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六日目:平穏な朝です

 今日も優美が起こしにきた。ドアを開けて部屋に入り、どたどたと足音を立てながらベッドに近づく。


「おとーさーん、あさだよー」


 優美の楽しそうな声が耳に届いた。


 浩太はうなり声をあげながら目を開けて優美に目を遣った。


「おお、起こしてくれてありがとう」


 今日はちゃんとTシャツとスウェットのズボンを着ているので、焦る必要がない。おもむろにタオルケットから右手を出して優美の頭をなでてやる。


「うんしょ、うんしょ」

 

 と、昨日と同じように優美はベッドによじ登った。


 優美はタオルケットを挟んで浩太の身体に顔を埋める。心底楽しそうな素振りで、子どもは朝からテンションが高いな、と浩太は思う。


 一緒に部屋を出て、洗面所へ足を運んだ。途中で優美をリビングへ行かせようとしたが、どうも優美は浩太と一緒にいたいらしく、笑顔のまま浩太から離れようとしない。


「しょうがないなぁ」 


 浩太は苦笑して、優美と一緒に洗面所に行った。顔を洗っている最中、優美はパジャマの裾をつかんでいた。タオルで顔を拭いてから、優美を促してリビングに足を運んだ。


「おはよう」


 リビングに入るなり、浩太は声をかけた。


 キッチンで彩希が朝食の準備をしているのが目に入った。ちょうど出来上がったタイミングらしく、食卓テーブルに皿を並べている最中だった。


「おはよう。ちゃんと寝れた?」


「ああ。すぐに爆睡したよ」


 アルバイトに車の運転、それにレポートの作成と良くこなせたもんだなと我ながら感心し、椅子に座った。


 今日の朝食はベーコンエッグとパン、煮野菜とバランスが整っていた。浩太と彩希の分にはピーマンがあるが優美にはない。


「優美は、ピーマンが食べれないのか?」


 浩太はパンを一口噛んでから訊いた。


「ううん。たべたことあるよー」


「なんで入れないんだ?」


 と、浩太は彩希に顔を向ける。


「茹でても苦みが残るの」


 と、彩希が言ったので、浩太は煮野菜のピーマンを食べてみた。大人だとほどよい苦みだが、子どもだと厳しいかもしれない。


「うーん、これ以上煮ると食感がダメになるかもな」


「でしょ。どうも上手くいかなくて」


 にわか夫婦が知恵を絞っても子どもにピーマンを食べさせる方法が浮かばなかった。浩太と彩希は同じことを考えているようで、うーん、と唸り声を上げる。


「おにくといっしょ」


 と優美はおかずをリクエストしたようだ。


「お肉?」


 と浩太は訊き直した。


「あ、肉詰めピーマンかな」


 彩希が気づく。


「そうだよー」


「よーし、なら晩御飯は肉詰めピーマンにしよっか」


「やったー」


 優美はあまり好き嫌いをしないようだ。というよりも未来の彩希が上手いこと料理をして苦手意識を取り除いているかもしれなかった。


「じゃあ、お昼になったら買い物に行くか」


 今日は特に用事がなく、家でゴロゴロしようかなと思っていた。


「浩太、予備校っていつからだっけ?」


 と、彩希が思いついたかのように訊いた。


「来週の土曜日から」


「よびこー?」


 優美は語尾を上げて訊いた。三歳児には予備校の意味がわからなくて当然である。


「お勉強するところ。お父さん、やらなきゃいけないことが一杯あるんだ」


「ぜーりしのー?」


「そう、税理士になるためのお勉強」


 と説明したものの、優美には理解できなかったようで、彩希に顔を向けて何か訊きたそうに見つめた。


「今のお父さんは大学生なの」


 彩希も食事の手を止めて優美に向き直る。


「おかーさんもー?」


「そう。お母さんも」


「おしばいはー?」


「ううん。今のお母さんは英語の勉強に夢中なの」


「むー?」


 優美は状況を理解できないようだ。


 一つわかったのが、未来の彩希は芝居をしている、つまり芸能界に復帰しているらしい。たしか手紙には二人目を授かっていると書かれていたが、家庭と仕事のバランスをうまくとっているのかもしれない。


 そんなことをちらと考えてから、浩太は食事に戻った。


「さ、優美。ご飯食べちゃおう」


 彩希は食べるよう優美を促す。


「きょうはおでかけするのー?」


「そうね。お買い物以外はないかなぁ」


 彩希はそう言ってからパンをかじり、牛乳で流し込んだ。


「優美、お外に行きたいのか?」


 浩太は煮野菜を飲み込んでから聞いた。


「うん」


「そうか。なら買い物に行く前に公園に行こうか」


「いくー」


 優美が笑顔になる。


「ほらほら、早く食べてね」


 彩希はやさしく促すと、みんなが食事に戻った。


 食べ終えたあと、浩太はみんなの食器を洗った。彩希の負担を軽減するだけでなく、平沼家に泊まっている以上、なにかしていないと申し訳ない気持ちもあるのだった。


 彩希と優美はテレビを見ているようだが、話し声が聞こえてこない。黙ってテレビに集中しているらしかった。


 食器を干したあと、ソファに腰かけて一緒にテレビを見た。画面には朝の生バラエティが映っていた。旬の芸人たちが電気椅子を食らい、スタジオが笑い声に包まれる。


 浩太はちらと彩希を一瞥した。優美を膝の上に乗せ、腕を回して抱いている。二人ともテレビ画面から目を離さない。ときどき彩希は身体を傾けて優美に視線をやると、優美もその気配に気づき彩希に顔を向ける。二人の目が合うとお互いに笑顔を浮かべた。


 なんとなく落ち着かなくなった浩太はテーブルに目を遣った。今日の新聞が置かれていて、読んだ跡があった。浩太が起きる前に彩希が読んだらしかった。一人暮らしの浩太は生活費を捻出するため、新聞を取っていない。大学の図書館でざっと読む程度で授業やレポートに使えそうな情報を収集する程度である。


 新聞に手を伸ばしてテレビをBGMがわりに読んでみた。政治、経済面では目ぼしい記事がなかった。コラムで税制改革に触れていたが、目新しい意見もなく飛ばし読みをする。


 書評が載る曜日でもないので、軽くスポーツ面でも読もうかと思い、ページをめくった。


「もう、こんな時期か」


 と、浩太はある記事に目が留まり、独りごちた。


「どうしたの?」


 と、彩希が声をかける。浩太は新聞越しに彩希に目を遣った。


「インターハイ」


 とだけ言う浩太。


「夏だしねぇ」


「彩希の高校って部活はどうだったんだ?」


 ふと気になって訊いてみた。


「うちはお嬢さま学校だし、スポーツ系は全滅。文化系はそこそこって感じかな。合唱部と吹部は全国まであと一歩だったみたい」


「へえ、すごいな」


 東京の学校の数を考えるとかなりの激戦な気がした。もっとも浩太は合唱や吹奏楽のことは全くわからないが。


「ちっちゃいころからピアノとか習っていた人も多かったし、音楽的な素養はあったんじゃないかな。さすがお嬢さまって感じね」


「自分もお嬢さまって言いたいんだろ」


「事実だもん。しょうがないでしょ」


 と、彩希はなぜか目を細くして、口角を上げた。浩太が今まで見たことのない表情だった。


「ど、どうした?」


「ふふん、浩太ってそんな軽口叩くんだ」


 彩希の声音には何かしらの含みを感じさせた。抱かれている優美もお母さんの様子が変わったと感じたらしく、顔をあげて彩希を見ている。


 あっ、と浩太は思い、顔が熱くなった。ついこの間まで素っ気ない感じで彩希と距離を置いて接していたのが、いつの間に軽口を叩くようになったのだろうか。


「あ、ごめん」


「いいよ。それぐらい気楽な方がこっちも楽ね」


 彩希は首を傾げて、今度ははっきりとした笑みをこぼした。


「そ、そういや、彩希の学校って芸能活動してもいいんだな。お嬢さま学校っていうからそういうの厳しいって思ってた」


 戸惑いを隠しきれないまま、強引に話題を変えた。


「自由な校風が売りだからね。入試受ける前に確認したけど、学業に支障が出ないなら芸能活動しても問題ないって言われたし」


「でも、文句を言う人もいたんじゃないか?」


「文句って言うのかな? いい大学に楽して入りたいから芸能活動しているって言われてさ。ほんと頭に来ちゃう」


「そういやそんな噂、聞いたことあるな」


 地方出身の浩太には縁のない話なので、いまいちピンとこなかった。ネットニュースの情報や友達から聞いたことがある程度で信憑性には疑問符がつく印象だった。


 ふと、彩希の腕の中にいる優美と目が合った。えへへ、と優美が笑い、浩太も頬が緩んだ。


「それにお兄ちゃんがねぇ」


 言いたいことがあるようだが、ちょっとためらったようで口を濁した感じに聞こえた。


「え? 彩希の家族って応援しているもんだと思ってたけど」


 浩太はソファから滑り落ちて、器用に腰と脚を動かして優美に近づく。その動きが面白かったらしく、優美が手足を動かして喜んでくれた。


「お父さんは何も言わなかったけど、お母さんはわたしが小さいころから付き添ってアドバイスしてくれたわね」


「おとーさんおうえんしてるよー」


 優美は彩希の父親と浩太の区別がつかないらしかった。やはり未来の彩希は芸能活動を再開していて、浩太も応援しているらしい。


「ううん。お母さんのお父さん、優美のおじいちゃんのことよ」


「むー?」


 どうやら優美の頭の中では家系図を描けていないらしい。


 浩太は優美に手を伸ばし握手をする。


「ちょっとずつわかればいいさ」


 浩太はやさしく言い聞かせる。


「わー」


 優美は手を目一杯振る。浩太も優美のなすままに手を上下させた。


「で、お兄さんは反対していた感じ?」


 視線を彩希に戻して訊いた。


「反対っていうか、過保護なのよ。自分から北海道の大学に行きたいって言いながら、泣いて別れを惜しむんだから、ちょっとウザかったわね」


 辛口を吐きながらも彩希には苦笑いが浮かぶ。兄妹仲は悪いというほどでもなさそうだ。喋っている間に、優美が手を離して彩希の腕に縋りつく。


 と、そのときテーブルに置いてあった彩希のスマホから通知音が鳴った。彩希は優美を下ろして浩太に預けた。優美は浩太の脚の上で器用に身体を回転させて抱きついてくる。


「誰から?」


 浩太は優美に腕を回してから訊いた。腕の中の優美が浩太を見上げて笑顔になる。


「あっ!」


 にわかに彩希の横顔に焦りの色が見えだした。慌ててスマホを操作し文字を打ちこむ。


「大丈夫か?」


 ただ事ではない気がした。今まで、彩希がこんなに慌てた様子を見たことがなかった。優美もお母さんの様子が気になったのか、首を回して彩希を眺めている。


 しばらく彩希はスマホを見つめながら口を噤んでいると、おもむろに顔をこちらに向けてきた。口元が歪んで目が細くなっている。


 ――余裕そうだな……。


 心配した自分がバカらしくなってきた。彩希の表情は素人の浩太でさえわかるほど、作られた感が滲み出ていたのだ。優美もそれに気づいたのか、キャッキャとはしゃぎだした。


「浩太、真っ向勝負よ」


 彩希は出し抜けに言ってきた。


「なんのこと?」


 話が全く見えてこない。誰と何の勝負をするというのか。


 混乱が収まらない中、彩希はソファから降りて両膝を床につけると上体を曲げて顔を近づけてきた。瞳の奥を覗くような澄んだ目をしていた。


「優美の父親、わたしの旦那さんとしてお兄ちゃんと向き合って」


「ど、どういう意味?」


 浩太は少し背をのけぞらせた。


「お兄ちゃん帰ってくるって」


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