1 皇太子妃①
誰も、わたくしのこの気持ちを理解できないだろう。
理解されなくてもいい。
この想いは、わたくしだけのものだ。
まあ、誰ももう、わたくしを訪ねにくる人などいないと思っていましたのに。
それが、よりによって、あなたとはね、皇后。
本当なら牢屋に入れられて当然のわたくしを皇宮の一室に軟禁するようにお命じになったのは、あなただそうですね。今では皇帝よりも権力をお持ちの皇后の命令には誰も逆らえませんものね。
昨日、皇太子と結婚し、皇太子妃であり義理とはいえ娘となったわたくしへの配慮かしら? まあでも、皇太子に、あんな事をしたのですもの。わたくしが皇太子妃となった事実は抹消されるでしょうね。
最後の時を劣悪な環境の牢屋ではなく清潔な皇宮の一室で過ごせるのは感謝いたしますが、最後の最後に、あなたのお顔など見たくありませんでしたわ。
皇太子に、あんな事をした恨み言を言いにきたのですか?
ああ、そんなの、ありえませんわね。
皇太子は、あなたを敬愛していましたが、あなたは皇太子に愛どころか何の関心もありませんでしたものね。
ところで、あの皇太子、廃人になったそうですね。
わたくしは八歳から十年、あの馬鹿とその取り巻きの横暴に耐えたのに、あの程度で正気を失うとは。無能で愚鈍であるだけでなく、思った以上にメンタル弱々でしたのね。
それより、お供もなくお一人で、皇太子にあんな事をしたわたくしと対峙されるのですか?
部屋の外には見張りの護衛がいるから大丈夫だと判断されたのですか?
それとも、あなたの息子以外なら、わたくしがあんな暴挙に出ないと思っていらっしゃる?
うふふ、甘いですわね、皇后。
わたくし、あなたがこの世で一番嫌いですの。
すでに、皇太子にあんな事をした上、明日には死んでいく身ですもの。ちょっとした事でキレて、あなたに危害を加えるかもしれませんわよ。
何、驚いた顔をされているのですか?
皆が自分を好いていて当然だと思っていらっしゃった?
確かに、あなたは美しく聡明な皇后として多くの臣民から敬愛されていますわね。
当時皇太子だった現皇帝の元婚約者、公爵令嬢だったわたくしの母よりも、ずっとずっと皇后に相応しい方ですわ。
それは認めましょう。
でも、わたくしから見れば、母として、女として、人としては、欠陥品ですわよ。
母として欠陥品なのは、言わずもがなでしょう? あなたが乳母や教育係に丸投げせず、ちゃんと母として向き合っていれば、皇太子も少しはマシな人間になっていたはずですもの。
感情の生き物だと言われる女のほうが人の心の機微に敏いはずだのに、あなたは論理や理性を重んじている上、他人に興味がなさすぎて、人の心の機微を見抜けないし、人の心に寄り添えない。だから、女として、人として欠陥品だと言ったのですわ。
不敬になるかしら?
まあでも、皇太子にあんな事をして、明日、毒杯を賜るのだから、多少の不敬くらい大目にみてくださいな。
は? わたくしを死なせる気はない? 助けにきた?
何をほざいているのかしら?
無理矢理あなたを妻にした皇帝は勿論、元婚約者であるわたくしの父、子爵も、腹を痛めて生んだ皇太子も、愛してないどころか関心すらなかったでしょう?
だから、当然、元婚約者の娘であり、義理の娘となったわたくしの事も、どうでもいいでしょうに。
なぜ、わたくしを生かそうとするのですか?
自分達、親のせいで、こんな事になったからですか?
罪滅ぼしですか?
確かに、あなた方、親のせいで、こうなったのが遠因ですわね。
当時子爵令息の婚約者だった男爵令嬢を当時皇太子だった現皇帝が見初め、婚約者だった公爵令嬢に婚約破棄を言い放ったのが、そもそも事の発端だったのですもの。
あなたを無理矢理妃にし、父と母を王命で結婚させただけでなく、代々宰相を務める公爵家との蟠りをなくすために、わたくしを母の実家の公爵家の養女にし、あなたとの間に生まれた皇太子と婚約させた。
わたくしも皇太子も、あなた方、親が仕出かした事の尻拭いをさせられたのですわ。
だから、多少、皇太子にも同情できるところはあるのでしょうね。第三者から見れば。
でも、親が仕出かした事の犠牲になったというのなら、わたくしも同じですわ。
だのに、あの馬鹿、いえ皇太子は、わたくしが全ての元凶だといわんばかりに、初対面で池に突き落とすわ、罵詈雑言を吐くわで、こちらから歩み寄ろうという気持ちが一切なくなりましたわね。
周囲も皇太子に忖度して、養女とはいえ公爵令嬢であり皇太子の婚約者であるわたくしに暴言どころか時には暴力を振るってくるし。皇后は皇后で、これくらい自分で対処しろとほざくし。
こんな婚約嫌だと泣いて訴えても誰も聞いてくれない。
皇帝は自分は他人の婚約者で男爵令嬢にすぎないあなたを無理矢理妃にしたくせに、皇太子とその婚約者には互いに嫌がる婚約を強要する。両親も娘に無関心で、わたくしがひどい目に遭っても何もしてくれない。
ああ今更、謝罪などいりませんわ。
謝罪されたところで、この十年の苦しみは、なかった事にならないし、それなりに報復しましたからね。
それで、死罪になるなら受け入れますわよ。
あなた方、親が仕出かした事が遠因だとしても、皇太子の男根をちょん切ったのは、わたくしの意思ですわ。
本当はね、アレをちょん切るつもりはなかった。
最初は、ただ単に、殺すだけのつもりでした。
アレをちょん切って、廃人にするつもりはなかった。
いくらこの十年、苦しみを与えられた相手であっても、生き地獄を味わわせるつもりはなかったのに。
わたくしのその思いを粉々にしてくれたのは、皇太子自身ですわ。