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火を請う雪だるま

 片手で彼女の頬に触れ見開かれた目を見据えつつ唇を寄せると堪りかねたように固く目を閉じ、吐息を漏らす。そのままで避けようとする素振りすら見せない。もう互いの吐息が触れ合う所まで迫っているのに。


 このまま触れては危険だと頭の中で警鐘が鳴り響く。後ろ髪を引かれる思いで離れようとした刹那、彼女が身動ぎ俺の名を呼び、それに引き寄せられるように唇を重ねた。重なった瞬間、息を詰める彼女の真っ赤に染まった顔を見つめながらそのまま軽く啄む。

 今すぐやめるべきだという思いはあるのに離れがたい。柔らかな唇に微かに触れる強さで擦り合わせながら指先で耳の輪郭を辿ると小さく肩を跳ね上げ、鼻から抜けるような甘い声を漏らす。その様に堪らず唇を割り開き小さな舌を絡め取り、手が胸元に向かう直前に我に返った。


 えっ、俺、何やってんの? こんな所で盛ってどうするの?


 いや、心は俺にあるのに思い悩むあまり逃げられたら堪らないとは思ったけど。でも彼女に迫ったのは あくまで本気だと分からせるためで、すぐに解放する予定だった筈。なのに普通に触れているどころかまだ先に進もうとしている。

 これはもう健全な触れ合いの域を超えてしまっているのではないか。あんなことを言った直後の男の前で目を閉じることの危険性を教えたかったのだが、そんな言い訳も斬って捨てられる程に洒落にならない域に達しているような。


「っ何か、変です……!」


 考えていたら耐えられなくなったのか、彼女が腕を軽く叩いたので口を離すと震えながら訴えかける。触れていた俺のせいだとは分かっていても、涙目で見つめられ理性が吹き飛びそうになった。辛うじて踏み止まったが、この子の言動はどうしてこうも本能に訴えかけるのか。

 そして俺はどうしてこうも堪え性が無いのか。血は争えない、と考えた瞬間に頭をテーブルに打ち付けたくなった。


「やり過ぎたな、怖かったか?」

「怖い、と言うか、身体、変です」

「…………」


 落ち込みそうになる思いを堪えて質問すると、俺にもたれ掛かりながらやや回らない舌で告げる。これを素で言ってしまえる彼女が怖い。序でに言うと、あんなことをした男に身を預けられるのも凄い。やらかした俺が他人事みたいに言って良いことじゃないけど。


「止めてくれてありがとう」

「私が止めた、んですか?」

「うん、シアのお陰で止まれたから」


 一応我に返っていたし、あのままでも思い留まったかもしれないが、それはあまり期待できない気がする。


「あの、嫌ではないです。だから、続けても大丈夫? です」

「笑えない冗談だな」


 この状況で自分を襲った男を煽ってどうする、自らを危地に追い込むのは良くないと声を大にして言いたい。君は童話に登場する暖炉に恋した雪だるまか。

 まあどんなに煽られようが、本気で嫌がられたらやめるだろうけど。


「でも、ここは〝そういう所〟だって聞きました」

「いや全然、全くもって違うから」


 ここ、健全なカフェ! 確かに個室は時間を気にしないで楽しめるように一日に一組しか予約を取らないから翌日まで滞在できる。けど、それはあくまでも特別感の演出であって、決して連れ込み宿なんかじゃないから!!


「誰がそんな間違った情報を教えた?」

「デルフィニウム様が」

「義姉上は国一つ挟んだ異国から輿入れした元王女だから、この国の王都にはそこまで詳しくない」


 国の運営に関することなら大丈夫だが、王都に無数に存在する店舗についての詳しい情報などは期待できない。寧ろどこで誤った情報を得てしまったのか調べて兄上に進言しないと。


「アイリス様も仰っていましたよ。プルメリア様はよく分からないそうですけど」

「君がそれを信じたのは仕方ないか」


 情報源については調べるまでもなかったな。アイリはその三人の中では最も市井の情報に精通している。以前の家庭教師の親族が幾つかの店舗を経営しているお陰だが、この店もその一つ。

 だが、もしここが本当にそういう場であったとしてもそれを箱入り王女のアイリに言う筈が無く、そのことをアイリ本人も承知している。それが災いしてか、外から得られた幾つかの情報を元に妹が勝手に推測したのだろう。


「俺が今日ここに連れて来るのは知っていたのか」

「はい、騎士団員が大騒ぎして代わりの利用者を探していたのをデルフィニウム様がご存知でしたので」


 初めての結婚記念日のために奮発して貴族気分が味わえるカフェを予約したのに細君が酷く体調を崩し、キャンセルしても直前では殆ど返金されることは無い。他に誰か行く者はと言った所で、予定が合う上にここの料金を払う余裕がある者が見つからず途方に暮れていた所に、それを聞き付けた俺が声をかけた。

 当然ながら俺が全額受け持つと約束し、細君の懐妊が判明したその騎士には何かと入り用だろうと少し祝い金を渡しておいた。無事に生まれたら改めて祝うが、今回は俺も助かったので礼を兼ねている。


「リアン様はここの実態を知らないだろうから、その気は無い筈とは仰っていましたが」

「知らないも何も、本当に違うから」


 夫婦や婚姻目前の婚約者、又は恋人同士なら盛り上がってそういう展開になることもあるだろうが、ここはそんなことを目的とした場所ではありません!

 百万歩くらい譲って殆どの利用者がそういう使い方をしているとしても、初デートでコトに及ぶのは避けたい。俺が言っても説得力なんて皆無ではあるが。


「でも、確か婚姻前に不適切な関係を結んだ王族の末路は悲惨だとお聞きしました。ならやっぱり駄目ですね」


 何かを思い出したのかのすっかり顔色が戻った彼女が呟く。少し熱を上げていた身体も冷えているようだ。それは明文化されてはいないが、ある程度の地位にいる者であれば知っている筈のこと。

 でも、俺が今シアを抱かないのはそのせいじゃなくて大事にしたいから。というのは説明しないと伝わらないよな。


「それについては抜け道、と言うか救済策があるんだ。俺には関係ないことだと思っていたが、一瞬それを利用することを本気で考えた」

「それは、どういう?」



 この国では立太子していない王子は戦場、それも前線に送られることが多かった。民を死地に向かわせる以上、上も身を切らないと不満が溜まる恐れがあるから。次代の王を危険に晒す訳にはいかないので、それ以外の王子は積極的に参戦させるのが習わしで、そのお陰で士気も上がる。平時であっても情報漏洩を可能な限り防ぐために危険を伴う任務を振られることが多い。

 勿論、それは成人してからに限られていたが、俺は三年前の事件に関わった後は前線に赴いたし、諜報もやっている。国の守護者たちに何を強いているのか、この目で見て確かめたいから。


 だが、王族の血は減る一方。酷い世代だと王太子一人を残し王子全員が戦場送りとなった挙げ句に全滅したこともあった。遺された彼も心労が祟りなかなか子を生せず、しかもその代では王女は生まれていない。王族に連なる者は居ても直系の男子はおらず皆が頭を抱えたその時に、次代から立太子していない王子は本人が強く希望すれば即時婚姻が可能になった。その代わりに離縁は認められない。女子にも継承権が認められたのはその時だ。

 体裁を取り繕わずに言えば、明日をも知れない命なのは同情の余地があるので〝やらかし〟を見逃してあげましょう、その代わり生きている間にしっかり『婚姻した相手』と次代を担う宝を生み出して下さいね。とのことで、不貞をせずに可能な限り子を生す必要がある。要は王族でありながら婚姻前に純潔を奪った相手に責任を持ち決して裏切らず、何をおいても子作りに励め、というありがたい制度だ。

 王族を増やすのが目的なので当然ながら相手は上位貴族の令嬢に限られる。勿論、婿入りであっても貞節を重んじる相手であれば問題ない。


 俺たちの前は二代に渡り王子は一人しか生まれていないので知らない者も多いが、もし望めば俺にはそれが適用される。ただ、それをした場合、婚前交渉があったと公言するようなもの。戦時下ならいざ知らず、今は一応平和が保たれている。なのに己の欲も抑えられない恥知らずだと後ろ指を指されるだろう。

 そうなった場合、俺は自業自得だが、辛い思いをするのは彼女だ。そもそも俺はその類の悪名には慣れている。あのデマは火元から消し去ったとは言え、一度ついた印象を拭い去るのは難しいから。でも女性は男より遥かに厳しい目で見られる。たとえ男が強引に迫ったとしても、それを抑えて身を守ることすら出来なかったと責め立てられてしまう。理不尽極まりない。

 色々考えると、やはり正規の手順を踏むべきだ。



 と、懇切丁寧に説明すると暫く俯いて考え込んでいたシアが言い放つ。


「仰ることは分かりました。だったら尚更、今すぐにでも抱いて下さい」

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