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六日目:麒一さんと出かけてきます

「彩希、俺が勝つって思ってたろ」


 公園から買い物へ向かう途中、浩太は彩希に訊いた。麒一には一足早く帰ってもらって平沼家の留守番をしてもらっている。


「うん。インターハイを個人で出場した浩太と、都の団体戦でベスト16のお兄ちゃん、どっちが勝つなんて明白じゃない」


 彩希は優美の手を引きながら答えた。その優美はまっすぐ前を見ながらとことこ歩いている。


「そんな単純なものじゃないっつーの。だいいち、当たりどころが悪ければ大怪我したかもしれないんだぞ」


「こうでもしないとお兄ちゃん、目を覚まさないよ。それに浩太ならやってくれると思ったし」


 彩希は意に介することなく足を進める。


「しないがとんだね」


 と優美が彩希を見上げながら言った。


「誰も傷つけないで勝つのが極意よ」


 彩希が笑顔で優美を見下ろす。


「ごくいー?」


 当然その意味がわからずに首を傾ける優美。


「うーん、秘訣、奥義、ってところかな」


 自分で言っておきながら上手く解説できない彩希。


「じょうずなのー?」


「あ、そうそう。お父さん剣道がすごく上手なの。だからああいうことができるのよ」


 三歳児にフォローされるとは思わなかったのか、彩希は恥ずかしそうに笑う。


「とにかく、お兄さんにはちゃんと言ってくれよ。もう防具なしで試合はしないって。あんなのやってたら身体がいくつあっても足りないからな」


「うん。でもお兄ちゃん、浩太にこっぴどくやられたし、頭が冷えたんじゃないかな。しばらくおとなしくしてると思うわ」


「だといいんだけどなぁ」


 試合後の様子からすると、優美をひどい目に合わせるとは思えないが、まだ浩太を認めているわけではないだろう。麒一の振る舞いから察するに、彩希を大事にするあまり感情が暴発し、明確な敵意を向けるのを厭わない気がする。


「おかーさん、アイスたべたいー」


 いきなり優美がねだる。


「もう、昨日も食べたでしょ。毎日食べたらお腹壊しちゃうよ」


 どうやら昨日、浩太が風呂に入っている間に食べたらしい。少なくとも浩太は、優美がアイスを食べているのを見たことがない。


「むー」


 優美は拗ねてしまったようで顔を俯かせると、立ち止まってしまった。


「なあ、優美。アイスは美味しいけど、我慢することでもっとおいしくなるんだぞ」


 苦しい言い訳だと思ったが、何でもかんでも子どものおねだりを飲むのは良くないと若い浩太にだって察しがつく。苦心してアイスを我慢させるにはどうしたらいいかさらに考えをめぐらす。

 浩太はしゃがんで優美と視線の高さを合わせ、そっと頭を撫でた。優美が顔をあげて浩太を見る。


「がまんー?」


「そう、アイスはな、たまに食べるから美味しいんだ。あと、毎日アイスを食べてたらな、お母さんも言ってたようにお腹を壊しちゃって痛くなるし、お父さんやお母さんだって優美が苦しむのを見たくないんだ。だから今日は我慢しないとな」


 咄嗟のわりには良い言葉を絞り出したかな、と思った。優美の語彙力がどれぐらいのものか見当がつかないが、心を込めて話したつもりなので気持ちが伝わってくれればそれでよかった。


「代わりにさ、お茶を飲ませてあげる。前にね、おばあちゃんが買ってきてくれたの。とてもおいしいんだからね」


 と、彩希がやさしく言い聞かせる。


「わかったー」


 納得しきっていない感はあるものの、どうにか両親の意図は伝わったらしい。


 再び家族三人が歩きはじめると、彩希が肩を寄せて小声で喋った。


「ふふん、いい感じよ。お父さん」


 彩希が微笑んで見上げる。


 浩太は照れ臭くなり、頭を掻いて嬉しい気持ちをごまかした。


   ◇ ◇ ◇


 買い物を終えて平沼家に帰ると、麒一がリビングのソファで寝転がってスマホを操作しているのが目に入った。彼はちらと浩太たちを見遣るとすぐにスマホの画面に目を戻した。


「きーちさーん」


 すぐに優美が麒一に駆け寄った。


 スマホから目を離した麒一は、面を食らったように戸惑いの色を浮かべて優美を眺めている。


「あ、ああ、おかえり」


 麒一はおもむろに起き上がり、澱みがちにこたえる。


 あ、そうだといきなり声をあげると、麒一は彩希に目を向けた。


「彩希、青江くんにじいちゃんの部屋を使わせているのか?」


「そうよ。おじいちゃん、しばらく帰ってこないからいいと思って」」


「おまえ、どういう神経しているんだ? 家族のいない隙に男を連れ込むなんてどうかしてるぞ」


 また同じようなことを言う麒一。


 ――ごもっともです。 


 反論の余地がなく、浩太はまたしても胸の内で肯定するしかなかった。


「しょうがないじゃない。両親が離ればなれに暮らしてたら優美が寂しがるでしょ。ちょっとの間だけよ」


「青江くん」


 と、麒一は浩太に視線を投げかけた。君付けで呼ぶあたり、少しは柔らかくなった感がある。


「は、はい」


「彩希に手を出していないよな」


「はい。何もしていません」


 と言ったはいいものの、「彩希」と呼ぶ練習をさせられたことは伏せておいた方が良さそうだ。あのとき、確実に彩希との距離が肉体的にも精神的にも縮まった気がする。彩希の手のひらの感触が両頬に蘇ってきそうだった。


 浩太はその気持ちを表には出さず、ただやましいことをしていないと告げるため、麒一をまっすぐ見つめた。


「そうか。彩希、俺と青江くんの晩飯はいらないぞ」


「はい?」

「え?」

「む?」


 三人が揃って声を出した。優美だけがこの状況を分かっていなさそうで、顔をあげて不思議そうに麒一を見つめている。


「青江くん、話があるから外で飯を食おう」


「いやぁ、ちょっと持ち合わせがないんですよ」


 財布の中にいくらあったっけ、と思い出してみるも、チェーン店の安い料理店なら何とかなりそうだが、優美に買ってあげないといけないものがあるかもしれないし、無駄な出費は避けたかった。


「言い訳はいらない。とにかく、二人きりで話したい」


「なに言ってるのよ。優美がいるんだからちゃんとみんなで食事しないと」


「む、でもな」


 若干顔を歪めて迷いを見せる麒一。一応伯父さんとして優美のことは気になるようだ。


「おそとでたべるのー?」


 優美は彩希に顔を向けて訊く。


「今日はお家で晩ご飯。今度ファミレスに行きましょ」


「わーい」


「とにかく、晩御飯は家で。出かけるならそれからにしてね」


 彩希は腰に手を当てて眉を吊り上げる。


「わかったよ。じゃあ俺たちは軽めにな」


「はいはい」


 と、仕方ないというふうに返事をしてキッチンに向かう彩希。その後ろを優美がついて行く。


 浩太は取り残されてしまった。麒一がいるせいでソファに座るのも躊躇われ、ただ立ち尽くすだけだった。


「どうした? 座れよ」


 麒一がまたスマホに目を戻し、素っ気なく促す。


「はあ」


 気のない返事をして隣のソファに腰を下ろす。ちらと麒一を見遣ると、彼は既に浩太に興味が失せたかのようにスマホの画面に夢中になっていた。


 彩希と優美の弾んだ声がリビングに響く中、浩太は麒一との間に気まずい空気が流れているのを感じた。何をどう話しかけていいかわからないまま時間だけが過ぎてゆく。


 ――話って、なんだろうな。


 そう思うのが精一杯だった。


   ◇ ◇ ◇


 夕食後、優美と少し遊んでから麒一と外へ出かけた。


 雑司ヶ谷の路地はすでに暮色に包まれており、夜の闇が這い寄ってくる時間帯に差し掛かりつつあった。帰宅途中の社会人や部活終わりの生徒たちとすれ違うぐらいで人通りもまばらである。


 麒一のあとに続いている途中、どうやら霊園の方に足を向けていると気づいた。入り組んだ路地を抜けると、突き当りに霊園の石段と生垣が見え、その向こうに何基もの墓や卒塔婆が並んでいるのが目に入った。うっすらいやな予感がするが、まさか物騒な真似はしないよな、と若干の胸騒ぎを覚える。当然そんなことはなく、突き当りを右に折れると霊園に沿った道を進んで行く。


 やがて違った路地に入ってしばらく進むと、『なつめ寿司』という寿司屋の看板が目に入った。建物はきれいでここ数年の間に建てられたらしく、一階が店舗で二階と三階が住居のようだ。住宅街でひっそり営業している観があり、地元の人向けにやっている店に見える。


 と、ここで麒一が寿司屋の入口前の階段に足をつけた。


「ちょ、ちょっと待ってください」


 まさか寿司を食べるとは思わなかった。一人暮らしの学生にはあまりにも似つかわしくない食事である。


「気にすんな。俺が奢ってやるから」


 平然と言ってのける麒一。


「いやいや、さすがに申し訳ないですよ。回らない寿司屋なんて高いじゃないですか」


「いいんだって。ここのマスター、俺たちが小っちゃいころからの知り合いだから。ほら入るぞ」


 麒一は慣れた感じで入口のドアを開けて中に入って行く。おお、麒一くん、いつ帰ってきたんだ、というしゃがれた声が聞こえてきた。


 ――金持ちの感覚って……。


 よくわからないな、と浩太は呆気にとられる。


 気まずい雰囲気を纏いながら、浩太も寿司屋に入って行った。


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