八日目:莉緒さんは案外食えない人でした
「はぁー、涼しぃー」
平滑家のリビングに通されるなり、莉緒が遠慮なくソファに座った。
眠たそうにしていた優美を寝かしつけたあとだった。午前中に目一杯身体を動かしたせいで、一気に疲れが出てきたのかもしれない。すやすや寝ているのを見届けてから浩太と彩希はリビングに戻った。
そのときにインターホンが鳴り、彩希がモニターで莉緒の姿を認めたあと、彼女をリビングに通した。一緒にいた麒一は気を利かせたのか、莉緒が来る前に自分の部屋に戻った。
浩太は冷蔵庫から麦茶を取り出してコップに注ぎ、莉緒に出してあげた。
「おおー、浩太、すっかり旦那さんが板についた感じだねぇ」
莉緒がからかうように言うと、コップを手に取り一気に麦茶を喉に流し込んだ。
「茶化さないでくださいよ。で、バイト代は?」
浩太は彩希の隣に腰を下ろす。
「はいこれ」
と、バッグの中から封筒を取り出した。
浩太は素直に受け取ると、中身を確認した。きっちり五千円と明細が入っている。なぜか彩希が身を寄せて明細をのぞき込む。
「交通費と、時間で割ると……やっぱり割に合わない感じですね」
「車で行って正解だったよ。まったく、こんなバイト、もう引き受けない」
莉緒は叩くようにしてコップをテーブルの上に置くと、ソファに寝転がった。
「莉緒さん、人の家だってわかってます?」
「浩太だって居候みたいなもんじゃん」
自分から浩太を旦那呼ばわりしておいてこの言葉である。
浩太は深くため息をついて彩希を見遣った。別段、不快に思っているようではないので、うるさいことは言わないようにした。
――居候、ねぇ。
莉緒に心の中を読まれた錯覚に陥った。平沼家に寝泊まりし、家財道具の場所や冷蔵庫の食材を把握していても居候という感覚が抜けない。優美の父親だという自覚はあるものの、平沼家の一員になった気がしなかった。
これはなぜなのかとうっすら考えてみた。今の浩太はどこにでもいる大学生にすぎず、身の丈に合わない豪奢な家に住んでいるせいなのかもしれない。将来、社会人になって稼いだ金で家を建てるなり、マンションの家賃を払える身分になって家族を養えれば堂々としていられるかも、と思う。
「どうしたの?」
と彩希が声をかけてきた。
「別に。ちょっと考えごと」
浩太は後ろ頭に手を組んで背もたれに寄りかかった。
「それで、玄一郎さんにも渡したんですか?」
彩希が訊いた。
「明日、大学まで来てくれって」
「家じゃなくてですか?」
と、彩希。
「家だと都合悪いみたい」
よっ、と声を出して莉緒は起き上がると、ソファの上で胡坐をかいた。
「そういや、莉緒さんって玄一郎さんの家に行ったことあるんですか?」
そう訊いたのは、彩希は玄一郎の家に訪れたことがないからだろう。ちなみに浩太も同じである。
「んにゃ、ないよ。議員先生の家ってどんなもんか見てみたいって明乃さんが言ったことあるんだけど、ダメだって断られた」
「都議会議員ともなると色んな人が来るでしょうし、関係ない人が行っても迷惑なんでしょうね」
と、素人の思いつきを言う浩太。
「だから、ミス研の集まりは大学の教室か誰かのアパート。その方が気兼ねなく騒げるでしょ」
「騒ぐのはどうかと思いますよ。アパートだって壁薄いし隣に迷惑かけますよ」
と、浩太が苦言を呈したのは、以前、陽平や英語の授業で知り合った同級生たちが浩太のアパートに集まったときのことを思い出したからである。
大学入りたてのころ、隣人の迷惑など省みずに、夜通しゲームをやったり、飲み食いして大声ではしゃだ。東京の大学生活を満喫した気分になったのだが、隣人から苦情を受け、しかもアパートの管理会社から叱られてしまったのだった。
実家を離れて自由を満喫できると勘違いした自分が恥ずかしくなり、以来、浩太は多少の慎みを覚えて大学生活を送っている。
「なら家に来てくれたらよかったのになぁ。別に友達呼ぶくらいなら問題ないのに」
どこか残念そうな口調の彩希。優美がいなくても友達を家に招きたかったようだ。
「うーん、なんだか彩希の家に行くのはみんな遠慮してた感じだからね。なんとなく気を遣わなきゃって雰囲気あったし」
「陽平ぐらいですね。彩希に遠慮なかったのって」
と、浩太がしゃべると、彩希のスマホから通知音が鳴った。
「あら、なんだろ?」
彩希がスマホを手に取って画面を操作する。
「優美ちゃんはお昼寝?」
話の接ぎ穂を求めたらしく、莉緒が訊いた。
「はい、もうちょっとしたら様子見に行きます」
「じゃあ、なんか見ていい?」
と、莉緒はテーブルのリモコンに手を伸ばした。
「いいですよ」
と、いつの間にか彩希はスマホをテーブルに置いていた。
「誰から?」
浩太が訊く。
「陽平よ。今日また家に来たいんだって」
「なにをしに?」
「昨日のリベンジがしたいみたい。ああ見えて向上心はあるみたい」
彩希は面白がっているようだ。
「リベンジって?」
と、莉緒がリモコンを持ったまま訊く。テレビの画面にはお昼のニュース番組が流れていた。
「陽平のやつ、どうもお笑い芸人を目指しているみたいなんですよ」
「あー、だからいろんなサークルとかバイトとかやってるんだ」
なにやら合点のいく莉緒。
「芸人を目指すことと何の繋がりがあるんです?」
刑事ドラマのような口調になってしまう浩太。
「ほら、芸人ってエピソードトークとか話すでしょ。いろんなところに顔を出して面白そうなエピソードを拾ってるんじゃない?」
「将来、メディアに出たときのためにネタを溜めている感じですかね?」
思いのほか、陽平は将来のことを考えているような気もした。莉緒の話から察するに、今から色々な経験を積んで下積みをしている感じがある。
「メディアで話すだけじゃなく、劇場でトークライブもするって芸人さんが言ってたわ。漫才やコントだけじゃなくトーク技術も磨かないと使ってもらえないの。大学のお笑いサークルでもトークライブってやってるんじゃないかな」
彩希が推測を交えて言う。
「ふーん、ああいうのってただ話せばいいってもんじゃないんだな」
芸人の世界も奥が深そうだなと思った。
「それはともかく、陽平、ここに来るの?」
と、莉緒が訊いた。
「一人ならいいって返信しておきました」
「じゃあ、その前に本題に入ろうか?」
「本題?」
と、浩太と彩希の声が合わさる。浩太はふと彩希に振り向くと、彼女と目が合った。途端に照れくさくなり、莉緒に向き直る。
「へへ」
と、莉緒は浩太の素振りが面白かったらしい。
「笑わなくていいですから。で、本題は?」
顔が熱くなるのを感じながら訊く浩太。
「浩太さ、うちでバイトしてみない?」
「え?」
「いろんな派遣先があるし、時間のある時だけでいいからさ」
「うーんなるほどなぁ」
だが、浩太はあまりに乗り気になれなかった。時間のある時だけ働けると言えば聞こえがいいが、それは派遣会社が発注を受けた場合のみである。時間があっても仕事がなければ当然アルバイトを行うことができない。
念のため、どんなアルバイトがあるか莉緒に訊いてみた。
「いろいろあるよ。飲食に、イベントの設営と警備、物流関係とか。時間帯も自由だし、とりあえず登録してみたら?」
「その会社、大丈夫なんでしょうね? たしか莉緒さんのところ、大手じゃないでしょう」
サクラの依頼を請け負い、しかも優美のような小さな子どもを隙あらば使おうとするあたり、どうもいかがわしさを感じてしまう。今回はきちんと給料を払ってくれたが、これからどうなるかわかったものではない。
「一応、都内各所に事務所があるぐらい大きいところだし、時間通りに働かせくれるから心配ないって」
「浩太」
と、彩希が耳を貸すよう手招きをした。
「なんだ?」
浩太は耳を寄せると、彩希が浩太の耳を覆うように手を添えた。
「万が一のときは大丈夫。わたしの伝手で弁護士紹介してあげるから」
と、ささやく彩希。
「聞こえているよ、彩希」
不満げに言う莉緒。
「弁護士に依頼するようなもんでもないだろ。だいたい、費用出せるほど金ないし」
浩太はそう言うものの、内心ほっとした。胡乱なバイトを強要されたときは、遠慮なく彩希に話せばなんとかなるかもしれない。費用のことは――問題が起きた時に考えようと思った。
浩太は彩希から耳を離した。
「で、どうする?」
莉緒は急かすように訊いてきた。
「わかりました、登録だけはしておきます。けど、優美の世話を優先させてもらいますよ」
「それでいいよ。じゃあ、話し通しておくから」
と、莉緒はバッグからスマホを取り出した。早速連絡を送るらしい。
すると、彩希のスマホから通知音が鳴った。
「陽平?」
浩太が訊く。
「武雄ね」
と、彩希は独り言のように言う。
「なんだって?」
「感想を聞きにうちに来てもいいかって。莉緒さん、武雄に感想言いました?」
「んにゃ」
莉緒は首を横に振る。
「なら、ちょうどいいかな。莉緒さんに遠慮なく感想を言ってもらいましょう」
彩希は指を動かす。
「彩希、麒一さんにも武雄の小説、読ませたのか?」
たしか武雄はいろんな人の意見を聞いてみたいと言っていたはずなので、麒一にも協力を求めた方が良さそうだと考えた。
「原稿は渡してあるけど、読んだかな?」
と言うと、彩希はソファから腰を上げてリビングを出て行った。
「麒一って彩希のお兄さん?」
「そうです」
妹のためなら暴走する、とは言えなかった。仮にも先の兄であり、しかも高い寿司をおごってもらった手前、あまり悪く言うのは気が引ける。
代わりに、莉緒に視線を据えてこう言った。
「彩希のお兄さんなだけあって、カッコいいですよ。しかも頭も良いですし。あと優美のお世話もしてくれるので助かっています」
「性格は?」
「はい?」
虚を衝かれて声が上ずる浩太。すると、莉緒は目の下を歪めて企むような笑みを浮かべた。
「浩太、あんた何か隠しているでしょ。もしくは嘘をついているか。そうやって見つめて言うのって不自然なのよ」
「ふつう、目が泳ぎませんか」
「ざんねん、逆。最新の犯罪心理学だとやましい人間は相手の目をよく見つめて話すもんだって研究結果が出てんの」
「そうなんですか」
ミステリーマニアらしく、犯罪心理学まで手を伸ばす莉緒に舌を巻く思いだ。
隠し事は出来ないと腹を括り、浩太は麒一の所業を伝えた。
「……すごい人だね」
いたって簡素な言葉しか出ないようだった。
「過保護って感じですかね」
「それ以上の言葉があったら教えてほしいぐらいよ」
莉緒は肩をすくめてからソファの背もたれに身を預けると、言葉を続けた。
「しっかし、あれって本当のことだったんだねぇ」
「はい?」
「人は隠しごとや嘘をつくとき、相手の目をじっくり見つめるってやつ。どっかで聞きかじった知識だから本当かどうかわかんなくてさ。いやぁ、浩太が証明してくれたよ」
莉緒は口角を上げる。
――……はめられた……。
要するに浩太を実験台にして立証したかったのだろう。まんまと思惑通りに浩太が隠していたことを引きだせて、莉緒は満足しているにちがいない。
「ま、浩太だけじゃ足りないね。あとはみんなにも試さなきゃ」
と、莉緒は悪びれることなく言ってのけた。
――こうなったら……。
陽平と武雄にも犠牲者になってもらおう、とちょっぴりいたずら心が湧く浩太であった。
次回は3/18の午後6時半頃に投稿します。




