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三日目:古本市はにぎやかです

 今回の古本市には、古書で有名な神保町はもちろん都内各地や埼玉からも出店していた。古本市と銘打たれているものの、古いレコードやCD、昔の映画のパンフレットやポスター、古地図など、本以外の品物も並んでいる。書店ごとにスペースが区切られていて、所狭しと本が並べられてあった。本棚はもちろん机の上に平積みにされていたり、下には籠や段ボールに詰められた古本が収納されていた。


 客層も幅広く、インテリ風の老紳士から読書好きの中高生まで古本を物色していた。私語厳禁というわけではないが、時おり話し声が聞こえるだけで静かな空気につつまれていた。


「これなんかどう?」


 彩希は手当たり次第に絵本を手にとっては、優美に試し読みさせている。優美が少しでも気になったら浩太が持っている籠に入れる。絵本の数はすでに十冊を超えていて、おまけに浩太と彩希が買う分まで入っていた。


「買い過ぎじゃないか?」


 優美が帰るまでの間にしては多すぎる気がした。


「足りないよりはいいでしょ。絵本なんてすぐ読めちゃうし、少しでも多い方がいいんじゃない」


「金は大丈夫か? 俺、そんな持ち合わせないぞ」


「心配しないで、ちゃんと持ってきているから」


 と、彩希は財布を取り出して中身を浩太に見せた。


「……マジか」


 ぱっと見、彩希の財布には十万以上は入っているようだった。


「カードが使えるかわからないから、とりあえず持って来たの」


「持ち過ぎだろ。稀覯本(きこうぼん)でも買う気か?」


「念のためよ。多すぎて困ることなんてないし」


「ひったくりに遭っても知らねえぞ」


「大丈夫よ。浩太が一緒だし」


「買いかぶり過ぎだっつうの」


 背を丸めて呆れる浩太。彩希がここまで信頼してくれる理由がわからない。


 ふと視線を下げると、優美が彩希のデニムの裾を掴んでいた。


「優美、帰ったらお母さんが読み聞かせしてあげるからね」


 彩希が優美の頭を撫でる。優美は、わー、と声を上げた。


「へえ、それは見ものだな」


 元売れっ子芸能人の朗読を間近で聞けるのは贅沢だな、と思った。


「ふふん、腕の見せ所ね」


 彩希は腕まくりする仕草をして笑顔になる。自分のキャリアを子どもに活かせると感じて誇らしく思っているようだ。


「あ、いたいた」


 どこからか聞き覚えのある声がした。


「あ、明乃さん」


 彩希が身体を傾けて浩太の後ろを見る。優美も彩希に倣って身体を傾けた。


 浩太は後ろを振り向くと赤縁の眼鏡をかけた小柄な女性が手を上げていた。高明大学ミステリー研究会会長の戌井明乃である。


「こんにちは」


 と、浩太は頭を下げて挨拶をする。


「おー、相変わらず礼儀正しいねぇ、浩太」


 明乃は快活に言い、浩太の肩を叩く。


「で、何を探しているの?」


「いや、その」


「絵本です。ほら、優美が読む本を探していて」


 彩希がすかさずフォローに入る。


「ああ、その子ね。玄一郎が言ってたのは」


 外にいる玄一郎と陽平に事情を聞いたらしかった。


「玄一郎さん、どうしたんですか? まだこっちに来ていないみたいですけど」


 と浩太が訊く。


「陽平を慰めていたよ。浩太と彩希に子どもがいるのが悔しいみたい」


「なにしてるんだかな、あいつ」


 そこまで彩希とつき合いたかったのかと、内心呆れる浩太。


「落ち込ませておけば。陽平ったら下心丸出しで彩希に近づいてきたんだからいい薬よ」


「まあ、たしかに平沼――」


「ちょっと」


 彩希の反応が素早かった。後ろを振り向くと眉を吊り上げて睨んでいた。優美もお彩希を見上げてから顔を真似て浩太に顔を向けると、むぅ、と声を出した。


「……彩希と陽平って仲いいなって思ってましたけど」


「ほーう、浩太も男女の機微に疎いねえ」


 明乃はからかうような笑みになり上目遣いに浩太を見る。


「でも、いい友達って感じですよ。彼氏にはならないですけど」


 彩希が浩太の横に進み出た。


「そうね。でも陽平はただ単に有名人とつき合いたいって思っていただけだからね。そんな男に彩希がなびくわけないよ」


 明乃は人差し指を立てて決めつけるように言った。その仕草が古典的な探偵を気取っているように見えて、どこかおかしかった。


 浩太はちらと彩希を見遣る。苦笑い交じりの微笑を浮かべているあたり肯定も否定もする気はないようだった。


「まあ、それは置いておいて、と。気になるのはこの子よ」


 明乃はその場でしゃがんで優美に視線を合わせた。優美はきょとんとしてどう反応していいかわからなくなっていた。


「ほら、優美。ごあいさつ」


 彩希がやさしく促した。


「こんにちはー」


 優美が舌足らずに挨拶をする。


「こんにちは。わたしのことは明乃ちゃんって呼んでね」


 明乃は優美の頭を撫でる。どうも幼児の頭を撫でたがるのはみんな一緒のようだった。


 ――ちゃん?


 いくら幼児とはいえ、ちゃん付けで呼ばせるのはどうかと思った。


「明乃ちゃん、だって」


 彩希は笑みを浮かべる。


「さん付けで呼ばせた方がいいんじゃないか?」


「大きくなったら直せばいいわ。明乃さんは例外ってことで」


「平沼って――」


「こらっ」


 と、彩希は小声で叱る。


「……彩希って、礼儀に厳しいと思ってたよ」


「どうして?」


「芸能界って礼儀作法に厳しいんだろ」


 どこかで聞きかじった知識を使う浩太。


「時と場合によるの。優美だって懐いてくれているんだし、余計なことは言わない方がいいよ」


 と彩希が言った通り、優美は明乃と握手をしていて懐いているようだ。


「むふふ、優美ちゃんって不思議ねぇ」


 不意に怪しげな笑い声をあげ、目を光らせる明乃。


「ま、まあ、たしかに不思議ですけど」


 と、浩太は明乃の変化を訝りながら言った。


「こんなかわいい子がタイムトラベル、うーんこれぞミステリーよ」


「ミステリーというよりは、SFじゃないですか?」


 浩太は肩の力が抜ける思いがした。


「どうでもいいわ、そんなこと。さあ優美ちゃん、わたしの胸に飛び込みたまえ! ミステリーマニアとして、この謎は放っておけないわ。さあ、このわたしがタイムトラベルの謎を解明してあげようではないか! はあはあ」


 いきなり明乃ががばっと両腕を広げ、しかも口からよだれをたらして優美を迎えようとする。


「おかぁーさぁーん」


 優美は明乃からだだ漏れする負のオーラを怖がって彩希の脚に縋る。


「さ、会計を済ませましょ」


 彩希はひょいと優美を抱っこしてレジに足を向けた。


「ああ、待って。わたしに幼児を愛でさせてくれたまえぇぇー!」


「うるさいですよ、明乃さん」


 ここまで幼児を偏愛する人だっけ、と浩太は思った。

 普段の明乃はおどけて気取る癖があるものの理路整然とした思考の持ち主である。ミステリーに関する評論を会報誌に乗せていて、評論に馴染みのない人にでもわかりやすく、しかもネタバレしないように作品を紹介する文章力に長けていた。そんな人が優美を見るや否や理性が吹っ飛ぶとは意外だった。


 不意に浩太は周りから痛々しい視線を感じた。辺りを見回すと、静かに古本を選んでいた客たちが、騒がしい浩太たちに軽蔑の眼差しを送っているのに気づいた。


「ほら、行きますよ」 


 今さら他人のふりしても遅いと感じ、しょうがなく明乃を促した。


「うう、優美ちゃーん」


 両膝をつき右手を前に突き出して涙目を浮かべる明乃。クサい芝居だった。


「……おいていこう」


 浩太はあきらめて、彩希と優美の後を追った。


 彩希はレジの前で待っていた。古本市の会計は店ごとではなく、レジで一括精算をする。本に挟まれたしおりに店名と値段が書かれてあり、それを元に売上金を各古書店に渡すようになっているようだった。


 三人は会計を済ませ、出口へ向かった。すると、その途中、ある古書店の前で一枚のポスターがかけられていたのに気づいた。


「これって……」


 浩太は思わず足を止めた。


 色褪せたポスターがかけられている中に、比較的新しい映画のポスターがあった。昭和時代を思わせる町並みを背景に出演者の顔がアップで映っているポスターである。右下のところに彩希が写っていて、下部に書かれてあるキャスト名に目を移すと、瀬能紗雪の名前があった。


「ちょっと何やってるのよ」


 彩希が優美を抱っこしながら戻ってきて浩太のシャツを引っ張った。


「いや、これ」


「わかってる。ほら、他の人の目があるから」


 彩希は頬を赤らめながら浩太を見据えると、強引にシャツを引っ張って浩太を連れ出した。


 ――ちょっと無神経だったな。


 古本市の客や店員たちが、芸能会を引退した彩希――瀬能紗雪に気づいてしまう恐れを失念していた。


 ふと、優美に目が行った。


 抱っこされながら彩希の服を掴んで甘えるように身体を寄せている。


 彩希は笑顔になり、やさしい眼差しで優美を見つめていた。胸の内にわいた母親としての喜びを隠すことなく、優美に向けているように見えた。

 

 ――今ぐらいは……。


 世間に知られることなく、彩希に母親の喜びを感じてもらった方がいいのかな、と浩太は思った。


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