八日目:お母さんは手が離せません
部屋で一時間くらい遊んでから、彩希が夕食の献立を何にしようかと浩太に相談してきた。そろそろ夕食の準備に取り掛かる時刻だった。麒一の説教が終わり、武雄が解放されているころでもありそうだ。
みんなで一緒に片づけをしてから部屋を出た。すると、優美が急にどたどたと足音を立てて廊下を走り出した。
「わーい」
と、はしゃいだ声を出したと思うと、階段の手前でいったん足を止めた。そして一段ずつ階段を下りていく。
いつも通りとはいえ、ちゃんと階段を下りられるか心配になる浩太。ゆっくり階段を下りながら、優美を見守る。
「ちゃんと階段の上り下りができるだね」
莉緒は感心した口調で言った。
「三歳ならできますよ」
と、彩希は娘の成長を誇らしく感じているようだ。
階段を下りると、優美がまた走り出した。リビングの前で足を止めると、手を伸ばしてノブを回してドアを開け、すぐに中に入った。
「ありゃ」
と、浩太が声をあげたのは、優美がすぐにドアを閉めてしまったからである。ちゃんとしているなと思う反面、後ろの人のことを考えてほしいなとも思う。
「しょうがないわね。ちゃんと言い聞かせないと」
と、彩希は苦笑交じりに言う。
浩太がドアを開けて、彩希と莉緒をリビングに入れる。ドアを閉めたとき、先ほどまでとは空気が一変していたのに気づいた。
麒一から圧が無くなり、食卓テーブルに両肘をついて武雄の原稿に目を落としていたからだ。
「ふーん、警察ものねぇ」
麒一は背もたれに身体を預け、腕を組む。対面の武雄は顔を俯かせて肩を縮めていた。
「ど、いかかでしょうか?」
口籠る武雄から緊張感が伝わる。
「なんつうんだろうな、妙に主人公が丁寧すぎるっていうか、面白みに欠けるっていうか。とにかく面白くない」
麒一は曖昧な感想でばっさり切り捨てた。
「でも、うう、はい」
武雄は反論したかったようだが、麒一が一瞬、鋭く目を尖らせるような視線を送ったせいか甘んじて受け入れたようだ。
「おかーさーん」
と、優美が彩希に声をかけた。
「なあに?」
「ほんよんでー」
「うーん、ちょっと無理かなぁ。お母さん、晩御飯の準備しなくちゃいけないし」
「むー」
優美は拗ねてしまったのか、床に寝そべってしまった。
「優美、晩御飯食べてから本読んでもらおうか」
浩太は膝を床について優美の頭を撫でてやった。
すると、優美が顔をあげる。
「むー」
眉を八の字にして浩太を見つめてくる。
「あれま、優美ちゃん困ったねぇ」
莉緒がしゃがんで優美に顔を寄せた。
――どうしようか。
どうやって言い聞かせようか頭を悩ませる。我慢を覚えさせるのも親の役目だとわかっていても、良いアイデアが思い浮かばない。いっそのことアニメでも見せて気を紛らわせようかとも考えた。ただ、優美の困り顔から察するに彩希に本を読んでもらい観が滲み出ている。むしろ、本どうこうというよりもお母さんに構ってもらいたいのかもしれない。
「優美―」
とキッチンに足を運んだ彩希が声をかけてきた。それでも優美は浩太から目を離さない。
「お父さんに本読んでもらいなさい」
「はい?」
浩太は彩希に目を遣った。彼女は事も無げに鍋に水を注いでいた。
「いいのー?」
にわかに優美の声が明るくなった。どうやらお父さんでもいいらしい。
「でも俺、彩希みたいにうまくできないぞ」
「うまくやらなくていいの。愛情をこめて一言一句丁寧に喋る感じでやればいいから。こういうのは技術じゃなく、親子の触れ合いの方が肝要なんだから」
と彩希は持論を述べた。
「おとーさーん、よんでー」
と、おねだりの矛先を浩太に向けて来る優美。
「こりゃあやるしかないね。お父さん」
莉緒が浩太の肩に手を乗せる。
「うーん」
浩太は後ろ首に手を当てて、優美をまっすぐ見据える。八の字だった眉が上がり、ぱっと目を輝かせている。
「ほっほっ」
と、優美は匍匐前進のように身体を這わせて浩太の脚を掴む。それから浩太を見上げ、物欲しそうな顔つきになる。一見意味のない動きに思えるが、三歳児なりのアピールなのかもしれない。
「しょうがないなぁ。お父さん、お母さんみたいに上手くないけど」
浩太は優美の手首を握ってやさしく立たせた。
「やったー」
と、優美は隣の部屋に行ってしまった。本を取ってくるようだ。
「じゃあ、あたしたちは、武雄へのダメだしね」
莉緒が手を広げて食卓テーブルに向かう。遠慮なく感想が言えるせいか楽しげである。
「それじゃ、俺の作品にいいところがないみたいじゃないですか」
武雄が莉緒を振り向いて文句を言う。
「ごめんごめん。でも、ダメ出しを嫌がってちゃあ、作家になんてなれっこないよ。せっかくあたしたちみたいなブレーンがいるんだし、積極活用しなきゃ」
ベテラン編集者のような口調で言う莉緒。
「ならお願いしますよ。見当違いなこと言ったら怒りますからね」
武雄はそう返すのが精一杯のようだった。一応、聞く耳は持っているらしい。
――武雄も案外……。
根性あるなぁ、と胸の内で感心する浩太。苦心して生み出した作品にダメだしされると凹んでしまいがちだと思う。それでも、ミス研の会員たちに評価を委ね、文句を言いながらも拒否する姿勢を見せない。もしかしたら、デビューぐらいはできるかもな、と内心思ったりもする。
彩希が晩御飯の支度をし、麒一と莉緒が武雄に感想を言っている中、浩太は隣の部屋に入った。
壁際の本棚の前で、優美が四つん這いになって絵本の背表紙を眺めていた。古本市で購入した以外の絵本ある。彩希や麒一が小さい頃に読んだ絵本も混じっているのかもしれない。
「どれがいいんだ?」
と、浩太は優美の横にしゃがみながら訊いた。背表紙の列に目を向けると、浩太も知っている古典から新しそうなものまである。
「むー」
と、優美は悩んでいるようだ。
「ふーむ、ちょっといいか」
浩太は絵本をごそっと取り出して、表紙が見えるようにして本を床に並べた。ジャケ買いみたく表紙を見て選ばせた方がいいと考えた。
優美は立ち上がって絵本を見下ろした。するとすぐに優美はとことこ足を動かしてお化けの絵が描かれている絵本を持ち上げると、浩太に差し出す。
「これよんでー」
「よし、じゃあベッドに座ろう」
浩太は本を受け取ると、ベッドに腰かけた。
「ほっ」
と、優美はベッドに手をかけて飛び乗ろうとした。しかし、お腹をベッドの縁にかけるのが精一杯でずるずると滑り落ちてしまう。
「よし、もう一回」
手を貸してもいいが、せっかく自力で登ろうとしてるのだから優美の気がすむまでやらせてみようと思った。
「やー」
今度はしっかりベッドのシーツを掴んで目一杯脚のバネを利かせた。縁に足を引っかけてからごろごろとベッドの上を転がる。すぐに立ち上がると、浩太の脚に腰を下ろした。
浩太は絵本を持ちながら腕を優美の前に回した。身体が密着すると、優美が顔を見上げて浩太の顔を見ようとする。
「にひひひ」
と、お父さんに抱かれ愛情を感じたのか、優美は笑顔を向けた。
浩太もそれに合わせて笑顔を作ってから絵本を開いて、読み聞かせを始めた。
次回は4/1の18時半頃に投稿します。




