15-2
施設に着くと母はベットに横たわって呼吸器越しに荒い息をしながら、俺を見てかすかに微笑んだ。
その目は息子への家族愛でなく死別した夫に向ける慕情を滲ませながら、掠れ気味の声で「まさひろさん」と亡き父の名前で俺を呼んだ。
母のシワだらけの手を握ると熱がこもって酷く熱い。
掠れ気味の小声で「おかえりなさい」と告げると俺は「ただいま」と返す。
「まだ、ごはん用意して、ないの。ごめんね」
「気にしないで」
「よるごはん、なにがいい?」
その問いかけは恋焦がれた男への愛に満ちていて、俺は泣きたい気持ちをこらえながら「……なんでもいい」と答えた。
こんな状況にあっても愛する男のために飯を作ろうとする母の女としての健気さと、どう頑張っても俺という存在は忘れられたままなのだという虚しさが胸の奥に入り混じる。
ちらりと機械のほうを見ると心拍が随分弱まっている。
「じゃあ、しょうがやきに、しましょ」
そう呟いたとたんにピーッと心拍の停止を告げる機械音が鳴り響いた。
かあさん、ともマコちゃん、とも呼ぶ暇もなかった。
近くの病院から来てくれた医師が母の心拍や呼吸の停止を確認してから「ご臨終です」と声を掛けられる。
まだ熱い母の掌を離すと叔母が「大丈夫?」と声をかけてくれる。
「大丈夫です、覚悟はしてましたから」
「そうね。無理そうなら言ってね」
「はい」
ぐっと立ち上がるとまずやらなければならない事について考える。
まず死亡届と葬儀・通夜の準備、施設にある母の私物の片付け、あと俺の忌引き休暇の取得。
母が死んでも泣く余裕はない。やらなければならない事はいくらでもあった。
***
母の知り合いへの連絡を叔母に任せ、俺は母の遺体を亡き祖父母の家へと運んだ。
俺の家は一時的に人に貸しているので使えないが叔母の家の敷地には数年前まで俺の祖父母の暮らしていた離れがあり、今は荷物置きのようになっているここなら安心して母を置いておくことができた。
「叔母さん、母のエンディングノートってどこにあります?」
「確か姉さんの本棚にさしてあるはずよ」
母が施設に入る時の荷物整理の際にたまたま見つけたエンディングノートを探しだすと、生前予約された葬儀社が見つかりすぐに連絡を取れた。
生前予約された葬儀社の担当者とエンディングノートの指示を付き合わせ、可能な限り母の要望に合う葬儀場を探し、叔母から来そうな人についての事前情報を聞いて覚えた。
その多忙さの中でふと部屋に安置された母の青白い顔を見ては本当に死んでるのだろうかという気持ちが湧いてくる。
母の傍に腰を下ろして指で頬を押してみると、頬は死後硬直で硬く冷たくなっている。
たかだか半日前までは熱を帯びて暑かった母がもうこんなにもひんやりと冷え切った身体で横たわっている。
「すいません、これからお通夜の部屋について確認したいんですが……」
じっと母を見つめていた俺に葬儀会社の人が声をかけてくる。
「そうでしたね」
ぼんやりしている余裕はない。
明日夜のお通夜と明後日の葬儀に向けて動かなければ。




