言葉より確かな
「今すぐにでも抱いて下さい」
「自分が何言ってるか分かっているのか?!」
この子、正気? 俺の言ったこと理解している?
「勿論、分かっています! そうなったらリアン様は、この先決して不貞をしないんですよね?」
「そうじゃなくても俺にはシアだけだから」
「婚姻前にどんなに夢中だろうと結局は浮気するんですよ!!」
クソ、あのドープとかいう父親のせいか。もっと苦しめておけば良かった。
「リアン様との話が進むのは嬉しいのに、家のことだけじゃなくて、それも怖かったんです。言葉では何とも言えますからね。
たとえ最初は本当に浮気なんて一生しないつもりでも、いずれ変わっていくんです」
「俺は君の父親とは違う」
「不貞を働く理由は人それぞれですが、余所見をしない男の人なんて殆どいないんです。時間や経済状態などに余裕が無さすぎて出来ない人は別ですが」
余裕があろうとしない男もいるだろう。シアの母方の伯父である伯爵なんて、その典型例だ。それを指摘すると呆れたように笑う彼女。その冷めた目も美しいな、と見惚れている場合じゃない。
「伯父様はそもそも、色事に現を抜かすなんて愚か者のすることだと言って、全く興味が無いんです。義務だから婚姻して子を生しましたが、領地の経営や投資の方がよっぽど興奮するみたいですし。
お母様が言っていました。伯父様は美女が裸で目の前に立とうが、きっと書類から目を離さないだろうと」
「普通に欲があっても伴侶だけを一途に愛する者だっているだろうに」
俺はそうなる自信がある。と言うか、シア以外には興味ないし。
「リアン様が絶対にそうだという保証なんて無いんですよ、婚姻後に分かることですから。今以上に夢中になって、その後で浮気されたら……正気でいられる自信なんてありません」
苦しげに呟く彼女に絶対に浮気しないと言葉を重ねても、不安は払拭されないだろう。俺がどうこうの問題ではなく、幼少期より蓄積された男や婚姻そのものへの根強い不信感は、一朝一夕では消し去れない筈だ。
だからと言って、じゃあ美味しくいただきます、とはならない。それでは俺自身への信頼は得られないのだから。
「それに身持ちが悪い女性もいますよね。私は絶対にそんなことをしない自信はありますが、今〝そう〟なったら私にも密かに監視がつけられて、身の潔白が証明されるのではないかという期待もあります」
「なるほど」
多分、俺と密接な関わりがある限りは王家からの監視は必ずつくだろう、たとえ今抱かなくても。そう言うと少し安心したようだ。
ドープは自分の不行跡を棚に上げて妻の不貞を疑っていたようだ。ヤツが家令に生前の妻と不貞関係にあった男の存在について訊くのを見たらしい。ますます救いようが無い。
自分が欲を抑えられないからと言って、他者もそうに違いないと思い込むのは理解に苦しむ。ヤツにとっては、たった一人だけを大切に愛する者の心こそ理解不能なのだろうな。
「君の気持ちは分かった。いや、共感は出来ないが、口約束なんて信用ならないと思うのも仕方ないと理解は出来る」
「じゃあ……!」
「だけど考えてみて欲しい。この子以外は誰も要らないと思う程に大好きな女の子に『お前のことなど信じられないから今すぐ抱け』と言われてソノ気になると思うか?」
訊くと俯く彼女。率直に言うと、後先考えなければ抱けるとは思う。だって好きだから。今だって気を抜くと、また余計なことをやらかす自信がある程度には欲だってある。
でもこの流れで抱いたら後悔するのは確実だし、信頼は無いのに身体だけを委ねられても、きっと虚しいだろう。
「でも、以前はそれ程に想う相手ではなくても、身体を重ねたのでしょう?」
「一体どこからそんな話が出た? 言った通り、そんな経験、今まで一度も無いんだが」
「嘘です! あんな手慣れた様子で未経験だなんて」
手慣れてない。ただ無駄に知識はあるから そう思われたのかも。
「それは閨教育で」
「ぶち込んだのですか?」
「違うから! あと、そんな下品な言葉、どこで覚えた?」
「ならず者を尋問すると、彼らはこの程度のことは普通に言いますよ」
そうだよな、アイツらにとっては普通の言い回しだった。でも君が口にしてはいけません。
それはそれとして、シアはどうしても俺を経験者にしたいようだが、本当に経験は一切ない。
「見学したからそれなりに知識はある」
「見学?」
「閨教育は座学だけじゃなくて、男娼と娼婦が逐一説明しながら見せてくれるんだ。でもその時は、医学書や解剖学の本よりは分かりやすいな、としか思わなかった」
俺にはそういう欲が備わっていないのでは、とすら思った程だ。とんでもない勘違いだったけどな。あれはあくまでも勉学だと認識していたから何も感じなかったのだろう。実際、覚えることに集中していたし。
「それが王家の閨教育なのですか?」
「王子だけ、王女は座学のみ」
妹たちにあれを見せると言うのなら俺は全力で止める。まあ義母上が許すとは思えないけど。男は知っておかないと、いざという時に困るから。
「閨教育は座学のみなのだと思っていました」
「王女もそうだし、令嬢は大抵そうなんじゃないか?」
君の閨教育は全くもって無意味だったと一昨日に証明されたがな! 男を押し倒すのみならず、自分が相手の〝どこ〟に乗っているかすら気にしないなんて信じられない。どんなに危険な状態だったのか認識すべきだ。
こんな話をしている今なら言っても良いかとそれを指摘すると、顔を真っ赤にしながら謝る。
「プラムにも散々あり得ないと言われました。全く何も考えていなかったんです。でも、無意識でそうなっても構わないと思っていたのかも」
「俺が抱き寄せようとしたら抵抗したクセに?」
明らかにそんな気は無かっただろう。恐らく、そうなり得ないと思っていたから迂闊に行動できたのだろうが、俺が手を出しかねない雰囲気になったら怖くなったのではないか。
「話を戻しますが、見学だけであんなに手慣れた口付けが出来るものなのですか?」
「んー、シアは口付けの経験は?」
「はっ?! あるワケないじゃないですか!」
「だよな。で、君は余裕なんて無かったのに俺が落ち着いて見えたから慣れているように感じただけで、実際はそんなこと無いんだって」
それにシアの反応が素直だから、どうすれば良いか分かりやすかったのもある。それはさておき、今は何とか納得してもらわないと。
「君が人の心の移ろいやすさに不安を覚えるのは仕方ないと思うが、程度の差はあれ、それに悩まされる人は多い。
俺だってその一人だ。シアは真面目だから大丈夫と思っても嫉妬するし恐れもある。今はこんなに余裕ぶっているクセに、君が他の男と楽しげに話していたら割って入って牽制する自信しか無いし」
「そんな、とてもじゃないけど信じられません」
「俺の家族は誰もが容易に想像できる姿だと思うけど、シアがそう言うなら少しは取り繕えていたのかもな。
以前、しつこく君に絡んでいた男を排除した時なんて、ヤツを延々と削ぎ切りにしてやりたい程には苛立っていた」
更に驚いた顔をするのが可愛い。ここ数日は少し幼く感じる表情をよく見せてくれる。あくまでも年相応という感じで、今までが大人びていただけではあるが。
「きっと今俺が君を抱いても、その不安が消えることは無いと思う。心は惹かれているのに仕方なく我慢しているだけではないか、と疑う可能性だってある」
それは想像できたのか表情が曇る。俺はかなり嫉妬深いから疑われるような真似をしないつもりだが、異性との接触を全て拒んでいては王侯貴族として生きていけない。でもシア以外とのダンスはお断りしたいな。多分、義母上のお叱りを受けるだろうけど。
結局の所、不安は何も解消されていない。それでも俺も似たような気持ちを抱えていると知ったお陰か、俺の言葉に耳を傾けてくれる。
シア以外とのダンスは嫌だと言うと控えめに顔を綻ばせる様が可愛くて堪らず抱き締めた。驚いたのか一瞬だけ肩を跳ねさせたが、そっと腕を背に回してくれる。幸せだな。
「それに初めては大切にしたい。不安だからと済ませるのは悲しいと思うんだ。既に口付けはしてしまったけど。勿論、俺は心から望んでしたことだが、君は、」
「私も、全然、嫌ではないので」
ああ、真っ赤になって可愛いな。ついまた顔を寄せたくなるけど、歯止めが利かなくなるので我慢しないと。
「俺としては、今日は健全な……今からは健全なデートにしたいと思うのだが、どうだろうか?」
俺のいまいち締まらない提案に笑って頷いてくれるシアが最高に美しい。まさに女神の顕現だな。