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五日目:アルバイトに向かいます

 翌日、朝飯を食べ終えて食器を片づけてから、ガレージに向かった。


 シャッターを開けた光景に圧倒されそうだった。赤のミニバンが一台に国産の高級車が一台、それに二千万は下らないだろう外車のスポーツカーが二台あった。どの車も鏡のように磨かれていて、手入れが行き届いていた。平沼家の財力を見せつけられて気後れしてしまう。


 彩希はミニバンの鍵を開けて乗るよう促した。

 後部座席のドアを開けると、チャイルドシートが取り付けてある。

 浩太は優美をチャイルドシートに乗せてから隣に座った。


 ところが、彩希が運転席に乗り込むと、なぜか優美が不安そうな顔を浩太に向けてきた。


「車が苦手かな?」


 浩太は優美の頭を撫でて訊いた。


「おかーさーん、だいじょうぶー?」


「どういうこと?」


「いつもおとーさんがうんてんしてるー」


 未来では、一家の主らしく浩太が車を運転して家族を連れているらしかった。


「この車はね、お母さんのお父さん、つまり優美のおじいちゃんのものだからね。俺が運転するわけにはいかないんだ」


 もっともらしいことを言うが、今の浩太はペーパードライバーである。経験が少ない状態でミニバンを運転するのは心許なかった。


 地元に帰ったとき、車なしで生活するのは困難なので、高明大学に入学直後、親から借金をして免許を取らせてもらった。ちなみにその借金は卒業後に月五千円の分割払いで返すことになっている。


 彩希はエンジンをかけると左右を確認して車を発進させた。


「え、おっと」


 曲がりがきつく、身体を傾けてしまった。


「あ、ごめん。アクセル踏み過ぎた」


 彩希はブレーキを踏むと、苦笑いを浮かべてこちらを振り向た。リモコンでシャッターを閉め、発進させた。またアクセルを踏み過ぎたのか、ヘッドレストに頭をぶつけそうになった。


 よく見ると、彩希は前のめりになって肩に力を入れて運転をしている。しかも平沼家の前の道路は二十キロ制限のはずだが、それよりも速く進んでいる感がある。


 嫌な予感がした。


 優美が不安そうになっているのは、彩希の運転技術を知っているからではないか。


「優美、お母さんって車運転してたっけ?」


「ううん。おかーさん、うんてんがへただからっていってたよー。だってぶつけたもん」


 優美は、彩希の運転する車に乗ったことがあるようだ。


「ぶつけたって……」


 予感が確信に変わり、浩太は運転席の彩希に顔を向けた。バックミラー越しに見える彩希の顔が異様に強張っていた。


「彩希、免許持っているよな」


「持ってるよ。でも、お父さんが運転しない方がいいっていうからあまり乗っていないの。まったく、練習しなきゃうまくなれないのに」


 不満を言う彩希。


 だが、彩希の父親の意見はおそらく正しい。彩希は前方に夢中になるあまり、スピードメーターに一切視線を移さない。


 広い道路に入り、赤信号で停まると、彩希は深いため息をついた。そしてナビで玄一郎と莉緒を拾う場所を確認する。


「彩希、運転かわろうか?」


 事故ったらたまったもんじゃない、と浩太は思った。


「なんでよ。浩太はこれから働くんだから身体を休めてないと」


「とにかく安全運転で頼むぞ」


「わかってる」


 余計なことを言われたと思ったのか、彩希は不機嫌そうに応える。


「優美が乗っているんだからな」


 と浩太は釘を刺すが、彩希は反応を示さない。


 信号が青に変わった。


「さあ、行くわよ。お母さん、頑張っちゃう」


 頑張る必要はない、と言いかけたとき、車が急発進した。彩希は相変わらず前のめりになり、アクセルを踏んでいる。そしてすぐに前の車が見えてきた。だが、彩希はスピードを緩める気配がない。


「わああぁぁぁ!」


 ぶつかる、と思ったとき、浩太は悲鳴を上げた。


「あっと」


 ぶつかる寸前、彩希は急激にスピードを落とした。


 すると浩太は身体が前に引っ張られ、シートベルトが腹に食い込んだ。また車が加速し始めると、今度はシートの背もたれに身体をぶつけてしまった。後ろの車からクラクションの音がけたたましく飛んできた。


「おかしいなぁ。こわれているのかな」


 彩希は自分の運転がまずいことに気づいていない。アクセルとブレーキの感覚に乏しいのだ。


「彩希、やっぱり俺が運転――」


「ええい、今度こそ」


 彩希は無駄に張り切った。そしてスピードを上げて幹線道路を爆走し始めた。


「優美が乗ってるんだぞぉ―!」


 優美だけではなく、自分の安否も不安になる浩太であった。


   ◇ ◇ ◇

 

 玄一郎と莉緒を拾ったあと、国道を走り続け、ようやく目的地近づいた。平沼家を出てから二時間は経っていた。


 ショッピングモールは駅に近く、アルバイトたちの集合場所もここになっている。彩希は駅のロータリー手前で車を停めた。


「じゃあ、時間になったらまた来るから」


 車から降りる間際に、彩希がそう言った。


 浩太たちが車から降りると、彩希はミニバンを急発進させてどこかへ行ってしまった。


「浩太、帰りはお前が運転してくれ」


 心なしか、玄一郎の頬がこけている気がする。彩希の運転に心底まいってしまったようだ。


「わかっています」


 浩太もげんなりしていた。


「彩希、あんなに運転が下手だったんだ」


 莉緒の目の下にはクマができている。寝不足ではなく、彩希の運転で酔ったせいにちがいない。


「おとぉーさーん」


 優美も元気なさそうだ。この子も彩希の運転に酔ってしまったらしい。


「ん、よしよし。もうお母さんに運転させないからな」


 浩太は優美の頭を撫でる。


 駅の入口には十人以上が集まっていた。派遣会社に登録している人たちらしい。浩太たちと同年代が多く、中には家族連れもいた。楽なバイトで拘束時間が短いこともあってそれなりに人が集まったようだ。


 浩太たちもその一団に加わると、莉緒が金髪のバイトリーダーらしき人のところに行き、誰が来たかを報告して戻ってきた。


 浩太は優美を下ろしてはぐれないように手をつないだ。優美も手を離す様子はなく、知らない人たちが周りにいるせいか、興味ありげに首を振ってアルバイトの人たちを眺めている。


 集合時間ぴったりになるとバイトリーダーを先頭にショッピングモールへ向かった。小さな子どもに配慮してか、ゆったりとした足取りで歩を進めている。


「ほんとに優美を連れてきて大丈夫なんですか?」


 と、浩太は莉緒に訊いた。


「なにが?」


「子どもを働かせると、法に触れるんじゃないですか?」


 今になって気づいた。彩希は元芸能人ということもあって優美をバイトに参加させることに疑問を抱いていないようだが、何らかの法律に引っかかりそうな気がした。浩太は労働法の単位を取得しておらず、児童福祉法の講義も受けていないので、その辺の知識に乏しい。

 もっとも法科大学院を受ける明乃が何も言わなかったのだから、問題はないとみていいのだろうが、それでも不安である。


「ちゃんと会社に確認したから大丈夫。もし、なにか問題が起きたら会社のせいにすればいいし、あたしたちが責任を感じる必要なんてないから」


 アルバイトという気楽な立場のせいか、莉緒は割り切った考え方をしていた。


「浩太、あんまり優美ちゃんの前でそういう話はしない方がいいぞ」


 玄一郎は声を潜めて言った。


「あ、そうですね」


 と、浩太は視線を下げて優美を見る。疲れが取れたのか、優美は楽しそうにとことこ足を動かしている。


「母さんがいなくて、さみしくないのか?」


 玄一郎は歩きながら腰を曲げ、心配そうに優美をのぞき込む。


「ちょっとの辛抱ですね。彩希が来ると瀬能紗雪だって気づかれるかもしれないですし、優美には少し我慢してもらわないと。優美、お母さんがいなくても大丈夫か?」


 にわかに心配になって訊いた。三歳ぐらいだと、まだお母さんに甘えたい時期だと考えた。


 と、優美がこちらを振り向いた。


「おかーさん、むかえにくるよー」


 優美の表情と声は明るく、不安げな様子はうかがえなかった。どうやら優美なりに彩希がいない理由を理解しているようだ。


「そうか」


「おとーさんたちがあそんでくれるんでしょー?」


「ん、まあ、みんなで楽しく木を植えるってところかな」


 遊びとは違うので、どう説明すればいいか迷った。


「そうそう。きっと優美ちゃんも気に入ると思うな。帰ったらお母さんに教えてあげてね」


 と、莉緒がフォローしてくれる。


「うん」


 優美は明るい表情をしてうなずいた。


「莉緒さんがお気に入りなのか?」


 浩太は訊いた。初めて会ったときから、優美は莉緒に懐いている気がした。


「りおさん、やさしいもん」


「おーありがとう、優美ちゃん」


 莉緒は快活な笑顔を浮かべて応えた。


「ふふん」


 褒められたと思ったのか、優美も笑顔になる。


 ――笑い方も彩希に似てきたか?


 時おり、ふふんと笑うのは彩希の癖だった。三歳にもなると親の癖がうつるのかもしれないな、と浩太は密かに思った。

 


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