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七日目:ちょっとした雑談です

 バッティングセンターで遊んだあと、大塚駅近くのファミレスで早い晩飯を食べようと莉緒が提案した。植樹のアルバイトの帰りに優美がファミレスに行きたがっていたのを覚えていたようだ。


 バッティングセンターを出て、いくつかの横断歩道を渡った。大塚駅を南口から北口へ通り抜けると、ロータリーの横断歩道を渡った。一階にカフェと本屋、二階にファミレスのあるホテルに着くと、階段を上ってファミレスに入店した。


「わーい」


 念願のファミレスに来て優美はうれしそうだ。席に案内されるとすぐにソファの上によじ登ろうとした。


「彩希、悪いんだけどさ」


 席につく前に浩太は小声で彩希に声をかけた。


「どうしたの?」


 彩希は顔を寄せて訊いてくる。


「金、ある?」


 バッティングセンターで思いのほか金を使ったせいで、財布の中が心許なかった。それにこのファミレスは値段の高い部類に入る。とても、三人分出せる余裕はなさそうだった。


「心配しないで。カードで払うから」


「ごめん」


 と、心持ち頭を下げる浩太。

「気にしないで。浩太が税理士になったら埋め合わせしてもらうから」


 彩希は慰めるような微笑みを投げかけると、優美の隣に腰かけた。


 浩太も情けない気持ちを押し殺しながら彩希の向かい側の椅子に腰かける。

玄一郎、莉緒、陽平の三人も席についた。


「優美ちゃんは何が良いのかなぁ」


 と、ちゃっかり優美の隣に座った莉緒がメニューをテーブルの上に広げる。


「とりあえず、ドリンクバーじゃないっすか」


 と、ビールを頼むような口調で言う陽平。


「勝手に決めないの。優美、じっくり選んでね」


 彩希も優美に身体を寄せて一緒にメニューを見る。


「そういや彩希。麒一さんの分はいいのか?」


 晩飯の支度をしないで平沼家を出たはずなので、麒一が腹を空かせているかもしれないと思い、彩希に訊いた。


「平気よ。さっき、出前でも取ってって連絡しておいたから」


 と彩希は気にする様子はない。


「麒一さんって?」


 と、陽平が訊く。


「彩希のお兄さん。昨日帰ってきたんだよ」


「はーん、そっか」


 陽平はなぜか目を逸らして言った。いつもならいらないことの一つや二つ言ってくるのに普段とは違う素振りを見せる。


 浩太はあまり深く突っ込まず、メニューに目を向け、一番安いハンバーグとドリンクバーのセットを頼むことにした。


 店員を呼び、注文した。


「飲み物とってきますね」


 彩希が率先してドリンクバーに行こうとした。


「男性陣は荷物番してて」


 と、莉緒も行こうとしたとき、


「いや、僕が行きますよ」


 浩太が席を立とうとする。先輩に行かせる気にはなれなかった。


「いいって、優美ちゃんにじっくり選ばせるから。行こ、優美ちゃん」


「はーい」


 優美は莉緒の誘いに乗ると、ソファから滑り落ちて、テーブルの下を潜ってドリンクバーにとことこ足を向けた。


「もう、落ち着きないんだから」


 彩希は苦笑を浮かべてから席を立ち、優美と莉緒に追いつく。


「そう言えば玄一郎さんってなんで野球辞めたんですか?」


 黙っているのも気まずい気がしたので、浩太は向かいに座っている玄一郎に訊いた。あれだけ野球がうまいのになぜ高校で野球をやめたのが不思議だった。


「大した理由じゃない。肩を壊しただけだ」


 平然と言ってのける玄一郎。


「いやいや、大変じゃないっすか」


 陽平の口調は軽いが、どこか真面目さを帯びている。


「じゃあ、玄一郎さんはピッチャーだったんですね」


 野球選手が肩を壊すのはピッチャーぐらいだと思った。


「ああ。これでも高校のころには百四十キロ以上は出たんだぞ」


 玄一郎は誇らしげに言う。


「すごいっすね。肩を壊さなきゃプロに行けたんじゃ」


「たぶん、無理だな」


 と、玄一郎は驚く陽平を制すると、さらに言葉を続ける。


「先輩に、すごい人がいたんだ。夏の大会じゃ、百五十キロ越えのストレートを投げた。変化球もキレがあってな。当たる、って思ったらいつの間にかストライクゾーンに吸い込まれるんだ。野手陣が下手を打って甲子園に行けなかったが、プロのスカウトの目に留まったんだ」


「バケモンっすね」


 陽平は言葉少なに驚く。そして浩太もトップクラスの高校球児の凄味を玄一郎の言葉から感じ取った。


「それでも、ドラフト六位だ。あんなにすごい人でも下位指名なのかって当時は思ったよ」


 玄一郎は寂しげな笑いを浮かべる。


「玄一郎さんが諦めるなんて、プロって相当レベルが高いんですね。でも、玄一郎さんだって肩を壊すまでは、あきらめなかったんですよね」


 慎重に言葉を選びながら、浩太は訊いた。


「ああ。もっと努力をすれば、先輩に追いつけるし、プロ、最低でも大学で野球を続けられると思って練習メニューを強化した。走り込みの本数やウエイトトレーニングを増やして、毎日二百球の投げ込んだんだ」


 玄一郎はテーブルに両肘をついた。そして目を瞑って首を巡らせる。


「それって練習し過ぎじゃないですかね? そりゃあ、肩ぶっ壊しますよ」


 陽平が呆れた声音をあげると、玄一郎は首の動きを止めて陽平に顔を向ける。


「今思うと、そうだな。でもあのときの俺は練習は裏切らない、練習をすればするほど上手くなるって信じ切っていたんだ。そうすれば、甲子園に出場していずれはプロになれるって思いこんでいた」


 玄一郎は心持ち俯き加減になり、苦笑した。


「そういう時期ってありますよね。俺も剣道やってたころ、滅茶苦茶練習したときがありますし。レベルは違うけど、玄一郎さんの気持ちはなんとなくわかります」


 努力を重ねればうまくなる、それは当たり前のことである。しかし、大半の人間はどこかで限界を悟ることになる。

 浩太も剣道のインターハイ二回戦で一矢報いたものの、相手との埋めがたい力量差を感じ、絶望を味わった。だが、元々剣道で生計を立てるつもりはなかったので、浩太は高三のときに剣道に見切りをつけることができた。


 玄一郎の場合、怪我によって素質の限界を悟ったのかもしれなかった。


「だが、心のどこかで自分には無理だとわかっていた。そいつを認めたくなくて、必死で練習したんだろうな。けど、肩に致命傷を負ったおかげでようやくわかったんだ。俺はプロになることができない。そいつがはっきりしたとき、すっぱり野球を辞められたんだ」


「それで、高明大学に進学したと?」


「赤学の中じゃ勉強ができた方だったんだ。まあ、なんとかギリギリ合格って感じだけどな。今まで野球しか知らなかったし、真逆の文化系サークルで緩く過ごすのも悪くない気がしてな」


「ああ、だからミス研に入ったんですね」


 玄一郎と知り合って一年、ようやく野球をやめた訳を聞けた。


「で、いつかは議員になるんすか?」


 と、陽平が訊いた。


「議員?」


「浩太、知らないのか? 玄一郎さんの親父さん、国会議員なんだぞ」


「ほんとうですか?」


 初耳だった。陽平はどこでその情報を仕入れたのか。


「陽平、適当なことを言うな。俺の親父は都議会議員だ。国会議員じゃない」


「あれ? そうでしたっけ? 莉緒さんが言ってた気がしたんすけど」


「おまえの思い違いだ。佐橋にはちゃんと都議会議員だって言ったぞ」


 玄一郎は頭に手をやって呆れた口調で言った。


「それで、玄一郎さんは卒業したらお父さんの秘書でもするんですか?」


「いや、ちゃんと就活して一般の企業に入るよ。議員って仕事は人間関係が複雑怪奇でな。俺にはとても勤まらん」


 玄一郎なりに父親の仕事を傍から見る機会があったらしく、利害関係の入り混じった人間たちとの折衝が難しいと感じたのかもしれない、と政治の世界の世界に疎い浩太はそう察するしかできなかった。


 話し込んでいると、彩希と優美が戻ってくるのが見えた。優美は中身がこぼれないように子供用のグラスを両手で持ちながらそろそろと歩いている。後ろで彩希が心配そうに見守る。自分の分は自分で運ぶようにと躾けているようだ。


 こちらに到着すると、優美はテーブルの上にグラスを置いた。


「ほー」


 と、優美は運んだだけで満足げになる。


 浩太は背を伸ばしてグラスの中を見た。オレンジジュースがなみなみに注がれていた。どうりで慎重に歩いたはずだ。


「あーあ、こんな一杯入れちゃって。こぼしたらもったいないだろ」


 と呆れた口調で注意する浩太。


「りおさんがねー、いれてくれたの」


 優美はうれしそうに言った。後ろにいる彩希は困り顔を浮かべている。


「まったく、なにやってんだかなぁ」


「まあまあ、莉緒さんにはちゃんと注意したから」


 と、彩希が言う。グラスを丁寧に滑らせて優美の座る位置に運んだ。優美がまたテーブルの下を潜り、ソファによじ登った。


「じゃあ、俺たちも取ってくるか」


 玄一郎が席を立ち、それに合わせて陽平も腰を浮かした。


「はい、浩太」


 浩太が腰を浮かしたとき、彩希がグラスを差し出した。


「え、あ、ありがとう」


 取ってきてくれるとは思わなかったので戸惑った。


「ふふん、浩太、ブラックコーヒー好きでしょ」


 得意げな表情を浮かべる彩希。


「つーか、先輩を差し置いて俺に持ってくるかぁ」


 浩太は戸惑いを隠すように言った。


「細かいことは良いの。あ、ほら優美、こぼさないように気をつけてね」


 彩希は優美を気にかける。


 ちょうど優美がテーブルの上にあるグラスを口に運ぼうとしていた。グラスを傾けるとこぼしてしまいそうなので、どう飲んでいいか困っているようだった。


「ストローとってくるよ」


 結局、浩太は席を立った。ドリンクバーの方に目を向けると、莉緒がまだ悩んでいて、隣にいる玄一郎に窘められていた。


 ――あれ?


 と、浩太は歩きながら彩希の言葉を思い出した。


 ――俺、ブラックコーヒーが好きだって言ったっけ?


 優美がこの時代に来る前まで、浩太は彩希と一緒に飲み食いした覚えがあまりない。せいぜい学食でたまたま会ったときに同席したりする程度で、あとはミス研の飲み会に行くぐらいだった。いずれもブラックコーヒーを頼んだ覚えはない。学食のコーヒーは有料なので水でやり過ごし、飲み会ではコーヒーはふさわしくと思って注文しなかった。平沼家に泊まるようになってからも、遠慮してコーヒーを頼まず、彩希が用意してくれたものを飲み食いしただけである。


 ――俺が忘れただけか。


 あまり深く考えずに、ストローを取りに行った。


 ドリンクバーでは莉緒がまだ悩んでいて他の客の邪魔になっているところだった。



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