逃がすとでも?
気を取り直して本来の目的地に向かう。もうあんな失態は犯さない。うん、大丈夫だ。
「まずは武具屋に行こうか」
「良いんですか?」
「勿論。カフェはまだ開いてないし、何よりシアが一番楽しみにしていた場所だろう?」
「はい! ありがとうございます!」
嬉しそうな笑顔が愛くるしい。常に表情が変わらず面白みの無い令嬢なんてアホな陰口を叩いていた連中は、こんな彼女を知らないんだな。ザマーミロ。
「レイピア、ハンガー、ランス、スピア、ジャベリン、ポール・アックス…………」
武具屋への道中、とてもいい笑顔で鼻歌を歌っているが、それって本来は誕生日のケーキを作ろうっていう楽しい歌だよな? 武器を羅列した些か物騒な歌になってしまっているのだが。そんな内容の歌を心底楽しそうに歌うのがシアだとは思うけれど、子が出来たら母子揃って外で歌いかねない。気を付けないと。
未来に思いを馳せていると、何故か一昨日の災難を思い出した。
シアの替え歌と言えば
「なあ、シアの替え歌だと〜土曜日は何だっけ〜?」
「知りません!」
そっぽを向いたら余計に覚えているとバレるんだが、この子、侯爵としてやっていけるのかな? 大体、犯罪バージョンもあるから、そっちを言えば良いだろうに。素直すぎて心配だ。
「土曜日はまぐわいばかり、だったよな。ちょうど今日は土曜だし、やってみようか?」
「はっ、破廉恥です!」
「あれ? 目合いって目配せの意味で言ったんだけど?」
ああ、真っ赤な顔で睨まれてる。可愛い、堪らん。意趣返しってあまり良い趣味とは言えないけど、こんなに可愛い反応が見られるなら、ついやってしまうよな。
「おしゃべりの部分を目配せにするのは、元歌の内容から かけ離れてはいないよな」
「そうですね。目配せって、要は目で会話している訳ですし」
あまりいじめては駄目なので微妙にずらした話題を振ると安心したように言葉を返してくれる。まあ閨事も肉体的な会話と言えるから元歌と通じるものがあるけど、それを彼女に言うとマトモに話せなくなりそうだ。
「あっ、あの武具屋さんですか?」
「そう。良い武器が入るし、希望を言えば欲しい物を作ってもらえるから重宝しているんだ」
はしゃぐ気持ちは分かるけど、あまり走らないであげて欲しい、少し離れた場所からこちらを注視する護衛たちのために。俺もさっきシアを抱き寄せた時は、すっかり彼らの存在を忘れていたけど。
俺に護衛は必要ないだろうと騎士たちは言うが、万が一が起こらないとも限らない。それに王子に護衛すら付けない国など諸外国から侮られるので、体面を守るためにも必要だ。騎士と行動する時は外しているが、それ以外では常に見張られている。
シアは強いと言っても女性だし、武器を取り上げてしまえば腕力では男に勝てない。そこでふと気になり、今日はどんな武器を携行しているのか訊いた。
「今は鞭と短剣、それとスリングショットを所持しています。やっぱり遠近両方に対応できないと困りますから」
「俺も剣以外に指弾用の鉛玉を常に持ち歩いている」
「流石ですね。私は指弾だとあまり威力を出せないので」
俺が守ると言っても彼女は武器を手放さないだろう。無いと不安になる気持ちも分かるし、それも彼女の一面だ。何より真剣な顔で武器を構える彼女の美しい姿が見られなくなっては勿体ない。
入店して店主と軽く挨拶を交わし、落ち着きのないシアと共に見て回ると、大剣を見る目が輝いている。自分の腕を見下ろして溜め息をつくのが、何を考えているのか手に取るように分かって面白い。放っておくと日が暮れるまでここに居る羽目になるので、恐らく見たことが無いであろう武器の場所へ向かう。
「これは槍に砲身が付いた武器だ」
「それってガンラ」
「しっ、言っちゃいけません。例のとは違ってロマン砲は搭載していないが、これの盾は打撃武器としても使える」
「確かに盾は防御だけじゃなくて攻撃にも使えますからね」
「昔は特にそうだったらしいな」
元より鈍なので斬るよりは叩き付けて骨を砕いていたようだし、今とは戦い方が全く違っていたと聞く。そしてやっぱり自分の腕を見た後に残念そうに武器を見上げる姿が可愛すぎる。
名残惜しそうなシアにまた連れて来ると約束して外に出た。カフェの予約時間が迫っているから予定を変更し、そちらに向かう。宝飾店は武具屋の近くなので予定に入れたがカフェの近くにも良い店がある。ここにこだわる必死は無い。。
「何か特別な作法はあるのでしょうか?」
「いや、特には無い筈だ」
とは言っても俺だって客として足を踏み入れるのは初めてで、街では最も質が高いと評判の店を選んだものの不安はある。あのような場所で供される飲食物はあまり良くない物が多いと聞いているから。俺は行軍などで茶とも呼べない粗悪な飲料に慣れているが、正真正銘のお嬢様の彼女は大丈夫だろうか。
「思っていたより静かでしたね」
「ここは他より価格設定が高めだから騒ぐ客は来ないようだ」
店に足を踏み入れてから控えめに周囲を見渡していたシアが席に落ち着くなり話しかけるのは良いが、初めてのカフェに興奮しているのか顔が近いので少し心がざわめく。
他の客に煩わされないよう店唯一の個室を予約したのは良いが、この席は向かい合わせではなく横並びに座るソファー席になっている。充分な大きさはあるが、慎みを持った男女の距離感と言えるかは微妙だ。予約した時点では「こんな近くに座って変なことを口走らないか」と不安を覚えていたが、それでも今の心境と比べたら呑気なものだった。今やソファーに彼女と座ると、押し倒された時の記憶が脳裏を過るのだから。そんな状況で無邪気に身を寄せるこの子が心配になる。
おまけにこの部屋は宿泊できる設備が備わっているのだから、疚しいことは無いのに後ろ暗い気分になってしまう。他に個室があれば絶対にここは選ばなかった筈だ。
最も無難なデザート付きの軽食セットを頼み、彼女が紅茶を口に含む瞬間は見ている俺の方が緊張した。でも自然と溢れた微笑みに胸を撫で降ろす。
「普通に美味しいですよ」
「良かった。ここは二年半前に開店したのだが、とある上位貴族家で働いていた者たちを雇っているんだ」
「それは、もしかして例の伯爵家ですか?」
すぐに思い当たるのは流石だと感心する。犯罪には一切関わらなかったが、外聞が悪すぎると どこにも雇ってもらえず途方に暮れていた者たちを拾い上げたらしい。その結果、街で評判の店が誕生したのだから、噂を気にせず雇い入れた経営者の目は確かだったのだろう。
例の事件について話した時、伯爵家の子供たちより罪なき平民の幼子や孤児を悼んだ彼女に、思った通りだと安堵した。身分による縛りがはっきりしている国ではあるが、下位の者を虐げて良い訳ではない。だが、未だにそれを理解していない者が多いのが現状だ。
でも彼女は弱者を守るために動ける人であり、理不尽な暴力を憎む。その心こそが愛しい。
暫く飲食した後、義姉上たちとの茶会について楽しげに話していた彼女がふと顔を曇らせる。
「私、すっかり馴れ馴れしくなってしまって、不敬極まりないですね」
「いきなりどうした?」
待って。他人行儀は嫌だと言っておいて、今更それ? 何で事ここに至って後戻りしようとするの?
「殿下に文句を言ったり睨み付けたり、あり得ないなあ、と今更ながらに反省していまして」
「本当に今更だな」
おまけにその呼び名かという面白くない気持ちの表れか、やや冷たい返答になった俺から目を逸らす彼女に詰め寄る。これは俺のアピールが足りなかったようだ。
「大体、俺を押し倒した上に身体に跨り好き勝手に触り倒しておいて、今になって不敬だとか何の冗談だ?」
耳に言葉を吹き込むと瞬時に身体が固くなる。可哀想に思うが、また後退りされては堪ったものではないので手は緩めない。
「そもそも家族相手に不敬だなんて考えるか?」
「家族?」
「こんな場所で何の用意も無しに言いたくないけど、近々正式に申し込むつもりだ」
「そんな簡単なことでは」
俺だって容易だとは言わない。だけど決して困難でもない。由緒正しき侯爵家の次期当主と臣籍に降ることが決定している第二王子、寧ろどこに問題があるのか。
「俺とは嫌なのか?」
「とんでもない! でも考えれば考える程、当主が罪人となった家に、王子殿下をお迎えするなんて……」
「新当主となる君は罪に問われない。何の問題も無いから」
なのに憂いが晴れない彼女の気持ちが分かるだけにもどかしい。もし立場が逆なら俺だって二の足を踏む。だからこそ、絶対に俺が退く訳にはいかない。
「……じゃあ、〝そう〟せざるを得ない状況にしてしまおう」
「えっ?」
「シアが決して俺以外の男とは結ばれない状態にすれば、どんなに思い悩もうが選択肢なんて無いからな」
話しながら目を見て背中を無で上げた。明確な意志が伝わるように。身を捩るのに構わず抱き寄せ耳に口付け、力の抜けた身体を支えながら言葉で攻め立てる。
「今日は土曜だ、さっき言った通り目合うとしようか。勿論、目配せなんて温い意味じゃない」
「っ!」
真っ赤な顔で硬直している彼女に囁く。
「大丈夫。これまでもこれから先も、俺の一生涯、シアだけだと誓うから。余計なことなんて気にならない程に愛し抜くよ」