23-2
そういえば今日、木栖の誕生日だ。
書類に日付を入れるためにカレンダーに視線を移した時にそのことに気づいた。
(まあ、だからといって何かやるのもな?)
俺が母を亡くした直後の誕生日以降、仕事への慣れから余裕が出て来たのもあってか誕生日前後には飯山さんがパウンドケーキや大きなプリンを作ってくれるようになった。
たぶん今年も飯山さんが木栖に何か作ってくれるだろうし、俺がどうこうする理由もない気がする。
「まずは仕事しよう」
そう言い聞かせて意識を書類へと戻した。
……が、その日飯山さんはその日特に何も作らなかった。
本人曰く『事前にリクエストを聞いたんですがー、酒のつまみになるジャーキーをリクエストされたので今必死に乾燥させてますよー』とのことで作る余裕がなかったらしい。
となると、知ってて祝わないみたいになるのが気になる。
風呂上がりにぼうっと夜風に当たりながらなんかしてやるべきなのか?と考えてみるが、特段いい答えも思いつかない。
「真柴、」
ふらっと現れたのは薄いTシャツにステテコ姿の木栖だった。
風呂上がりの洗いざらしの髪はわずかな湿り気とせっけんの匂いがする。
「風呂上がりに涼みにきたのか」
「そんなとこだな。で、お前夕食の時にちょっと俺の方見てなんか考えてたろ?」
木栖の問いかけにグッと息がつまる。どうやら俺の考えはバレていたらしい。
(……まあ、ここ数年はずっと一緒にいたしな。そりゃ気付くか)
俺は特別考えがわかりやすい方ではないはずなのでそういう事にしておこう。
「お前、今日誕生日だったろ」
簡潔にそう告げると木栖の表情が一気に喜びへ変わった。
夏の夜の薄暗がりでもよく分かるほどにはっきりした変化を見てると、こいつの単純さをちょっとおかしく思う。
(こいつが俺の一挙手一投足に振り回されてるのを見ると、やっぱり楽しいな)
「誕生日、祝ってくれるのか?」
「特別にな」
「……じゃあ、一曲歌ってくれよ。お前の思う一番の愛の歌を」
「誕生日の歌でなくていいのか?」
「お前からの愛の歌がいいよ」
その答えにやれやれという気分になるが、決して悪い気はしない。
一挙手一投足に振り回される可愛げある男のリクエストが歌ひとつなら安上がりもいいところだ。
(俺の思う一番の愛の歌、か)
そう言われれば思いつく曲がひとつある。
立ち上がって木栖と相対するように向き合えば、「発音とか文句は言うなよ」と前置きして思い切り息を吸い込んだ。
歌ったのは、エディット・ピアフの愛の賛歌だ。
耳コピで覚えたせいでフランス語の発音が少し変とベトナム時代に知り合いに言われたが、歌自体は割と好きだから、こういう時にパッと出せる曲の中で最もまっすぐな愛の歌だった。
相思相愛の中にあった男との死別の哀しみを歌ったと言われるシャンソンの名曲は夏の夜にまっすぐ一人の男へと向けられていく。
木栖の黒水晶の目に夏の満月が写りこんで黄金色に輝くのを楽しみながら、俺は愛を歌っている。
歌い上げた俺に木栖はぽかんとした顔で俺を見る。
「どうだ?」
「……そう来るとは思わなかった」
「じゃあ、何なら良かったんだよ」
不満でもあるのか?と問いただす俺に木栖は「そういう意味じゃなくてな?」と困ったように答える。
「その、だ、その選曲は色々勘違いする」
木栖の答えに「なら最初から誕生日の歌にすりゃよかったな」とぼやいてみる。
「あー、いや、正直めちゃくちゃ嬉しい」
うぶな女子高生のようにそう答えるので「嬉しいのかよ」と笑って返す。
めんどくさい男だが、そのリアクションも含めて楽しいと思ってしまう俺もいるのだ。




