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深大寺の選択に振り回されながらも、季節は6月も半ばを過ぎた。
金羊国に滞在中のカウサル女公爵は商売に外交にと金羊国を精力的に歩き回っていたが、大使館にはほとんど近寄らずにいた。
深大寺も休み時間などに物思いにふける様子が見受けられ、事情を察しつつも深入りせず見守っていこうという暗黙の了解のなかで事態は見守られていく。
そんな休日の事だった。
文庫本を読み終えた俺がふと外に意識を向けると聞えてくる音がメロディを奏でている事に気づいた。
(……これ、親指ピアノの音か)
音の主は中庭の木陰にいる深大寺で、しばらくその曲を聴いているとこれが何年か前にやっていた国際結婚をテーマにした朝ドラで使われた曲だと気づいた。
親指ピアノのせいなのかは不明だがちょっと曲の雰囲気が違うのですぐにはピンと来なかったのだ。
遠い国へ嫁ぐ女性の気持ちを歌ったその曲には深大寺の情念が溶け込んでいるように聞こえ、しばらくじっとその曲を聞いていた。
「深大寺」
演奏を終えたタイミングで呼びかけると、深大寺がはにかみながら「聞いてました?」と聞いてくる。
「ああ、上手な演奏だった。でもなんか違う気がするのは気のせいか?」
「このムビラはアフリカ音階でチューニングされてるんです、たぶんそのせいですね」
アフリカの音階でチューニングされた親指ピアノで日本の曲を演奏できるというのはなかなかすごいと思う。
しばらくしていると深大寺は再び親指ピアノでまた違う曲を弾き始める。
これは確か俺が就職したころに流行ったバンドの曲だったか、実際の曲よりはテンポを少し遅らせているが聞けばあの曲だとわかる。
(見えないものを見ようとして望遠鏡を覗き込む、な?)
誠意という目に見えないものに振り回されている俺達にはしっくりくる。
曲が終盤に差し掛かった頃、親指ピアノの演奏の向こうに来訪を告げる声がする。
「僕が行きますよ」
深大寺が立ち上がって出ていくので「じゃあ、頼んだ」と答える。
それから5分ほどしてから、深大寺が中庭に戻ってきたので「誰だった?」と聞くと「カウサル女公爵の遣いの人でした」と言う。
「明日の夕方帰るのでここへ挨拶に伺いたいと、明日休みですけど個人的に会う分に敷地内に入られてもは問題無いですよね?」
「一応問題はないな、ちなみに俺も同席していいか?」
「僕は大丈夫ですよ」
****
翌日も大使館は休みだったが、カウサル女公爵は事前の告知通り大使館に現れた。
女公爵は質素ながら仕立てのいいシンプルな白いシャツとズボンを着ていて、深大寺も薄青のサマーニットで少しだけこじゃれた服装にしていた。
俺もさすがにジャージでは無理なのでTシャツにジーパンで最低限人に会える服装をしておく。
「今回は迷惑をかけてしまってごめん」
「いえ、公爵も地位ある方ですから」
いの一番に詫びを入れてきたカウサル女公爵に深大寺は少し困ったような表情でその詫びを受け取った。
「真柴さんにも少々どころではない迷惑を」
「お気になさらず」
俺達が詫びをいったん受け取ったと理解すると、カウサル女公爵はゆっくりと顔を上げてから深大寺の方を見た。
「ここ数日、ずっと私がきみのために何が捨てられるかをずっと考えてた。でも、私は何も捨てられない」
「他の愛人もですか」
深大寺にとって大きなネックだった公爵の恋人たちの問題に表情がわずかに曇る。
「そうだね、きみの前にいる私はきみのものだけれど、彼らの前にいる私は彼らのものだ。彼らの前にいる私を君に渡すことは出来ない。じゃあ私が捨てられるものは何だろう?と思ったんだけれど、ひとつしかなかった」
「ひとつ?」
「わたしの結婚そのもの」
その言葉に俺たちは一瞬ぽかんとしていた。
親指ピアノは国によって多少名前が変わるので深大寺くんの演奏している親指ピアノはムビラという名称なのだと思ってください。




