侍女の豹変
「…………」
「……………………はぁ」
早く部屋に戻りたい。けど、これは無視する訳にはいかないよな。
アルシーア嬢の滞在している客室から出て少し歩くと廊下で礼をとる彼女の護衛兼侍女、プラム・スタウト子爵令嬢。俺も色々知りたいし話をするか。
「スタウト嬢。面倒だからこの際、無礼講で良いぞ」
「畏れ入ります」
誰が通るか分からない廊下では話せない。けれど、執務室であっても二人きりはありえないし、どうしようか。
「殿下、私もご一緒させて下さい」
ローワンがやって来た。助かるけど、先程のことが家族に漏れると困る。アルシーア嬢の理性が戻って色々確認してからなら構わないが。
「うん、でも話した内容は誰にも言わないでくれよ」
「分かっております。誰にも言いませんよ、〝まだ〟」
流石は俺の侍従、頼りになるね! でも全て見透かされてるみたいで怖い。
「殿下の執務室でよろしいでしょうか?」
「そうだな、スタウト嬢もそれで良いか?」
「勿論です」
いつも身体の軸がブレず心身共に鍛えられたのが見てとれるスタウト嬢だが、今は右肩の辺りに普段より力みが見られる。微かにだけど。多分、緊張しているのだろう。アルシーア嬢に酒を与えた犯人、彼女だろうし。
「先ずは茶を用意しましょう」
部屋に入るなり俺より先に口を開いたローワン。こういう時は俺も従う。その方が物事が上手くいくから。
「スタウト嬢も座ってくれ」
「ですが」
「今は貴女の主人も居ないし、腹を割って話したいんだ。
そこに座ってくれ、これは命令だ」
こうでもしないと優秀すぎる侍女殿は座りそうにない。ローワンが最初に茶を淹れようとしたのは、彼女を落ち着かせるために違いないし。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
ローワンに会釈した時はまだ固かった彼女だが、茶を一口含むと目に見えて落ち着いた。流石は頼りになる男! ローワン、俺が王宮を去る時もついて来てくれないかな?
「単刀直入に訊くが、彼女に何を飲ませた?」
「グラスウォッカに木苺の濃縮シロップを合わせ、炭酸を注いだカクテルを。お嬢様はきついお酒は苦手ですが、グラスウォッカと果実の組み合わせはお好きですから」
酒の匂いに微かに混じったベリーと桜のような香りの正体はそれか。確かにグラスウォッカの風味は果実に良く合うな。勿論、今夜アルシーア嬢が飲んだ物はスタウト嬢が指示した通りに城の侍女が作ったらしい。最近の彼女のお気に入りだとか。
つまり自分の意思で飲んだ、と。寝酒か? まだ宵の口だが。
「お嬢様は優秀なお方です。侯爵家、商会双方の運営をこなされ、ご自分の身を守る術もございます。そしてあの美しいお姿! 令嬢としての嗜みも完璧です」
いきなり何を言い出すのか。勿論、彼女は素晴らしい令嬢だが。
「ですが、一点だけ残念、いえ、駄目、いいえ、ポンコツ……」
いきなり主人の悪口を並べ立てているが大丈夫か? 不敬極まりない上に〝らしく〟ないな。
「とにかく! 完璧で女神で天使なお嬢様にも足りない部分があるのです!」
「足りない部分?」
ローワンも心得顔で頷いているし、もしかして分かっていないのは俺だけか?
「はい。失礼ながら、殿下はお嬢様とのお食事やお茶の時間に よく会話をされていますよね?」
「ああ、ありがたいことにな」
忙しい日々を彩る至福の時だ。肩の凝る執務も彼女との一時が待っていると思うだけで血湧き肉躍る……いや、待て。何で臨戦態勢になっているんだ? 確かにある部分は臨戦態勢、ってやかましいわ! そんなワケないだろう! 俺はケダモノじゃない。
「今気付いたのだが、アルシーア嬢と過ごす時間を思うと戦意が湧き上がるようなんだ。何故だろうな」
「恐らく条件反射のようなものでは?」
ローワン、何のことだ? スタウト嬢も些か申し訳なさそうな顔をしているし。
「忌憚のないご意見をお伺いしたいのですが、殿下はお嬢様との会話をどう思われますか?」
「楽しいな。令嬢とマトモに話せるのか自信が無かったが、彼女とは話が弾む」
おい、顔を見合わせて溜め息をつくな。
「これは……喜ばしいような将来が危ぶまれるような……複雑な気分ですね」
「同感ですな。お子が生まれたら情操教育に力を入れないと」
子? 誰の? いや、話の流れから彼女と俺のだとは分かるが気が早すぎないか? そもそも俺が婿入りするのはもう決定なの?
「俺は求婚どころか告白もまだなんだが」
「今更何をとぼけているんですか? いつもいつも私たちが控えているのに朝っぱらから恥ずかしげも無く熱い目で見つめながら色々仰っているクセに!
それで告白がまだとか天然ですか? 天然で許されるのは海産物くらいですよ!」
「いえいえ、ジビエも味わい深いものでございますよ。我が妻の弓矢の腕は一流でしてね、苦しまないよう一発で仕留めるので最高に美味なんです」
「おい、話がずれていないか?」
確かにローワンの細君の獲物は絶品だが。またローワンの料理の美味いの何の、料理人としても一流になれただろうな。
「ずれているのは殿下の認識ですよ! あんなことを毎日言われてお嬢様の純情な心が乱れない訳が無いじゃないですか! なのに肝心なことは仰らない! お嬢様が思い切って少し距離を詰めようとしたら離れる! 見ていて焦れったいんですよ! 悪くとればお嬢様を弄んで楽しんでいるようにも見えるんですよ!!」
日頃の無表情が嘘のように、いや、表情は今もあまり動かないが、物凄い勢いだ。こんなに早口で話せるんだな。
「この状況への有効な打開策なんてお嬢様には思い付けないんです! お嬢様は恋愛に関してはポンコツなんですからね!」
「ポンコツって」
「あれ程までに素晴らしい令嬢に言うべきではありませんが、私も同感です」
本当に彼女、ポンコツだと思われてるの?
「殿下はお嬢様とお食事される時、盗賊を仕留めた話を自らなさいますか?」
「いや、しないが」
流石にその類の話が女性向けかどうか程度は分かる。アルシーア嬢なら気にしないだろうが、そんな話ばかりで意識してもらえるとも思えないから、彼女から話題を振られない限りは避けていた。
「ですよね? 火曜の朝食の際は話しておきたいことだったから別でしょうが、それ以外では殿下から振られる話題は街で評判のカフェの話などでしたから」
「火曜の朝食の際も殿下は食後の茶を淹れるまでは例の話を控えておられましたよ」
その言葉にがっくり項垂れるスタウト嬢。
「そうですよね、なのにお嬢様はお食事中から野盗の捕縛や暴れ猪の討伐の話を…………」
「ああ、楽しそうで何よりだな」
彼女があんなに表情豊かだとは思わなかった。キラキラ輝く笑顔の愛くるしさと言ったらもう、可愛いが完全武装して殴り込みに来たようなものだ。
「常識的に考えたら殿方相手にああいう話は避けるんですよ、あんな話ばかりしている令嬢を望まれる殿方は普通はあり得ませんから。一般的な淑女もあのような話題を好みません。
積極的にあんな話ばかりされていたら、世間一般では『私はあなたを異性として意識していませんよ』と暗に伝えているのだと受け取ります」
「そうなのか? じゃあ……」
「まさかこの期に及んで脈無しだとはお思いになりませんよね?」
据わった目で見据えられ首を横に振る。今日は妙に威圧感があるな。
「いや、流石に気付いた」
今までだって薄々察してはいたんだよな。だけど俺の願望による勘違い、又は彼女が非日常に流されて勘違いしているだけの可能性もあるから慎重に、と心がけていた。それが追いつめたのか。
一頻り話して落ち着いたのか、背筋を伸ばしてこちらを見据えるスタウト嬢の姿はまさに武人、凛々しさが際立つ。そう言えば分隊長が凛とした佇まいも気の強そうな顔も無表情で困惑する所も堪らん! とか言ってたなあ。
「あまりにも思い悩んでおられるお嬢様を見かねて、出掛ける前にお嬢様に『殿下を誘惑してみては?』と提案しました。申し訳ございません。罪は私にございますのでお嬢様だけはお見逃し下さい」
しょうもないことを思い出していたら、とんでもないことを言い出した! 罪って! 俺、貴女たちを責める気は更々無いから!
「貴女にも罪は無いだろう」
そこまで彼女を悩ませていた俺の落ち度だろうに。
「ただ、もし俺が堪えきれずに彼女を襲っていたらどうする? 護衛としてはあり得ない行動だぞ」
そこはきっちり言い聞かせないとな。迂闊な行動は主従ともに慎むべきだ。
「それならそれで。殿下はヤリ逃、いえ、お嬢様を弄んで捨てるような真似はなさらないでしょうし」
またこの侍女はとんでもないことを。
「それで子が出来たら困るだろう。卒業までまだ半年以上あるんだ」
「試験だけ受けて単位を取得することも可能ですし、後継が早くお生まれになるのは寧ろ喜ばしいことかと」
「そうでございますね。殿下がさっさと婿入りなされば王族の血も増えますし万々歳ですよ」
駄目だコイツら、真面目な顔で正気とは思えん発言をしている。
「俺はともかく彼女が心無い中傷に晒されるだろう!」
「はい。ですから実は大丈夫だという確信がありました。殿下はお嬢様が後ろ指を指されるような行為は控えて下さるでしょう? 大変な忍耐を強いられたこと自体は申し訳ないのですが」
しれっとした顔で恐ろしいことを。俺のあの苦しみは彼女のせいだったのか! いや、実行犯はアルシーア嬢だし、元はと言えば俺が原因だったな。
「男には地獄の苦しみでございますよ」
ローワン、流石にそこまでじゃないから。