八日目:彩希は気にしていないようです
よりもよって、面倒な奴に目をつけられた。
嶋井霧子のような人間なら他人の迷惑を省みず、彩希と優美のことを他人に言いふらしてもおかしくない。そう思ったから、植樹のバイトの帰り、彩希が瀬能紗雪だとバレないように顔を隠した方がいいとメッセージを送ったのだ。あのときの彩希は浩太の忠告通り、サングラスをかけており、遠目からでは誰だかわからないはずだった。そして浩太も周りの人たちがこちらに視線を向けていないと感じたから安心したのだ。
ところが、浩太の視界の外で霧子は彩希を見つけたらしかった。
浩太はSNSで霧子のアカウントに辿り着いた。本名でしかも美容専門学校の学生だと書かれているので間違いなかった。だからこそ、星華に霧子のことを訪ねたのだ。
「ああ、たしかに霧子って言ってたね。ちょっと馴れ馴れしい感じがしたけど、悪い子じゃなさそうだったけどなぁ」
星華は宙に目を向けた。
「ええと、『バイトの帰りに瀬能紗雪を見たよー。子連れでミニバンを運転してた』、ね。画像はないみたい」
彩希は読み上げると、画面をスクロールした。浩太も画面をのぞき込む。すると、自撮りをした霧子の画像が映し出された。
「あ、これだ。ちょっといいか」
と、浩太は彩希からスマホを受け取り、画像を星華に見せた。
「そう、この人だわ。っていうか、なんで青江さんがその人のことを知ってるの?」
「地元の同級生だったんですよ。たしか美容師志望だって言ってました」
「まあ、美容師とスタイリストを兼任する人もいないわけじゃないしね。その子も職場実習とかでスタイリストのところ選んだんじゃない」
星華は事も無げに言う。その辺の情報も多少は知っているらしい。
「星華、ちょっと貸して」
と、彩希は気になることがあるのか星華にスマホを渡すよう促した。受け取ると、画面をスクロールし始めた。
それにしても霧子が芸能人のスタイリストのもとに出入りしているとは思わなかった。彼女は努力とは無縁で、思い通りに行かないとすぐ不貞腐れてやる気をなくす気質の持ち主だった。芸能人のスタイリストともなれば一流のはず。その人の下で見習をするとなれば相当の苦労と努力が必要のはずだ。霧子にそれができるとは思えなかった。それとも霧子には、浩太には理解できない資質があったのだろうか。
「常識を知らない奴だから、プライベートの暴露とか平気でやりかねないし、時枝さんも気をつけた方がいい」
「浩太ぁー、呼び捨てでいいって」
彩希は画面を見ながら注意をする。
「別にバレて困ることなんてないけど、わかったわ。気をつける」
星華は言った。
「嶋井って子、プチ炎上してるね。そんなわけない、嘘を吐くな、情弱、承認欲求の権化、引退した芸能人のプライベートを暴露してなにが楽しいんだとか」
「でも、彩希に子どもがいるって信じている人もいるみたいだぞ」
「うーんこうなったら考え時かもね」
「考え時って?」
浩太は訊いた。
しかし、彩希は浩太の言葉に反応せず、スマホをじっと見つめて考える素振りを見せる。
そして彩希は、浩太にスマホを返してソファから立ち上がった。
「優美ったらなにしてるのかな。うどんがのびちゃうのに」
彩希はリビングを出て行った。意味ありげな言葉を吐きながらも、今は話す気がないらしく、もしかしたら彩希も考えがまとまっていないのかもしれない。時を改めて訊こうと浩太は思った。
「ねえ、青江さん」
「なにか?」
浩太は首を回して星華を見遣る。
「紗雪さんに尻敷かれていない?」
「はい?」
いきなり何を言い出すんだ、と言いかけたが、口を噤んだ。話の先が気になった。
「結構厳しい人でしょ」
「そうでもないぞ。あ、でも、優美にちょっかいをかけてきた人には容赦なかったな」
「たとえば?」
星華が訊いてくる。明乃、陽平、武雄の三人がきつい咎めを受けたこと、ついでに陽平にムチャぶりをしてダメ出しをしたことも話した。
「ついこの間まではそうでもなかったんだけど、優美が来てからちょっと気性の荒いところが見えるっていうか、娘を大事にしすぎて暴走する感じになったな。彩希って厳しかったのか?」
「まあね。口の利き方がなってないとか、態度が悪いとか、いい加減な仕事をしないでとか、いっぱい注意されたなぁ」
それは星華の態度のせいなのでは、と思うが、口に出すと厄介なことになりかねないので黙った。いくら浩太を怪しい男だと勘違いしたとはいえ、あの無礼な態度はない。彩希が星華に対して厳しくするのは当たり前のような気がする。
「でさ、矢内陽平って言ったっけ? その芸人目指している人」
星華は話題を変えてきた。
「ああ」
とだけ言って頷く浩太。
「どんなネタやったか詳しく訊かせてくれる?」
「興味があるのか?」
「これでもお笑いに詳しいタレントで通ってるの。ほら、今注目の若手芸人は? って良く聞かれるし、その人が面白ければ今から目をつけておくのも悪くないかなって」
「アマチュアの大学生だぞ。芸能人の眼鏡にかなうか?」
「わかってないなぁ。大学のお笑いってレベル高いんだよ。ここ数年、何人もの売れっ子芸人を輩出しているんだから」
「へえ、それはすごいな。陽平も努力してるのかもな」
と、感心してから、陽平がどんなネタをやったのか身振り手振りを交えて説明した。
「紗雪さんのダメだし、すごかったでしょ」
星華はげんなりした顔つきで訊いた。聞くだけ時間の無駄だったと言いたげである。
「一つ一つのネタにダメ出しをしてたし、彩希も妙に張り切ったんだ。陽平のやつ、最後は完全にへばっていたし、ないところからなんとか絞り出したって感じだな」
「ムチャぶりでも笑いを取れるぐらいじゃなきゃ、芸人ってやってられないしねぇ。当てが外れたかな」
星華は背もたれに背中を預けて脚を組んだ。
話の接ぎ穂が無くなり、リビングに沈黙が流れた。
――彩希、遅いな。
呼びに行くだけならそんなに時間がかからないはずである。浩太もいい加減腹が減ってきたので、先に食べてしまおうかと思い、腰を上げようとした。
「でもね」
脚に力を入れたとき、また星華が口を開いた。
「紗雪さんがそこまでダメ出しするなら見込みはあるかも」
「けど、彩希は芸人じゃないだろ。ちゃんとアドバイスできるもんなのか?」
浩太は腰を浮かして座り直した。
「的確かどうかは問題じゃないの。紗雪さんがそれだけ構っているんだから何か光るところがあるんじゃない」
「そんなもんか」
と、返すしかなかった。素人が専門外のことに首を突っ込んでもろくなことはない。友達同士で交わす雑談程度の知識しかない浩太が分析しても意味がない気がした。
「おまたせー」
彩希が優美の手をつなぎながら戻ってきた。後ろには麒一の姿もある。
「なにやってたんだ?」
と、浩太は訊く。
「かくれんぼやってたらさ。優美が見つかんなくて大変だったんだよ」
麒一が苦笑を浮かべる。
「優美、麒一さんを呼びに行ったんじゃないのか?」
浩太は努めて柔和に訊いた。少し叱ろうとしたが、優美の嬉しそうな顔を見て悲しませたくない思いが勝ってしまい、その気が失せた。
「あんまり怒んないであげてね。この伯父さんが優美を唆したの」
浩太の心情を察したのか、彩希は優美を庇う。
「どういうことですか?」
と、浩太は麒一に目を向ける。
「いやあ、ちょっと姪っ子と遊びたくなってな。かくれんぼしようって言ったら、優美が見つかんなくてさ」
「この子、けっこう賢いみたい」
と、彩希は親バカぶりを発揮する。
「へえ、どこに隠れたんだ?」
ちょっと興味が湧いて優美に訊いた。
「おとーさんのリュックのなかだよ」
「え? あれに入ったのか?」
浩太が平沼家に来る時に使ったリュックだろう。たしかに小さな子どもが入れるぐらいの容量があると思ったが、まさか本当に優美が入ることになろうとは思わなかった。
「もう、人が入るものじゃないのに。優美ったら必死になって隠れちゃったみたい。さ、うどんが冷めるから食べましょう」
「はーい」
優美が食卓テーブルへと走り出した。椅子に座ろうとしたところ、彩希がだっこをしてあげて椅子に座らせる。その右隣に彩希が座った。優美が嬉しそうに笑顔を彩希に向けた。
――楽しそうだなぁ。
と、胸の内でつぶやく浩太も子どもの無邪気な笑顔に和まされるのだった。




