一日だけの婚約
「義母上、頼みがあります」
「婚約なら今朝成立したわよ」
「少しは俺にも相談して下さいよ……」
デートの翌日。シアに婚約を申し込みたいから、その前に許可を得ようとしたらこれだ。
「必要ある? どうせ気持ちは固まっているのでしょう?
それに今は王家が彼女の庇護者となっているから、彼女の婚約や婚姻には私の許可があれば良いの。
そしてリアンは生家である王家の権限者、やっぱり私の許可があれば、婚約も婚姻も出来るのよ」
「確かに義母上がお一人で進めてしまえますね」
あのクズに頼む気にはならない。義母上に権限を与えた祖父上に感謝だ。
「それでも本人たちへの確認も無しに」
「王命って便利よね」
「強引では?」
「彼女の実父は裏組織に資金を提供していた罪人になるのよ。彼女に罪は無いけど苦悩するだろうし、横槍を入れる馬鹿もいるでしょう。
なら有無を言わさず、王家主導で婚約させれば良いと思ったの」
義母上は忙しい中で俺たちのために色々と考えてくれていたのか。
妹たちにシアの想いを聞き、俺の意思確認をして、すぐに動いた。それにしても早い。関連部署に直接持ち込めるのだから最短で片付くのは分かるが、少し戸惑う程だ。
「もう一つ、良い報せよ」
「何ですか?」
「婚姻は明日よ。式は後回しね」
「どうしてそうなったんですか?!」
不快な噂を立てられるのは確実だろうに。
「帝国の第三皇女が、またリアンを狙っているらしいの」
「まだ諦めていないのですか」
諜報に関わるようになって知ったことだが、今年で二十二歳になったその皇女は、今から六年前に俺を見初めたらしい。
六年前、俺は十歳で向こうは十六歳。冗談としか思えないが、残念ながら本気だとか。正直言って気持ち悪い。
外聞が悪すぎるので、皇帝が死に物狂いでその情報を秘匿したと聞く。成人した皇女が十歳児に熱を上げているなど、確かに隠したいだろうな。俺に婚約者が出来れば諦めると思ったが、まだいない。
おまけに評判の悪い皇女は未だに婚約者がおらず、段々と妄想を募らせるようになったようだ。
「リアンが婚約の打診を全て断ったのは、大人になってから皇女を迎えに行くためだ、と信じているのですって?」
「それを知った時、二度と帝国に足を踏み入れまいと誓いましたよ」
頭の痛いことに、その皇女は皇帝に溺愛されている。俺が成人している今、少しの年齢差は気にせずに打診する可能性は否定できない。
「ただの婚約だと、あちらも何とか付け入ろうとするでしょう?
鬱陶しいのは出来るだけ避けたいじゃない?」
「皇族は婚姻歴のある者とは結婚できないから、諦めるしか無くなりますね」
下手な断り方をして帝国との同盟が揺らいだら、また国境付近が騒がしくなってしまう。急いで結婚する方が平和だな。
「それとも国のために愛を諦める?」
「あの皇女が、我が国に益を齎すとお思いで?」
「いいえ、全く。寧ろ疫病……に効く薬は手に入らないかしら?」
「ごまかし方が酷すぎます」
そもそも、力ある帝国の皇女でありながら、未だに独身なのがおかしい。
「本音を言うと、断固お断りよ。
知力は低い、マナーも失格、人柄は最悪、貞操観念は緩々。おまけに異常性癖ですって?
あれを引き取るなんて、どんな罰ゲームよ」
「国を巻き込む罰ゲームは遠慮したいですね」
皇女は見目の良い者を集めて痛め付けるのが趣味だと聞くが、幼い俺に何をするつもりだったのか。
「昨日、皇女の縁談が又しても立ち消えになったと聞いたの。今度こそリアンに求婚すると騒いでいるらしいわ」
「昨日ですか」
俺が幸せに浸っている時に、それを破壊しかねない事態が起きていたのか。シアと平穏無事な生活を送るためには、速やかに婚姻だな。
「彼女と話してきます」
「それが終わったら、二人揃ってここへいらっしゃい。
盛り上がってベッドへ直行は駄目よ」
「どんなケダモノだと思っているんですか」
もっと危険な状況で堪えた実績があるから大丈夫ですよ。
「なるほど、明日には婚姻なのですね」
「忙しなくてごめん、何も用意できていないし」
「そんなの大丈夫です。リアン様を誰かに奪われる方が我慢なりませんから」
婚姻が決まった話をすると、あっさり頷く。あんなに不安を訴えていたのに、こんなに嬉しそうなのが意外だ。
「だって、私との婚姻がリアン様を守るのでしょう?」
「まあ、そうなるな」
「大好きな人を守れるって最高じゃないですか!
それだけじゃなくて、この国も守ることになるんですよね?」
シアは誰かを守るために頑張る人だったな、そう言えば。
「リアン様、結婚して下さい。もう不安なんて吹っ飛びました」
「うん、結婚しよう。ありがとう、シア」
自分から言いたい気持ちはあったけど、彼女の憂いが晴れたなら良い。それに周囲から これ程お膳立てされてしまっては今更だ。
ご機嫌な彼女を抱き締めると、かなりの力で抱き返された。積極的だな!
「シアが婚姻に前向きになってくれて嬉しいよ。
人目もあまり気にしないようになったんだな」
「人目? あっ!」
当然ながら侍女や騎士が何人もいるんだよね、ここ。
昨日は俺が人目の無い場所を選んでいたから、その感覚で反応したのだろう。分かっていたけど。
恥ずかしがる彼女を宥めた後、義母上の元へ行くと告げるとまた固まった。
王太子妃との茶会であれだけ緊張していたのに、今度は王妃。しかも実質的には女王である義母上と会うのは流石に辛いか。
と思ったが、今回はどうも違う理由だったようだ。
「何とお呼びすれば良いのでしょうか? 王妃殿下?
お義母様は気が早すぎますか?」
「既に婚約は成立しているし、明日には夫婦になるから早すぎるとは思わないけど」
「夫婦っ!? あ、そうですね。部屋は……どうするのでしょうか」
真っ赤だな。普通は正式に婚姻したら閨を共にするものだ。
でも俺としては、シアの心の準備が出来てからで良いと思う。侯爵として忙しくなる彼女に負担をかけたくない。
「まずは家や領地の運営が優先だから、シアが落ち着いてからで良いと思う」
「そうですか?」
「来週から夜会シーズン、それが終わるとすぐ卒業式だ。
身重だと辛くないか?」
「っ…………」
もう言葉も出なくなったようだ。
「いらっしゃい、思ったより早かったのね。
リアンの理性が健在で安心したわ」
「義母上、時間は有限です。早く話を進めましょう」
放っておくと、余計なことを言い出しかねない。
「早速だけど、アルシーアちゃんと呼んでも構わないかしら? 私のことはお義母様で良いわ。
面倒な作法も忘れて、家族として接してね」
「は、はい、ありがとうございます」
義母上にいきなり目の前に迫られた上に手をとられ、かなり混乱しているのが見てとれる。
どうしても堅苦しい口調になってしまうシアには、これが正解なのかもしれない。言葉がマトモに出なくなったようだから。
「嬉しいわ、また可愛い娘が増えるのね。
ごめんなさいね、こちらの都合で婚姻まで決めてしまって。
でも式はもう少し余裕をもって準備しましょう」
「はい、お義母様」
二人が婚姻を前提とした話をしている。それがこんなに感動するものだとは。
「残念ながらゆっくりしている時間は無いの。
明日の衣装は時間の都合で既製品のサイズを直すけれど、我慢してちょうだい」
「あの、お義母様。明日は婚姻証明書にサインするだけ、なのですよね?
でしたら衣装は用意して戴かなくても」
「あら、駄目よ。大司教も呼ぶのだから」
聖職者が必要なのは分かるが、昨日の今日で大司教を引っ張り出すとは思わなかった。
「後で無効だ何だと言われないためには必要なのよ。彼が望むお礼をするから大丈夫」
彼は筋の通らないことを嫌う人なので金では動かない。だが王妃の庭園の花を渡せば何よりも喜ぶ。
教会の腐敗を撲滅し、史上最年少で大司教にまで上り詰めた彼は、学園時代から義母上と母上を崇拝していたらしい。二人の信頼関係が何よりも尊いのだとか。
なので義母上が母上を思って手入れしている薔薇を欲しがるのだ。しかし、二人の名前そのものであるカルミアとアスターは「畏れ多くて手にとれない」らしい。よく分からん。
一般的に婚姻前日は忙しいものだと聞く。だが、これ程ではないだろう。
俺は仕立て屋に会った後、数日分の執務を前倒しで片付けさせられた。初夜と言っても閨事をする訳でもないのに、ここまでしておく必要があるのか疑問だ。
そう義母上に訴えると「若い二人は制御不能になる可能性があるから」と返され一言も無い。確かに俺の理性は信用ならないから。
シアは継承の根回しとして、有力貴族との顔合わせ。本当は明日以降、少しずつの予定だったのが、いきなり高位貴族家の当主たちが待ち構える会議室に放り込まれたらしい。
彼女に義母上と兄夫婦が付き添い、継承後も後見人として支えると宣言したお陰で、婚姻も含め好意的に受け入れられたようだ。表面上は、だが。
俺も頑張って支えよう。
就寝時刻は午前三時過ぎ。義母上の予想以上のペースで仕事を片付けたのが災いしてか、次の月曜までの執務をやらされた。「心置きなく愛妻の補佐が出来るわね」と言われてしまえば、文句も言えない。
シアは既に寝ているようで安心した。
明日、いや、今日はもう婚姻だという実感は湧かない。けれど、いつか振り返った時に、この忙しさも良い思い出になるのだろう。