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八日目:公園で遊びます

 優美が起こしに来る前に目が覚めた。いつまでも娘に起こしてもらうのは父親としてはだらしない気がしていたので、アラームをかけておいたのだ。


 カーテンを開けてから部屋を出ると、廊下でばったり優美と会った。


「おお、おはよう、優美」


 と、浩太は身体を曲げて優美に笑みを向ける。


「おきちゃったの―?」


 なぜか優美は不満そうだ。


 ――どうしたんだ?


 と、浩太は首をひねった。


「さ、ともかく朝ご飯を食べようか」


「うん」


 と、優美は冴えない表情になると、くるっと背を向けてとことこ走り出した。


 リビングに行くと、陽平と麒一の姿がなかった。

 彩希はいつも通り朝飯の支度をしている。


「おはよう」


 と、声をかけた。


「あ、おはよう。昨日は疲れたわね」


「彩希が陽平にムチャぶりするからだろ。見てるこっちが疲れるよ」


 とちょっとした不満を言っている間、優美がとことことキッチンに行こうとしていた。


「優美、麒一さん起しに行ってー」


「はーい」


 優美は手を上げて返事をしてからくるっと回れ右をして、リビングを出て行った。


「彩希、優美の機嫌が悪いみたいなんだけど」


「なんで?」


「いや、起きて廊下に出たら優美とばったり会ってな。で、おはようって言っても元気なさそうだし」


「ああそうなの。優美ったらお父さんを起こしたがったのかもね」


「どういうこと?」


「自分の仕事ができなかったって感じてるんじゃないかな。明日から目が覚めてもすぐに起きないで優美が来るまで待っててあげてね」


「そんなもんか。でも、優美に起こしてもらうのも申し訳ない気がするんだよなぁ。なんか親は子どもよりも早く起きて当たり前っていうか」


「細かいことは気にしなくていいんじゃない。優美ったら、お父さんを起こしに行くのが楽しいみたいだし」


「じゃあ、そうするか」


 議論をしても明確な答えが出そうもないので、ここは浩太が譲る形となる。


「そういえば、陽平はまだ寝てるのか?」


 と、浩太はリビングを見回してから訊いた。


「もう出て行ったよ。六時半からバイトだって言ってたから」


「そうか」


 あれだけ強引にネタ見せをやらされて疲れているはずなのによく起きれたな、と胸の内で感心する浩太。


「おはよう」


 麒一が優美を伴ってリビングに入ってきた。


 浩太は優美を見ると、どこか明るい顔になっている気がした。やはり、誰かを起こすのは楽しいらしかった。


 ――明日からは、優美に起こしてもらおう。


 娘の楽しみを奪っちゃいけないな、と思った。


   ◇ ◇ ◇


 朝食を食べ終えて、少しテレビを見て腹を休めたあと、プラスチックのバットとゴムボールを持って外へ出かけた。


 今日は麒一もいる。野球をするなら人数が多い方がいいだろう言い出したので、ついてきたのだ。優美が喜んだので、浩太も彩希も反対する理由がなく来てもらうことにした。


 平沼家の近くの公園では散歩をしている年寄りがいるだけだった。公園奥にある集会施設の庇が張り出ており、そこにできた日陰でのんびり過ごしている人もいる。手前には多目的コートがあるが、予約制らしく数人の団体が使用していた。それ以外の芝生では自由に遊んでいいらしく、一組の親子がゴムボールでサッカーをしていた。


 一応、注意書きの看板を探して野球をしてもいいのかを確認した。野球やサッカーなどの球技は禁止だと書かれている。


「いいのかなぁ」


 プラスチックのバットとゴムボールとはいえ、これからやろうとしているのは野球である。昨日、莉緒は大丈夫だと言っていたが、SNSの書き込みなので本当かどうかは怪しい。注意されなければいいと開き直ることもできるが、子どもの教育上、非常によろしくないのは明白である。


「軟式のボールはダメってことだろ。気にしなくていいって」


「いいんですかねぇ」


 どうも乗り気になれない。ちゃんとルールはルールだと教えて止めさせるのが親の役目な気がする。たいていの人は子どものやることにはおおらかだが、親が一緒となると話は別だ。物事を教えることのできないダメな親だと見られたくない、と浩太は胸の内で世間体を考えてしまう。


「おとーさーん」


 優美が声をかけてくる。ちょっと離れた舗道で優美が両手を上げて浩太を誘っている。その横で彩希がプラスチックのバットとゴムボールを持っていた。


「おお、いま行く」


「リレーしよー」


「リレー?」


 浩太は内心ほっとした。かけっこぐらいなら公園でやっても問題ない。あとは大人三人が注意して見守り、公園の利用客の迷惑にならないよう走ればいい。


「はしってー」


「よーし」


 浩太は軽く地を蹴った。優美は背中を向けて左手を後ろに伸ばしている。未来の保育園で練習したのかもしれない。なかなか様になっていた。


 優美に近づくと、浩太は腰を曲げて優美の手のひらにタッチした。


「わーい」


 優美は一生懸命走り出した。腕をあまり振らず、足がバタついている感じはあるものの、三歳なので仕方ない気がした。


「走るのが好きなのね」


 彩希がほほえましく見守りながら言う。


「将来は陸上部かもな」


「短距離かな?」


「スタミナもありそうだし、長距離もいけそうじゃないか?」


 と、話している間に、優美は外周の舗道に沿って走っていた。


「わーい」


 はしゃいだ声を出しながらもペースが安定している。やがて公園の入口近くまで走り、浩太たちのもとへ帰ってきた。


「よーし、次はお母さんね。浩太、持ってて」


 彩希はプラスチックのバットとゴムボールを浩太に渡すと、舗道に入り後ろに左手を伸ばしてバトンを受け取るような格好を取った。優美の身長を考慮して深めに膝を曲げている。


「おかーさーん、パスー」


 いよいよ優美が戻ってきた。


「はい、タッチして」


「たーっち」


 優美が腕を振りかぶって彩希の手のひらを叩いた。そして彩希が走り始めると、なぜか優美もついて行こうとする。


「優美―、それはリレーじゃないぞー」


 浩太はにこやかに言った。優美が走るのが楽しいようで彩希の後ろを走っている。


「よーし、だったらお母さんと競争だー」


 彩希は優美の足音に気づいて、スピードを緩めた。


「わーい」


 二人は併走して公園内を周り始めた。


「楽しそうだなぁ」


 麒一も母娘のふれあいをほほえましく思っているようだ。



 母娘はときどき、意味のないはしゃぎ声を上げている。彩希は優美に合わせて抜き差しを演じていた。優美は彩希の演技に気づいていないようで、抜かれるとスピードを上げて差し返した。


「俺が言うのもなんだけど、彩希は良い母親になるぞ。芸能界に復帰してもちゃんと子育てをするに決まっている」


「彩希って引退したんじゃ……」


「いや、たぶん彩希のやつ、大学卒業したら復帰する気でいるぞ。ま、兄貴としての勘だから根拠はないけどな」


「勘、ですか」


「そのときは、浩太がサポートしてやってくれよ」


 麒一は浩太の背中をポンと叩く。すっかり浩太を認めているらしく、彼の表情は明るかった。


 浩太自身もいずれ彩希が復帰すると予想していたが、麒一の口から言われると真実味が帯びてくる気がする。ただ、彩希のサポートをするのは本当に自分で良いのだろうかと、弱気の虫が顔を出してくる。芸能事情に詳しいわけでもなく、なんとなく彩希が苦労していると想像するだけで、具体的にどうやってサポートしていいかさっぱりわからなかった。


 ――未来の俺は……。


 なんで彩希と結婚できたんだろ、とまた考えがそこへ及ぶ。彩希の本音がわかりにくく、埒が明かない話だとわかっていても、謎解きをするかのように考えを巡らせてしまうのだった。


「いっちゃーく」


 先頭でゴールしたのは優美である。目一杯力を出し切ったのか、舗道の脇の芝生にごろんと横になった。


 いつの間にか考え事に耽っていた浩太は、優美の姿が目に映り、はっと現実に戻った。


「いやー、優美ったら速いねー」


 彩希が戻ってきた。さすがに疲れたらしく、少し息を切らしていた。顔が汗ばみ、日の光を弾くきらめきが表れている。首筋もしっとり濡れて、自然の明るい色気が滲み出ている観があった。


 その姿に浩太の胸が轟いた。身体中の血が顔に流れてくる感覚の陥り、暑さが一層増した気がした。


「浩太、顔が赤いよ。大丈夫?」


 彩希には浩太が照れているとは気づいていないようだ。


「だ、大丈夫だって。優美ー、足が速いんだなぁ」


 やましい気持ちをごまかして、芝生に寝ころんだ優美に近寄り、しゃがんだ。


「はーはー」


 優美もかなり疲れているが、笑顔を向けてくるあたり、充実感を覚えたようだ。


「ははは、草がついちゃってるな」

「どれどれ」


 不意に彩希が横にしゃがんだ。


「ほーほー」


 少し疲れが取れたようで、優美は呼吸音を変える。


「あ、ほんとだ。服が汚れちゃったね。優美、立てる?」


「たてるー」


 優美は芝生に足をつけると、彩希に近寄った。そして彩希が優美の服についた草をはらう。


「じゃあ、次は野球をしようか。浩太、準備しろ」


「いいんですかねぇ」


 このまま優美がかけっこに夢中になってくれるのを願う。しかし優美は草を掃ってもらうと、プラスチックのバットを握ってきた。


「やろー」


 優美がねだってきた。疲れはすぐに抜けたようで、子どもの体力は底なしなのかと妙に感心した。


「彩希、どうする?」


 こうなっては無下に却下できなかった。


「周りの人に絶対迷惑をかけないならいいんじゃない」


 彩希は顎に手を添えて考える素振りを見せる。ルールと娘のお願いを天秤にかけたようだ。


「浩太、おまえも小っちゃいこと気にするなぁ。この子のパワーじゃそんな遠くまで飛ばないだろ。よっしゃ優美、やるか」


 麒一は乗り気である。どうも伯父さんという立場だと姪に甘くなるらしかった。


「おー」


 優美はプラスチックのバットを浩太の腕から引っこ抜いて、麒一に寄り添う。そして二人は誰もいない芝生の上に足を運んだ。


「通行人に迷惑かけないくださいよ」


 仕方なく浩太もついて行く。


 優美はプラスチックのバットの芯の部分を握ってグリップエンドを上に向けていた。なにかが違うというふうに不思議そうな顔になる。


「優美、ぎゃく、ぎゃく、こっちを持つんだ」


 麒一は苦笑してグリップを指さす。


「そうだった―」


 と優美は照れたように笑い、くるっとバットを回してグリップを握った。


「よし、ボールを投げるから打ってみろ」


 麒一はトスバッティングの要領でボールを投げるらしく、優美の正面にしゃがんだ。優美はなぜか剣道のような正眼の構えを取ってしまっている。もっとも両手をくっつけて持っているので正確には違うが。


「優美、こうよ、こう」


 彩希が笑みを浮かべながらバットの構えを示す。


「こう?」


 と、優美は右にバットを引き付けた。


 とりあえず浩太は打球が飛びそうな方へ移動した。周りに目を配り誰もいないことを確認する。


「いくぞ、そりゃ」


 と、麒一が下から緩やかにボールを投げた。


「やー」


 優美はボールが来るタイミングに合わせてバットを振った。すると、バットはボールの上を叩いてしまい、弱い打球が転がっていく。


「おー、当たった当たった。そりゃ、もう一度」


 またボールが投げられる。今度は空振りになってしまった。


「むー」


 上手くいかず、悔しそうにうつむく優美。


「がんばれー、優美ー」


 彩希の声援が飛ぶ。すると優美がやる気を出してバットを構えた。


「よーし、今度こそ」


 心なしか麒一の投げたボールが一層緩やかになった。一瞬ボールが届かないかと思ったら、優美はゴルフのようなスイングをしてボールに当てた。


「おおっと」


 思いのほか鋭いライナーが襲ってきた。


 浩太はボールを真正面から捉えようとステップを踏んで横に移動した。だが、足を踏み出した瞬間、わずかな窪みに足を取られて横に倒れてしまった。ボールは浩太の上を通過し芝生の上に落ちて芝生の縁まで転がった。


「おおー、優美ーやったー」


「いい感じだぞ。それ」


 兄妹揃って優美を称える。もう一度ボールが投げられると、優美はバットの芯に当てて遠くへ飛ばす。


「……少しは父親をいたわってくれ」


 横になりながら嘆くも、優美の楽しそうな顔に目が行く浩太だった。


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