兄上と
こちらで情報は掴んでいたが、念のためアルシーア嬢やスタウト嬢にも何があったのか詳しく教えてもらう必要があった。でも幾ら落ち着いた様子だとは言え、あのような目に遭った彼女たちに即座に事情聴取など流石に気が引ける。慣れているのと何も感じないのは違うから。
まずは客間で落ち着いてもらおうと思っていたら待ち構えていたリーアとアイリに「これだからお兄様には任せられないのです」「淑女にはまず湯浴みですわ」と言われ、客間に侍女たちを引き入れるのを後目に退散させられた。急ぎなら勝手な真似を許す兄上ではないので構わないのだろう。とりあえず軽く身形を整えてから向かった。
兄上の元に辿り着くなり質問が飛んで面喰らう。挨拶無しなんて兄上らしくない。
「プラム・スタウト嬢は何者なんだ?」
「何者って」
「無論、身元は分かっている。だけど彼女の元に駆け付けた騎士たちが異口同音に言うには、到着した時には既に盗賊は五人全員が地面に座り込んでいたらしい。更に彼女はある程度のことは聞き出していたようだが、盗賊たちは口を揃えて『何でも話すから早く連行してくれ』と騎士に泣きついたと聞いたよ」
「それは……」
思い返すと連れて来られた時も怯えきっていたな。
「何をしたのか問うても『私の流儀で尋問しただけです』と言われたようだ。過去のスタウト家の記録にも尋問については何も無いから彼女だけなのかもしれない」
「答える気は無さそうですが、家に受け継がれたものでないのならどうやって身につけたんでしょうね」
「五人共に軽傷だから拷問の可能性も低い。何をすれば無法者があんなに素直になるのか分隊長は知りたがっているけど難しそうだね」
俺も少し気になるな。冷静でやり過ぎわないとアルシーア嬢が評していた彼女が、一体どんなやり方で尋問するのか。
「気にはなりますが……単なる好奇心なら俺は訊かない方が良いでしょうね」
「そうだね、分隊長には自力で教えてもらうように言っておくよ」
「そうして下さい」
俺が訊くと回答を強いてしまうから必要でない質問は避けたい。
「それにしてもコンフィデント嬢は強いね。令嬢がならず者たちに追い回されたというのに毅然としていると聞いたけど」
「彼女の認識では〝誘き寄せていた〟そうなので」
答えると目を丸くして笑い出した。
「なるほどね、リアンとの相性は良さそうだ。それにしても安心したよ、君にも想う相手が出来て」
温かく見守る目。義母上にも感じる、包み込んで安心させてくれる空気感。素晴らしい家族に恵まれた。高位になる程、家族の繋がりは希薄になりがちなのは致し方ないこと。腹違いの兄弟姉妹なんて尚更だ。何もコンフィデント侯爵家に限ったことではない。大きな利権が絡むのだから、両親を同じくする兄弟や親子であろうと時には命を奪い合う。祖父上があのカスを殺そうとしたのは全く違う理由だが。
皮肉なことに、共通の敵であるクソの存在が俺たちの絆を強固なものにしている。だからと言って感謝なんかしないけどな。
「今更私が言うまでもないだろうが、親と子は全く別の人格の持ち主だ。どうしても似る部分もあるだろうが、どのような人になるかは心がけ次第だよ」
「はい」
「だけど、私は基本的に人は間違いを犯すものだと思っている。だからこそ常に己の行動を振り返り、正しい道を模索しながら生きることが大切なんだ」
兄上は大丈夫だろうとは思うが、将来国を背負って立つ以上、注意深く己を律して生きる必要があるのだろう。兄上程ではないが俺だって責任ある立場だ。公私共に今まで以上に気を付けよう。
「大丈夫。誰の血を引くかより、誰に育てられたかの方が人格形成にはより大きな影響を与えるものだよ。その点、我々とあの男の交流は殆ど無いからね」
その通りだ。寧ろ祖父上や伯父上たちの方が密接な関わりがある。俺たちだってあんな男との家族ごっこなんてお断りだが、そもそも向こうが子供に興味を示さなかった。あんなに母上に執着したクセに、あの男の色合いをそっくり受け継いだ俺たちを見た瞬間、どうでもよくなったようだ。
「それもあるけど、あの男は意固地になってただけじゃないかな」
「そうかもしれませんね」
確実に自分のモノになると思っていた相手が手の平からこぼれ落ちそうになり、周りも手放すように説得する。それを絶対に認めたくない。あの男なら頷ける。
「そもそも最初の婚約者選定の際、あの男が望んだのは母上だからね」
「義母上を?」
「そう、一目惚れしたようだ。だがレゾルート公爵から断られ、祖父上が諦めさせた。
当時あの男はまだ十歳だったので、その内もっと好きになる異性に出会えるだろうと周りも思ったのだろう」
その後暫く婚約者は要らないと臍を曲げたあの男だが、城で開催された茶会ではきちんと同世代の少女たちと交流していたようだ。それで周囲も安心していたらしい。それを続け十四歳になった年に「あの子なら構わない」と言った二歳年下のプラシド侯爵令嬢がアスター母上だった。つまりそれ程強い思い入れは無かったのだろう。
当然ながらカルミア義母上は婚約の申し入れを断ってから一度も城には来なかったようだ。要らぬ混乱を避けるためで、それは正しかったと思う。
母上との婚約はあの男が積極的に望んだ縁ではなかったことを母上も祖父母も承知していた。だからこそ、身体が弱ってすぐに婚約の解消、又は白紙撤回を求めたのだ。きっとすぐに認められるだろうと。叶わないとは夢にも思わなかった筈。
「まさかとは思いますが、あの男……カルミア義母上の親友であるアスター母上を逃したくなかっただけでは? いずれは配偶者となる相手の親友なら縁は切れないから」
「それどころか母上が義母上を心配してついて来るのを見越していた可能性すらある」
クズなクセに、いや、だからこそなのか余計な知恵ばかり働く男だ。そもそも知能はそれなりに高いのだ、人間としては駄目なだけで。上っ面だけの国王としての能力は申し分なかったせいで廃嫡できなかったのが悔やまれる。
「考えたらあんなに堪え性が無いヤツが、心底惚れている相手を娶って何年も我慢できる筈ありませんね」
「当時多忙だった母上が相手してくれないからアスター義母上に……という可能性は私も考えた。母上に最初に婚約を断られた後、暫くは何とか近付こうとしていたようだから」
もし婚約を結んだ時点で二人が親友だったのなら──二人は同じ年齢の高位貴族令嬢、その可能性が高い──アスター母上が馬でカルミア義母上が将だったのか。二人を虚仮にしすぎだろう。
たとえ そうでなかったとしても、カスのやったことは許されないが。
「でも結局は両方欲しいだけの下衆だと思うよ。親世代では、あの二人とコンフィデント嬢の母君が最も美しい令嬢たちだと評判だったらしいからね」
「そんな恥知らずが少し拒絶された程度で不能になりますか? それ程 繊細な心の持ち主とは思えませんが」
義母上に拒絶されても力尽くで何とかしそうだ。周囲がガードしようとも何とか突破しただろう。
「祖父上の監視がかなり厳しかったから、母上の寝所に忍び込むのは無理だったと思うよ。当時はまだ王太子、国王には敵わないだろう」
「なら他所で好みの相手を見繕いそうですよ。タイプの違う義母上と母上、どちらもいけるなら他の相手でも構わないでしょう。
本人はそう思っていないかもしれませんが」
以前から思っていた。おかしくないかと。
人の気持ちが分からず好き勝手に振る舞っていた男だからこそ打たれ弱く、妻たちに嫌われていたと知って立ち直れなかった可能性はある。
だが、もし違うなら。
あの男がおかしな相手に入れあげて身を持ち崩したり、新たに子をもうけて継承権で揉める危険性を排除したいと願い、密かに実行した〝誰か〟がいたとしたら。
「祖父上は……母上たちの味方だったんですよね?」
「今も変わらずね。そして孫である私たちの側について下さる。
勿論、私たちも祖父上の味方だ。そうだろう?」
「当然です」
兄上の目に仄暗い光が宿る。きっと俺も似たような表情をしているのだろう。
「ありがとうございます。妹たちが居ない場所で話して下さって」
「流石に聞かせられないからね」
本当は俺にも聞かせたくなかった筈だ。でも俺は兄上に〝もしも〟があった場合、代わりに立つ必要がある。国王やその代理など、見えない爆発物に囲まれながら生活するようなものだ。知りうる情報は どんな些細なものでも手に入れておかなければならない。
ふと いつもの優しい顔に戻った兄上が話を変える。
「そう言えば怪我をした御者は、安静にしている必要はあるが命に別状は無いよ。数日もすれば仕事に復帰できるだろう」
「安心しました。アルシーア嬢が気にかけていたので伝えておきます」
妹たちと共に居るのでまだ話は出来ないかもしれないけど と言うと、苦笑しながら「助けに行った方が良いよ」と言われ、嫌な予感がして急いで向かった。