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六日目:酔っぱらって帰ってきました

 寿司とビールを追加注文し、ビールの空き瓶でテーブルの半分が埋まるほどの量を飲んだ。浩太はあまり口をつけなかったものの、麒一が大の酒好きで次々とグラスを開けてはビールを注ぎ、寿司を肴にしてグラスを何杯も空けたのだ。


 会計のとき、いくらかかるかわかったものではないと、震えそうになった。麒一が女将さんを呼び、指で×を作った。女将さんはいったん引き返し、伝票を取りに行って戻ってきた。麒一に渡された伝票がちらと見えたとき、浩太は目を剥いた。


 ――ご、五万……?


 学生が晩飯に出す値段ではない。本当に麒一がその金を持っているのか疑わしかった。


 靴を履いてレジの前に行くと、麒一は眉一つ動かさず財布の中からクレジットカードを取り出し、カードリーダーに読み取らせた。たしか暗証番号の入力が必要だなと思い出し、浩太は顔を入口の方へ背け、カードリーダーを見ないようにした。


「ごちそうさまー」


 と言って、麒一は入口のドアを開けた。浩太は女将さんに一礼をして麒一の後を追った。


「ご、ごちそうさま、です」


 五万円という金額に恐れをなし、申し訳ない気持ちが湧いてきた。麒一が出すと言った以上、おごってもらうのは当然であるものの、この金額は度が過ぎている。


「これぐらいどうってことないさ。じゃあ、帰るぞ」


 麒一は平沼家へ足を進め始めた。


 ――金持ちだよなぁ。


 彩希といい、麒一といい、この兄妹の金銭感覚を疑いたくなった。


 店を出てしばらく歩いていると、麒一の足元がふらついているように見えた。気のせいかと思ったとき、麒一の身体がどこかの家の塀にぶつかってしまった。


「大丈夫ですか?」


 やっぱり麒一は飲み過ぎていた。


「ああ、だーじょうぶ」


 とは言ったものの、ここに来て麒一に酔いが回って来たらしい。呂律も怪しくなっている。塀に寄りかかると、ずるずると背中を滑らせて地面に尻をつけてしまった。


「ほら、行きますよ」


 多額の飯をおごってもらった手前、放っておくわけにはいかなかった。浩太は麒一の横にしゃがんで、彼の腕を自分の首に回して立たせた。


 麒一は浩太に寄りかかって頼りなげな足取りで歩きはじめる。


 ようやく平沼家へ着き、玄関のドアを開けて中に入った。麒一を上がり框にそっと座らせると、彼は壁に寄りかかった。


「はあぁ」


 と深いため息を吐く浩太。リビングの明かりが廊下に漏れているのを見ると、靴を脱いで中に入って行った。


「おとーさーん」


 優美がまだ起きていた。壁の時計に目を遣ると、九時十分前をさしていた。浩太が帰るまで優美は頑張って起きてくれたようだ。


「ただいま。いい子にしてたか」


 浩太は中腰になって優美の頭をなでた。


「むー」


 優美の眉が八の字になり、困ったような顔になる。


「あ、酒の臭いか」


 いつもと違う臭いを優美は敏感に感じ取ったようだ。ちょっぴり申し訳ない気持ちになる。


「おかえり」


 と、彩希がソファから立ち上がってくる。


「麒一さん、玄関にいるから、ちょっと手伝ってくれないか」


「また飲み過ぎたの? しょうがないな」


 蓮っ葉な言葉を口にすると、彩希はリビングを出て行った。浩太もリビングを出ようとすると、優美もついてくる。彩希の言葉から察するに、麒一が飲み潰れて帰ってくるのは初めてではないようだ。


「ほら、お兄ちゃんおきて。自分の部屋で寝てよ」


 彩希は麒一の身体を揺すった。


「う、うーん、彩希」


「きーちさーん、おねむー?」


 優美なりに伯父さんを気遣っているようだ。


「おお、優美。伯父さんはピンピンしてるぞ」


 麒一は薄目を開けると、優美に手を伸ばしてポンポンと頭をさわった。


「どこがよ。まったくこんなところで寝てないで、ほら」


 彩希の言葉に促されたのか、麒一はふらつきながらも立ち上がった。浩太と優美には目もくれずリビングに入って行く。


 その間、優美がとことこと彩希に近寄った。


「さ、優美もおねむの時間だよ」


「はーい」


 優美は彩希の言うことを素直に聞いてくれた。


 浩太と彩希が寝室に優美を連れて行くと、ちゃんと寝静まるまで優美に付き添った。それからリビングへ引き返す。


 ソファには腕を額に当てて寝そべっている麒一の姿があった。彩希はその隣のソファに腰を下ろす。


「まったく、帰ってきていきなりこれだもんね。ほら浩太」


 と、彩希はソファを叩いて隣に座るよう促す。


 浩太は躊躇いがちに彩希の隣に腰を下ろした。


「なあ、彩希。金は返さなくていいのか?」


「なんの話?」


「『なつめ寿司』ってところに行ったんだけど、五万円もしたんだ。さすがにおごってもらうのは申し訳なくて……」


「ええっ! いくら何でも食べ過ぎでしょ。まったくすぐ調子に乗るんだから」


 さすがの彩希もここまで金がかかるとは思っていなかったらしい。


「俺の分ぐらいは返した方がいいんじゃないか」


「お兄ちゃんが勝手に連れ出したんだもの。浩太が責任を感じなくていいよ」


「麒一さん大丈夫なのか? 帰りの飛行機代もあるし、これからの生活費だってかかるだろ」


「アルバイトで月に三十万以上は稼いでいるって自慢してたから大丈夫じゃない? わたしも何回かご飯奢ってもらったし、家からの仕送りだってあるんだから。それよりもさ、玄一郎さんからのLINEみた?」


 彩希はあっさり話題を変えた。麒一の懐事情はあまり気にしていないらしい。


「ん? どうだったっけ」


「優美を連れて遊びに来ないかだって」


 彩希がそう言ってから、浩太はLINEを確認した。すると、玄一郎からのメッセージが届いていた。『なつめ寿司』で話し込んだせいで全く気付かなかった。


「どこに行くんだろ? 玄一郎さんの家ってことか?」


「でも、優美を連れて行くと迷惑だと思うし、近くに遊べる場所なんてあるかな?」


「とりあえず訊いてみるか」


 浩太は連絡が遅れた詫びも添えて、どこへ行くんですか、とメッセージを送った。


 すぐに返信が来た。


「バッセン?」


 画面の文字を見て本当に行くのかと訝った。三歳の女の子を連れて行くところではない気がする。


「優美に野球でも教える気なのかな?」


 彩希も納得がいかないようで少々不満げな声音だった。


 またすぐにメッセージが届く。


「ゲームコーナーもあるってさ。エアホッケーぐらいなら優美でもできるんじゃないかって」


「それならいいかも。身体を動かせて遊べるし、ちょっとした刺激にもなるんじゃない」


「あ、また来た。えーっと一時に大塚駅に集合か。じゃ、行くってことで」


 行きます、とメッセージを送った。


 と、そのとき、麒一がいびきをかき始めた。


「どれぐらい飲んだの?」


 彩希は麒一に目を向けて言った。


「二人合わせてビール瓶十本。俺が二本で麒一さんが八本」


 ちょっとした嘘を吐く浩太。麒一の方が飲んだのは確かだが、テーブルに並べられたビール瓶の数は、十本は軽く超えていた。


「まったく、飲み過ぎるなってお父さんに言われているのにこれだもん」


「親元を離れると羽目を外しがちになるんだよ」


「浩太もそうなの?」


 彩希がおもむろに顔を向けてきた。なぜかジトっとした目つきをしている。


「度は過ぎない程度に。バイトで遅くなるとか、飲み会ぐらいだな」


 ちらと思い返しても、まずいことをした記憶がなく妙に安心した。


「ほんとう?」


「なんで疑うんだよ」


「ほら、男子大学生って女の子を侍らせる店で騒ぐもんでしょ。それでお持ち帰りするって」


「……どこの情報だよ」


「違うの? 高校のときの友達――別の大学なんだけど、周りの男はそんなのばっかだって」


「普通の大学生が、俗物セレブみたいな遊び方するか。大半の学生は授業とバイトに明け暮れて気づいたら就活しているのがあたりまえだろ」


 と、浩太は自分の周りにいる人たちを一般化して言った。


「つーか、彩希。なんで今さら俺を疑うんだよ」


「疑ってるつもりはないよ。ただ、お兄ちゃんを見ていると、男の人ってそういうとこがあるのかなってちょっと心配になっただけ」


「ん? 麒一さん、キャバクラとか行くのか?」


「そうそう。去年帰って来た時なんてさ、すすきののキャバクラで飲み明かしたとか言ってたし。家にいたときは真面目な方だったんだけどね」


 ふう、とため息を吐いて呆れる彩希。


「でも、麒一さん、彩希の心配してたぞ」


「え?」


 と、彩希ははっとした表情になる。浩太はなつめ寿司で話したことを彩希に伝えた。


「そっか……」


 彩希は俯きがちになる。そして、頬が緩んだように見えた。


「俺と決闘したのも、彩希が変な男に引っかかったって勘違いしたからなんだ。麒一さん、ちゃんとお兄さんらしく彩希のこと気にかけているぞ」


「暴走しがちなところは昔と変わってないわね」


 ふふっと彩希は苦笑を浮かべると、さらに言葉を続ける。


「で、浩太は認めてもらえたんだ?」


「まあ、とりあえず文句はないって言ってたな」


 浩太は控えめに言った。


「よっと」


 いきなり彩希が脚をあげてソファのひじ掛けに足を乗せると、浩太の脚に頭を乗せた。


 あまりの遠慮のなさに、浩太は面を食らって言葉が出てこなかった。見上げる彩希は浩太を見つめた。


「彩希?」


「ふふん、少しぐらいいいでしょ」


「な、なにが?」


 酔いとテレが混ざって顔が熱くなる。彩希の視線に耐えられず、目を逸らしてしまった。


「ひざまくらは、男の特権じゃないのよ」


 ――何を言ってるんだ?


 と、思ったが、口が上手く動かない。俺よりも彩希の方が酔っているんじゃないかと勘違いしそうだった。


「わたしが小っちゃいころ、こうやってお兄ちゃんに甘えていたの」


「へ、へえ」


 浩太は目だけ動かして彩希の顔を見る。彼女は浩太に何かを求めるかのようにただじっと見つめる。その、何かがわからない。


「お兄ちゃん、役目が終わったって思っているのかもね」


「役目? 兄貴は兄貴だろ」


「そうじゃなくて」


「だからなにが?」


「わたしを守る役目」


「………」


「そして、わたしからは優美を守る役目もお願いしたいな」


 彩希の声音は小さいながらも、母親としての心の強さを感じた。浩太は首を回して、膝の上に頭を乗せている彩希を見据えた。照明の灯に照らされた瞳が爛々と輝いている。将来の幸せを浩太にゆだねたい気持ちが露わになっている気がした。


「……約束する」


 それだけ言った。


「ふふん、それでよし」


 にわかに彩希の口調がおどけて聞こえた。


 と、そのときソファの皮をこする音が聞こえた。二人は麒一に目を遣ると、いつの間にか彼が起きていて、ぎらついた目でこちらを睨んでいる。


「青江浩太。なに俺の前で妹といちゃついているんだ?」


 顎を引き、ドスの利いた声で訊いてきた。


「あ、いや、その」


 まさか彩希がひざまくらをしてきたと言っても、今の麒一には責任転嫁に聞こえる恐れがある。逃げ出したくなったが、彩希が頭を乗せている以上動くわけにはいかなかった。


「お兄ちゃん、別にいいでしょこれぐらい」


 と言いながら、彩希は起きようとしない。


「そこに直れー! 青江!」


 と、麒一が一足飛びに襲い掛かってきた。座った体勢から飛び出したとは思えないほどの鋭さである。浩太の首に両手を伸ばしてきた。


「うあぁぁー!」


 浩太は叫びながらもなんとか反応し、麒一と両手を合わせた。


「ちょっと二人とも、隣で優美が寝てるのよ。静かにして」


 彩希は器用にも二人の間からするりと抜けて起き上がると、二人の手首を掴んだ。


「おまえは黙っていろ、彩希。この不埒者を成敗してくれるわ」


「誰が不埒者ですか。つーか、なんで時代劇口調なんですか」


「やめなさい! お兄ちゃん」


 三人の言葉がリビングにこだまする。


 こうして、平沼家の夜は更けていった。


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