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六日目:麒一さんが彩希のことを語ってくれました 1

 平沼彩希は元々引っ込み思案な子だったらしい。保育園では他の子どもたちの輪の中に入っても上手く言葉が出てこず、どう自分の思ったことを伝えたらいいかまごつく自己表現が苦手な子供だった。


 ただ、兄の麒一には心を開いており、いつも彩希は兄と遊んでいた。麒一は幼いながらも兄として使命感があり、妹を守ってやらないといけないと思っていたという。外で遊んだり、家でゲームをしたりして麒一といるときだけは彩希も明るくなれたらしかった。しかし保育園の年長になっても他の子たちと触れ合うのは苦手で時には兄がいなくなって寂しいと泣いて縋る日もあったという。


 それを見かねた母親が彩希を児童劇団に入団させた。荒療治ともいうべき手段であるが、芝居をするにつれて自己表現が上手くなるのではと考えたらしかった。


 幸いにも、劇団の指導員は子どもの扱いになれていて誰に対してもやさしく丁寧に指導してくれた。以前にも、彩希のような子と接した経験もあり、どのように教えればよいか心得ていた。その詳細は麒一にはわからない。ただ、劇団に入り彩希の性格に変化が訪れたのは確からしい。小学校に上がったときには、友達や先生に対してもはきはきと受け答えするようになり、だんだん活発になっていったという。


 そして、彩希自身も演じることの楽しさに目覚めていた。学校が終わると、すぐに劇団の稽古場に行き練習を重ねた。特に公演前の稽古では指導員が止めるまで試行錯誤を重ねるほどの熱の入れようだったという。役どころに関係なく、懸命にかつ楽しそうに努力を重ねる彩希の姿は兄の麒一でさえ舌を巻くほどだった。


 麒一が小学六年生のとき、彩希が主役を務める芝居を観に行ったことがある。


 そのときの演目は『クリスマス・キャロル』。


「歌でしたっけ?」


 似たような作品の名前には聞き覚えがあった。


「チャールズ・ディケンズの小説だよ。ミステリー研究会に入っているのに知らないのか?」


「ミステリーですか?」


「いいや。古典文学。どっちっていうとオカルトっぽいか。映画にもなってるから一度観てみろ。たしかサブスクで観られるはずだから。それは良いとして話をつづけるぞ」


 と、麒一はそのときのことを話した。


 本来『クリスマス・キャロル』の主人公スクルージは初老の男性である。ところが、男の子は誰もやりたがらず、彩希に話が行ったという。


 そのため、原作とは違いスクルージを老婆にし、彩希が演じやすいように少し脚本に手を加えた。とはいえ、当時の彩希は小学校三年生、強欲の老婆を演じるのは極めて難しいと思われたらしかった。彩希は家でも練習に励んでいたが、ああでもないこうでもないと頭を悩ませ、時には麒一に演技を見せ意見を求めたのだ。演技に詳しくないなりにも妹の手助けがしたいと思い、感じたことをそのまま伝えようとした。


 ところが、麒一が意見を言う余地などなかった。学芸会のレベルに毛が生えた程度だと麒一は思っていたのだが、そのときの彩希は小学校三年生とは思えないほど達者な演技を見せたのだ。着ている服や髪型、整った顔までいつも通りの彩希であるはずなのに、演技をしているときは老婆の心が宿ったかのような錯覚を覚えたのだ。猜疑心の強い守銭奴の目つきに、醜く曲がった腰、そして改心したあとの晴れやかな表情、あらゆる仕草が老婆の姿を映していたと麒一は感じた。


「これが本当に彩希かって思ったよ」


 一気に話すと、麒一はビールを一口飲む。


 浩太もそれに合わせてビールを飲んだ。少しぬるかったもののほどよい苦みとコクのある味だった。ビールの銘柄はよくわからないが、たぶんプレミアムビールの類だろうと感じた。


「じゃあ、小さいころから才能を示していたんですね」


「まあな。でも、兄貴の贔屓目ってこともあるし、本番を観てみないことにはわからなかったな」


「でも、本番は成功したんですよね」


「ああ。んで、そのとき転機が訪れたってわけ」


「スカウト、ですか?」


「ご名答。たまたま芸能事務所の人がいてな。俺が言うのもなんだけど、顔は良いし、演技も上手いとくれば放ってはおけないだろ」


 言葉そのものは誇らしいのだが、口調に陰りを感じた。麒一はグラスを呷った。


「なにかあったんですか?」


 異変を感じた浩太は心配になって訊いた。


「それからが、大変だったんだよ」


 と麒一は力なく笑う。酔いが回っているのか真剣さとおかしさが綯い交ぜになったような奇妙な笑みだった。


 芸能事務所のスカウトが平沼家を訪れ、彩希を子役としてデビューさせたいと話を持って来た。

当時、麒一はその輪に入っていなかったが、あとから話を聞いたところ、父親が難色を示したという。彼は芸能界を胡乱な連中が屯する魔窟のような場所だと思い込んでいたらしかった。もし彩希が頭のおかしい人にいたずらでもされたら死んでも死にきれないと憤りを露わにしてスカウトに迫ったのだ。


 対して母親は落ち着いていた。スカウトが誠実な人と見たのか、話を一通り聞いて彩希を事務所に入れるか判断すると告げた。


 スカウトは懇切丁寧にこれからの指針を説明した。学業優先はもちろんのこと、礼儀作法などの教育を徹底、私生活で困ったことがあれば相談に乗る、わが事務所にはそのノウハウがあると言い切ったのだ。


 話の途中から彩希がスカウトを見据え、真面目に話を聞いていた。幼いながらもより芝居に打ち込める場所に誘ってくれると感じたようだ。


 そして彩希は両親に事務所に入りたいと願った。父親が難色を示したのは相変わらずだったが、母親が懸命にフォローするからと彩希を援護し子役として活動することになった。芸名の瀬能紗雪もこのときにつけたものだという。


「そう言えば、その芸名の由来ってなんですか?」


 素人の浩太には名付け親がなんらかの願いを込めて芸名をつけるというイメージしかなかった。ただ、少しでも彩希のことを知っておきたいので訊いてみたのだ。


「なんだっけな……。たしかじいちゃんが芸名で活動しろって言うもんだから仕方なくつけたんだっけ。瀬能はじいちゃんが尊敬してた人の名字で、紗雪は単なる思い付きだったはず」


「なんでおじいさんは芸名をつけろってアドバイスしたんですか?」


「平沼って名字が地味だからだと。ひどい話だよな。自分の家の名字なのに」


「そんな感じで芸名をつけるんですか? 失礼ですけどいい加減な気もしますが」


「ケースバイケースだろ。あくまで彩希の場合はって話だよ」


 そのときのことを思いだしたのか、麒一は苦笑いを浮かべた。またビールを一口飲んでからから話を続けた。


 最初の一年は下積みだったのか、表舞台に出ることはなかった。事務所で稽古に励みオーディションを受ける日々を送るも目立った結果は出なかった。才能のある者が集まる芸能界では、さすがの彩希でもメディアに出るのは難しいと感じた。

 麒一は妹に励ましの言葉を送り、オーディションを通過するのを願ったという。彩希もその想いに応えるかのように稽古に励み、やがて舞台などで小さな役をもらえるようになっていき、少しずつステップアップしていった。


 そして大きなチャンスが舞い込んだ。某テレビ局のドラマで主人公夫婦の子ども役のオーディションに合格したのだ。麒一の話によると、何百人以上もの応募があったという。凄まじい倍率をくぐり抜けたこともあって家族全員が大いに喜んだ。家族みんなで彩希を祝い、ドラマの撮影に送り出した。


 このドラマはヒットしなかったが、彩希の演技が素晴らしいと関係者からひそかに注目を集めたという。それから彩希は映画、ドラマなどのオーディションを受け矢継ぎ早に出演が決まったのだ。

ところが、学校生活に多大な支障が出たという。


「勉強がおろそかになったんですか?」


 浩太が思いつくのはそれしかなかった。


「それならまだマシだったんだけどな。勉強はちゃんとやってたぞ。まあ、俺ほどじゃないけどな」


 兄としてのプライドなのか、自分の勝てるところを探したらしい。現に大学院で優秀な成績を収めているのだから裏付けはある。


「じゃあ、何が問題だったんですか?」


「学校に芸能人が通っている、んで面白く思わない連中もいる」


 その言葉だけで麒一が何が言いたいのか察しがついた。だが、あまりにもデリケートな気がして口にするのは憚れる。


 視線を逸らした浩太の気持ちを察したのか、麒一は覗き込むように見据えてきた。


 そして言葉を続けた。


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