七日目:子どもの前だと見栄を張っちゃいます
「ははは、それぐらい許してやれ」
玄一郎が磊落に笑う。
電話中に彩希と優美がポカポカしてきたことを話したのだ。
「そうなんですけどね、あんまり悪さを覚えるとよくないんじゃないんですか」
すみません、と一言断ってから、浩太はペットボトルのお茶を飲んだ。
「大きくなればわきまえるだろう。」
「けじめはちゃんとつけなきゃダメですよ。まったく、彩希も母親なんだからしっかりしてもらわないと」
と、父親らしいことを口にする浩太。
二人は今、バッティングセンターの椅子に腰を下ろしている最中である。冷房の利いた室内にはレースゲーム、クレーンゲーム、音ゲー、エアホッケーなどのゲーム機が並べられている。ガラス張りの向こう側がバッターボックスで屋外につながっている。夏休み中ということもあっていくつかのバッターボックスが埋まっており、軟球を打ち返す音が室内にまで響いた。
今、三番のバッターボックスで陽平が球を打ち返そうとしていた。百三十キロの直球がマシンから放たれる。比喩ではなく本当に目に映らないスピードだった。野球素人の陽平ではバットに掠ることさえできない。身体が一回転するほどの清々しい空振りだった。
「あーくそ、全然ダメだ」
陽平がドアを開けてバッターボックスから出てきた。
「俺は百キロぐらいにするよ」
浩太は五番のバッターボックスに入る。このボックスは百キロから百二十キロまでスピードが選べる。コインを入れる前に成人男性用のバットを手に取り、百キロのボタンを押そうとした。
「おとーさーん、がんばれー」
ガラス越しから優美の声が聞こえてきた。
その方に目を遣ると、優美の後ろに彩希が控えているのが見えた。二人ともにこにこしながら浩太のバッティングを見ようとしていた。
ここで、浩太の心にちょっとした見栄が兆した。百キロでは優美や彩希に情けないと思われるかもしれない。かといって百二十キロでは無理がありそうだ。そこで、浩太は百十キロのボタンを押してコインを投入した。
見よう見まねでバットを構える。ピッチングマシーンのアームが緩やかに動き出し、球に触れた。するとアームの回転が急加速し、一気に球が放たれた。
「おわっとと」
浩太はノーステップで慌ててバットを振った。なんとかタイミングが合い、打ち返すことができた。しかし、ぼてぼての内野ゴロ程度の打球でしかなかった。
「おー、お父さん当てたよー」
と彩希の声が弾む。
ちらと後ろを見ると、彩希は手をぎゅっと握り浩太を鼓舞しているようだ。優美は笑顔になっている。
「よし、次こそ」
だが浩太は続く第二球もぼてぼてのゴロに終わった。
それから何度かバットに当たるものの、フライが上がったのはわずか二回のみで、しかもふらふらと上がったものだ。
「もう少し何とかしたかったな」
中に入るなり言い訳を述べる浩太。あまりかっこいい姿を見せられなくて情けなくなった。
「浩太って野球したことないの?」
と、彩希が訊いてくる。優美はにこにこして浩太を見上げるだけである。
「小学校のとき、遊びでやってたぐらいだよ」
「なら仕方ないじゃない。当てただけでも上出来よ」
彩希の慰めの言葉が胸に沁みる分、情けなさが増してくる気がした。
「どれ、俺がやってやるか。浩太、優美ちゃんと一緒に観ていてくれ」
と、玄一郎はのそっと立ちあがり、百三十キロのバッターボックスに入って行った。
ちなみに玄一郎、妙に張り切った服装をしていた。派手なスポーツシャツの下にアンダーシャツを着こみ、さらに膝を覆うスパッツとジャージのハーフパンツを穿いている。
「たしか玄一郎さんって野球やってたよな」
と、浩太は陽平に訊いた。
「赤羽学院だったっけ。そこのレギュラーだってさ」
「名門よね」
いつの間にかいた莉緒が言う。
赤羽学院は何度も甲子園に出場した名門なのは、浩太でも知っている。
「つーか、なんでミス研に入ったんだろ」
浩太はバッターボックスで素振りをする玄一郎に目を遣った。明らかに素人のスイングとは違い、スムーズかつ力強いスイングだった。
「うちの大学、野球部ないし、なんで高明大学に入学したかってのも疑問だよな」
陽平は後ろ頭に手を組んだ。
「うちの大学、野球部あるよ」
莉緒があっさりした口調で言った。
「そうなんですか」
「マジっすか」
浩太と陽平の声が合わさった。
「二人が知らないのも無理はないね。っていうか、一般の学生みんな知らないんじゃないかな。なにしろ東都の三部リーグで負け越しているし、四部に落ちるのも時間の問題って話よ」
と、莉緒はどこからか仕入れてきた情報を披露する。
「うちの大学、スポーツ推薦がないからね。弱いのも仕方ないかも」
彩希が片目を瞑って意味ありげな表情を作る。
「それはそれとして、玄一郎さんがどれだけやるか見物するか」
と、浩太がみんなを促し、百三十キロのバッターボックスに構える玄一郎を見守った。
アームから放たれる百三十キロの球はやはり浩太の目では捉えきることができない。
ところが、玄一郎はあっさりタイミングを合わせ、鋭くバットを振った。球が破裂しそうな打撃音が耳を打ったかと思うと、打球は空を裂くほどのスピードで飛び、ピッチングマシーンの奥のネットに突き刺さった。
「すげえな……」
陽平が絶句する。さっきまで自分がやってかすりもしなかった球をいとも簡単にはじき返した玄一郎が信じられないようだ。
ところが、玄一郎は納得がいかなかったらしく小首を傾げた。思ったような打球を放てなかったのが悔しいらしい。
二球目、今度はゴロだったものの、打球速度が異様に速く、これが試合ならショートとサードの間を抜けていたに違いない。
「ほら、優美。玄一郎さんすごいなぁ」
と浩太はしゃがんで優美と視線の高さを合わせる。
「すごいすごいー」
優美はぴょんぴょん跳んでエールを送る。
それでも玄一郎は小首を傾げる。
ふと、浩太は玄一郎がこちらに目を向けたのに気づいた。玄一郎が一瞬、優美を見て相好を崩したのも目に映った。
――この人も……。
優美にいいところを見せたいんだな、と肩の力が抜けそうだった。
バッティングセンターに連れてきたのも得意の野球で優美にかっこいいところを見せたかったんだなと、浩太は今さら気づいた。小首を傾げるのは自分はこんなもんじゃないぞ、と暗にアピールしているのかもしれない。
「あの人、すげえな」
と、他の客からも感歎の声が洩れる。いつの間にか玄一郎のバッティングを見ようと集まってきたようだ。その中にはレプリカのユニフォームを着た従業員も混じっていた。
十球目、ど真ん中に来た球を玄一郎はまっすぐはじき返した。打球は一直線のライナーを描き、ホームランのボードに当たった。どこからかファンファーレが流れ、ホームランを打った客がいることを告げた。
その後も玄一郎は左右真中と打ち分け、ゲームを終えた。
「すごいっすね」
と、陽平がバッターボックスから出てくる玄一郎に声をかけた。
「やっぱり、現役のころよりも落ちているな」
謙遜するが、優美に満足げな表情を向けた。
「たーっち、たーっち」
優美なりに玄一郎をねぎらいたいらしい。
「おお、ありがとう、優美ちゃん」
玄一郎は手のひらを優美に向けてタッチに応じる。
「本気を出せば、あんなもんじゃないぞ」
と、玄一郎は付け加えた。
「なに言ってるの。結構本気だったじゃない」
莉緒が茶化すように言う。
「いや、軟式じゃ軽く振るしかないんだ」
「どういうことですか?」
浩太が訊いた。
「本気でスイングすると球がつぶれて飛ばなくなる。硬式ならこんなことはないんだがな」
と言いながらも、玄一郎の顔には喜色が浮かんでいる。まだまだやれるぞと、優美にアピールしたかったのかもしれない。
――やっぱ子どもの前だと……。
見栄を張っちゃうよな、と浩太は玄一郎に共感するのであった。




