八日目:いつかまた会いましょう
優美が未来に帰らなくてはいけなくなったと、テレビ電話でミス研のみんなに告げた。
陽平は、苦笑いを浮かべた。
武雄は、憎まれ口を叩きながらもまた会おうと言った。
玄一郎は、無理に朗らかな笑顔を浮かべてくれた。
莉緒は、涙を浮かべながらも笑ってまたね、と手を振った。
明乃は、悶えた。
麒一は、また会えるからと気楽に構えたが、彼の目がうっすら滲んていた気がした。
浩太たちは、準備が済むと平沼家を出た。昼間の暑気が残る町並みにはじとっとした空気が漂っている。薄い雲が暗い空にかかり、星明りが点々と輝いているだけだった。
彩希を先頭に雑司ヶ谷の道を歩いていた。入り組んだ住宅街の路地を歩き、時には由緒ある仏閣の境内の中を横切り、狭い路地に入ったりする。あちこちをぐるぐる回っているように感じるものの、彩希の足取りに迷いはない。
夜が更けてもう寝る時間になっているのに、優美はちょこちょこ走り回ったり、浩太と手を繋いだりして、夜のお散歩を楽しんでいるようだ。もうすぐ別れの時が訪れるのを優美もわかっているはず、いや、未来で親となった浩太と彩希が待っているからこの子にはさみしさがあまりないのか、それとも別れるというのを理解していないのか。どちらなのか浩太にはわからなかった。
「にひひひ」
優美が顔を見上げて笑顔になる。
浩太は何も言わず無理やり口角を上げてから優美の頭をなでてやった。
「あんまり、さみしそうじゃないな」
感傷的な別れを期待したわけではないが、これはこれでちょっとがっくり来るところがある。
「だって、またあえるもん」
優美は笑顔のまま言った。
「うんうん。あんまりさみしがっちゃうと、わたしたちも送り出せないわね」
と、彩希は歩きながらこちらを振り向いた。
「そういや彩希。一つ違って無くないか?」
と、俺は訊いた。
「なにが?」
「いや、優美が来た日、いきなりどしって感じたって言ってただろ。なんで優美を帰すのに町の中歩いているんだ」
浩太が訊いた。
「わーい」
いきなり優美が手を離して前を歩きだす。
「ごめんね。あれは嘘。詳しいことは着いたら話すから。あ、優美、前に気をつけてね」
彩希はそう言うだけだった。
駆け足気味に優美に追いつくと手を握った。
気づけば、細い路地に入っていた。右にはどこかの家の塀があり、左の生垣の中はどこかの仏閣の境内のようだ。そこにある水銀灯の光が路地に漏れているだけの暗い道だった。
やがて、小さな社に行き当たった。申し訳程度の鳥居がある程度の小さな社である。
「ここだよ」
と、彩希は優美の手をつないだまま鳥居をくぐった。
そして、浩太も鳥居を通過すると、賽銭箱の前に誰かが立っているのが目に入った。じとっとした空気も相まって幽霊と勘違いしそうだった。
「え?」
と、浩太は声を漏らした。絶対存在しないはずの姿がそこにはあったからだ。
「おかーさーん」
優美は女性の許に駆け寄った。女性が優美を抱っこすると、こちらに笑顔を振りまいた。
間違いない、今ここに彩希の姿が二つある。
「ど、どういうこと?」
どもりながら彩希に訊いた。
「ああ、この人、未来のわたしよ」
彩希は優美を抱っこした女性に顔を向けた。
「な、ちょっと待て、なんだよ、これ?」
事態が飲み込めない。
「あらあら父さんったら、困っちゃったみたい」
未来の彩希が優美を揺する。
「おかーさん、ふたりー」
と、優美が首を振って二人の彩希を交互に見る。
「お、おお」
浩太は何を声に出していいかわからなくなった。
「未来のわたしが迎えに来たのよ」
と、今の彩希が答えた。
「え? じゃあ、彩希はタイムトラベルできるってことか?」
「うーんと、優美はわたしの血を引いているからこっちに来れたって感じかな」
その口ぶりだと、彩希も詳しい仕組みがわかっていないらしかった。
「ちょっとだけ違うかな。平沼彩希がこの社から過去に行けるようになっているの」
未来の彩希が言った。
「じゃあ、なんで優美がいるんですか?」
浩太は未来の彩希の大人っぽさのせいか、つい敬語で話す。
「わたしと手を繋いだ人も一緒に過去に飛べるの。浩太、未来のあなたも一回来たことがあるのよ」
「マジですか?」
もはやどう反応を示して良いかわからなくなった。
「でも、あなたの記憶が書き換えられるのは本当よ。わたしは違うけどね」
未来の彩希が付け加える。
「うん。わたしははっきり記憶に残るのよ。でもね、記憶を書き換えられるから、他の人に話す気はないの。だって信じてもらえないしね」
今の彩希が苦笑する。
「どういう理屈なんだ? それ?」
「わかんない」
あっぴろげに言う今の彩希。
「強いて言えば、このお社が彩希という存在を認めてくれた感じかしらね」
未来の彩希は顔を見上げて、社を眺める。つられて優美も社に顔を向けた。
「そういやこの神社って何を祀っているんだろ。時間の神様とか? 日本の神様にそんなのいたかな?」
「そんな感じだと思う。このお社も地図に載っていないし、由来もわからないの」
未来の彩希にはぐらかしている感じはない。彼女自身も判明できない神秘がこの社にあるらしかった。
「でね、わたしは小っちゃいころから何回もこの社に来てるの。そしたら八日前、未来のわたしが優美を連れてきてしばらく預かってって」
今の彩希が真実らしいことを言う。
「なんで、正直に話さないんだ?」
「こんな不思議な出来事、浩太に話しても信じてもらえないでしょ。だから適当に言うしかなかったの」
今の彩希があちこちに視線を移しながら言う。
「それに、未来の浩太は小さいころのわたしと会ってるの。未来のわたしが浩太を過去に連れて来て――」
「ちょ、ちょっと待て、待て。えー、なんだって」
今の彩希の言葉を遮る浩太。頭の中が全くまとまらなかった。
「あのときの浩太はやさしかったなぁ。わたし、学校でいじめられていたし、どうしていいかわからなくてこの社に来て泣いていたの。そのとき、未来の浩太が励ましてくれてね。だから、芸能のお仕事を一生懸命頑張って、大学で浩太と再会できた時は立派になった自分を見てほしかったの」
戸惑う浩太をよそに、懐かしい日々に思いを寄せるかのように今の彩希は微笑む。
――だからか。
混乱が渦を巻く頭の中で、一つわかったことがある。
彩希が浩太に好意を寄せていたのは、幼き日の自分が未来の浩太に優しくしてもらった記憶が色鮮やかに残り、いつかこの人と結婚するんだと固く思い込んでいたせいだったのだ。
「俺が、そんなこと知りもせずにか?」
そう訊くのが精一杯だった。
「だって、浩太は浩太だもん。将来はわたしの旦那さんになるんだし、早いうちから仲良くなりたかったのよ」
彩希は浩太への想いを長年抱えたまま大学で会える日を心待ちにしていたようだ。
小さいころの彩希をどうやって励ましたのか浩太には想像もつかない。ただ、彩希がここまで強く思っているのなら、たとえありきたりな言葉だとしても当時の彩希を救えたに違いない。
「おとーさーん」
と、優美がぐずるような声を出した。
「おお、なんだ、優美」
浩太は優美に声をかけた。
優美は未来からお母さんが迎えに来てくれたのにもかかわらず、なぜか眉を八の字にして悲しそうな顔をしている。
未来の彩希が優美を下ろす。
すると、優美がとことこと浩太に近寄った。あと一歩のところで立ち止まると、どこか躊躇ったように身体を左右に振った。
別れる直前になって、浩太と別れるかなしさが優美に訪れたらしかった。
「優美」
浩太はやさしい声で言った。膝を折って目線の高さを合わせると、優美の頭をなでた。
「いっしょにきてー」
優美は声を震わせて訴えた。別れる直前になって浩太と別れるかなしさが優美に訪れたらしかった。
浩太は喉がつっかえた感覚に陥る。まだ優美と一緒にいたいという気持ちがそうさせたらしかった。けど、この子は帰るべき場所に帰さなければならない。
「ううん。今のお父さんは一緒に行けないんだ。この時代で一生懸命勉強して、お母さんと優美に恥ずかしくない姿を見せないためにな」
浩太は引き留めたい気持ちを必死に抑えて言った。
「むー」
優美は顔を俯けて困り顔を浮かべる。
「けど、優美があっちの時代に帰ってくれないと、お父さんとお母さんがさみしがると思うんだ。だから、優美の元気な姿を未来のお父さんとお母さんに見せてあげてほしいんだよ」
浩太がそう言うと、優美が顔を傾けて何か訴えかけたそうに見つめてくる。
「うん、そうね。未来のお父さん、優美がいなくて心配しているし。ね、優美。また今度ここに来ようね」
今の彩希が手を伸ばし浩太と手を重ねた。
「うん」
また来ていい、といったおかげだろうか、優美は笑顔でうなずいた。
「じゃあ、今回はここまでね。さ、優美、帰ろ」
未来の彩希が声をかけると、
「はーい」
優美はとことこと未来の彩希に近づいて脚に抱きついた。
「ありがとうね。おかげで優美をさみしがらせずにすんだわ」
未来の彩希が微笑を浮かべて礼を言う。
「ああいや、こっちこそ楽しかったです」
浩太は照れ隠しに後ろ頭を掻きながら言った。
「ほら、優美、ばいばーいって」
未来の彩希がそう言うと、
「ばいばーい」
優美が右手を振って別れの挨拶をする。
と、いきなり社からまばゆい光が漏れた。
――そろそろなんだな。
と、浩太は直感した。
未来の彩希が優美の手を引いて光の中に足を踏み入れた。二人の姿が濃い影に覆われたかともうと、光が徐々に弱くなっていった。
「優美。またな。未来のお父さんによろしく行ってくれ」
浩太はそう叫んだ。
しかし、言い終えるころには光と影が消えて夜の色に包まれた社に戻った。
そして浩太の意識が遠のいて行った。
――記憶が……。
書き換えられるんだな、と浩太はさみしさを感じながら気を失われていく感覚に陥った。
◇◇◇
雑司ヶ谷の町並みは森閑としていた。周りの住宅からかすかに漏れるオーディオの音がするだけで、すれ違う人もいない。
浩太は今、彩希と一緒に祈願に行ってきたところだ。
でも、彩希の熱はすっかり引いている。
彩希の病気が治ったのはお社の神様のおかげだとか言い出して、浩太と一緒に手を合わせに行っていたのだ。
八日間、彩希が季節外れのインフルエンザに罹った。浩太は彩希に呼び出されて泊りがけで看病をしたのだ。さすがに女の家に寝泊まりするのは気が引けた。
だが、処方された薬の効き目があまりなかったらしく、彩希が心身ともに弱っていて、看病してほしいと言ったときの表情が必死に見えた。
自分が一緒にいてくれることで元気づけられたらと思って彩希の家に泊まり込む決意をしたのだ。
邪な気持ちに心を侵されそうになったのも一度や二度ではない。不謹慎な話だが、病気で苦しんでいる彩希の姿が妙に色っぽく、あまりにも隙だらけだったので、必死に理性を保ちながら看病した。
「ほんと、治って良かったよなぁ」
浩太は隣を歩く彩希に安堵の声をかけた。
「なにが?」
彩希はなぜかきょとんとした顔つきだ。
「あのなあ、こっちは大変だったんだぞ。洗濯をしたり、掃除をしたり、消化にいいものを作ってやったり。挙句の果てには、彩希の心配をした麒一さんが北海道から帰ってきて勘違いされて喧嘩も売られたし。ミス研の皆だって心配してたんだぞ」
浩太は一気にしゃべると急に呆れた気持ちが溢れてきた。
「ああ、うん。ありがとう、浩太」
なぜか彩希に苦笑いが浮かんでいる。
「どういたしまして」
浩太はそっけなく答える。
「浩太の看病のおかげですっかり良くなったわ。だから、浩太にお礼の一つでもしなきゃね」
彩希は目を細めて浩太の顔をのぞき込む。
「お礼って?」
浩太は足を止めて彩希の顔をじっと見つめた。彩希の表情があまりにも嬉しそうに映ったので、何かいいことでもあったのかと思ったのだ。
すると、彩希がいきなり身体を浩太の胸に預けた。そして身体を滑らせるように動かし、浩太の右腕に身体を寄せて両腕を絡ませた。
「さ、彩希?」
浩太は顔が熱くなった。
「ふふん、やっと彩希って呼んでくれたわね」
彩希はそう言うと、顔も浩太の右腕に寄せた。
「そ、そりゃあ、まああれだけ名前で呼んでって言われたからな」
看病のとき、執拗なまでに「彩希って呼んで」と言われたのを思い出した。
「で、これがそのお礼ってわけか?」
続けて浩太が言う。
「違うよ。これからわたしたち、つき合うの」
彩希は顔を上げて笑顔になる。
「は? いや、待て、どういうこと?」
理解が追い付かない浩太。
「だから、わたしが浩太の彼女になるのよ」
「お礼ですることじゃないだろ」
「いいの。わたしが浩太とつき合いたいんだから。それに、浩太が税理士になれるようにわたしなりにサポートしたいの。看病してくれたお礼にね」
彩希の腕に力が入った。絶対浩太を手放したくない想いが募った感じがあった。
――勘違いでもいいか。
彩希のように美人で性格のいい人が自分の彼女になってくれるなんて、今後絶対にありえない。このチャンスを逃してはダメだと、胸の内で囁かれた気がした。
「なら、つき合おうか」
浩太は胸のざわめきを必死に抑えながら、努めて平静に答えた。
「うん、これからずっとよろしくね。浩太」
彩希の笑顔が輝いた。
――ずっとっていうのも……。
大げさだなぁ、と思う浩太。
だが、この幸せが長く続く気がした。根拠はない。なぜかこの八日間がそうさせてくれたと思っただけだった。
真夜中に差し掛かる雑司ヶ谷の町並みの中で、二人は長い間お互いの身を寄せあった。
次回が最終回となります。
4/23の18半頃に投稿予定です。




