6 公爵令息②
彼女という人間を見くびっていた。
彼女が毒杯だと信じ、飲んだのは、ただの仮死薬だ。意識を失った彼女を僕個人に与えられた帝都の外れにある別邸に運んだ。
死ぬつもりだった彼女を生かした。
翌日目覚めた彼女が、その事で憤り、怒りをぶつけてくるのを覚悟していたのだが、自分の状況を把握するために、いくつか質問してきただけで、怒りも悲しみも、生かされてしまった絶望も、何一つ、僕にぶつけてこなかった。
公式には死人となった彼女は、邸の中で静かに過ごしている。
一見冷静でも、しばらくは環境の変化に戸惑っている事だろう。
だが、いずれは、この境遇を受け入れ、前に進んでくれると信じていた。
自分を何とも思っていない兄を想う虚しさに気づき、自分を愛してくれる義弟に目を向けてくれると。
一週間ほど経った頃だろうか、彼女から話があると言われた。
心身共に落ち着いたので、どこか遠方の修道院に送ってほしいと言われて驚いた。
そんな僕に構わず、彼女は淡々と話を続けた。
もう一度死のうと思っても、できなかった。ああいうのは、その時の状況による勢いが必要なのねと、のほほんと言われて、肝が冷えた。
彼女は、陰で、こっそり死のうとしていたのだ。
せっかく助かった命だのに。
いや、彼女は死ぬ気だったのだから、助けられたいとは少しも思っていなかったのだ。
命を助けた事は、彼女にとって余計なお世話だった。
そんな事は分かっていたはずだのに――。
死ねないのなら生きるしかない。だが、死人となっている自分が堂々と世間で生きる訳にもいかない。
だから、神など信じていないが、世俗から隔離された修道院で終生暮らしていくしかない。
だから、皇太子妃の顔を知らない遠方の修道院に送ってほしい。女一人で、そこまでたどり着くのは困難なので、自分を助けた責任上、そこまでの面倒は見てほしい。それ以降は何も望まないので。
彼女からは、望みもしないのに、自分を生かしたんだから、それくらいやってくれて当然よね? という言外の圧力を感じた。
何とか彼女を説得しようとした。
僕は彼女を修道女に、世俗から隔離するように生きさせるつもりはなかったのだ。
違う身分や名になっても、この世界で堂々と幸せに生きてもらうつもりだったのだ。
親のとばっちりによる愚鈍で無能な婚約者から解放され、これからいくらでも新しい人生を歩めるのだ。
自分を何とも思っていない男を想う虚しさからも解放されてしかるべきだろうと言うと、彼女の顔色が変わった。
無理矢理生かした事に対し、何の抗議もしてこなかった彼女が初めて感情を見せたのだ。
そうねと、彼女は頷き、あなたの言う通りだと思うと言った。
でも、この想いがなくなれば、自分は自分でなくなる。
世間的には死人になっても、この想いだけは消せなかった。
だから、他の誰かに、あなたに愛されても無意味なのだと。
自分が愛しているのは、彼だけなのだから。
僕は自分の傲慢さを思い知った。
両親からも、婚約者からも、愛する男からも、愛されないどころか関心さえ持ってもらえなかった彼女なのだから、僕のように真摯に愛する相手が現れれば、ほだされ愛し返してくれると思っていたのだ。
そして、ようやく理解した。
どうして、彼女が一度として僕に抗議してこなかったのか。無理矢理生かされた憤りや絶望や悲しみをぶつけてくれなかったのか。
従弟で義弟だろうと、彼女にとって僕がどうでもいい人間だからだ。
夫だった皇太子やその取り巻きと同じだ。嫌悪や憎悪であっても、感情の一欠けらでもくれてやりたくない。お前らに、そんな価値などないのだと。
彼女が激情をぶつける相手は、この世で何より嫌悪している皇后であり、唯一愛する男である兄だけなのだ。