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一日目:二人で話し合います

 優美を寝かしつけたあと、浩太と彩希はリビングでテレビのバラエティ番組を見ながら話し合いをしていた。

 彩希はTシャツと短パン姿で、浩太の視線を気にしている様子はない。ソファの上に両足の裏をついて生足を露わにしたかと思うと、今度は胡坐をかいた。


 遠慮のない彩希の姿に、浩太は目のやり場に困っていた。引退したとはいえ、そこは元芸能人。蛍光灯の光を弾くほどの肌艶があり、腕や脚が程よく引き締まっている。胸は小ぶりながらも形が良く、シャツの上からでもわかるくらいスタイルが良かった。


「どうしたの?」


 彩希がペットボトルに口をつけてから訊いてきた。浩太がうわの空になったのに気づいたらしかった。


「いや、芸能人ってもうちょっと人目を気にするもんかなって」


「家にいる時ぐらい寛いでもいいでしょ」


「俺がいるんだけど」


「ふふん、かたいことは言いっこなし。それに、浩太は家族なんだから」


「家族?」


 思いがけない言葉が耳に飛び込み、浩太は呆気にとられた。


「そうよ。優美がいるんだし、どうせわたしたち結婚するんでしょ」


「そもそもなんだけど、平沼は――」


「こらっ」


 彩希は上体を屈めて浩太を睨む。


「えっとぉ……彩希は俺と一緒になる気でいるのか?」


 浩太は顔が熱くなり、視線を宙に投げた。知り合ってから一年以上名字で呼んでいたので、今さら下の名前で呼ぶのはどうも照れ臭かった。


「うん、結婚相手なら浩太みたいな人がいいかなって思ってたの」


「マジで?」


 告白されて嬉しいのと同時に、困惑が広がる。今までの彩希は浩太に対してそんな素振りを見せた覚えがなかった。


 知り合って以来、彩希は分け隔てなくみんなと接していた印象がある。元芸能人だからというおごりは一切なく誰に対しても明るく接してきたはずだ。例えばミス研の集まりで読んできた作品の感想を披露するとき、このキャラクターを演じるにはどうしたらいいかとか、演技を交えながら感想を言った。培った経験を惜しげもなく披露し、独自の視点で感想を言う姿にミス研の会員たちは膝を打つ思いをした。


 浩太は彩希のまぶしさに臆するところがあったのかもしれない。夢の世界で生きてきたような人間が、ごく普通の一般人と交流を持っているのが不思議だった。心のどこかで住む世界が違うと割り切って彩希と接していた気がする。彩希のように容姿に優れた彼女がいれば楽しい大学生活を送れると感じていても、自分には釣り合わないと感じていた。


 ――いや、待てよ。


 と、浩太は今までの彩希の様子を振り返ってみた。


 彩希に対して当たり障りのない態度を取りながらも、彼女から嫌われたとは思えない。むしろ、彩希は浩太に対して積極的に話しかけてきた。

 そのたびに、浩太は好感度を気にしなければならない芸能人特有の気質が絡んでいると邪推していた。引退したとはいえ不親切に対応してしまうと、あっという間にその情報がネット上に拡散される恐れがありそうで、常に良い人を演じなければならない気がする。芸能界を生き抜いてきた彩希なら八方美人に振舞う癖がついているはずだと、素人の浩太は考えてしまう。


 だが、いろんな人間から好感を得るのは限界がありそうだとも思う。興味ない人間に対してまで親切に振舞っても得られるものが少なく、それならお互いに我関せずを貫き通した方が健全なのかもしれない。


 それなのに、彩希は浩太を一人の友人として接している節があった。


 以前、彩希がおすすめの作品はないかと訊いてきたことがある。そのとき浩太は、地元出身の作家、小沢修史の時代小説『闇の彫師(ほりし)』を紹介した。高校のとき、小沢修史のファンだった剣道部の顧問から読めと執拗に迫られたから一通り目を通しただけのものである。


 時代小説はおじいちゃんっぽいと彩希は笑ったが、結局読んだらしく、すごくおもしろかったと言ってくれた。すげなく扱うこともできたのに、勧めた小説を読んだあたり、嫌な感情は抱いていないようだった。


「なんで、俺なんだ?」


 浩太は続けて彩希に訊いた。


「うーん、なんていうか、東北の人って感じだから」


「どういう意味?」


「ほら、東北の人って堅実で奥手だって言うでしょ。浩太ってそんなところがあるじゃない」


「そりゃ偏見ってやつだよ。俺の周りには陽キャがいっぱいいたぞ。それに俺だって高校の時は彼女がいたし」


「うそぉ!」


「なんで驚くんだよ」


 目を見開いて驚嘆する彩希に、すかさずツッコむ浩太。


「だって、浩太って恋愛に興味なさそうだし。大学入ったときはいなかったよね」


 彩希は窺うような目つきで浩太を眺めた。


「なんつうかなぁ」


 と、浩太は答えに窮して後ろ首に手を当てた。過去の恋愛話を披露するほど恥ずかしいことはない気がしてくる。


「はっきりしない感じ?」


 と、彩希が訊いてくる。


「うーん、まあ、他のことに忙しかったんだよ。部活とか男友達と遊んでいる方が楽しかったし。つき合ったはいいけど、あまり構ってやれなかったんだ」


 言葉をひねり出しながらあちこちに視線を移した。


「それは別れて当然よ」


 彩希が咎めるような口調で言った。


 ふと浩太は目の端で彩希を見遣った。彼女は上目遣いになりながら眉を吊り上げていた。


「だから、あっちから別れ話を切り出された。言い訳すらできなかったよ」


「反省した?」


「ん?」


 いきなり何を言い出すんだと思った。今度はきちんと彩希に顔を向けた。


「だから、元カノに構ってあげられなかったこと」


 真面目な顔つきで訊いてきた。まるで彩希が元カノのような反応を示しているように見えて、浩太は思わずたじろぎそうになった。


「反省、してる」


 と、浩太もつい真面目な口調になった。


「ふふん、なら良し」


 にわかに頬を緩め、機嫌がよくなる彩希。軽く伸びをしてからソファの背もたれに背中を預けた。


 ――なんだろうなぁ……。


 彩希の気持ちが理解できなかった。大学ではいつも明るく、人を品定めするような振る舞いはしたことがない。しかし今の彩希は大学では見せない感情を露わにしている気がした。自分の夫、優美の父親としてふさわしいか試しているように見えた。


「話は変わるけど、浩太って卒業したら地元に帰るの?」


 彩希がソファに背中を預けながら訊いた。


「ああ。でも、どっかの税理士事務所か企業で何年間か働いてからだな。あと、地元に帰るまでに税理士試験に合格しておきたいところだな」


「けどさ、この写真だと東京にいるじゃない」


 と、彩希は胡坐を解いてソファから背中を離すと、テーブルに手を伸ばしてアルバムを開いた。浩太も上体を曲げてアルバムをのぞき込む。


 どこかの公園の芝生にシートを敷いて、浩太は胡坐をかいて優美を脚の上に乗せて抱きかかえていた。傍らには水筒やペットボトルが寝かせてあり、数個のバッグやリュックが寄せ合うように置かれている。彩希が写っていないのは彼女が撮影したからだろう。それに、バッグの数からすると、家族以外にも誰かいるようだった。


 写真の浩太は心の底から笑っているように見えた。彩希と結婚し、優美が生まれて家族がいる幸せを享受している。抱かれている優美も写真を撮られるのが嬉しいのか、浩太の腕を掴みながらカメラ目線で笑っていた。


「なにかあったのかなぁ。ってか、ひらぬ――」


「ちょっとっ」


 浩太が顔を上げて平沼と言いかけたとき、彩希が口を尖らせた。


「えっと、彩希。よくここが東京だってわかったな」


「だってこれ、競馬場じゃない?」


「はい?」


 もう一度写真に目を落とす。彩希も顔を寄せて写真の背景を指さした。


「ほら、浩太の後ろに埒やハロン棒が映っているでしょ。たぶん、東京競馬場ね」


「よくわかったな。ひ――彩希って競馬に興味なんてあったんだ」


 また平沼と言いかけて彩希に顔を向けた。彼女の目つきが一瞬きつくなった気がした。


「マネージャーが競馬好きで仕事の合間を縫って予想してたの。で、大人になったら競馬の仕事が入るかもしれないからって言われて、少しだけ教わったの」


「……よく未成年のマネージャーやってたな、その人」


「だから事務所からも、わたしの前でギャンブルの話をするなって怒られたみたい」


 と、彩希は苦笑を浮かべる。


「とにかく、試験に受かってもまだ地元に帰っていないわけか。ひら、彩希と結婚して優美が生まれたから東京にいるって感じだろうな」


 また平沼と言いかけてしまった。


「落ち着いたら、家族みんなで浩太の地元に移住するのかな」


「どうだろうな。心変わりして東京にいるって決めたかもしれないし、これ以上考えても何もわからないな」


 このとき、浩太は彩希が芸能界に復帰する気があるのか訊こうとした。しかし、言葉を紡ごうとした直前、不意にデリケートな質問になってしまう可能性があると思い、その質問を封じた。彩希に大学生活を満喫してもらいたい思いが突如芽生えたらしかった。


「そうだね。そのときになってみないと、わからないよね」


 彩希はアルバムを閉じた。


「で、話は戻るんだけど」


「なに?」


「なんで、その、彩希は俺がいいって思ったんだ? 彩希の知り合いには、俺よりももっといい人がいるんじゃないのか」


 浩太は俯きがちに言った。


「ふふん、それわね」


 と、彩希は顎を上げて得意そうな笑い声をあげてから言葉を続けた。


「浩太が堅実な人だから」


「堅実?」


 浩太にとっては意外な評価だった。たしかに授業もサボることなく出席し、予備校の学費や生活費のためにアルバイトをしているが、大学生なら当たり前のことである。

 それに、浩太だって合間を縫っては授業で知り合った男友達やミス研の会員たちと遊びに出かけたりもするし、酒を飲んで羽目を外したこともあるごく普通の学生で、堅実というほどではない。


「ほら、わたしってこんな業界で生きてきたから、どうしても浮き沈みって考えてしまうのよね」


 と、彩希はテレビに目を向けた。浩太もつられて見ると、画面には映画の宣伝絡みで出演している若手俳優がお笑い芸人のMCにツッコまれて笑っている場面が映し出されていた。


 ふと、浩太は彩希の顔を横目で捉えた。目元に静かな微笑みを湛えているだけで感情が読み取れなかった。


「浩太なら、そんな心配ないでしょ。一緒になるならそんな人がいいかなって」


「要は、収入面で安定しそうだってことか。ドライなもんだなぁ。けど、どっかの社長みたいに高収入は期待できないぞ」


 税理士は昔から売り手市場だと言われている。彩希も将来設計を考えるうえで、恋愛感情は二の次にして安定した生活を送れる人と結婚した方がいいと考えたのだろう。

 税理士試験の合格率は低く、なれるかどうかわからない。だが、未来の浩太が書いた手紙によると、浩太は無事に税理士になれるので、その点も考慮しているのかもしれない。


「それだけじゃないよ。ほら、浩太って家族を大事にしてくれそうだし」


「そうか?」


 浩太にはその理由が取ってつけたように思われた。今さっき、高校時代の失恋話を聞いてなぜそう思うかが理解できなかった。


「自覚がないならいいよ。わたしが勝手にそう思っているだけだから」


 彩希は苦笑いを浮かべる。どこか気まずそうな表情なのに、絵になっていると思わせるあたりさすが芸能人だな、と浩太は密かに思った。


 ――わからないなぁ。


 演技が出来るという先入観と相まって、彩希が演じているのか、それとも本音を漏らしているか判断がつかなかった。


「とにかく、夏休みの予定、一緒に考えよ。まず優美が喜びそうな場所は――」


 彩希は思いつくままに、子どもが喜びそうな場所を次々と言ってきた。


 浩太は彩希の想いがいまいちつかめず、戸惑いながら彼女と一緒に予定を組み立てた。


 そのときの彩希は、幸せな未来に思いを馳せるかのように笑顔を絶やさなかった。


念のため申し上げておきますが、作中に出てくる小沢修史は架空の作家です。

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