色事師だなんて
最後だけモブ視点です
「シア、おはよう」
「おはようございます、リアン様」
本日は待ちに待った土曜、おまけに快晴。絶好のデート日和だ。街歩きがしやすいよう商家の娘風に装っているアルシーア嬢だが、どう見ても高位貴族令嬢。どのみち日頃から街を巡回している俺の面は割れているので身元を隠すのは無理だけど。でも見慣れている分、街の皆も俺を見ても気にしないし邪魔はされない筈。
そして昨日はあんなに逃げたがっていた彼女も愛称で呼ぶのに慣れてくれたようだ。
「だって、うっかり殿下とお呼びしたら……とんでもないことになる、ってデルフィニウム様が」
義姉上、何しているんですか。恐らく素直な彼女が気に入ったんだろうな、人をからかうのがお好きだから。早速『アルシーアちゃん』と呼んでいたし。
「とんでもないこと、ねえ……具体例は聞いた?」
「いいえ! 絶対に聞きたくありません!!」
実は幾つか思いついているけど、この調子では実践の機会は無いかもな。……いずれは罰じゃなくてもやるだろうし別に良いか。
「私、街歩きって初めてなんです! ガーベラ様はお義母様と何度かカフェに行ったんですって。観劇も。私は小さい頃に観劇の経験はありますが、カフェはまだ早いから、と連れて行ってもらったことは無いんです」
かなり舞い上がっているな、そして予想通り初めてか。確かに令嬢はあまり街歩きをしないだろう。特に彼女は忙しくて放課後も友人とカフェに行くなんて無理だっただろうし。それにご母堂が亡くなった時、彼女はまだ十歳。カフェは早いな。
「へえ、じゃあ今日はシアの初めてをもらえるワケか」
「言い方! おかしいです」
わざとだけど? ああ、顔が赤くなって可愛い。
「俺もカフェには客として行ったことは無いから……やっぱり初めてだな」
「そうなんですか? 意外です」
「巡回で行くだけだな。妹たちを迂闊に連れ出せないし、騎士と行くのはバーだから」
彼らだって付き合っている相手となら行くだろうが、仕事終わりに仲間と行く場所の選択肢にカフェは無い。女性騎士は仲間と行くこともあるようだが、彼女たちとは勤務時間外には関わらないようにしているから俺には関係ないし。
「お付き合いされていた方とは……」
「居たと思う?」
眉根を寄せて俯く彼女は何か言い辛いことでもあるのか、唇を噛んでいる。
「俺が誰かに惹かれたのは貴女が初めてだ。付き合った相手も、勿論、遊びだけの相手も居たことは無い」
「噂で……」
ああ、あったな。言い寄る令嬢たちを拒んでいるようで裏では食いまくりだとか、街を巡回している時に手を付けた平民が大勢いるとかいう巫山戯た噂が。火元は既に消したけど。
そもそも王族がそんな簡単に種を撒き散らせるとでも? 避妊だって絶対ではないし、病気も怖い。特定の相手以外とは決して肌を合わせるなと口酸っぱく言われ続けるんだが。
それが守れないヤツなんて、とっくに廃嫡されて幽閉・病没だ。クズですら婚姻前に手を出した相手は居なかったと聞く。その程度の抑制すら出来ない者に王族でいる資格なんて無い。少なくともこの国では。
「無いよ、もし疑うなら名に誓う。何一つ疚しいことなんて無い」
君にだけは信じてもらいたい。
「私だって信じていた訳ではありません。でも、昨日からの殿下が、何だかそういうことに慣れているような雰囲気で……」
「そんな軽薄に見えた?」
「軽薄というか、その、数多の女性とお付き合いされていたような感じで」
それを軽薄なヤツって言うよね。弄んでいる訳ではなく、本気で求めていると分からせるためにやっていたのに、もっと酷い意味で弄びそうな男だと思われていた、と? 洒落にならないのだが。
「プラムだって言ってました! とても十代半ばとは思えない妖しい雰囲気だとか、艶事に長けていらっしゃるように見える、実はとんでもない色事師なのではないかって」
「いや、違うから」
冤罪だ! 俺、とんでもない誤解を受けてない?
「そもそも妖しい雰囲気って何? 俺、普通に貴女が可愛いと思って話していただけなのに」
「それであんな風になるのですか? 危険ですね! 無意識に女性を惑わせてしまうってことじゃないですか!!」
「理不尽すぎ……」
普通にしていても駄目ならどうしたら良いんだよ? 対処のしようが無いんだが。
「ふふっ、確かに酷いですね。滲み出る雰囲気って自分ではどうしようも無いですし」
途方に暮れる俺を憐れんだのか、笑って追及をやめてくれた。
「とにかく俺は本当にそんな相手が居たことは無いから。勿論、今だって居ない」
「はい、名に誓うとまで仰ったのですから信じます」
うわ、笑顔が可愛い! マジ天使!
「ありがとう、シア」
「また、その呼び方」
「もし嫌ならやめる。だから正直に答えてくれないか? コンフィデント嬢」
照れていると思ったからそう呼んでいたけど、違うなら家名で呼ぶよ。本気で嫌がることはしない。
「嫌、です」
「そうか、分かった」
残念だけど仕方ないな。それで嫌われるよりマシだ。攻め方も変えないとなー、思っていたより長期戦になりそうだけど、根比べだと思えば楽しいかも。
「今更、そんな他人行儀にならないで下さい。凄く、イヤです」
彼女が素面でそんなことを言うとは思えなくて硬直した。けれど訴えるその目が、口元が、妙に近く見える気がする。
「もう、リアン様って呼べなくなって、シアって呼ばれないのは、嫌なんっ!」
「うん、俺も本当は嫌だったな。今更 君を家名で呼ぶなんて」
ああ、可愛い。女性の平均より背が高いとは言え、俺と比べるとやっぱり小さくて細いな、腕にすっぽり収まってしまう。
一昨日も抱き寄せたが、つくづく収まりが良いと言うか、しっくり来る。理屈じゃなくて本能で、これこそがあるべき形だと思ってしまう。こうする相手はシアが良い、寧ろシア以外は嫌だ。
「殿下、放して下さい」
「シア、その呼び名は駄目だって言っただろう?」
焦ったのか『殿下』呼びに戻った彼女に耳元で囁きかける序でに耳朶に触れた。抵抗しようとしているのか俺の腕を握るその手が寧ろ縋っているようで、内側から衝動が込み上げる。もういい加減にやめないと危険だ。
……と言うか、ここ、街角! 人通りが少ない場所ではあるけど、それでもあり得ない。
「ごめん、場所を弁えるべきだった」
慌てて彼女を解放して謝ると、少しぼんやりした顔で俺を見上げる。あ、その顔ヤバい。もし今部屋で二人きりだったら、止まれる自信が無いな。
やや焦点の合わない目で周囲を見渡し、漸く気付いたのか目を見開く。
「っ信っじられない!」
「うん、俺も自分が信じられない。悪かった」
「私、ここがどこか、全く忘れて……」
真っ赤だな。でもこれに関しては俺が悪い、シアは放してくれと訴えていた訳だし。誰も居なくて良かった。
「俺も抱き寄せたのは無意識だった」
「無意識……?」
「たとえ無意識だろうと、誰にでもするワケじゃないから。他の相手には絶対にしない」
俺の言葉に少し眉を顰める彼女に慌てて弁解する。そりゃあ昔は落ち込んだ妹たちを抱き締めたり、大仕事を片付けた後に兄上や義母上に抱き締められたりしたけど、成人してからは皆無。今の俺がこんな触れ合いを望む相手はたった一人だけ。それは誤解しないで欲しい。
「はい。あの、それを疑った訳では無いのです。殿、えっと、リアン様が我を忘れるようなことがあるのか、その、疑問だったので」
「俺も正直驚いている」
彼女に惹かれてから、この感情の制御が難しいとの自覚はあった。でも困難であっても不可能とまでは思っていなかったのに、蓋を開ければ このザマだ。これからは己を過信しないように気を付けないと。
「ふう、気付かれなくて良かったな」
「ああ、まさか殿下のデートを目撃する日が来るとは」
立ち去るお二人の背中を見守り、物影で声を潜めながら話し合う。こんな出歯亀みたいな真似なんて嫌だけど今はしょうがない。対面の路地を見ると、近所の子供たちがこちらに来ないよう、お二人に気付かないように話しかけて気を逸らす鍛冶屋の姿。マジ乙。
「あの殿下が女に興味があったのが信じられん」
「女は徹底的に避けるから男色じゃないかって噂があったな」
殿下は騎士団員と気さくに付き合うが、女の騎士とは勤務時間外は全く交流しないらしい。なのに野郎とはバーで飲みながら楽しそうに話してたら、あらぬ噂も立つわな。
「何でもお貴族様の間で殿下の女癖が悪いって根も葉もない噂が広がったせいで、女は絶対に近付けないようにしてるらしいぞ」
街の見目の良い女は殿下のお手付きだって噂もあったらしい。あの殿下に限ってあり得ないだろう。
「娼館に聞き込みや見回りに行く時も、どんな綺麗どころが声をかけても絶対に表情が変わらないみたいだな」
「男娼が相手でもそうだから、男色の話も嘘だろ」
妹殿下たちを異性として愛してるとか、生さぬ仲の王妃殿下とただならぬ関係だという噂もあったらしい。不敬かもしれんが、社交界を嫌うのも無理ないと同情してしまう。
「何にしても殿下が幸せになれそうで良かったな」
「ああ、すげー別嬪だしおっぱ、スタイル良いし、あんなお嬢様が居たら他の女なんて眼中にないのも分かるわー」
殿下、街角からひっそり応援してます!