二日目:お出かけします
「うーん、これがいいかな」
彩希はサンシャインシティの子供服売り場で優美の服を選んでいた。
百均とおもちゃ屋で買い物を済ませたあと、優美の持って来た着替えが少ないと彩希が言いだして、服屋に寄ったのだ。
金銭的に余裕のない浩太は、服を洗って使いまわせばいいと提案したのだが、彩希が一歩も引かず、優美に似合う服を選びたいと譲らなかった。それに服の代金は彩希が払うといったので、浩太は強く反対することができず、一緒に優美の服を選ぶ羽目になった。
「これー」
優美が畳んであったTシャツを指さした。白地にピンクのアルファベットが描かれたものである。
「どれどれ」
彩希はシャツを手に取って優美の身体に合わせる。
「似合っているんじゃないか?」
とは言ったものの、浩太には服の良し悪しがわからない。なんとなく女の子っぽいからそれでいいという感覚だった。
「うん、いい感じね。お父さん、持って」
彩希がシャツを渡した。
「スカートとかワンピースとか、女の子っぽい服はいいのか?」
「夏だし、動きやすい服の方がいいよ。よそ様の家に行くわけじゃないし」
「そういうもんか」
ここは彩希のセンスと優美の好みにゆだねた方が良さそうだった。
「あと、もう一枚ぐらいシャツがいるかな」
「まだ買うのか?」
というのも、浩太の手にはシャツが三枚、短パンとズボンがある。
「同じ服ばかりじゃ、飽きるでしょ。少しはおしゃれをしないと」
「贅沢だなぁ」
庶民的な感想を漏らす浩太。芸能界で稼いだだけはあるな、と嫉妬と羨望を覚えそうだった。
「やー」
と、優美が浩太の脚に抱きついて、顔をあげた。
「買い物終わったら、お昼を食べような」
と、浩太は優美の頭を撫でてあげた。
「うん、これでいいわ。会計しよ」
彩希はもう一枚シャツを手に取ると、浩太に渡した。
――楽しそうだなぁ。
優美のために買い物をしている彩希の顔が輝いている気がした。
◇ ◇ ◇
サンシャインシティで買い物と昼食を済ませてから、近くの公園に行った。水族館に行こうかと誘ったが、優美が外で遊びたがったので、またの機会にすることにした。
この公園は造幣局の跡地に作られたもので、防災公園としての機能がある、と彩希が解説してくれた。ざっと見まわすと、思いのほか広く、設備も充実しているように見える。
屋外の飲食店の周りにはテーブルが置かれ、家族連れが遅い昼食を楽しんでいる。酒も提供されていて、父親らしき男の顔が赤く、声が大きいのは酒を飲んで気が大きくなったせいかもしれない。母親と子供がちょっと迷惑そうに父親に注意した。
舗道が交差する芝生の上でボール遊びをしている小学生が声をかけ合い、フリスビーで遊んでいる親子もいれば、時計の近くの柵で仕切られているエリアでは犬と戯れている人もいる。敷地が広いためか、比較的自由に遊べるようだ。
公園内にはバスの停留所もあり、ちょうど係の人がバスを誘導しながら周りの人に注意を促していた。
浩太に手を引かれている優美が急に足を止めて公園を出て行くバスに目を向けた。赤い車体がゆっくり動く様子に興味が惹かれたらしい。
「乗り物に興味があるのか?」
と浩太は優美を見下ろして訊いた。ところが優美はバスが気になるのか、浩太の声に反応してくれない。
「子どもって好奇心旺盛だから」
彩希が何気なく言う。日焼け対策なのかアームカバーを嵌め、帽子を被っている。小型のキャリーケースを引いていて、その中には今日買ったものが詰めてあった。
「ああいうのは男の子のほうが好きなんじゃないか」
と、浩太は彩希に顔を向ける。
「男の子、女の子って関係ないよ。優美ったら乗ってみたいんじゃないの?」
彩希はしゃがんで優美と頭の高さを合わせた。すると、優美が彩希に顔を向けて、えへへ、と笑う。
「で、どうする? バスに乗ってみるか?」
「時間がないし、また次の機会にしよ」
「なら、遊具で遊ばせるか?」
浩太は生垣越しに見える赤い遊具に目を向けて言った。区営のキッズパークで、赤一色で彩られた施設だった。生垣の影にはミニSLが走っているようで、子どもたちが弾けた声を上げていた。
「あそこ、予約制じゃなかったかな? 今からだと無理かも」
「なら仕方ないな。だったらカフェに行くか」
公園の南側にあるカフェのテラス席はまだ空いているようだった。浩太はポケットから財布を取り出して、中身を確認した。三千円と小銭が少々。なんとか三人分の飲み物代はありそうだ。買い物の金は彩希が出してくれたので、飲み物代ぐらいは出さないと格好がつかない気がする。
「お昼食べたあとだし、水筒があるからいいんじゃない。とりあえずそこのベンチで休も」
彩希は芝生の前にあるベンチに足を向けた。浩太も優美の手を引いて後に従う。
ベンチに腰を下ろすと、彩希はキャリーケースを開けて中を改めた。トランプ、ゴムボール、落書きボード、マジックテープのダーツといった遊び道具、それに優美の服で埋まっている。
優美は浩太から手を離して物珍しそうに中を眺めた。
「けっこう、買ったな」
「これぐらいあれば。しばらく大丈夫ね」
「ボール遊びでもするか。な、優美」
と、浩太は優美の頭を撫でた。
すると、優美が手を握ってきて笑顔になる。
「わーい」
優美がいきなり浩太の手を引っ張って走り出した。
「おっと」
浩太は優美に合わせて足を動かした。
公園の芝生の上を優美は元気に走り回る。三歳児だと侮っていたが、以外にも足が速い。とはいえ、大人の足にはかなわず、浩太は楽なペースで優美を追走できた。
――このまま走らせるか。
優美が楽しそうにしている。万が一、他の利用客の邪魔になるようなら、そのときに止めればいいと思った。
公園には日影が少ない。肌を焼くような日射しが容赦なく降り注ぎ、浩太の身体には汗が噴き出ていた。
前を走る優美は暑さなど気にせず、芝生の中を駆け回っている。意外にも周りには気をつけているようで、他の利用客から離れたところを選んで走っているようだ。
「わーーい、わーーい」
広い公園を走り回っているのがよっぽど楽しいらしく、弾けるような声が途切れそうもない。
ふと、浩太は周りの視線が気になった。芝生ではサッカーボールを蹴っている小学生やフリスビーを投げている中学生、ダンスの動画撮影をしている高校か大学生ぐらいの女子グループたち、ベビーカーを押している母親と息子を抱っこしている父親など、夏休みの公園らしい光景が目に入る。こちらにやさしげな視線を向けてくる初老の夫婦もいて、浩太は軽く会釈をした。
やがて芝生を抜けて、木が植えてある外周の舗道に入ると、階段へ足を向けた。その先には歩道がある。
「うんしょ、うんしょ」
ここは慎重になって一段ずつ登る。歩道のガードレールに突き当たると、右に折れてちょっとした坂道を下る。
「わーい」
また喜びの声を出した。
「前に気をつけるんだぞ」
浩太は前に目を向けて言った。下り坂は曲がり角まで続き、右に折れると上り坂になる。
優美は足を緩めずに角を曲がった。
そのとき、自転車がスピードを落とさずにこちらに向かってくる姿が目に入った。浩太と優美に気づいている様子はなく、しかもスマホを見ながら自転車を漕いでいた。
「危ない! 前! 前!」
目の前まで迫って来た自転車に恐怖を覚えた。浩太は優美に前に出て抱きかかえ、自転車の衝突を背中で受け止めようとした。
「うあわぁぁぁぁー!」
自転車を漕いでいた男がようやくこちらに気づいた。耳を裂くようなブレーキ音が鳴り響く。
浩太は優美を強く抱きしめながら目を瞑った。
「ふう……」
身体に衝撃を感じず、なんとかやり過ごせたらしかった。
「すみません」
自転車の男は申し訳なさそうに謝ってきた。
「あ、こちらこそ」
と、浩太は男に向き直り、やんわりと言った。男の顔にも動揺が表れていたので、強く言う気が失せたのだった。
「むー」
優美が浩太の首に腕を回して悲しそうな声を上げた。
「優美、ちゃんと気をつけるんだぞ。ほら、ごめんなさいってお兄さんに謝りなさい」
と浩太はやんわりと注意した。
「ごめんなさい」
優美はこくりと頭を動かした。
浩太は男に一言注意して帰らすと、優美の手を引いて彩希のところへ戻ろうとした。事故の危機が去っても、心臓の鼓動が止まらない。てくてく歩く優美は元気なさそうに顔を俯けて地面を見ていた。
浩太がいきなり抱きついたせいなのか、自転車が襲ってきたせいなのか判断がつかない。なにか声をかけて元気を取り戻したいと思っても、どうしていいか心の中で戸惑うばかりである。
「おとぉーさーん」
カフェの近くまで来ると、優美が甘えるような声を出した。
「どうした?」
浩太は優しく問いかける。
「トイレいきたいー」
――それかよ……。
優美が元気なかったのは浩太のせいでも自転車のせいでもなかった。
「お母さんにつれて行ってもらいなさい」
さすがに女の子と一緒にトイレに行くのはまずいと思った。
彩希がまだベンチに座っているのが見えた。こちらに笑顔を向けている。
「平沼ぁー、優美をトイレに連れて行ってくれ」
「了解」
彩希はすっと立ち上がると、いきなり不機嫌そうな声音で言った。
すぐに彩希がキャリーケースを引いてこちらに寄ってくる。
「おかーさん、トイレー」
優美がねだるように言う。
「すぐに行かないと。あと」
彩希が優美の手を握ると、浩太に向き直って真面目な顔つきで見つめてきた。
「どうした?」
「平沼は止めてって言ったでしょ、浩太」
むっと眉根をひそめる彩希。
「あ、ああ。ごめん」
身体の内側から熱さがこみ上げてきた。夏の日射しと相まって一気に汗が噴き出そる。
「じゃあ、これ預かってて。優美、行くよ」
彩希は明るい声で言うと、浩太にキャリーケースを預け、トイレへ足を向けた。優美はその後ろをとことことついて行く。
――大変だなぁ。
近くのベンチに腰を下ろす浩太。
優美と一緒に買い物をしたり、走り回ったりするのが嫌なわけではない。むしろ無邪気にちょこちょこ駆け回る優美を見て心が和む思いがした。
しかし、楽しいばかりではない。急に走り出したり、思いがけないトラブルが起きたりするので、一緒に遊んだりするだけでは済まないな、と当たり前のことに気づく浩太であった。