表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
42/55

七日目:陽平が泊まりに来るようです

 食事を終えると、優美は満足げにお腹をなでて笑顔になった。今日は昼寝をしていないはずだがまだ元気があり余っているようだ。


「たくさん食べたねー」


 彩希も満足そうに声をかける。


「ちょっと混んできたな。店に迷惑かけるといけないから、そろそろ出るか」

 

 玄一郎は年長者らしく周りに気を遣う。


 夕飯時に差し掛かり、店の中が賑やかになりつつあった。周りの席がすべて埋まり、よく探さないと空席が見つからないほどの混雑ぶりだった。


「優美、行くぞ」


 浩太が席を立って促すと、優美はすっとソファから降りた。浩太に近づくと笑顔を向けながら手を伸ばす。手をつないでほしいようだ。浩太は優美の手をつなぎ、会計を彩希に任せて店の外に出た。


 JR大塚駅の改札前につくと、みんなで一言二言帰りの挨拶を交わした。玄一郎は自分の家に足を向け、莉緒は改札に吸い込まれていった。


「で、陽平。お前は歩いて池袋か」


 優美の手を握りながら浩太は訊いた。陽平の家は武蔵浦和駅近くにあると聞いたことがあり、池袋まで歩いて埼京線で帰るのかと思った。


 すると、陽平は彩希に向き直り、両手を合わせて拝んだ。


「頼む。彩希の家に泊めてくれないか?」


 と、頭を下げる。


「いきなり何言うのよ。ダメに決まってるでしょ」


 当然断る彩希。


「頼むよ。明日バイトが早くてさ。彩希の家からなら近くて便利なんだよ」


「陽平。おまえ何のバイトしてるんだっけ?」


 たびたびアルバイトがどうこうという話を聞いているが、時間帯が不規則らしいだけで具体的な内容まで教えてもらったことはなかった。


「池袋駅のカフェだよ。朝のバイトがやめたもんだから、人手が足りなくて駆り出されたんだよ」


「おまえ、前に深夜にもシフトが入っているって言ってたよな。池袋に二十四時間のカフェなんてあったか?」


 と、浩太はツッコんだ。


「カフェは夏休みの間だけだっつうの。他大の先輩から頼まれてよ。普段は清掃のバイト。つーか、浩太、なにを疑ってるんだよ」


「ん? 疑ったつもりはないけど」


 ふと、浩太は手に温かみを感じた。手をつないでいる優美を見下ろす。この子は早く帰りたいらしく足を上げたりして退屈を紛らわせていた。


 ――優美がいるせいなのか?


 以前の浩太なら陽平がどんなバイトをしていても気にすることはなかった。知らなかったからといって自分に何らかの危害が及ぶわけでもない。


 ただ、優美がいて、平沼家に寄寓しているとなれば話は違ってくる。いくら友達とはいえ、言うことがころころ変わる人間を同じ家にいさせていいものなのだろうか。


「陽平。他大って言ったよね。前から訊こうと思っていたけど、あなたの交友関係どうなっているの」


 彩希が訊いてくれた。優美への庇護欲がそうさせたらしい。彩希は眉を吊り上げていて、いたって真面目な顔つきである。


「そ、それは」


 と、陽平の目が泳いだ。


「たしかに、合コンがどうだとか別のサークルにも入っているし……。妙に顔が広いよな」


 浩太は宙を見上げてから、彩希に目を遣った。お互いの目が合うと、同時にうなずき、二人そろってずいっと陽平に顔を近づける。


「う、う、クソ。黙っているつもりだったけど、しゃあない。これを見ろ!」


 いきなりリュックを下ろし、中からチラシを出した。


「なんだこれ?」


 チラシを受け取ると、浩太は彩希と顔を寄せた。優美もチラシが気になるようで背伸びして覗き込もうとする。浩太は腰を屈めて優美の見える高さまでチラシを下ろした。


旺壮(おうそう)大学コメディアンズラボ定期公演?」


 彩希は怪訝な声をあげると、浩太に目を向けた。浩太は彩希を一瞥し、また陽平に顔を向ける。


「インカレのお笑いサークルだよ。旺壮だけじゃなくて、いろんな大学から人が集まってイベントとかでネタを見せるってやつ」


 と、陽平は照れ臭そうに言う。もう一度チラシを見ると、大学の教室で何十人もの人が映っている。目を凝らして見ると、二列目の左側に陽平の姿があった。


「ああ、だから陽平ってときどき変なこと言ってたのね」


「ってことは、優美にプロポーズしたのもギャグのつもりだったのか?」


 あのときは場が凍り付いて、彩希が逆上した。陽平がとんでもない変態的な趣味があるのかと疑ったが、笑かしにかかって失敗しただけだと合点がいった。


「そうだよ。けど、優美ちゃん、全然笑ってくれなかったけどな」


「ギャグなのか真面目なのかわからないから悪いんでしょ。とにかく、訊きたいことがあるからうちに来ていいわよ」


「いいのか?」

 突然考えを変えた彩希を訝る浩太。


「ふふん、ちょっといいこと考えちゃった」


 彩希がいたずらっぽい微笑を浮かべる。



「なにをする気だ? 麒一さんだっているんだ、なに言われるかわかったもんじゃないぞ」


「大丈夫、お兄ちゃんには文句言わせないから。陽平」


 と、彩希はまた陽平に向き直る。


「なに?」


「ただで泊めさせるわけにはいかないから、家の手伝いをしてもらうわ」


「なんだそんなもんか。いいぞ」


「ふふん、言ったわね」


 言質を取って得意げに腰に手を当てる彩希。と、腰を屈めて優美を見つめ出した。


「優美―、明日は野球しようね」


「ホームランうつのー?」


 バッティングセンターでの玄一郎を思い出したらしく、バットを振る真似をした。


「そうそう、ホームラン、ばこーんって」


 彩希もにこやかな表情で両手を振る。


「……野球と陽平、どうつながるんだ?」


 ちょっぴり嫌な予感がする浩太であった。


   ◇ ◇ ◇


 平沼家に帰ると、すぐに彩希から手伝いを申し付けられた。


 彩希と優美が風呂に入っている間、平沼家一階の奥にある納戸にプラスチックのバットがあるから取り出してほしいというのだ。


 それぐらいならわけもないと思ったのもつかの間、浩太と陽平は納戸の光景に絶句した。


 まず、納戸の面積が広い。軽く十畳は超えていそうな部屋だった。

 奥の壁際には背の高い二竿のタンスが並べられ、さらに納戸の隅には段ボールがうずたかく積まれてあった。目に見えるだけで十五箱ぐらいありそうだ。入口近くの壁際に配置されている年代物のタンスは幅が広く、どうやら和服を収納するためのものらしい。その上にはガラス張りの箱が置かれ、中には色とりどりの石が並べられてある。形が歪なので宝石ではないようだ。両親か祖父母が蒐集した者らしく、厳重に鍵がかけられていた。


 とりあえず浩太は近くの段ボールから手をつけた。陽平も積んである段ボールに手をかける。


「うおっ」


 陽平は気の入った掛け声を出した。段ボールを持ち上げたはいいものの、脚の動きが鈍い。


「ちょっと待て、なにが入っているんだ、これ」


 ようやく離れた場所に段ボールを置く陽平。


 浩太は自分の作業を進める。中の段ボールを改めると、古い雑誌がぎっしり詰まっていた。


「経済誌か」


 にわかに興味が湧き、一番上の雑誌を取り出してページを繰った。情報が古く、浩太が中学校ぐらいの時代の情報であり、大学の講義で少し触れた知識も含まれていた。


 裏表紙の発行年数を見ると、七年前の雑誌だとわかる。


「そっちはどうだ?」


 と、浩太は陽平の様子を窺う。


「こっちは文庫本だ。たぶん古本」


 と、陽平はすぐに別の段ボールを取りに行く。


 作業を進めるうちにわかったが、手前のものが新しいというわけではなさそうだ。中身は本や雑誌がほとんどだったが、この納戸は何回か掃除したらしく、その度に段ボールの配置が変わっているらしい。そう仮定するとプラスチックのバットがどこにあるかわかりそうなものだと遅まきながら気づいた。


「プラスチックのバットが入っているなら、その上には積まないはずだよな」


 浩太は独り言のように言った。


 二人は手前の段ボールを無造作にどかして、奥の一番上に積まれている幅の広い段ボールに手をかけた。予想通りの軽量で、しかも中からプラスチックが合わさる音がした。


 床に降ろして段ボールの蓋を開けた。


「ピンクと緑の二本、ボールは空気が抜けてしわくちゃだな。ま、新しいのがあるからいいか」


 バット二本を取り出し、段ボールを元に戻した。


 リビングに戻ると、パジャマを着た彩希と優美、それに麒一がソファに座っていた。


「おつかれさま」


 と彩希が労いの言葉をかけてくれる。


「あっさり見つかったぞ」


 と、ここで陽平を泊めるのにこれだけの労働でいいのかという気もしてきた。あのときの彩希の企んだような笑みから想像もつかないほど簡単な作業である。


「よし、これで一泊分だな」


 当然、陽平も終わったものだととらえている。


「ふふん、まだまだこれからよ。浩太、優美の隣にすわって。陽平はテレビの前に立って」


「ん? あ、ああ」


 何をしようとしているのかさっぱり理解できない。言われた通りに優美の隣に座った。


「やー」


 優美が笑顔になって浩太の寄りかかったかと思うと、脚の上にお腹を乗せる。そして浩太のシャツを掴んで浩太の胸に顔を埋めた。


 浩太はひとまず優美の頭を撫でながら、彩希に顔を向けた。


「で、陽平くんに何をさせようって言うんだ?」


 と訊いたのは麒一である。彼は陽平が家に泊めると言われたときは露骨に不機嫌な顔つきになったが、彩希に手を出したら木刀でしばくと睨みを利かせて宿泊を許可したのだ。


「あれぐらいで泊めるわけにはいかないからね」


 彩希はまた企むような笑みをこぼすと、言葉を続けた。


「優美、陽平さんにちゅうもーく」


 いきなり弾んだ声を出して陽平を指さした。


 お母さんの言葉を聞いた優美はもぞもぞと身体を動かして浩太の膝の上に座ると、陽平に顔を向ける。


「お、おい、彩希。何をやらせる気だ」


 陽平の顔に狼狽の色が浮かぶ。


 浩太、麒一、優美は一斉に彩希に顔を向けた。


 すると彩希はにっと笑う。


「それでは始めましょー。学生芸人、矢内陽平のネタ披露です。どうぞ」


 彩希は弾けた声を上げ、進行役を気取ってネタを振った。


「は?」

「へ?」

「ん?」

「わー」


 彩希以外の四人が一斉に声をあげる。


「は? じゃなく。陽平、あなたも芸人を目指すならこれぐらいのムチャぶりに耐えなきゃね」


「ちょっと待て、いきなりかよ!」


 陽平は目を見開いて抗議をする。


「あら、わたしがバラエティに出たとき、芸人さんはちゃんとやり切っていたわよ。ウケてもスベってもね」


 どうやら彩希なりの特訓らしい。と同時に芸を披露して宿泊代を稼げと言いたいのかもしれない。


「彩希、いくらなんでも無茶だろ。陽平はプロじゃないんだぞ」


 いきなりこれはきついと思って、浩太は止めようとした。


「甘やかしちゃダメよ。人を笑わせるのにアマもプロも関係ないわ。陽平、わたしたちを三回笑わせたらうちに泊めてあげるわ」


 彩希は妥協する気がない。かつて瀬能紗雪として活躍した過去が作用しているのか、芸に関しては厳しいらしかった。


「ま、そりゃそうだ。彩希だって即興の芝居で観客を魅了したこともあるんだ。芸能人になるってんならこれぐらいできて当然だわな」


 と兄の麒一も同意した。


「ほら、陽平。さっさとやって。じゃないと家から叩きだすよ」


 彩希の表情に真剣みが帯びている。間違いなく本気だ。


「陽平、やるしかないぞ。この兄妹、怒らすと怖いのはお前も身に沁みているだろ」


 浩太は平沼兄妹の醸し出す剣呑なオーラに抗えず、陽平の味方になれなかった。


「さ、はくしゅー」


「ぱちぱちー」


 彩希と優美が手を叩いて陽平にネタをやるよう促す、彩希はともかく、優美は純粋にネタが観たいようだ。


「くそ、こうなったらやってやる」


 と、陽平は奮起してピット背筋を伸ばすと、右手を上げた。


「ショートコント、麻雀ボクシング」


 のっけから意味の分からないタイトルである。


 陽平は身振り手振りで麻雀をするときの仕草をした。


「ロン! おらぁー!」

 

 手牌を倒す真似をすると、いきなり対面の相手を殴り倒す動きをする。


 当然、静まり返るリビング。優美に至っては何も理解できず、浩太を見上げて困った顔になった。


「えーっと」


 苦笑いを浮かべる陽平。


「なにが面白いんだ? これ」


 シンプルかつ辛辣な感想を漏らす麒一。


「全然ダメね。動きもぎこちないし、どういうルールかもわからないから面白くないのよ。つぎ」


 容赦なくネタを要求する彩希。下手な芝居を打つ後輩を指導するかのように厳しい顔つきになる。


「くうぅぅっそおう。絶対笑わせてやる。一発ギャグをやります――」 


 こうして何度もショートコントや一発ギャグを繰り出していった。何度もネタを披露していくうちに、陽平の顔が羞恥で赤くなり、冷や汗をかいていた。途中で優美を寝かしつけてからも彩希のムチャぶりは続き、陽平は息を切らして疲弊した。


 ――芸能人になるって……。


 大変なんだな、と思うしかなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ