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八日目:平沼兄妹は根に持つタイプのようです

 そろそろ時間だな、と思い、優美を起こしに行った。


 ベッドの傍に寄って優美の寝顔を眺める。静かに寝息を立て、安らぎを感じているような寝顔だった。寝返りを打って顔をこちらに向けてくる。父親の気配に気づくことなくぐっすり寝ているようだ。


 とはいえ、昼寝をしてからもうすぐで一時間。このまま寝かせると夜に差し障りが出る。幸せな時間を壊すようで少々気が引けるが、起こすことにした。


 浩太は優美の肩をやさしく揺すった。それから優美に顔を向け目が開くのを待った。


 優美の目が少しずつ開いていく。しょぼしょぼする目をこすって浩太を見つめる。まだ声を出すほどの元気がないらしく、ちょっとだるそうにベッドに手をついて上体を起こした。すると、ごろんと転がって浩太に近づいた。


「おー、大丈夫か?」


 一応気を遣う浩太。怪我はしないとわかっていても、声掛けぐらいはしないと、と思う。


「にひひひ」


 優美は笑顔を向けてくる。すぐ元気になったようだ。今度はベッドの上に立つと、クッションの弾力を利用して飛び跳ねると、ベッドの上から降りた。どんっと音を立てて着地すると、すぐにリビングへ駆け出して行った。


 浩太もリビングに行くと、優美は急に足を止めて不安そうにこちらを振り向いた。


「大丈夫だから。麒一さんと武雄さん、ちょっとお話をしているだけだから」


 気休め程度に理由を言うが、リビングに立ち込めた剣呑な空気が晴れることはない。小さな子ども特有の感性なのか、優美はお父さんの言葉を真に受けられなかったようで、浩太のシャツを掴んで見上げた。


「おとーさーん」


「大丈夫だから。ほら、お父さんの部屋にお母さんとか莉緒さんもいるからそこで遊ぼうか」


「うん」


 と、優美は言ってくれた。


 食卓テーブルには、麒一と武雄が向かい合わせに座っていた。麒一は張り詰めたオーラを放ちながら原稿に目を落とし、武雄は肩をすくめたまま俯いている。


 優美を起こすちょっと前に、麒一が部屋から戻ってきた。武雄の小説を読んだ感想を言いに来たのだが、そこで彩希が口を滑らせたのだ。


 つまり、前に武雄が平沼家に来たとき、優美を泣かせたことを告げたのである。


 これを聞いてから麒一は一言も口を開かなかった。ただ、両膝に肘を立てて手を組み、目から殺気を帯びた光を放っていた。かわいい姪っ子を泣かせた悪党をどう成敗しようかと策を練っているように見えた。


 そして武雄が平沼家に着くとすぐに、人払いを命じ、武雄と二人で話すと告げたのだ。莉緒は麒一に気圧される形でそそくさとリビングを出て、彩希も武雄が優美を泣かせたときのことを思い出して、たっぷりお灸をすえてもらいたがったので二人きりにしたのだ。


 一応、麒一が武雄の書いた作品に感想を言う体なのだが、食卓テーブルから放たれている雰囲気はそんな和やかなものではない。


「で、神名くん、なんでそういうことをしたのかな。何度も聞いているよね? 黙ったままじゃわからないな。んん?」


 パワハラのごとく問い詰めにかかる麒一。言葉自体に力があるわけではないが、麒一から発せられる、形容しがたい圧力が武雄の口を閉ざしている観があった。


「うう、ぐ、いや、その、親しみを込めて……」


 普段は生意気な態度をとる武雄も、麒一の発する空気に勝てず口籠るばかりである。


「さ、優美。お父さんの部屋でトランプでもしようか」


 と、浩太は優美の手を握った。


「やったー」


 お父さんがやさしく言ってくれたと思ったのか、優美は自分から浩太の手を引いてリビングを出ようとした。


「あ、ちょっと。浩太さん、行かないで―」


 武雄の嘆きが背中を打つ。


 浩太はいったん優美を止めてから後ろを振り向いた。武雄の顔が歪んで見える。


「武雄、観念しろ。子どもをいじめた罪は重いんだ」


 と、浩太は突き放すしかなかった。いま、武雄をフォローすると、せっかく築いた義兄との関係がこじれてしまいかねない。ここは心を鬼にして武雄に犠牲になってもらうしかなかった。


 浩太は優美を連れて廊下に出た。そのとき、武雄がなにか叫んだ気がしたが、浩太はあえて聞かないふりをして、部屋に足を進めた。


 部屋に入ると、彩希がマジックテープのダーツを壁に掛けていて、莉緒がボールを投げるところだった。二人はこちらに気づき、同時に顔を向けた。


「あ、起きたんだ」


 と、声を出したのは莉緒である。


「りおさんだー」


 優美は浩太から手を離して莉緒のところへ走り出した。


「おー、よしよし」


 莉緒はしゃがんで優美の頭を撫でる。


「すっかり懐いたなぁ」


 浩太は彩希に近づきながら言う。


「これじゃあ、母親の面目が丸つぶれね」


 と言うものの、彩希の声音は明るい。自分の娘が他人に物怖じしないのを喜んでいるらしかった。


「で、ダーツをやるのか?」


 浩太は壁に掛けられたボードに目を遣る。


「せっかく買ってきたんだし、一回はやってみないと」


「もうちょっと、女の子っぽいものを買えばよかったかなぁ」


「平気よ。優美ったら身体を動かすことが好きみたいだから。子どもの遊び道具に男の子も女の子も関係ないんじゃないかな」


「まあ、たしかに優美は楽しんでるみたいだしな」


 と、浩太は優美に目を向ける。


 優美はマジックテープの張ってある小さなボールに興味があるらしく、手に取ってじっと見つめている、と思ったら、優美がこちらに近づいてきてボール彩希の脚に張り付けようとした。


「つかないー」


 優美は残念そうだった。


「優美、このボールはね、あのボードに投げるんだよ」


 彩希がボードを指さすと、優美はつられて首を回す。


「そうそう。優美ちゃん、こっち来て。ここから投げて」


 莉緒が手招きして誘うと、優美はとことこと莉緒に近づく。


「それで――」


 と、彩希は浩太に顔を寄せて言葉を続けた。


「お兄ちゃんたちはどう?」


「ありゃあ、しばらく収まらないぞ。武雄、二度とここに来ないかも。彩希もひどいことするよなぁ、ああなるってわかってただろ」


「ふふん、経験よ、経験。武雄を作家にするために経験を積ませてあげてるの」


「経験?」 


 独自理論を持ち出したな、と内心訝った。


「感情の動きを機敏に把握できないと、文章で表現できないでしょ。今回、武雄には怖い人と対峙したときの気持ちを肌身で感じてもらって作品に反映させる目的があるの」


「そんな上手くいくか?」


 彩希のメソッドがそのまま文筆にも応用が利くのだろうか。


 それよりも、優美をいじめた武雄をさらに懲らしめる意図の方が大きい気がする。彩希がうっかり口を滑らせたのも、実はわざとなのではないかと邪推してしまう。武雄の育成は口実で、麒一の性格を利用して懲らしめてもらう気でいたのかもしれない。


 ――俺も気をつけないとな。


 今は彩希の旦那、優美の父親として認められているが、下手を打つとどんな目にあうかわかったもんじゃない。浩太はこの兄妹を怒らせないようにしようと胸の内で誓った。


次回は3/21の18時半頃に投稿します。

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