんですか!?」


「なにって……求愛?」


 この男はなにを言っているんだ?

 ついこの間まで婚約者とは言え、会うのはパーティーでくらいだったというのに。

 ディアーナのことを嫌っていたのではないのか?

 わけがわからないと一歩下がると、ケイネスは一歩足を進めた。


「面白いこと考える子だなって思ったら、なんだか気になっちゃったんだ」


「気になっちゃったって……」


 そんな簡単に言われても困る。

 ディアーナは王太子妃にならないために、幼少期から悪女を演じ続けていたというのに……。


「…………婚約破棄……して……くれませんか?」


「無理」


 いい笑顔で返されて、ディアーナは膝を折った。


「ディアーナ様!?」


 それに慌ててやってきたのはメリルだ。

 ディアーナの肩を掴み、支えてくれる。

 差し出された手に感謝しながら立ち上がれば、それを見ていたケイネスが楽しそうに笑う。


「ほら。いじめてる人にいじめられてる人が手を差し出すなんてありえないよ。……僕の婚約者は優しいんだね?」


「ディアーナ様はお優しいです! …………あ」


「メリル……!」


 いや、メリルは悪くない。

 悪くないけれど思わず名を呼ばずにはいられなかった。


「ご、ごめんなさい! ディアーナ様……、そのっ」


「いいのよ……。気にしないでちょうだい」


 致し方ないとディアーナはケイネスと真っ向から対峙した。

 こうなったら正攻法でいくしかない。

 両手を力強く握りしめる。


「王太子殿下。私は婚約破棄したいです!」


「僕はしたくない。だから無理だよ。これからもよろしくね」


 ディアーナの決意は綺麗さっぱり打ち砕かれた。

 どうしてだ。

 あんなに頑張って悪女としての悪評を広めまくったのに。

 どうしてこんなことになるのだ。


「どうして私の思いどおりにならないの!?」


「どうしてだろうねぇ?」


 思いどおりにいかせなかった張本人がなにを言うのだと、ディアーナは下唇を強く噛み締めた。





「王太子殿下にご挨拶申し上げます……」


「こんばんは、ディアーナ」


 あれから、ディアーナとケイネスの関係は急速に進んでいったように思う。

 今まではパーティーを一緒に行く程度の仲だったのに、ここ最近はケイネスがディアーナを訪ねて公爵家にまでやってくるようになったのだ。

 これには両親も大喜び。

 娘が王太子妃になるのだと確信を持ったらしく、ニヤけ顔が止まらないらしい。

 本当にやめていただきたいものだ。

 対するディアーナは、いつも通りかつもっと大胆に悪女として、ケイネスを跳ね除けた。


「王太子殿下。昨日いただいたプレゼントですが、お返しいたします。私にはもっと高価なプレゼントをご用意くださいませ」


「ディアーナ! 王太子殿下になんてことを……!」


 不敬にも程がある発言に、さすがの両親も顔色を悪くした。

 これでケイネスも機嫌を悪くするだろうと、一人広げた扇の中で細く笑む。

 しかし相手はディアーナより何倍も上手らしい。


「また僕からのプレゼントを受け取ってくれるんだね。じゃあ次は君が欲しいものを一緒に買いに行こう。あ、今から行くかい?」


「……………………行きません」


 なぜ嬉しそうにするのだろうか?

 理解できないとディアーナは早々に自分の部屋に戻る。

 そしてケイネスは当たり前についてくるのだ。


「……なぜついてくるのですか?」


「ディアーナに会いにきたからね」


「……なぜ会いにくるのですか?」


「会いたいからだね」


 あ、もうだめかもしれない。

 ディアーナはなんとなく察した。

 これはもう逃げられない気がする。

 せっかく全てを投げ打ってでも悪女として頑張っていたのに、たった一度の油断で全てが水の泡になったのだ。

 過去の己を呪おう。


「…………殿下は私を愛しているのですか?」


「え? ……うーん。どうだろうね?」


 ケイネスは心底わからないと言う顔をする。

 やはりそうなのだ。

 ケイネスはディアーナを愛せない。

 なぜなら彼が誠に愛するのは、未来で出会うただ一人の女性。

 だから今彼がディアーナを相手しているのは、単なる気の迷いなのだ。

 それがわかっているからこそ、ディアーナはケイネスと結婚するわけにはいかない。


「――殿下が私を愛することはないです」


「……断言するんだね」


「あなたは未来に、真に愛する人が現れます」


「予言の力でも持っているのかな?」


 まあ信じられる話ではないよなと、ディアーナはため息をついた。

 だがこれが真実なのだから仕方がない。

 ディアーナはケイネスを見ると、腕を組んだ。


「私が殿下と結婚できないのは、殿下にはのちに真に愛する人が現れるからです。そして私は捨てられる」


「…………」


「ですからどうか、婚約破棄してください」


 もう頭のおかしい女だと思われても構わない。

 とにかくケイネスと離れなくては。

 そう願い出たディアーナを、ケイネスは黙って見つめた。


「…………なるほど。じゃあ僕が君だけを愛すると誓えばいいんだね」


「なにを言って……」


 誓ったからとてなにになる。

 彼が他の女性を愛することになるのは決まっているというのに。

 それなのにケイネスは膝を折ると、ディアーナの手をとった。


「命をかけよう。……僕は君だけを愛する」


「…………信じろと?」


「これからの僕の行動で、きっと信じてもらえるよ」


 いったいなにをするつもりなのか。

 全くわからないが、しかしこれはディアーナにとってもいい提案かもしれない。


「――では、私が殿下の愛を信じられなかったら、その時は婚約を破棄してくださいますか?」


「――もちろん。そんなことにはならないからね」


 ディアーナは心の中でガッツポーズをとる。

 これで言質がとれた。

 彼が未来で別の女性を愛することは確定しているのだ。

 ディアーナが彼の愛を信じられるはずがない。

 これで婚約破棄は確定だ。

 ディアーナは小躍りしたくなる気持ちをグッと抑え、ケイネスに向かって微笑む。


「では、これからどうぞ教えてください。……殿下の愛を」


 なんて挑発的に聞いてみる。

 するとケイネスもまた、なんだか余裕そうな笑みを浮かべた。


「覚悟しておくといい。――僕の愛は重いから」


 なにをそんな、とディアーナは笑う。

 これで晴れて自由の身になれるのだと、ディアーナは喜びに震えた。

 やはり世界はディアーナの思いどおりに動くのだ。

 最高だ!

 と喜ぶディアーナは知らない。

 ケイネスの愛が本物で、本当に重たく、決して逃れられないことを……。



 


「もう少ししたら殿下が真に愛する人が現れます! だからもう少し離れてください!」


「またその話? 大丈夫だよ。僕が愛するのは後にも先にも君だけだから」


 なんて膝の上に乗せられ耳元で囁かれると、ディアーナは顔を真っ赤にした。

 想像と違う。

 違いすぎる。

 だってそんなはずはない。

 彼はこのあと、運命の人に出会うのだから。

 だからこれは、それまでの辛抱なのに……!


「ディアーナの髪は綺麗だね。今日も僕がとかしていいかい?」


「だ……だめです!」


「うん、とかすね。お風呂にも入れてあげる。あ、一緒にも寝ようね? 夫婦になるんだから……いいよね?」


「よ、よく……ありません……!」


「うんうん。お風呂にはディアーナの好きな薔薇の花を浮かべようね」


 なんだか……絆されているように感じるのは気のせいだろうか?

 ディアーナは知った。

 自分が押しにたいそう弱いことを。

 そしてケイネスはごり押しが得意なのだ。

 ……つまりこれはとてもまずいのではないだろうか?


「あの、殿下……。ここ最近、可愛らしい女性に会ったりはしていませんか?」


 うわさに聞いただけだが、ケイネスが愛する女性と出会ったのはこのくらいの時だったはずだ。

 ディアーナと婚約中に、運命的な出会いをした。

 しかし王家の正当なる血を求め婚約しているディアーナと、婚約破棄などできない。

 だから仕方なくディアーナと結婚したが、その女性と離れることはしなかった。

 肉体的な関係は持たずとも、王宮の一室に囲っていたのだ。

 そしてディアーナが妊娠できないと知り、その女性と関係を持った。

 きっと彼女に会えば、ケイネスも変わるだろう。

 そう思って聞いたのだが、当のケイネスはディアーナの髪に口付けを落とす。


「君以上に可愛らしい女性なんていないよ」


 そう言うことを聞きたいのではない。

 しかしどうやらまだ出会ってはいないようだ。

 きっとケイネスも本当に愛する女性ができれば、ディアーナになんて構っていられないはず。

 そうなったら婚約も彼のほうから破棄されるだろう。

 だからあと少しの辛抱だ。


「……現れたら教えてくださいね?」


「…………現れないよ。絶対に」


 絶対に現れるのに。

 まあ彼は知らないから仕方がない。

 運命の女性を愛おしげに見つめる彼の顔は、本当に美しかったことを思い出す。

 しあわせそうだったのだ。

 愛する人を隣にいさせる彼は。

 そう。

 それこそ、今ディアーナを見つめるその面差しのように……。


(…………ん?)


 どうして、そんな目でディアーナを見つめてくるのだろうか?

 少し潤んだ瞳に、赤く染まる目尻。

 優しく微笑む表情は、ただディアーナに【愛おしい】と伝えてくるかのようで……。


(…………そんなわけ、ないのに)


 だって彼が愛するのは彼女だけなのだ。

 金に輝く長い髪に、晴天のような青い瞳。

 男爵家という地位の低い家柄でありながら、その美貌で王太子の愛人となった女性。

 きっと、ディアーナが死んだあとは彼女が王太子妃になったのだろう。


「…………はやく、現れないかしら」


 ぼそりと呟いたその言葉は、きっとケイネスにも届いただろう。

 後ろから抱きしめてくる手に、力がこもる。

 けれどそれでは困るのだ。

 ディアーナの目的は、王太子妃にならないこと。

 自由に生きること。

 それだけなのだ。

 だから困る。

 未来は残酷で残忍なのだ。

 それがわかっていて、絆されるなんてあってはならないのだから。





 この日は、ケイネスの誕生パーティーであった。

 もちろん婚約者であるディアーナは毎年招待されており、ケイネスとともに出席している。

 とはいえ誰がどう見ても不仲なのがわかるほど、お互い義務的であった。

 ファーストダンスのみ一緒に踊り、あとは離れて過ごす。

 それがいつもどおりであった。

 しかし今年は違う。

 二人はファーストダンスを終えてもなお、ずっとそばにいるのだ。

 まるで方時も離れたくはないと言いたげに、ケイネスはディアーナのそばにいる。

 それがとても……居心地が悪かった。


「殿下。……あちらの女性が殿下と踊りたがっています」


「そう。あ、ディアーナ。これ好きだよね?」


「……ありがとうございます」


 そういってディアーナの前に、デザートが乗ったお皿を持ってくるケイネス。

 それを受けとりつつも、ディアーナは周りをチラリと見る。

 あれだけ不仲だった二人が一緒にいることに、驚きを隠せない人たちばかりだ。

 たくさんの視線が向けられて、たいへん居心地が悪い。


「疲れてないかい? 少し裏で休む?」


「いえ。……大丈夫です」


 優しくしないでほしい。

 どうか関心を向けないでほしい。

 だっていつかはそばを離れなくちゃならないのだから。

 絆されるな、自分。

 そんなことを心に刻んでいた時だ。


「ケイネス殿下、ディアーナ様。王妃様がお呼びですか」


「母上が? ……わかった」


 その瞬間、ディアーナの心臓は大きく動き出した。

 王妃といえば、未来でディアーナが不妊になり死の原因を作った人だ。

 前回はケイネスと結婚するまで顔を合わせることもほとんどなかったというのに、一体なんの用だろうか?


「行こうか」


「……はい」


 ケイネスの手をとって向かう。

 嫌な予感がするけれど、行かないわけにはいかない。

 険しい顔をするディアーナに気づいたのか、ケイネスは優しく声をかけてきた。


「大丈夫だよ。……君が心配することなんて一つもないんだから」


「……そう、ですね」


 そんなことを言われても、不安にならずにはいられない。

 だって相手は腹の底に何を考えているかわからない王妃なのだから。

 そして残念ながら、ディアーナの不安は的中した。


「王妃陛下にご挨拶申し上げます」


 案内された部屋に入り、頭を下げるディアーナ。

 そして顔を上げた時、その光景に息すら止まってしまった。

 だってそこにいたのは、見知った顔の人だったのだから。


「きたわね。ケイネス、こちら男爵令嬢のフラー・ポプリよ」


「――はじめまして、王太子殿下。フラー・ポプリと申します」


 金に輝く美しい髪に、青空のような瞳。

 庇護欲をくすぐるような儚くも美しい女性が、そこにいた。

 最後の記憶よりずっと幼く見える彼女こそ、ケイネスの運命の相手だ。


(ああ……。そうなのね)


 彼女をケイネスに引き合わせたのは王妃だった。

 ディアーナと婚約中に、こうして二人を引き合わせたのだ。

 それほどまでに、ディアーナとケイネスの仲を引き裂きたかったのだろう。

 古い王家の血などいらぬと、密かに国王の命令に背こうとしていたのだ。


(――結局、王妃の思うがままなのね……)


 ケイネスはフラーを愛する。

 そうなることはわかっていた。

 ならもう、どうすることもできない。


(いえ……。これでよかったのよ)


 王太子妃になんてなりたくない。

 あんな死にかたしたくない。

 なら当初の予定どおり、ケイネスと婚約破棄しよう。

 きっと彼もそれを望むはずだ。

 どうせディアーナを呼んだ理由も、嫌がらせなのだろう。

 ケイネスとフラーがお互い恋焦がれる姿を見せようというのだ。

 ならさっさとここを出よう。

 せめてそれくらいは、王妃の思いどおりになりたくない。


「彼女をあなた付きの侍女にするつもりよ。――可愛がってあげなさい」


「どうぞ末長く、よろしくお願いいたします」


 もういい。

 どうせ二人は愛し合う運命なのだから。

 ディアーナには関係のないことだ。

 そう思い踵を返そうとしたディアーナだったが、なぜか隣にいたケイネスに肩を抱かれた。

 え、と顔を上げればケイネスの真剣そうな横顔が見える。


「侍女はいりません。それより母上。お願いがあるんです」


「いらないって……。ほ、ほら、フラーは美人でしょう? 気もきくしきっとあなたの役に立つは――」


「いらない……って言ってるでしょう?」


 びっくりした。

 ケイネスからあまりにも低く、地を這うような声が聞こえてきたからだ。

 そんな声出せるのだなと驚きつつ、なぜそんなに怒っているのかも気になってしまった。

 だって彼は今、運命の女性に出会えて喜んでいるはずなのに。


「母上の考えていることはわかってますよ。僕はディアーナを不安にさせたくない。……だから、新しい侍女はいりません」


 まさかケイネスがフラーがそばにいることを断るなんて。

 そしてさらにケイネスは、とんでもないことを言い出した。


「ディアーナとの結婚を早めたいと思ってまして。年内……いや、半年以内に」


「――なっ!?」


「ケイネス、あなた……!」


「父上はそれをお望みですよ? 母上。どうかいらぬ野望など抱かぬようお願いします」


 なにがどうなっているのだ?

 まさかあのケイネスがフラーに見向きもせず、ディアーナと結婚しようとしている?

 そんなまさか。

 ありえない……。


「待ってください! 私は――」


「ディアーナ。信じてくれ。……僕は君だけを愛する。これはその誓いだ」


「…………わ、わたしは……」


 ちらりと、ディアーナはフラーと王妃を見る。

 二人は揃ってディアーナを睨みつけており、この展開がお気に召していないことは明白だった。

 そんな二人の表情を見た時の、ディアーナの中に現れた感情は恐怖や嫌悪感ではなかった。

 こみあげたのは怒りだ。

 彼女たちのせいで人生を台無しにされた。

 それは間違いない。

 いまだ鋭く尖ったものが、喉元に突き刺さるあの感覚を覚えている。

 それなのに許せるはずがないのだ。

 彼らの手の上で踊らされることも、都合のいい存在と操られることも。


(そうよ……)


 どうして今まで思いつかなかったのだろうか?

 彼らの思いどおりになんてさせない。

 させたくない。

 それならやることはただ一つ。


「――ケイネス様。私を、私だけを愛してくださいますか?」


「もちろん。心から、君だけを」


 その言葉がこの場で聞けてよかった。

 これで覚悟を決められたからだ。

 ディアーナはケイネスの腕に抱きつくと、そのまま勝ち誇った笑みを浮かべる。


「ケイネス様のお申し出、お受けいたします。……結婚いたしましょう」


 そうディアーナが告げた時の、王妃とフラーの顔といったら。

 悔しそうなその顔に、溜飲がほんの少しだけ下がった気がした。

 だがもちろんまだだ。

 まだ足りない。

 もっともっと、その顔が見たい――。


「これからよろしくお願いいたします。王妃様、フラーさん?」


 今度はディアーナの思うがままに、二人を手のひらの上でで踊らせてみせる。

 復讐は始まったばかりなのだからーー!





 完

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