5 公爵令息①
僕にとっての唯一の愛する女性は、従姉で義姉である彼女だった。
公爵令嬢は勿論、皇太子妃や皇后になるに相応しく聡明な彼女だが、その容姿は何とも地味なものだ。決して醜くはない。だが、現皇后のような美しさや華やかさが欠けているのだ。
だが、僕には好ましかった。
聡明さや穏やかさが宿る眼差しを向けられるだけで胸が温かくなるのだから。
聡明で穏やかで、馬鹿な皇太子やその取り巻きに何をされても、お前らに感情の一欠けらでもくれてやるものかとばかりに、冷たく凪いだ海を思わせる目をした彼女が、その激情を覗かせるのは、たった一人に対してだけだ。
僕の唯一の兄。
彼女の従兄で義兄。
帝国で代々宰相を務める公爵家の嫡子。
誰よりも美しく怜悧な男。
だが、僕に言わせれば、人として欠陥品だ。
皇后の事は、女として、母として、人として、欠陥品だと気づくのに、なぜ、兄の事は気づかないのか。
恋しているが故に目が曇っているのか。
兄は皇后と同種の人間だ。
公人としては理想的で立派かもしれない。
だが、個人としては最悪な欠陥品だ。
そんな兄は自分に似ている皇后に恋している。
この世で一番嫌いな皇后を愛している兄を愛するのをやめられない彼女。
兄が望まなくても、愛する彼が馬鹿な皇太子の下に置かれないように、自分の死と引き換えにしてでも皇太子を排除しようとしている。
馬鹿だ、愚かだと言うのは、簡単だ。
自分を何とも思っていない男のために、自分の全てを懸けているのだから。
だが、この僕も、最悪な欠陥品だと、この世で一番嫌っている兄を愛している彼女を愛しているのだ。
彼女が死を望んでいるのだとしても、彼女を助けたかった。
そのためなら、彼女がこの世で一番嫌い、自分もまたこの世で一番嫌っている兄と同種の人間である皇后にだって頭を下げられる。
そもそも皇太子に非があり、発端は皇后達、親世代なのだ。
皇后もまた罪悪感からか、彼女を助けようとしていた。
あっさり快諾された後、あるお願いもしておいた。
僕の「お願い」に皇后は驚いた顔をしていたが、結局、頷いてくれた。
彼女に対する罪悪感故なのだろう。
兄上。
あなたの思い通りにはさせない。
あなたが皇帝になるのが彼女の願いなら、それは叶える。
だが、あなたが真に望むものは絶対に与えない。
この世界の支配者、美しく怜悧で完璧な皇帝として人々から尊敬され敬愛されても、最愛の女だけは決して手に入らない。
ざまあみろ。
人として、男として、誰もが羨む最高のものをことごとく手にしても、愛だけは与えられない孤独な人生を歩むがいい。