三日目:みんなに娘を紹介します
西武池袋線の改札近くにある三省堂書店の前についた。古本市が開催されている西武ギャラリーには無印良品から入った方が近いのだが、人通りも多く店前で集合するのは迷惑になりそうなので、この場所を指定したらしかった。
浩太は優美に肩車をしているところだった。お父さんの肩の上が気に入ったらしく、ときどきはしゃぎ声を出して頭をくしゃくしゃと撫でる。
その傍らにいる彩希はほほえましく見守っていた。瀬能紗雪だとバレないように帽子を被り、地味な色合いの服を着ていた。
「ほらほら、優美、お父さんハゲちゃうよ」
「こんなんでハゲるか」
すかさずツッコむ浩太。
やがて優美は飽きたのか浩太の頭に寄りかかって黙ってしまった。
「降りるか?」
と、浩太は訊いた。
「うん」
優美がそう言うので、浩太は片膝をついて上体を曲げると、優美の両脚から手を離した。
優美はするっと浩太の頭を滑って地面に着地した。運動神経がいいかもしれないと、親バカ的なことを思った。
「むぎちゃのみたいー」
と優美は彩希を見上げた。
彩希はバッグから水筒を出すと、キャップを外して優美に渡した。直接口をつけるタイプの水筒である。
優美は両手で水筒を持つと、こくこくと音を立てて麦茶を飲み始めた。
「飲みすぎないでね」
と、彩希は中腰になってやんわりと話しかける。
「お、早いな」
後ろから男の声がした。倍音をたっぷり利かせたバスボイスには聞き覚えがあった。
「玄一郎さん」
浩太は振り向いて須藤玄一郎と顔を合わせた。彼は浩太よりも頭一つ背が高く、がっしりした体格で、眉が太く、鋭い目つきをした強面の男である。浩太と彩希の一つ先輩で、文化系サークルらしくない外見である。たしか高校のとき、甲子園を目指して野球をやっていたと聞いたことがあった。
「平沼も一緒か、ん?」
やはり玄一郎は優美が気になったようだ。身体を傾けて浩太越しに優美に目を遣っている。
「えーっと、この子は……」
どうやって優美を紹介していいものか迷う浩太。正直に経緯を話しても玄一郎が信じるわけがない。かといって妹だとか姪だとか嘘をつくと優美を悲しませてしまうかもしれない。
浩太がこめかみに指を押し当てて悩んでいると、優美が傍に寄ってきた。玄一郎が気になるようだった。
二人を交互に見遣ると、お互いに反応を窺っているような気がした。玄一郎はまっすぐ優美を見下ろし、優美は不思議そうに見上げている。
「だれー?」
優美が視線を外して浩太に顔を向けた。
「俺の、おともだちだよ」
さすがにお父さんを自称する勇気はなかった。
「おともだちー?」
優美がまた玄一郎に顔を向ける。
「そ、そう、おともだち」
玄一郎は戸惑いを見せる。本来は先輩なのだが、優美に理解してもらうため、お友だちということにしてくれたらしい。
「あくしゅー」
優美はぱっと笑顔になり、前に進み出て右手を上げる。
「人見知りしないんだな」
玄一郎は膝を曲げて握手をした。
「俺は須藤玄一郎だ。よろしく」
「おさむらいさーん」
――どこで覚えたんだ?
三歳児の意外な語彙力に内心驚く浩太。
「ははは、侍か。古臭い名前だってよく言われるよ。お嬢ちゃん、名前は?」
「ゆみだよー」
「そうか、ゆみちゃんか」
玄一郎の顔がほころび、軽く手を振った。子どもが嫌いではないらしい。
「相変わらず、テンプレート通りの人ね」
と、いつの間にか彩希が横に来て囁いた。
「どういう意味?」
「強面の人は優しいってこと」
「偏見じゃないのか?」
「意外と正しいものよ」
と彩希は決めつけたように言う。
「で、この子は誰なんだ?」
玄一郎は優美の頭を撫でながら訊いてきた。
「平沼、どうす――いてっ」
急に背中に痛みが走った。彩希が後ろに手を回してつねったらしかった。
「彩希、でしょ」
彩希は小声で言った。笑顔を向けてくるが、背中から手を離そうとせず、さらに力を込めてくる。
「わかった、わかったから」
呼び方だけでここまで怒る彩希の心情を図りかねた。
「おお、いたいた」
陽平が手を上げてこちらに来た。心持ち背中が丸まり、目の下に隈ができている。深夜バイトから一睡もしないでここに来たようだ。
「……なんでそんな顔してるんだ?」
浩太の痛みに耐えている顔が気になったらしい。
彩希はようやく手を離してくれた。
「別に。暑くてまいっていただけだよ」
と、ごまかす浩太。
「そんな感じじゃなかった――って、その子は?」
陽平が優美に気づいた。
優美は陽平に顔を向けるも、なぜか陽平に懐こうとしない。困り顔になって戸惑っている。
「むー」
と声を出して浩太の脚に縋りついた。
「ほら、あいさつして」
彩希が笑顔を作って優美に話しかけた。それでも優美は浩太から離れようとしない。
「嫌われてるなぁ」
陽平は苦笑いを浮かべて近寄ってきた。
「おとぉーさぁーん」
優美は見上げて、甘えるような声を上げた。
「え?」
「は?」
陽平と玄一郎の声が合わさった。二人はお互いに顔を見合わせると、また浩太に顔を向けた。
「えーっとぉ……」
ついに来てしまった、と浩太は腹を括ろうとした。が、いい言葉が思いつかず、頬を掻きながら視線をそらした。
すると、陽平が前に進み出て浩太の肩にポンと手を置いた。
「説明してもらおうか、おとうさん」
陽平は口角を上げ、悪意の滲んだ笑みを浮かべた。
「わたしから説明するよ」
と、彩希が説明役を買って出てくれた。こうなることを予想していたのか、未来の浩太が書いた手紙とアルバムを持って来たのだ。
一通り事情を話したあと、二人に手紙とアルバムを渡した。
「マジかよ……」
「信じられんな」
陽平と玄一郎は絶句していた。
「俺だって信じられないですよ」
「でも、こうして優美がいるわけだし、わたしたちに懐いてくれるから放っておけなくて」
彩希がフォローに入る。いつの間にか優美は彩希の脚にくっついている。
「しっかし、ああくそー! なんで浩太なんだよ!」
陽平は頭を抱えて叫び出した。
「どうしたんだ?」
と玄一郎が訊く。
「さあ」
浩太は誤魔化したがなんとなく察しはついた。
陽平は知り合って間もないころから積極的に彩希に話しかけていた。有名人とつき合いたいという下心もあるが。
去年、ミス研に入会したてのころ、浩太は授業の終わりに廊下で彩希とばったり会った。彩希に対して気後れを感じていた時期だったので、何を話したのかはよく覚えていない。彩希と話していると、違う授業を受けていた陽平とばったり出くわしたのだ。
最初、陽平は浩太がとんでもない美人とつき合い始めたと勘違いをした。浩太は同じサークルの仲間だと弁明をし、なんとか誤解を解いた。すると、陽平は首の角度を変えながら彩希の顔を眺めた。
このときの彩希は眉根をひそめていた気がする。他人から見られるのに慣れていたとはいえ、なめ回すように眺められるのは行き過ぎたと感じたらしい。明らかにデリカシーのない陽平を快く思っていなかった。
陽平は彩希の気持ちを推し量ることなく彼女を見つめていると、急にあっと声を上げた。彩希が引退した芸能人の瀬能紗雪だと気づいたのである。
それから浩太は陽平に根掘り葉掘り聞かれた。たまたま入ったミス研に彩希がいて友達になったとだけ伝えた。それを聞いた陽平はすぐさまミス研に入会したのだ。あわよくば元芸能人の瀬能紗雪と仲良くなれると踏んだのだ。
それから、事あるごとに陽平は彩希にアプローチを仕掛けた。しかし、彩希は海千山千の芸能界で揉まれてきた経験を活かして、適当にあしらっていた。陽平がくじけずに口八丁手八丁で彩希を誘っても、彩希は乗ってこなかった。
だが、浩太の目には、彩希がめげない陽平を面白がっているようにも見えたのだ。ときには不機嫌そうに、ときには喜色の色を浮かべては陽平のアプローチをかわすのをどこか楽しんでいる節があった。
優美がこの時代に来る少し前に、彩希に訊いたことがある。さすがに陽平がウザったくならないのかと。
そしたら、彩希はいたずらな微笑みを浮かべて、
「ふふん、闘牛士みたいなものね」
と答えたのだ。
「闘牛士?」
「ほら、襲ってくる牛にこうやって布を見せてさ、さっとかわすでしょ。陽平は考えなしに猛進する闘牛みたいじゃない」
彩希は身振りを交えて説明した。
その例えが適切かわからず、浩太は肯定も否定もせず愛想笑いをして中途半端な態度を取った。
そんなこともあり、いつかは陽平と彩希が一緒になるかもしれないと思っていたものだ。陽平が軽口をたたくのも好意の裏返しで、いつかは彩希とつき合えるかもと期待を抱いていたはずだ。
だが陽平の目論見が外れ、浩太に奪われたと感じたらしかった。
「暑いから行きましょ」
彩希は陽平に構う素振りを見せず、優美の手を引いて古本市に向かう。そろそろ開く時間のようだった。
「あ、ああ」
と言ってから、浩太は陽平に目を向けた。
陽平は意味の分からない叫びをあげていて、玄一郎に慰められているところだった。