内緒の話
双子の妹視点です
「それにしても怖かった……お兄様の真顔、久しぶりだったから」
思い出すだけでも身体が震える。氷の王子との異名をとるお兄様は度々あのお顔をされるけれど、それを私たちに向けることは殆ど無い。立場を傘に着て目下の者に理不尽な要求をした時は例外だけれど。
まだお母様たちの過去を知らなかった幼い頃、それでも私たちは何かを感じていた。みんな優しく見守ってくれる毎日だけれど、自分でも訳が分からない焦燥感に苛まれて私は自分を持て余していた。なのに、それをはっきり自覚すら出来ていなかったせいか、上手く消化することも出来ずにいる毎日。
そんな時、私の護衛騎士の一人に婚約者が出来た。いつも優しく話を聞いてくれて、たまに小さな花束や街で評判のお菓子をくれた人。私的な贈り物はあまり推奨されないけれど、この程度なら問題無いと見逃されていた。小さな姫様に高価でもない すぐに消えて無くなる物を贈ったところで、何がどうなる筈も無いと。
でも確かに影響はあった。やはり護衛対象、しかも異性が相手であるなら適度な距離感は必要。どんなに相手が幼くとも。あれは私の初恋だったの。よく分からない不安に苛まれている中、彼が心の支えだった。今となっては完全な黒歴史だけれど。
私はあろうことか、その護衛騎士の婚約を解消させろと言い、更に復縁できないよう、婚約者であった女性を他の相手に嫁がせるように主張した。我ながら最低だと思う。
当時の私は九歳。とっくに分別はついている頃。おまけに王族。どう考えてもあり得ないこと。幸いにしてごくごく内輪だけの話で、例の騎士にも知られなかったのは助かったわね。情報統制して下さったお祖父様たちに感謝だわ。
周囲が何とか私を宥めすかそうとする中、容赦なく私を糾弾したのがリアン兄様だった。声を荒げるでもなく、静かに淡々と全く感情を見せない顔で、如何に私が王族としてのみならず、人としてもあり得ない程に酷いことを言っているのか話して聞かせたの。僅か九つの子供とは思えない冷静さで。ミル兄様どころかお義母様やお祖父様でさえ一切口を挟めなかった。
泣きながら二度とこんな馬鹿なことは言わないと約束したら笑って頭を撫でて下さったけれど、暫くはマトモに顔を見られなかったわね。いつも飄々としているアイリも流石に少し怖かったみたい。
それから暫くして、件の護衛騎士が婚約を破棄されたと聞いたわ。街のカフェの店員と懇ろになって子供が出来てしまい、それを婚約者に知られてしまったのだとか。更に他にも隠し子が居たそうよ。
自分の子かどうか分からないだろうと抵抗されていたそうだけれど、残念ながらその騎士の家の特徴である蔦の葉型の痣が決め手になったようね。それを指摘されると、今度はご自分の家族や親族に擦り付けようとするのだから信じられない。自分の見る目の無さを痛感させられたわ。
それはさておき、私に言い聞かせた時の様子を見てお祖父様がミル兄様を王太子に決め、リアン兄様は臣籍に降ろすと仰ったの。
その言い分は こうだった。
「国の顔としてはオリアンダーは威圧感があり過ぎる。九つでこれでは成人した際にはどうなることやら。如何に優秀であろうと民の心を掴むのは難しいだろう。だがこの冷徹さは王を諌める立場にあれば理想的だ」
その話を聞いてミル兄様やお義母様が戸惑いを見せる中、最初からミル兄様を支えるつもりだったリアン兄様は違ったわね。何故当たり前のことをわざわざ言うのかと言わんばかりの顔をなさって、そもそも王冠は重すぎて願い下げだなんて笑っていた。私もその時はあの大きさでは肩が凝りそうなんて思っていたけれど、そういう意味ではなかったのでしょうね。
その後すぐに発表された内容に戸惑う人が多かったようだけれど、騎士たちは歓喜していたわ。その頃には既に将来お兄様を正式な騎士にと望んでいたようだから。
今になってあの騒動を思い返すと自分の愚かさに顔から火が出そうよ。あんな節操なしに惹かれてしまったのは異性に対する免疫が無いのだから大目に見るとしても、それ以外のことでは私がとんでもない我儘娘だと思い知らされる。
久しぶりにお兄様からあの顔を向けられて、怖いのと襲いかかる黒歴史とで思考停止しそうだったわ。アイリが助け舟を出してくれなかったら危険だった。感謝しか無いわね。
「だって本当のことは言える筈ありませんから。実はアルシーア義姉様もお兄様を憎からず思って下さっているとお聞きして、感極まって抱きついた。なんて」
部屋について来てくれたアイリがぴったり寄り添いながら微笑む。素晴らしい癒やし効果ね。困った所もあるけれど、いつも助けられているわ。
「絶対に口外しないという約束で、侍女たちからも離れてベッドの真ん中で内緒話をしたのだから、ね」
あの時のアルシーア様の愛らしさと言ったら! 危険すぎてお兄様には見せられないわね。暴走すること間違い無しだもの。
それにしても堂々とアルシーア様をお義姉様と呼べるアイリが羨ましいわ。下級生という、言い訳としてはぎりぎりアウトかもしれない立場を堂々と免罪符にして、すっかりお義姉様呼びを認めさせてしまったわね。本当にちゃっかりしているのだから。
「でも、お兄様も隅に置けませんわね。今までロクに交流も無かったのに、今日だけで、すっかりアルシーア義姉様のお心を掴んでしまわれるなんて」
ああそうか、アイリは知らないのね。
「今日だけじゃないのよ。以前から彼女が困った時は助けているから、元々好印象を持って下さっていたの」
「助ける? お兄様が? 下手なことをすると勘違いされるからと、目の前で倒れた女性が居ても護衛に任せて決して自らは手を貸さない、あのリアン兄様が?」
そう。だから助けた回数自体は決して多くないのだけれど、周囲にお兄様の気持ちはバレバレだったりする。気付いていないのはアルシーア様本人と物凄く鈍感な方々だけね。
流石にアルシーア様は、今日のお兄様の様子で察していたようだけれど。
「可憐だとか完璧だとか 、リアン兄様がどんな顔で仰ったのか想像しただけで……笑ってしまいますわね」
「そんなこと言って、寂しそうな顔をしているわよ」
何だかんだ言って、ミル兄様以上に一緒にいる時間が長くて私たちを大切にして下さるリアン兄様は、アイリにとっても大好きなお兄様なのよね。
「だって……せっかく仲良くなれたお義姉様だって、その内お兄様が独占なさる筈よ。お二人共、あんなに幸せそうなお顔をされているもの。そしていつかリーア姉様だって私を置いて行くんだわ」
「アルシーア様に関しては そんな呼び方をしておいて今更……それに置いて行かれるのは私よ。婿をとって王宮に残るのが決定しているのだから」
「そういう意味ではありませんわ! 私たちだって、このままではいられないもの」
「そうね。王侯貴族にとって有益な婚姻を結ぶのは義務ですもの」
ミル兄様だってそう。それでもあんなに仲良く過ごしていらっしゃるから、政略結婚だって悪くないと思うのは楽観的すぎるかしら? だけど恋愛結婚だって上手くいかない場合も多いのよね。貴族でも恋愛結婚のご夫婦は いらっしゃるけれど、公の場以外では目も合わせなくなった方々を何組か知っているから。
何より私自身が自分の異性を見る目を信用できない。あれは小さな頃だからと周りのみんなは慰めてくれるけれど、何も知らない幼児ではなかったのよ。あれを気にしないなんて無理だわ。
それよりも寧ろ未だに私たちに婚約者が居ないこの状況を何とかしないと。三人それぞれに他国からの申し込みがほぼ同時に複数あった時に、どこを選んでも角が立つからって全てお断りしたせいよ! 本人の意思に任せるって何? 馬鹿なの? 王族でありながらそんな寝ぼけた回答ありだと思っていた訳? あの男、仕事だけはそれなりに出来ると思っていたけれど、全然駄目じゃない! そりゃあ お義母様は勿論、私たちともマトモな交流は無いけれど、国王としてなら呼び出せるでしょうが! つくづく思うけれど、ミル兄様の縁談はお祖父様がまとめて下さっていて良かったわ。
でもそのお陰でお兄様は幸せになれそうだから、少しは評価しても……いいえ、それはあくまでも結果論。あの男の功績ではないのよ。