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四日目:神経衰弱で遊びます

 浩太は優美を膝の上に乗せながらソファに座っていた。隣には彩希、横のソファには明乃と一つ上の先輩、佐橋莉緒が座っている。


「へえ、この子が浩太と彩希のねぇ」


 莉緒が両肘を膝について、窺うようにして優美を眺める。癖毛の強いショートカットに三白眼の瞳という少々特徴的な容姿である。


「こんにちはー」


 と優美は自分からあいさつをする。


「おお、躾がなっているねえ。さすが瀬能紗雪の子ども、芸能界仕込みかねぇ」


 蓮っ葉な言葉遣いで感心する莉緒。


「もう、その名前は止めてください。今はただの女子大生、平沼彩希ですから」


「あはは、ごめんごめん。でもかわいい子だねぇ」


 莉緒は大口を開けて笑う。


「わーい」


 優美はするっと浩太から降りて、莉緒の脚元に近づいた。


「よしよし。おねえさんが遊んであげるから」


「やったー」


 優美は莉緒に物怖じしない。隣に泣かされた明乃がいるのだが、その存在を忘れているかのようだった。


 その明乃は武雄の書いた短編小説に目を通している。優美と愛でたときの変態的な態度は鳴りを潜め、真剣な眼差しで作品鑑賞を行っていた。昨日読むと言っていたのだが、家に帰ってさらに酒を飲んだらしく、読み暇がなかったらしい。明乃の目が心持ち赤い。


「で、武雄の小説、どうなんですか?」


 浩太は何気ないふうに訊く。


「うーん、ちょっとありきたりね」


「そうですか」


「でも、前と比べたらマシになったって感じかな。前のやつはひどかったもんね」


「たしか、アメリカの小説のパクリだって莉緒さんが言ってましたよね」


 と、莉緒に訊こうとしたが、優美と隣の部屋に入ったようだ。ドア越しに優美が遊び道具を探す声が聞こえてくる。


「そうそう。『さよならを言うことは少しだけ地獄に足を踏み入れること』だって。それ読んだとき、笑っちゃったわ。オマージュにしちゃ陳腐よ」


 代わりに明乃が答えた。そのときのことを思い出したらしく、ぷっと噴き出す。


「元の文章ってなんだっけ?」


 浩太は彩希に顔を向ける。


「原文だと“To say good-bye is to die a little”。レイモンド・チャンドラーの『長いお別れ』の一節ね」


「さすが彩希ね」


 明乃が感心めいた口調で言う。


「有名ですからね。高校のとき、事務所のマネージャーから目を通しておくように言われたものですから。ほら、ミステリードラマって古典作品からの引用も多いから知っておいた方がいいって」


「はあー、芸能人ともなると色んなこと知ってなきゃならないんだな」


 浩太は彩希がしてきた努力を垣間見た気がした。


「知性を磨くには知識の貯えが必要だって、小さなころからいろんな人に言われてたの。役に立たなそうな勉強でも、いつかは使う時が来るって」


「うーん、俺には想像もつかないな」


 税理士という実務的な仕事を目指すせいか、浩太には彩希の言ったことがピンとこなかった。現に浩太は将来自分の役に立ちそうな勉強しかしていない。ミステリー研究会の活動はあくまで息抜きである。


「わーい」


 隣の部屋から優美が走って出てきた。テーブルに近づくと手に持ったトランプの箱を浩太に渡してきた。


「ふーん、三歳でトランプができるんだな」


 浩太はトランプを眺めながら言った。平均的な三歳児の知能がよくわからないので、優美の成長具合が把握できなかった。


「なにして遊ぼうか?」


 追いかけてきた莉緒が訊いた。


「しんけーすいじゃくー」


「ああ、それなら簡単だな」


「よーし、明乃ちゃん、負けない、じゅる、」


 明乃はよだれをすする音を立てて目に怪しげな光を湛え始めた。


「明乃さん、ぜんっぜん懲りてないみたいですね」


 娘の危機を察知し、彩希は明乃の隣に座って優美に手を触れさせないようにする。


 優美も明乃の変態的威圧感に戸惑ったのか、眉を八の字にして浩太に近づく。


「優美、大丈夫だ。お父さんとお母さんがきっちりガードしておくからな」


 浩太は滑るようにソファから降りて、床に胡坐をかいた。


「うんしょ、うんしょ」


 優美は合図を受け取ったかのように浩太の脚の上に乗る。


「よし、じゃあ始めましょうか」


 彩希がテーブルの上のものを片付け始めた。それと同時に浩太は優美にトランプを持たせる。


 テーブルが綺麗になると、優美は立ち上がってトランプの箱を開けた。そして手を滑らせるようにトランプを広げる。


「どれ、お姉ちゃんが手伝ってあげる」 


 と莉緒も手を伸ばす。優美の身体ではテーブル一杯に広げるのは無理だと思ったらしかった。


「ゆみがやる―」


 優美はちょこちょこテーブルの周りを移動しながらトランプをちりばめた。


「おお、頭いい」


 三歳児の意外な賢さに感心する莉緒。


「これぐらいできますよ」


 と彩希は言うものの、娘を褒められてどこか誇らしげだ。


 神経衰弱の準備が終わると、優美はまた浩太の脚の上に座った。


「ゆみからでいいー?」


 と優美は振り返って浩太に訊いた。


「いいよ。じゃあ右回りで優美の次は莉緒さん。最後は俺で」


 浩太がそう言うと、優美は早速一番手前のトランプを開ける。


「スペードの七ね」


 彩希が言う。


 優美は浩太から離れテーブルの周りを歩く。彩希の一番近くにあるトランプを開けた。


「惜しい。ハートの八だ」


 浩太が労うように言う。優美は律義にカードを元に戻してから浩太の脚の上に乗った。


「んじゃ、次はあたしね」


 と、莉緒がカードに手を伸ばす。なぜか速い手つきでカードを二枚めくる。


「スペードの十にクローバーのAね」


 莉緒が独り言のように言った。


 こんな調子で何巡かすると、カードが揃い始める。


 ゲーム開始から三十分ほどでテーブルからカードが無くなった。


 結果は、浩太、莉緒、優美、彩希、明乃の順位である。


「ああ、最下位だぁー」


 明乃は芝居っけたっぷりにテーブルに突っ伏す。ゲームの途中、明乃は明らかに正解のカードに目を遣っている瞬間があったのだが、それをあえてめくらなかった。優美に華を持たせるためにわざと負けてくれたらしい。


「浩太、強いねぇ」


 莉緒が言う。


「まあ、こんなもんですね。優美、もう一回やるか?」


「んー」


 脚の上にいる優美はどこかだるそうにしている。終盤に差し掛かったあたりで飽きたのか、眠そうにしていたのだ。


「そろそろお昼寝かな。優美、部屋に戻るよー」


「うん」


 優美はうなずくと、浩太の脚から降りた。


 彩希は優美を連れて、隣の部屋へ寝かせに行った。


「どれどれ、優美ちゃんの寝顔は――」


「明乃さん、今度こそ指折られますよ」


 浩太が強めの口調で明乃を制する。


「指って?」


 昨日いなかった莉緒が訊いた。


 浩太は明乃が優美を泣かせて、彩希に指関節を極められたこと、ついでに陽平と武雄も痛い目に遭ったことも話した。


「あのときの彩希ったらすごかったなぁ。ほんと、格闘家顔負け」


 他人事のように言う明乃。


「明乃さんだけじゃなく、陽平と武雄もやられました」


「そんなことする子じゃないと思うんだけどなあ」


 莉緒は彩希の変貌ぶりに納得がいっていないようだ。


「俺もそうだと思ったんですけどね。どうも優美が来てから彩希の様子がおかしいっていうか」


「つーか、浩太、いつの間に彩希と親しくなったの?」


「へ?」


 莉緒の言っている意味がわからず、どう口にしていいかわからなくなる浩太。


「だって、今まで浩太って彩希のこと、平沼って呼んでたでしょ」


「言われて見ればそうね。気づけば彩希って言ってるし」


 明乃も同意した。


「そりゃあ、一緒に優美の世話をしていますからね。いつまでも名字で呼んでいると優美に仲が悪いのかなって勘違いされそうだし」


 浩太はあちこちに視線を移しながら言い訳がましく言った。


「ふーん。それだけかなぁ」


 莉緒がニヤニヤ笑いを浮かべて、顔を寄せてくる。


「そ、それだけですよ」


 昨夜、彩希に名前を呼ぶ練習をさせられたとは言えなかった。


 あのとき、二人ともどうかしていた、と浩太は思う。本来、恋人同士でもない、ただの同級生という間柄である。ところが優美が来てからの彩希は浩太に対する態度が違って見えた。今まで名字で呼んでも差し支えなかったのに、執拗に「彩希」と呼ぶことを欲している。


 娘がいるからというのも理由の一つなのかもしれない。両親の間に溝があると勘違いされないために、あえていつでも「彩希」と呼ばせることで距離を縮める狙いがあるのだろうか。


 ――ちゃんと目を見て、か。


 浩太の頬に、彩希の手のひらの感触が蘇ってくる気がした。彩希の眼差しに、優美の父親としての自覚以外に、なにかを求めている気がした。あのときの彩希の態度、仕草には普通ではない感情が芽生えていたのかもしれない。


 優美がこうして存在する以上、浩太と彩希は将来結婚するのは確定している。ただ、それまでの過程が一切わからなかった。いつ、何がきっかけで、二人が結婚するのか想像もつかない。優美が未来から遊びに来たから距離が縮まったものの、そうでなかったらどうやって仲が進展したのか全く予想がつかなかった。


「優美ったらすぐ寝ましたよ」


 彩希は安堵した声を出して、戻ってきた。

 浩太はその声にはっとなり、現実に戻る。


「どうしたの?」


 彩希は浩太の様子がおかしいと思ったのかもしれない。


「べ、別に。莉緒さんがへんなこと言うから」


「へんじゃないでしょ。ねえねえ彩希、浩太といつからつき合っているの」


 莉緒は遠慮がない。


「つき合っている?」


 と彩希は胡乱な目つきで莉緒に視線を向けた。


「違うの?」


「見てわかりませんか? とっくにつき合ってますよ」


「おい、彩希」


 浩太は慌てて立ち上がり、彩希の肩を掴んでリビングの隅に連れて行った。


「なによ?」


「俺たちつき合っているわけじゃないだろ」


 浩太はひそひそ声で話す。ちらと後ろを見ると明乃と莉緒がにんまりとした顔つきで見つめている。


「そんなにキョどることないでしょ。こうして優美がいるんだし、つき合っていないっていう方がおかしいでしょ」


「でも――」


「でも、じゃない」


 彩希は真正面に浩太に向き直った。


「彩希?」


「ふふん、やっと自然に彩希って呼んでくれるようになったわね」


「そんなことはいいんだよ。なんで俺と――」


「言ったでしょ。浩太みたいな人が旦那さんならいいなって」


「本当にそれだけか?」


「どういう意味?」


「どういう意味、って……」


 ここで浩太は口籠ってしまった。訊きたいことはたくさんあるはずなのに、いざというときに臆してしまう。


「とにかく、浩太とわたしは夫婦、優美が娘、その事実は揺るがないの」


 彩希は浩太を指さした。浩太はその指先を一瞥してから彩希の顔に目を向ける。


 彩希に昨夜と同じような眼差しが表れていた。


「わ、わかった」


 この場は首肯するしかないと感じ、素直にしたがうことにした。


「ふふん、わかればいいのよ」


 彩希は首をかしげて微笑む。


「なあに、彩希。不甲斐ない旦那さんにセッキョーしてるの?」


 莉緒の声音にからかう色が帯びる。


「そうですね。父親の自覚を持ってって言い聞かせました」


 彩希は、ソファに戻りながら言った。


  ――わからないなぁ。


 彩希の心情を読み切るのは、税理士試験に合格するよりも難しい、と不適当な比較をする浩太。彩希の仕草には浩太を惑わす効果があったようだ。


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