五日目:ドライブしながら世間話をします
アルバイト終了後、浩太は念のため彩希にLINEを送った。
「どうしたの?」
莉緒が訊いてくる。
「嶋井の奴に彩希を見られたくないですからね」
浩太は声を潜めて言った。メッセージには、面倒な奴がいるからサングラスとか帽子とか顔を隠せるものをかけて来るように書き込んだ。
すぐに彩希から返信がくる。「わかった」とだけ送られてきた。
「厄介な女だったな」
玄一郎も同情する。
「おとーさーん、だっこー」
優美が浩太の脚をくいくいっと引っ張る。
浩太はスマホをポケットにしまい、視線を下げた。優美が笑顔になっている。
「おーし、お母さん、すぐに来るかな」
よっと、と声をあげて優美を抱っこした。
まもなく、見覚えのあるミニバンが車道を走ってくるのが見えた。ガードレースの切れ目を過ぎて急ブレーキをかけると、バックランプを光らせて蛇行しながら下がってくる。
「絶対、浩太が運転しなよ」
彩希の運転を見た莉緒が念を押すように言ってくる。
「わかってます」
一同がミニバンに近づく。
と、浩太は後ろを振り返った。ショッピングモールの駐車場の出口からバイトや地元住民たちが吐き出され帰途についたようだ。霧子の姿が見えず、ひとまず彩希を見られる心配はなさそうだ。
「そういや、バイト代はいつ振り込まれるんですか?」
なんとなしに訊いてみた。
「現金取っ払いだから、あたしがみんなの分取りに行ってあげるよ」
「大丈夫か? 受け取るときに本人のサインが必要なんじゃないか?」
と玄一郎は呆れたような口調で言う。
「へいきへいき。そこらへん適当でいいみたいだし」
「ホントに大丈夫なんでしょうね」
前もって聞いておけばよかったと後悔する浩太。
抱っこされている優美は、浩太のシャツをぎゅっと掴んだ。
ミニバンまで近づくと、後部座席のドアが開き、運転席から彩希が降りてきた。浩太の忠告通り、サングラスをつけ紺色の帽子をかぶっている。
「おお、様になってるねぇ」
莉緒がしげしげと彩希を見つめ、関心を示す。元芸能人が人目を忍ぶ姿をしているつもりが、あまりにも似合い過ぎて却って人目を惹きそうだった。
優美は彩希に手を伸ばして何かをねだっている。ひとまず浩太は優美を下ろした。
「わーい」
優美が彩希に近寄る。
「あら、服が汚れちゃったね。優美、バンザイして」
「ばんざーい」
優美は両手をあげる。服に土がついており、特に膝のあたりが汚れていた。
彩希は丁寧に土を払う。
「帰ったら洗濯だな」
と、浩太は腰を屈めて微笑みを優美に向ける。
「ほら、みんなも。それじゃシートが汚れちゃう」
彩希が優美についた土を払ったあと、みんなに目を向ける。
「彩希、帰りは俺が運転するよ」
と、浩太はシャツとズボンを叩きながら言う。
「なんで?」
「彩希の運転だとみんな酔っちゃうだろ。優美だって気持ち悪そうにしてたし」
その優美はにこやかな顔で浩太を見上げている。
「そうそう。だいいち事故起こしたらどうするのさ」
「ううっ」
痛いところを突かれ、胸に手を当てて後退りする彩希。
「にひひ」
優美には、彩希の芝居が面白く映ったようだ。
「よし、乗るんだ、優美」
浩太は優美の背中に手のひらを添えて優しく誘導し、後部座席のドアを開けた。
優美は、うんしょうんしょと声をあげて、後部座席に上がると、チャイルドシートに乗った。浩太はシートベルトを締めてあげてからいったん降りる。
渋々といった足取りで彩希が後部座席に乗り、優美の隣に腰かける。そして、玄一郎と莉緒も乗り込んだ。
浩太は車道を走る車に気をつけながら運転席に乗り込んだ。
運転するのはゴールデンウィークで実家に帰って以来、しかもそのときはコンパクトカーだった。ミニバンのような大きい車を運転するのは初めてである。
シフトレバーの位置を確認したあと、ナビで経路を確認しようとした。
「あれ? 首都高に乗るのか?」
ナビに表示されているのはここから南に下ってから高速道路に乗り、首都高速に入るルートである。ここに来るときは、一般道を使っていた。
「つーか彩希、あんたあの運転で首都高に乗ろうとしてたの?」
莉緒が怪訝な声をあげたのは、首都高は世界有数の難易度を誇る高速道路だと知っているからだろう。浩太は教習所でそう習った覚えがある。彩希の運転で首都高を知るのは自殺行為に等しい、と大げさに考えた。
「今日だけです。優美が喜ぶと思ったので」
彩希が言い訳っぽく言う。
「四人で割るにしても割高だな」
金銭感覚を働かせると、気乗りがしなくなってきた。
「大丈夫、今日のところはうちで持つから」
「お、ラッキー。首都高ってバス乗る時ぐらいしか使わないしね。自家用車なんて贅沢だよ。玄一郎はしょっちゅうだよね」
莉緒は弾んだ声で訊いた。
「俺の家はあまり車を使わないんだ。電車や自転車で事足りるからな」
「うわー、リアルな都民」
莉緒は玄一郎の暮らしぶりにかえって新鮮さを覚えたようだ。ちなみに莉緒は北陸出身で、帰省のときは深夜バスを使っているらしかった。
「じゃあ、行きますよ」
浩太はシートベルトを締め、ブレーキを踏みながらシフトレバーをDに合わせた。後ろから車が来ていないのを確かめてからウィンカーを下げてゆっくり発進した。
平日の昼ということもあるせいか、車の往来は少なく、たまに信号に捕まるぐらいで順調に進んで行った。
浩太は時おりメーターに視線を移し、速度に気をつける。どこで速度違反の取り締まりをやっているかわからず、慎重にならざるを得なかった。それに慣れない車を運転しているせいで、若干の緊張感がある。久しぶりの運転に加え、実家のコンパクトカーと運転感覚が違うせいもあってやや前のめりになってしまう。後部座席の優美が気になりつつも、目を配る余裕がない。隣に彩希がいるから大丈夫だと思うほかなかった。
「おかーさーん、みてー」
と、優美の楽しそうな声が聞こえる。
「なになに」
「ファミレスー」
「ええ、もうご飯食べたいの?」
「ううん、ジュースのみたいー」
どうやらファミレスからドリンクバーを連想したらしかった。
「浩太、優美に何か飲ませた?」
「なにって?」
運転に集中しているせいで、ちゃんと聞き取れなかった。
「イベントで飲み物なかったの?」
「たまに水を飲ませたぐらいだよ。暑いし熱中症にならないようにな」
「それに、トイレにも行ったもんねー」
莉緒がまぜっかえすように言う。
「困ったなぁ。昨日も飲ませたし、今日もってなると優美が太っちゃうかも」
彩希は健康のことを考える反面、ジュースを飲ませたいとも思っているようだ。
「ちょっと待てよ。三歳、ジュース、適量、と」
どうやら玄一郎はスマホで調べているらしい。
「ジュースー」
優美のねだる声が強くなってきた。
――さあて、どうするかな。
子どものわがままを許してしまうと、癖になってしまうかもしれない。時にはおねだりが通用しないことを教えておく必要がある気がする。浩太は前を見ながらそんなことを思った。
「一日、百二十ミリまで大丈夫そうだぞ」
バックミラー越しに見える玄一郎が彩希に顔を向ける。
「そうなんですか?」
「彩希、子どもいるならそれぐらい調べておかないと」
莉緒が苦笑交じりに言う。
「ジュースって身体に悪いかなって思っていたから、つい制限しちゃうんですよね」
「それ、自分のことでしょ。女優って摂生しないといけないっていうし」
莉緒はどこかで聞きかじったらしい知識を披歴する。
「適度にって感じですよ。行き過ぎは良くないってだけです」
「おとーさーん、ジュースー」
自分のことをそっちのけで話していると感じたのか、優美は浩太に声をかけてきた。
「家に着くまで我慢だぞ。そしたら飲ませてあげるから」
妥協点を見出してそう言った。少し飲ませるぐらいなら構わないというふうに思えてきた。
「むー」
わかったのかわからないのか、優美は声をあげるだけだった。
「ちょっと待った、お父さん」
莉緒が訊いてくる。
「なんで莉緒さんがお父さんって呼ぶんですか?」
「なんとなく。それはともかくさ、どっかのパーキングエリアに寄って飲ませたら?」
「それって莉緒さんが寄りたいだけじゃないですか」
「わかる? いやあ、首都高のパーキングなんて言ったことないしさ。せっかくの機会だし、みんなで行ってみるのもいいんじゃない?」
図星だったようだ。
「だが、帰り道のパーキングはそこまで設備が充実しているわけじゃないらしいぞ」
おそらく玄一郎はスマホで調べたのだろう。
「彩希、どうする?」
と、訊いてみた。
「今日のところはまっすぐ帰ろうか。また今度ってことにして。ね、優美、帰ったらオレンジジュースがあるから」
「わーい」
優美は機嫌を直してくれたようだ。お母さんの言葉には説得力があるな、と浩太はちらと思った。
「えー、せっかく首都高に行くのにぃ。どっか行こうよー」
今度は莉緒がわがままを言い始めた。先輩らしからぬ態度である。
「佐橋、ガソリン代だってバカにならないんだ。これ以上平沼の厚意に甘えるわけにはいかないだろ」
対して、玄一郎は先輩らしく振舞う。
「また今度にしましょう。夏休み中に日帰りで旅行してもいいですから」
「おー、話がわかるね。陽平や武雄も誘ってさ、箱根の温泉にでも行こうか」
「明乃さんはどうする? 法科大学院の試験もあるしさすがに迷惑じゃないか?」
「明乃さんは除外で。また優美が泣いちゃいますから」
「ゆみ、ないてないよー」
「今じゃなくて。優美に怖い思いをさせたくないの」
「してないよー」
「ああ、あと陽平と武雄も。変なことするかもしれませんし」
「それは流石にかわいそうだろ」
「だね。誘わなかったって知られたら恨まれるかもよ」
「うーん」
「俺がきっちり睨みを利かせてやるから安心しろ」
「ならおねがいしますね」
「で、どこに行く? 日帰りなら那須塩原とか房総半島がいいかな――」
「無難に舞浜でいいんじゃないか?」
「夏休みだし、すごい混んでいるでしょ。彩希が子ども連れって知られたらあとが面倒じゃない?」
「わたしは別にいいですけど」
こうして後部座席で今後の予定が組まれていく
運転に慣れてきた浩太は、ちらとバックミラーを見る。話を進めながらも、彩希は時どき優美に話しかけて和ませている。
優美もお母さんが相手をしてくれて笑顔で応えていた。大人が楽しそうに振る舞いに感化されて嬉しく感じているようだ。すっかりジュースのことは忘れたらしい。
――ま、いいお母さんなのかもなぁ。
高速道路に進入したとき、浩太は改めて彩希が優美を大事にしていると思った。




