騎士の妻
「「お兄様、お義姉様、おめでとうございます」」
満面の笑みで祝福する妹たち。揃いのライラックのドレスがよく似合っている。花嫁より控えめに、とスレンダーラインを選んだそうだが、その心遣いも嬉しい。
「ありがとう」
「ありがとうございます」
俺は騎士の正装だが、予想通りサイズ直しが必要だった。新たに仕立て直してから、さほど経っていないのに。「どこまで伸びるのかな」と、いつの間にか追い越してしまった兄上に言われたが、俺にも分からない。
そしてバーガンディのマントとは今日でお別れだ。王家から離脱する俺は、もう二度とこの色を羽織ることは無い。俺は何も変わらないのに、不思議な気分だな。
シアはオフホワイトのベルラインのドレス。エンパイアラインは胸元が強調され過ぎて却下。ブルーシルバーのドレスも候補に挙がったが、マーメイドラインだったのでお断りしておいた。
義母上には呆れられたが、何が悲しくて彼女の身体の線を他の男の目に晒さなければならないのだ。二人きりなら是非ともお願いしたい所だが。
式は無いので婚姻証明書にサインして、大司教に寿いで戴くだけ。あとは義母上にもお言葉を戴いて終了。
この二人が婚姻の正式な証人となる。言うまでもなく、我が国での政・教における最高権力者たちだ。他国からの問い合わせにも対応してくれるので、万が一にも無効となる心配は要らない。
クズは不参加。体面を考えると式に呼ばない訳にはいかないだろうが、今日は必要が無いので呼んでいない。快適だな。
それは妹たちの目にも、かなり魅力的に映ったようだ。
「私もサインだけが良いと思いましたわ」
「私もよ。盛大な挙式は王太子だけで、その他の王族はサインで良いと思うの」
「それは無理だろう。俺たちだって、来年には式を挙げるぞ」
俺は今日から侯爵家の一員になる。
王子として婚姻して新たに家を興すなら、お披露目も兼ねて盛大にしなければならない。婿入りでも挙式の時点での身分が王子だったなら、それなりにする必要がある。
幸い今回は先に婿入りで式は後回しだから、そこまで派手な式にしなくても良い。それを教えると、シアがほっとしていた。必要だとは分かっていても、準備に時間も金もかかり過ぎる式は好まないようだ。
そういう所も意見が合って良かったな。
何にせよ、これからは妻を支えるただの夫になれる訳だ。騎士としてそれなりの地位に就いてはいるが、王子ではない。
親兄妹への言葉遣いも改めようとしたら猛抗議が起きた。おまけに義母上や兄上には、今まで通りの態度でいるよう命を下すとまで言われる始末。
確かに逆の立場で考えてみたら、その言い分も分かる。なので公私で態度を使い分けることにした。
「忘れないで欲しいのは、婿入りとは言え、リアンにも侯爵位が与えられるのよ。領地は断られたけど」
「リアンの戦功を鑑みると、公爵位でも良いと思うのですが」
「無駄に更新料を搾り取られるだけじゃないですか、本当は侯爵位だって遠慮したいのに。
それに領主になるより、領主の夫が良いんです。騎士も続けるし」
更新料なんて気にならない程度の私財はある。でも、出来るだけ妻子に使いたい。
「爵位が複数あれば、長子以外にも与えられるし安心よ」
「平民でも良い……とはなりませんね、流石に」
継承順位を考えると、子が平民になるのはあり得ないだろう。爵位ならコンフィデント家にも複数あるけれど。
「リアン様、私、しっかり稼ぎますから!」
「ありがとう。俺も稼ぐから、生活の心配は要らないな」
二人で話していると、何とも言えない顔で皆が見ている。
「この二人って、建前はともかく、実際は恋愛結婚ですわよね?」
「そうなんだけどね」
義姉上が苦笑している兄上に話しかける。
「婚姻したばかりなのに夢が無いわね」
「色気なんて もっとありませんわ」
妹たちも不満げだ。だが人前で色気も何も無いだろう。
それに先立つモノが無ければ夢なんて見られない。貧しくても愛があれば、なんて言えるのは、それなりに余裕がある間だけ。本当に切羽詰まったら、親だって子を売るし、夫婦だって殺し合いに発展する。
何より夫婦のすれ違いは、日々の小さな違和感を放置して、大きく膨らませた結果だとか。だから意見の擦り合わせは重要だ。
と力説すると、誰に聞いたのかと訊かれる。
「騎士たちと街の皆に」
「お兄様が仰ったのは極端な例ですわ。特に子売りなんて。
お二人がそこまで困窮する筈がありません」
「それに夫婦間の殺人は、寧ろ不貞が引き金になる場合が多いと聞きましたわ」
アイリ、流石だな。その通りだが、夫婦で互いを受け取り人にした保険に加入できるようになってから、その類の犯罪が増えたんだよ。それも不貞との合わせ技が多いけど。
「リアン様、私は絶対! 不貞なんて働くことはありませんから」
「俺も、シア以外なんて頼まれても嫌だな」
至高の妻がいるのに、他に目が行く訳がない。
あまりの愛らしさに頬や口元に指先で触れていると、盛大な溜め息が聞こえた。
「この二人は、これで良いのでしょう」
「そうね。色気が無い訳でもないと分かったことだし、出来たての夫婦をそっとしておきましょう」
兄上と義母上が何か言っているけれど、少し疲れが見える。俺たちのことで忙しかったのだろう、ゆっくり休んで戴きたい。
「私は昨日も指示を出した後は早めに休んだわよ。今は少し精神的に、ね」
「帝国との問題で頭を悩ませてしまいましたね。あちらも俺のことは諦めざるを得ない筈なので、ご安心下さい」
親を労ったら「お前は何も分かっていない」という顔をされた。何故だ。まだ何か問題があるのか?
「アルシーアちゃん、少し大変かもしれないけれど、リアンをよろしくね。〝何か〟あれば遠慮なく言って頂戴。もう貴女は私の大切な娘なのだから」
「はい、お義母様」
心から労るような表情でシアに告げると、やや顔が赤い彼女が頷く。その様に、つい後ろから抱き込んでしまう。
堂々と抱き締められるって良いな、夫婦になれて良かった。
「……さあ、みんな、行きましょう。馬に蹴られる前に」
「そうですね。お義母様、よろしければお茶でも如何ですか?」
「残念ながら、宰相との打ち合わせが急に入ったの」
妹たちも少し疲れた様子で「お義姉様、頑張って下さいね!」「無事でしたら近い内にお茶しましょうね」と言いつつ、立ち去ってしまった。そして気付くと、俺たち夫婦の宮殿に案内されている。
すぐに夜会シーズンが始まるので、暫くは侯爵邸ではなく王宮に住む。
正殿から見ると、王妃の庭園を挟んだ南側にある宮殿。そこに侯爵家から派遣された使用人たちも一緒に滞在する。それだけでは人手が足りないので王宮の使用人も居るが、あくまで補佐。
つまり、ここは実質的にはコンフィデント侯爵家。シアもここで仕事をする。俺も暫くしたら王子としての執務を引き上げ騎士に専念できるから、今よりは手伝える。かもしれない。
強い陽光の下では白にも見える、ライトシアンのこぢんまりとした宮殿。いや、単体で見ると決して小さくはない。だが、正殿と比べると、かなり控えめなサイズだ。
ここが挙式までの期間、俺たちの城になる。
「お帰りなさいませ」
昨日どころか、一昨日から宮に入って準備してくれていたスタウト嬢が、他の使用人たちと出迎えてくれた。シアが嬉しそうだ。彼女がいてくれて安心だな。
そして、ローワンも当然のようにいてくれる。それがどれ程心強いか、どんなに言葉を尽くしても伝わらないだろう。
「可愛い宮殿ですね」
「気に入ったなら良かった」
五代前の国王が妻を娶った第三王子のために建てたらしい。因みに、その王子も戦場で命を落とした。俺は特に気にしないが、シアはどうだろうか。
すぐに使える宮が他に無かったのだが、ここを誰が使っていたかは、言わない方が良いかもしれない。いずれは知るにしても、新婚初日に伝えるような事柄ではないだろう。
「リアン様は、これからも騎士のお仕事は続ける予定ですよね?」
着替えてティールームに落ち着いた時、シアに訊かれた。サインしたのが昼過ぎだったので、茶には良い頃合いだ。
それにしても、多忙な面々を翌日の昼過ぎに集結させるって滅茶苦茶だな。改めて考えると義母上が恐ろしい。
そして騎士を続けると前もって言っておいたが、改めて確認する程に気になることがあったのだろうか。
「そうだな。この国の王子として生まれたなら、立太子しない限りは婿入りしようが、それは変わらない。
それに俺には天職だと思う」
「そうですよね。リアン様の妻になるということは、騎士の妻になるということ。今更ながらに実感が湧きました」
「後悔している?」
やや沈んで見える表情に、つい問いかけた。たとえそうだとしても言える筈が無いのに。
「後悔、ですか……うーん、無いですね。不安が無い訳ではありませんが、今は平和ですし」
むきになって否定するのではなく、じっくり考えての返答に、嘘や強がりではなさそうだと安堵する。
だからこそ不安があるのも本当だと分かる。
俺だって、もしシアが戦場に赴くと言うのなら心配だし、止めようとするだろう。それが無理なら強権を発動させてでも同行する。その上で、絶対に目の届く範囲に置いておく。
そう出来ない彼女に、ただ大丈夫だなんて言葉をかけるだけでは駄目だ。
だが、それ以外に一体何が言えるのだろうか。